皇咲くんが大好きな私は「付き合って」と言わない
恋をすると世界が広がるって言うけど、正直わたしは信じていなかった。
一人の人間に全部を預けるなんて、失った時が怖すぎる。むしろ狭くなるよね、絶対。
だからわたしは決めたのです。
わたしは一生恋をしない。自分の世界を狭めるなんて馬鹿な真似は絶対にしない。
自分の力だけで生きてやる!
わたしは一生恋をしない! (大事なので2回言った)
「おはよう皇咲くん! 今日も最高のビジュアルしてるね大好き!」
「うるさい黙って」
「罵倒さえも美しく聞こえるその美声! 好き!」
そんなことを思っていた時期もありました。
どうも皆さまこんにちは。
あれだけ恋愛否定しておきながら、コロッと落ちた馬鹿、小鳥遊鈴芽です。
そしてそのわたしが恋しているのが、ウチの高校で一番カッコいい皇咲真那くんだ。
朝一番の教室。机に向かって黙々と勉強しているその横顔を、わたしは今日も遠慮なく眺める。
艶やかな銀色の髪が朝の光を弾いて、アクアマリンを思わせる淡い水色の瞳が教科書を追っている。
ああもう、とにかく顔がいい。好き。
「朝早くから登校して勉強しているその勤勉さ、ステキ! 孕ませて!」
「…………」
「ん? そんなに見つめてどうしたのかな皇咲くん。あもしかして今日のこの髪型の可愛さに気づいてくれた? 皇咲くんの為に毎日可愛くしてるんだよ♡」
「知らない」
皇咲くんの絶対零度の視線に、きゃー! とわざとらしく歓声を上げると、氷河期も真っ青な冷たい声色で「馬鹿じゃないの」と罵倒された。表情も心なしか鬱陶しそうに見える。
そんな悪口さえもカッコよくて思えてしまうのだから、わたしはかなりの重症なんだと思う。
深いため息を吐いた皇咲くんは、椅子の背もたれに体重をかけて深い藍色のシャーペンをくるりと回した。それからサラサラした銀髪を手でサッと払う。
ぐうかっこいい。
突然のカッコいい仕草にキュン死しかけたわたし。ギリギリで持ち堪えたけど、今のは堪えた。
顔を覆った両手の隙間からちらっと皇咲くんの横顔を覗くと、シャーペンを形の良い薄い唇に軽く当てていて、どえらい色気を醸し出していた。
ぐうかっこいい。
思わず胸を押さえてうめいた。
わたしはもはや瀕死。あぁっ、急所を撃たれています! どなたか、どなたかお医者様はいらっしゃいませんかァァーー!
そうこうしている内にクラスメイトたちも続々と登校して来て、二人きりの時間もお終い。
それでも皇咲くんの前を動かないでいると、クラスの男子がにやにやしながら話しかけてきた。
コイツ名前なんだっけな。新学年始まって二ヶ月経つけど、覚えてないんだよね。
でも仕方ないよね、皇咲くんの前じゃ他の男子はみんなモブだもんね!
「よー小鳥遊。相変わらず皇咲にご執心だな〜。ストーカーはするなよ〜」
「おはようモブB……ではなく山口。私はストーカーなんてしてないししないから!」
「……おい、リアルにモブとか言う奴があるか。そして俺の名前は山口ではない」
「えー……じゃあ山田?」
「違う、河上だ! クラスメイトの名前くらい認識しとけアホ!」
「ヒドイ!」
河上の悪口にワッと顔を覆って泣き崩れる。シンプル罵倒に傷ついたわたしの図である。
ヨヨヨ、と泣いて見せれば、顔は見えないが冷ややかな視線を送ってきている二つの気配を感じる。コイツ馬鹿か、いやアホだと思っているのが丸わかりである。
もちろん黙って見逃すわたしではない。すぐに顔を上げて拳を握り、「せいやぁ!」の掛け声と共に正拳突きを放つ。河上に。
ぐほぉっと呻き声を上げて沈み込んだ川松(仮名)を尻目に、わたしは思いっきり被害者ヅラして皇咲くんに泣きついた。
「皇咲くん〜! 川口(仮名)が、川口(仮名)が酷いこと言うよぉ〜! えーんえーん」
「………………」
「わぁ、構ってチャンを見る目だあ」
へらっと笑うと返ってくるため息。うん、今の痛かったって自覚してる。恥ずい。
誤魔化すようにHAHAHAと笑いつつ、わざとらしく両手を頬に当てた。あ、ちょっと火照ってる。
「恥ずいわぁ。でもでもぉ、わたしがこんなことしたのは皇咲くんのセイなんだからね〜? 責任取って!」
「……わかった」
「えっ?」
静かに返ってきた声に驚く。てっきりあしらわれるか、ため息吐かれて終わるかと思ってたんだけど。
ていうか責任って、え、もしかして……そういうことだったりする!?
エッエッと皇咲くんの端正な顔を見つめていると、猫のように大きな目にいつもと同じ感情の色が見えた。いつもと同じ……そう、『何やってんだコイツ』である。
皇咲くんは細くてしなやかな指先で、コツリと手元の教科書を示す。
「教科書持って来て。教える」
「エ、あ、ハイ」
その言葉に悟った。責任取るっていうのは、勉強教えることだったらしい。
あーハイハイ、勘違い勘ちがぁーい! 桃色妄想が見せた勘違いー!
一瞬でも「もしかして……ケッコン!?」とか思ってしまった自分が恥ずかしい! わたしは痛い子か!!
内心でアホか私と突っ込みつつ、わたしは死んだ目で鞄の中の教科書を掴み出した。
なぜ死んだ目なのかというと、示された教科書に書かれた文字のせいである。
『古典』
わたしが唯一大の苦手で大嫌いな分野だ。
あれもしかして嫌がらせだったりするコレ? わたし嫌われてる?? あ、そういえば皇咲くんって女嫌いだった。
わたしの気分はぐぅんと急降下。好きな人に嫌われることほど悲しいことはないって思い知った。ぐすん。
さてさて好きな人に勉強を教えてもらうというスペシャルイベントを乗り越えた私。
四時間授業を終えて昼休み、マイベストフレンド舞ちゃんとご飯タイム中です。
ちなみにわたしは一人暮らしだから自作のお弁当だ。今日のは唐揚げー! いえい!
「アンタほんっと毎日飽きないわねー。アイツが良いのって顔だけじゃない。女嫌いで態度悪いし、何がいいのよ」
「全部だよ。存在自体が素晴らしいの!!」
「あーはいはい」
力説するわたしを適当にあしらって卵焼きを頬張る舞ちゃん。
舞ちゃんは黒髪ロングのダイナマイトボディ、所謂クラスのマドンナだ。姉御肌でよくドジをするわたしの世話を焼いてくれてる。
そしてよく皇咲くんについて語って聞かせているわたしの親友だ。
「いい? まずあの銀髪。透き通るような煌めきを纏っていて、とても繊細でサラッサラ。水色の瞳は猫みたいに大きくて睫毛が長くって、見つめてたら呑み込まれそうなほど蠱惑的。なのにアクアマリンのような気品を宿していて、煌めく様はまさに宝石! 薄い唇とスッと通った鼻筋も完璧に配置されてて、神が直接手を加えたとしか思えない奇跡の顔面! これで落ちない人間がいるだろうか? いやいない! そう、全人類は皇咲くんの引き立て役のためにあ、んぐぅっ」
「はいはいシャラップ、全人類を敵に回す発言は慎みなさい」
「えぇ、でも本当のことだし……舞ちゃんママのひじき美味しい」
「ありがたく食べなさい。アンタまた夕飯抜いたでしょ、顔色悪いわよ。ちゃんとしないとその内ぶっ倒れるわよ」
「んー、善処しましゅ」
口に突っ込まれたひじきは舞ちゃんママ特製秘伝レシピソース配合。とっても美味しゅうございました。
食事の合間合間に皇咲くんの素晴らしさをトクトク語って、その度にご飯をお裾分けしてもらうこと六回。
突っ込み疲れたのかひたすら無視を決め込んでいた舞ちゃんが、ふと顔を上げてわたしを見た。
「……そういえばアンタ、アイツに告白しないわよね」
「え? いや、毎日してるよ? ……舞ちゃん目ぇ大丈夫?」
「ぶん殴るわよ」
本気で心配したのに、すごい酷いこと言われた。わたしの親友って冷たい。
「そうじゃなくて、好き好き言うくせに『付き合って』とか言わないじゃない。……わざとよね」
「――――……あは、気づいちゃった?」
ぺろっと舌を出しておどけて見せると、驚くほど真剣な顔をした舞ちゃんが、どうしてか辛そうに眉を寄せた。
「……もしかして、津具深くんのこと、関係してる?」
「…………あー、うん。まあ」
あははっと笑いながら、内心で参ったなぁとぼやく。
我が親友がここまで鋭いなんて、わたしはなんだかちょっと誇らしいよ。探偵とか始めたらどうかな! ――なんてね。
締めに残しておいた唐揚げに箸を突き立てて、口に運ぶ。脂っこくて味の濃いそれが、胸に重たく沈み込む。
「別に、臆病になってるわけじゃないよ。でもね、あの子が目覚めた時に姉のわたしがいなかったら、きっと不安になって泣いちゃう」
「…………」
「だから、これでいいの」
大丈夫だから。そう微笑み掛けたのに、わたしの親友はそれっきり黙ってしまった。
☆☆˚✧₊⁎❝᷀⁎✧༚☆
放課後、わたしは花屋に寄ってから病院へ向かった。理由は単純で、そうするのが習慣だからだ。
病室にはベッドがひとつだけ置いてあった。他にあるのは点滴と、土産の品くらい。
いつもするようにベッドの中を覗き込んで、寝ているこの病室の主の顔を見た。
わたしと同じ明るいトーンの茶髪に、折れてしまいそうなほど細い体。閉じられた瞳を縁取る長く細い睫毛が、白磁のような肌に影を落としている。
左腕には管が付いていて、その先は点滴に繋がっている。
微かにしか聞こえない寝息は、本当に生きているのかと不安に駆られるほど静かだった。
わたしはそれらを、いち、にぃ、さん、と習慣のように数えた。
「……減ってる」
前はもっとたくさん、それこそ溢れかえって置き場所に困るほどあったのに、明らかに数が減っている。
でもまぁ、仕方ないことなんだろうなと心のどこかで思う。
待っても待っても目覚めは訪れない。そんな日々が続けば、疲れてしまう。諦めたくなってしまう。
――――――わたしだって。
「やっほー。今日はチューリップを持ってきたよ。赤色、好きだったよね」
じゃーん、と持ってきた花束を窓辺に置いて、近くの椅子を手繰り寄せて腰掛けた。
返事はない。
「ねぇねぇ聞いてよ。今日皇咲くんがね、勉強を教えてくれたの。神イベントかもって思ったけど、それがなんと古典でさぁ! わたしもしかして嫌われてるのかなぁ〜」
ふふっと笑って「おかげで朝からクタクタだったよ」と愚痴る。
返事はない。
「それを舞ちゃんに話したらね、“いいじゃない、これを機に古典の成績上げなさいよ”だって! ひどいよね、自分だって数学苦手なくせにっ」
返事はない。
「でもおかげで古典の抜き打ちテスト乗り切れたよ! なんと四十点台! すごくない? 二十も上がった! やっぱ皇咲くんは神ーー!」
返事はない。
「そいえば話題変わるけどさぁ、今日の夕飯何がいいと思う? 魚? お肉? あっ、いっそ中華とかどうかな!」
返事はない。
「あぁ! それともシチューにしよっか? 好きだもんね。でも人参は食べてもらうよ! ミネラル大事! それにシチューには人参って全世界共通だしっ」
返事はない。
「………………………………わたし、もう帰るね。夕飯の支度しなきゃ!」
カタン、と椅子から立ち上がって、置いたばかりの花束を乱暴に掴んだ。
その弾みにグシャっと音がして、貧相だった花の茎が折れ曲がる。
叩きつけるようにゴミ箱へ投げ入れると、ゴミに混じって余計に汚く見えた。
ああ、やっぱりみすぼらしいなぁ。
そんなことをぼんやりと思いながら、わたしはベッドの中の彼に微笑み掛けた。
「じゃあね、また来るから。いい子にしてるんだよ、津具深」
返事はない。
この二年間一度も返事をしない弟に背を向けて、わたしは病室を後にした。
☆☆˚✧₊⁎❝᷀⁎✧༚☆
病院を出ると、外は暗くなり始めていた。夕暮れ時の日が空をオレンジ色に染め上げている。
人ももういない。この辺は物騒だって聞くし、早くしないと……。
「……あ、シチューのルー、切れてるんだった」
買わないと夕飯ないや。近くのスーパーなら、急げば閉店までには間に合うかな……ああでも面倒だなぁ。今日も夕飯はいっか。
ふらふらおぼつかない足取りで道を歩く。
その時背後で、タタタッと軽い足音がした。
まっ、まさか……不審者、それとも幽霊!?
でも幽霊に足はないから、これは不審者のもの?
ぞわっと悪寒が背中を走る。やばい、早く逃げないと!
急いで足の回転を速める……と。
「あてぇっ!?」
転んだ。それはもう、盛大に。
ドタッと倒れ込んだ体勢のまま無言で悶絶する。膝の痛みと羞恥心に。
いや恥ずかしい。こんな何にもないところでコケるか普通。自分に自分で呆れております。
いやそうじゃない! 逃げるんでしょわたしのアホ! なんっで忘れとるんじゃい!!
早やく立て! 逃げろ逃げろ逃げ……―――
「ねぇ、貴方大丈夫?」
「へっ」
耳に飛び込んできた美しいハスキーボイスに、思わず目をぱちくりさせた。
顔だけ起こして声の主を見てみると、とんでもねぇ美女がいた。
肩あたりまで伸ばされた銀髪は夕日を反射して煌めき、エメラルドを思わせる翠眼は宝石のよう。ハイネックの上品なデザインのワンピースが、優艶な色香を醸し出している。
女のわたしでも太刀打ちできない傾国の美女。胸は勿体無いことにぺったんこだったけど、そんなこと気にならないくらいの美女だった。
美女が可愛らしくこてんと小首を傾げる。アやめて、その顔でそんなことされると心臓がキュン死するから。
「立てないの? どこか怪我でもした?」
「はいいえ!!」
「どっちなの? ……って」
心配そうに歪んだ美女の顔面に耐え切れず唐突にシュバッと立ち上がると、その拍子に膝の傷口から滴っていた血がボタボタっと落ちた。
おお……そういえばさっきから地味に痛かったな。うん、思い出したらなんか痛みがどんどん増してる気がする……。
美女が無言でわたしを見る。わたしも無言で美女を見つめ返した。
そして五分後、その美女と近場の公園のベンチに腰掛けていた。
……いや、ね? 知らない人に着いていくのはちょーっとアレかなぁとは思うけどさ、こんな美女に「手当したいから、あそこの公園のベンチでシましょ?」って言われちゃったらさ、ねぇ?
これで拒否できる人がいるならぜひ会ってみたいものだ。
まあそんなわけで美女の手厚い手当てを受けること五分。
素晴らしき手際で包帯を巻き終わった美女は、ふぅと息を吐いて艶やかな唇を開く。
「これで大丈夫よ。化膿しないように、包帯は毎日取り替えてね」
「ハイ」
「顔に傷がつかなくて良かったわ。せっかく可愛いんだもの」
「ハイ。……ハイ??」
「あとお名前聞かせてもらえる? あ、アタシは真弓よ。よろしくね」
「あ、え? あ、小鳥遊鈴芽です……?」
「あら、名前まで可愛いなんて。……お持ち帰りしたいわ」
最後の一言に背筋に悪寒が走った。
お持ち帰りって、お持ち帰りって。え、まさかそういう意味です??
うふふふと上機嫌に笑う美女……もとい真弓さんに震えが止まらない。まさか、まさかね。
「え、えと……真弓さん」
「声も素敵ね、まるで小鳥のさえずりだわ。何かしら?」
「んん゛っ。……あの、手当て、ありがとうございました。完全にわたしの不注意だったのに、わざわざ……」
「いいのいいの。アタシ医学部なの。これくらいお茶の子さいさいよ! それに鈴芽ちゃんともこうしてお話しできたしね」
「…………アリガトウゴザイマス」
一言発する度に飛び出る甘い賛辞がむず痒い。同性だけど、すっごいドキドキする。
包帯や消毒液を鞄に仕舞いながら、真弓さんは首を傾げる。
「鈴芽ちゃんはこんな時間に何をしていたの?」
「病院に、お見舞いに行ってたんです」
「……それって誰なのか、聞いてもいいかしら?」
どこか申し訳なさそうな顔をした真弓さんがそっと聞いてきて、わたしは思わずちょっと苦笑した。
嫌なことを聞いてしまったか、とでも思っているんだろうけど、別に隠したいわけでもないし、大丈夫だ。
「はい、大丈夫ですよ。―――わたしの弟なんです、その子」
「……そう、なの」
辛そうに眉根を寄せた真弓さんに、わたしはそんな顔をしてほしくなくてできるだけ明るく語る。
「弟……津具深っていうんですけど、彼は二年前に事故に遭って、ずっと昏睡状態なんです。事故の原因はトラックの運転手の居眠り運転。こっちに非はないのでたっぷり慰謝料もらって、全部治療費に充てました」
でも、と声色を変えずに続ける。
「津具深はそれでも目覚めない」
真弓さんは口を挟まずに黙って聞いてくれている。
それが心地よくて、聞かれてもいないことまで話してしまう。
「外傷は全部治ったし、脳に異常もない。なのに一向に覚醒の兆しが見えないんです」
医者の話では、いつかは目覚めるだろうということだった。
だから両親は仕事が忙しくて海外へ行ってしまってもわたしだけは日本に残って、あの子を待ち続けている。
でも時々、そんな自分が虚しくなる。
――――津具深は本当に目覚めるの?
「あの子にとって、わたしは世界で唯一なんです」
わたしは幼い頃から忙しかった両親の代わりに津具深の面倒を見ていた。それを辛いと思ったことはないし、面倒に感じたこともない。
親に十分に注がれなかった愛情も、津具深と触れ合う中で満たされていった。
津具深は親代わりのわたしが大好きで、いつも「すずねぇ、まって」とわたしの後ろを着いて回っていた。
わたしも津具深が大好きだった。たくさん甘やかしたし、願い事はできるだけ叶えてあげていた。
なんなら向こうは、わたしに若干依存していたかもしれない。
わたしが男友達といると凄い顔して抱きついてきたし、テレビで観た俳優がカッコいいと褒めるとソファに押し倒されて「すずねぇは俺の方が好きでしょ?」と言われたことさえある。
……あれ、若干どころじゃなくないか? コレ。普通に依存されてるわ。
まあそれは置いといて、とにかくだ。
それくらい津具深はわたしを愛してくれていて、わたしも津具深を世界一大切にしていた。
だから事故のことを聞いた時、とても信じられなかった。果てしなく続く絶望に無様に崩れ落ちた。
病院で一命は取り留めたと聞いて、どれほど安堵したことか。そしてその時、わたしは決意したのだ。
―――わたしは津具深を待ち続ける。津具深の為ならなんでもする。
「だからわたしは、自分の多くを犠牲にしてでも津具深を待っています。放課後の遊びも彼氏もいらない。作っちゃいけない。津具深はずっと眠っているのに、そんな呑気なことを、姉のわたしがするわけにはいかないんです」
語り終えて口内が渇き、こくりと唾液を飲み込んだ。
真弓さんはずっと黙ったままだった。うん、暗い話だもんね。
せっかく助けてもらったのに、申し訳ないなぁ。
気づけばオレンジの空は色を増し、そろそろ暗くなると伝えている。公園に人の姿ももうないし、そろそろ帰らないと。
「…………鈴芽ちゃんは、それでいいの?」
「え?」
唐突に聞かれてきょとんとする。真弓さんは続けた。
「恋愛も友だちも捨てて弟に尽くして、それでいいの? 自分は後回しで、それで幸せなの?」
「え…………」
「少なくともアタシにはそうは見えないわ。好きな男がいるくせに、その感情を自分で無理矢理踏み潰して、……まるで、孤独になりたいみたい」
ああ、苛つくなぁ。
潤んだ目でわたしを睨み、絞り出すようにそう言う真弓さんに、わたしはそう思ってしまう。
わたしの心情を知りもしないでそんなことを言わないでほしい。わたしはこれでいいんだ。外野が口を出さないでよ。
孤独になりたいみたい? そうだよ、なりたいよ。
だってそうしたら、もう二度と傷つかないで済む。失うものがなければ絶望もない。
それにそうすれば、わたしは心から津具深に尽くすことができる。それはそれで幸せだ。
だってわたしは、津具深のお姉ちゃんなんだもの。
弟のそばに居られて嬉しくないわけがない。
「……真弓さんは大切な人を失った経験がないからそう言えるんです。世界一大切にしてきたものが、ある日唐突に消えた瞬間の喪失感が分かりますか? 絶対に守りたいと思っていたものを守れなかった無気力感を感じたことは? どんなに待ち続けても起きない奇跡に気が狂いかけたことは? ないでしょう? だからそう言えるんです。わたしは津具深の姉であり、実質的な親でもある。我が子を守れない人間に価値なんてない。だったらせめて、あの子が起きた時に安心できる環境を整えておかないといけないんです」
苛立ちのままにつらつら言葉を並べるわたしに、真弓さんが唖然とした視線を向ける。その目にどこか怯えが見えるのは、気のせいかな。
うーん、ひどいなぁ。本心を打ち明けたのに。
そう思いながら、あれっと気づいた。
わたし、真弓さんに好きな人の話ってしたっけ?
「―――だから小鳥遊さんは、俺に付き合ってって言わないの?」
突然背後から聞こえた声にパッと振り返って見上げると、もう見慣れてしまった美しい姿が目に入った。
ありえない。なんで、なんでここにいるの。
「…………すめらざきくん?」
口から零れた声は驚くほど震えていて、冷たい光を宿した彼の双眼に息を呑んだ。
♡◇♡◇128√e 980◇♡◇♡
『す、好きですっ!!』
咄嗟に口をついて出た言葉に、あ、間違えたと思った。
わたしが一目惚れした彼は、猫みたいに蠱惑的なアクアマリンの双眼を見開いていて、零れちゃいそう、とぼんやり考える。
高校二年生になった初日、わたしは向かった先の教室にいた王子様に恋をした。
彼の噂は知っていた。女嫌いで、ファンクラブまで存在するほどの美少年だって。
でも直接見たことはなかった。別に興味なかった。
学校一のイケメンがこんなにかっこいいなんて、知らなかった。知りたくなかった。
突然の公開告白の驚いたように集まる教室中の視線から逃げるように彼を見つめながら、わたしは絶望する。
わたしは、自分の気持ちが分からないほど無知じゃなくて、自分の気持ちを認められないほど子供じゃなくて。
だから、激しく彼を渇望する熱も、ぞくぞくと背中を走る甘い痺れも、感じたことのないほどの歓喜に生まれた震えも、全部――――恋なんだって、分かってしまった。
―――あぁ、わたしは最低だ。
弟が昏睡状態でずっと目覚めなくて、なのに恋なんて馬鹿な真似をしたわたしは最低だ。
あの子の為ならなんでもするって決めたのに、早速破るなんて酷い姉だ。
だったらせめて、この恋は報われてはいけな|い。
だからと、わたしは彼に思いっきり笑みを向けた。
女嫌いだと噂される彼が苦手であろう、甘ったるい笑みを。
『こんにちはっ、わたしは小鳥遊鈴芽! あなたの名前は? 連絡先は? どこに住んでるの? ねぇねぇ教えてよ〜! わたし、あなたのこと、好きになっちゃった!』
ねぇ、皇咲くん。
好きになってごめん。すぐに諦められないくてごめん。
どうかどうか、わたしを鬱陶しがって嫌って。わたしなんて興味ないと切り捨てて。
『あっ、もしかしてあなたが皇咲くん!? 噂以上にカッコいいんですけど〜! 好き!』
あぁもう、恋愛なんてクソッタレだ。
♡◇♡◇128√e 980◇♡◇♡
「なんで……」
呆然としたわたしを一瞥して、皇咲くんはベンチの前に回り込んでくる。
真弓さんがおかしそうにくすくす笑った。
「あら、早かったじゃないの真那。まだ連絡して五分も経ってないわよ」
「兄さん……なんでコイツといるの」
ぎろりと真弓さんを睨みつける皇咲くん。ああそんな顔もまた美しい……て、ちょっと待てよ。
今彼なんと言った? “兄さん”って……えっ。
「おっ、男ぉっ!?」
まっっじで!?
どっからどう見ても妖艶な美女さんなんですが!?
しかも皇咲くんのお兄さん! 兄弟!!
こんな偶然あるか普通!?
「ええそうよ、アタシの苗字は皇咲。こっちはアタシの愚弟。黙っていてごめんなさいね?」
ふふふと悪戯っぽく笑う真弓さんに、どうしたら「騙したな悪女めェ!」と言えるだろうか。言えないよね、女でもないし。
言えるのは「いえいえそんな!」だけである。
うーむ、どうしたらわたしも女の魅力を持てるのだろうか……一生無理かもな……。
「さぁて、アタシはここで失礼するわね。よかったそこの愚弟とよく話してちょうだい。あ、真那、鈴芽ちゃんを放っぽってっちゃダメよ。ちゃんと家まで送ってあげてね」
「……分かってる」
「じゃあね鈴芽ちゃん、今度お茶しましょ!」
「え、真弓さん!?」
流れるように荷物を取ってぴゅーっと去っていく真弓さん。あ、足が速い……もう見えない。
あっという間に居なくなった真弓さんに、皇咲くんが「兄さん……」と片手で顔を覆って項垂れる。なるほど、きっと毎日振り回されているんだろうなぁ……。
真弓さんが居なくなって、この場にはわたしと皇咲くんの二人だけ。き、気まずい。
「……ねぇ、小鳥遊さん」
「っ、ぁ」
不意にかかった声に、思わず息を呑む。その声は常よりずっと低い。もしかして怒ってる? どうして。
いやそれよりも。何か、何か言わなきゃ……っ!
「っ、き、奇遇だね皇咲くん! こんなところで出会うなんて、わたしたち運命かなぁ!?」
無理矢理作った笑みを貼り付けて、無表情で佇む皇咲くんに向ける。
大丈夫かな。笑顔、崩れてないかな。
内心で不安を抱きながら、そんなことはおくびも出さずに早口で言葉を並べる。
「まさか真弓さんが皇咲くんのお兄さんだったなんてね……! てっきり女の人だと思ってたよ〜! あーあ、皇咲くんのお兄さんなら、もっと仲良くなっとけばよかったなぁ!」
「…………小鳥遊さん」
なんで、そんなに辛そうな顔をするの。
眉を寄せて唇を噛む彼の姿に、そう思わずにはいられない。
なんで、なんでそんなに苦しそうなの。なんで……っ。
笑顔が引き攣って、呼吸が浅くなる。喉元まで迫り上がってくる声を飲み込むけど、手の震えが止まらない。隠すように後ろで手を組む。
「ていうか私服カッコいいね! めっちゃ最高! 日本一、いや世界一だよ〜!」
「小鳥遊さん、さっきの話は本当?」
沈黙が落ちた。
どちらも口を噤んで、耳が痛いほどの静寂が訪れる。
なんで、そこを突くのさ。別にいいじゃん、どうせ関係ないんだし。
そう言おうとしたけど、実際に口から出た言葉は違った。
「いつから、いたの」
消えてしまいそうなほど掠れた問いかけに、病院に行ってたって辺りから、と彼は気まずそうに返答する。
つまり最初っからね。くそぉ、真弓さんにしてやられた。
うーん……言い訳の余地もないし、もうゲームオーバーかな。
「……真弓さんに語ったことは、全部本当だよ。一つの嘘だって混じってない」
あぁもう、わたしは好きな人に何を言ってるんだか。
こんなこと言っても、何の解決にもならないっていうのに。
「小鳥遊さんは、弟さんが目覚めないから、俺に付き合ってって言わないの? ―――自分を縛るために」
真剣な声色で放たれた言葉に、正解というよう代わりににへらっと笑みを返した。
図星だった。大正解、と付けたいくらい。
皇咲くんの言う通り、わたしが彼を褒めても「付き合って」と言わないのは、まさしくそういうことだった。
だって津具深に尽くすのに、恋愛なんて呑気なこと、してらんないもん。
特に時間も費用もかかる交際とか絶対ダメ。だから言わなかった。
いっそ嫌ってくれれば、と思って毎日ウザいほど絡んでいたけど、効果はほぼなかった。うーん、悲しいね。
わたしはこの恋が報われることなく、一生抱えて生きていく。皇咲くんも高校を卒業したらわたしのことなんて忘れて、高校生活の思い出の一部になる。―――それを望んでいた、のに。
なんで、ここでバレるかなぁ……っ!
グッと奥歯を噛み締めて、そんな叫びが飛び出さないように努める。
このままだと、皇咲くんはわたしのことを忘れたくても忘れられなくなる。ほぼ確実に。
自分の身を削りながら弟に尽くす姉、そんな人が自分に決定的な一言を言わない理由。
こんな重くて衝撃的な話、嫌でも忘れられないだろう。
最悪、最悪、最悪!
何で真弓さんの苗字確認してなかったのよ、わたしの馬鹿!
「…………皇咲くんには、関係ないことだよ」
できるだけ静かに言葉を吐き出す。
一度ゆっくりと目を閉じてから、目の前に立つ彼の目を真っ直ぐに見上げる。
「だから、気にしないで。今日のことはお互い忘れよう」
皇咲くんの表情は逆光で見えない。一体何を考えているのか、その両手が握られている。
わたしは空を仰いで、そのオレンジの鮮やかさに立ち上がった。
「そろそろ帰ろう。もうすぐ暗くなるし――――」
「――――――ふざけるな」
聞いたことがないほど低く、怒りに満ちた声だった。
え、と思う間もなく両肩を掴まれる。細い腕からは想像ができないほど力が強かった。
皇咲くんが自分の顔をわたしの顔に寄せて、露わになったその表情に息を呑んだ。
「は……、す、皇咲くん、なに、どうしたの……っ?」
「どうしたのじゃない。散々人のことかき乱しといて関係ない? 忘れよう? ふざけるなよ、そんなの絶対認めない……!!」
「ぃっ……!」
一言話すごとに力が強くなっていき、走り出した痛みに思わず顔を顰めた。
彼の表情に浮かぶ感情は、何と表現したらいいか。
怒りと悲しみをごちゃ混ぜにして絶望で煮詰めたような、どす黒く淀んだ感情が渦巻いていた。
何だか恐ろしくなって、後退りの代わりにベンチの上部を後ろ手で掴んで距離を取ろうとする。
でも皇咲くんは逃がさないと言わんばかりに、さらに力を入れてきた。
いつもとは違う、乱雑な口調で叩きつけるように言われる。
「お前のそんな馬鹿なところも可愛いと思ってたけど、今は思えない。なんなんだよ、お前は俺が好きなんだろ……!?」
「…………………………………………は??」
ごめん、シリアスパートなのは分かってるけど、ちょっと待ってほしい。
今皇咲くん……可愛いって、可愛いって言っ……た? 言ったよね? え?
…………………………幻聴カナ??
「いつも好き好き言ってくるくせに、嘘だったのかよ!? 俺の為に毎日可愛く髪結んでるんだろ!?」
あっわたしやっぱり可愛いって言われた!? 今度は幻聴じゃないよね!?
…………てことはわたし、可愛いって思われてた、とか……? え、え。
嘘でしょちょっと待って鈴芽ちゃん驚きすぎて声出ない!
いや待て、落ち着けわたし!
まだそうと決まったわけじゃない。ここは一つ、覚悟を決めて直接聞くんだ。
「あ……あの、皇咲くん」
「なに、この期に及んで関係ないって言い張るつもり?」
「いや、そうじゃなくて……あの、皇咲くんはわたしを可愛いって思ってるの?」
「は? 思ってないけど」
「あぁぁ〜だよねだよね! 良かった勘違いだった……」
「君は超可愛いんだよ。なに言ってんの」
「嘘でしょわたしのこと嫌いじゃなかったの!?」
「はァ!?」
思わず叫ぶとお返しとばかりに叫び返された。
互いに信じられない気持ちで見つめ合う。そうしていたら少しクールダウンしてきた。頭はまだ混乱してるけど。
チョウカワイイ……超可愛い? 何語デスカ?
「好きな子が毎日話しかけてくれて好き好き言ってくれてるのに、何にも思わないわけないでしょ。俺の為に可愛くなっていつも可愛いこと言ってるって思ってたよ!」
ぽかんとアホみたいに口を開けて絶句していると、あんなに力がこもってた両手が離された。慌てた口調で捲し立てられる。
「え、嘘でしょ! 俺結構態度に出る方だと思ってたのに、分かってなかったの!?」
「いやっ、なにが!? ごめん全く分かんない!」
「俺は君が好きなんだよ!! 気づけ!!」
「ごめんなさい嬉しいですありがとう!!」
反射的に謝って、いや待てわたし今告白されたよね?? と遅れて気づく。
そろっと皇咲くんを窺うと、なぜか彼はいまにも泣きそうにくしゃっと顔を歪ませていた。
歪んでも美しい顔面とは、この世の理無視しちゃってないか。もういっそ凄いな。
「……ごめんなさいって、何」
「え?」
「俺のこと、もう好きじゃないってこと? 俺のこと嫌い……?」
「え、いやっ、え?」
混乱しすぎて返答できずにいると、彼のその両目にじわじわと涙が溜まってきて……!?
「っふ、うぅ……うぇ……っ」
ななな泣いちゃった!? もしかしてわたしが泣かせちゃったの!?
顔面国宝の美少年にわたしはなんてことを!!
「いや違っ、違うよ嫌いじゃないよ! 全然そんなんじゃないから!」
「……俺のこと、好き?」
「好き好き大好き愛してる!!」
「じゃあ付き合って」
「ううぅんごめん無理です!!」
「チッ」
煌めく宝石の涙に愛を叫んだら危うく交際に持ち込まれるところだった。あっっぶな。
そして皇咲くん、いま君舌打ちしたね? さてはさっきの嘘泣きだったでしょ??
「皇咲くん、さては君結構策士だな??」
「そんなことはどうでもいいでしょ。何で無理なのさ、俺のこと好きなんでしょ?」
「いやまあ好きだけども。めっちゃ大好きだけども。でもお付き合いはできません。ごめんなさい」
「なんで」
「なんでって……さっきも言ったじゃん。わたしは津具深のことがあるから付き合えないって」
言ったはずだけど、と繰り返すと、涙の跡が残る顔で不満そうにきゅっと眉を寄せられた。あらヤダなんか可愛いかも。
「意味分かんないし。なんで弟が昏睡状態だったら姉が恋愛しちゃいけないの? 別にいいでしょ」
「えぇ……でもぉ」
「でもじゃない。あのね、俺は君が思うよりずっと君が好きなの。そんなくだらない理由でハイそうですかって納得できるほど軽くないの。分かったら諦めて俺と付き合って」
「えぇぇ、そんな横暴な……」
無茶苦茶な言葉に煮え切らないでいると、苛立ってきたのかジロリと睨まれた。ひぃぃっ、美形の睨み恐い!
「あーもう! いいから俺と付き合って! 返事!」
「いいえ!!」
「そこは勢いで了承するパターンだろ!?」
んなこと言われても……。
ぎゃんぎゃん叫ぶ皇咲くんは、いつも見る冷淡な姿とは違う。
その目にわたしのことを鬱陶しがっていた(と思っていた)光はない。
―――皇咲くん、こんなに感情豊かだったんだ。
もっとクールだと思ってたけど、違ったんだ。
ころころ変わる表情と声色。これを冷淡だなんて思えない。
それに、思っていたよりずっとわたしが好き……みたいだなあ。今日は本当に驚きの連続だよ。
……わたし、何にも見えてなかったんだなあ。
そう思ったら、何だか今の状況が可笑しく思えて、ふふっと笑い声が洩れた。
ずっと嫌ってもらう為にやってたことが仇になるとか、どんなご都合小説だよ。自分のことだけど超笑える。
これが小説のご都合展開ならこのままヒーローに押し切られてお付き合いするんだろうな。
でも残念ながら、わたしは素直にヒロインをやるつもりはない。ごめんね? 皇咲くん。
「ねぇ皇咲くん。わたしやっぱり、付き合ってって言えないや。今はとにかく津具深が心配で、恋愛したいとは思えないの」
だから、とわたしは彼に悪戯っぽい笑みを向けた。
「すべてを擲ってでも一緒にいたいって、そう言わせてみせて?」
これは鬼ごっこだ。わたしが欲しい彼と、彼に追いかけてほしいわたしの恋愛鬼ごっこ。
鬼に捕まったら、きっともう逃げられない。逃げたいとも思えなくなるかもしれない。
でも、それはそれで楽しそうだ。
だからわたしは、大好きな皇咲くんに付き合ってとは言わない。―――今は、ね!
「…………なにそれ。また俺をかき乱す気なの?」
皇咲くんは一瞬きょとんとしてから、ふっと柔らかく破顔した。
どうやらわたしの言いたいことを分かってもらえたらしい。
「いいよ。絶対口説き落としてあげるから、覚悟して待っててね」
「ふふんっ。覚悟ならできてるよ、絶対落ちないから!」
軽く拳を握って意気込むと、皇咲くんはにっこりと、とても綺麗に笑った。
「あぁ、いや。それもそうなんだけど、そうじゃなくて」
「うん?」
あれ、違った? じゃあなんだろう。
首を捻っていると、ぐっと顔を近づけられた。
いやちっっかい! き、キスできちゃうよ!? いくらなんでも性急すぎる!
いよいよ唇が触れると思った時、皇咲くんの顔がスイっと横に逸れた。
そのままわたしの耳元まで来ると、囁くような声量でふっと声を吹き込まれる。
「俺のお嫁さんになる覚悟を、さ」
ね、すずめ。
熱の籠った吐息混じりの、蜜のように甘い声に腰が砕けた。
かくん、と糸が切れたようにベンチに座り込む。足に力が入らない。
皇咲くんが、そんなわたしに覆い被さるように身を縮めた。視界を遮られ、彼以外何も見えなくなる。
「どうしたの、すずめ。もしかして照れちゃった? 可愛いね」
「かわっ……!?」
「あははっ、すずめほんと可愛い! でもこのくらい早めに慣れてもらわないと。高校を卒業したらすぐ籍入れるんだし。子供は何人欲しい? 孕ませてほしいんでしょ?」
シャツの下から潜り込んできた指先が、つぅ、と下腹部の子宮のあたりを滑る。
優しくなぞるような感覚だったが、そこに込められた意味を考えると重いとしか言えない。
ひぃっと喉が小さく悲鳴を上げる。ひんやりとした感触が擽ったくて、反対に体の奥が熱くなった。
「は、孕ませてって……あっ、朝の!?」
「そ。まさか冗談ではないでしょ? それに責任も取るって言ったし」
あ、これ冗談でした、とか言ったらダメなやつだ。
わたしの目は若干死んだ。あと責任ってやっぱりそっちの方だったんだ。勘違いじゃなかったんだ。
その時、太陽が一際眩しく光り輝いた。
空のオレンジ色が一層濃くなって、これから闇が訪れると告げている。
鮮やかに照らされた皇咲くんは、息を呑むほど艶っぽくて、獲物を狙う猫を彷彿とさせる笑みを浮かべていた。
それを見た瞬間、甘い痺れと悪寒が同時に背筋を走る。
「すずめは俺のお嫁さんになって、ずっとずっと俺と一緒にいるんだよ」
きゅう、と細められたその目は爛々と輝いていて、なのにとろりと甘く蕩けている。
その瞬間、わたしは悟った。
一度身を許したら呑み込まれてしまうような、二度と逃げたいだなんて思えなくなるような、危なくて妖しい光に囚われる。
そういえば、猫って肉食動物だった。
逃げることしか脳がない、愚かでか弱い小鳥を捕えたら、きっとすぐに食べちゃうんだ。
骨すら残さず、決して逃さず。
誰にも悟られず、自分だけのものにしてしまう。
「大丈夫、高校を卒業するまでは自制するから。まぁ、味見くらいはしちゃうかもしれないけど」
どうやら未来の旦那様の愛は、わたしが思っていたよりずっとずっと重かったらしい。
実はすでに捕まりかけてる小鳥ちゃん
小鳥っぽい愛らしさが人気の割と可愛い子。明るい元気っ子だけど、家庭事情が死ぬほど重い。
二年生に進級した初日に皇咲くんに一目惚れ。以降めちゃくちゃ絡む。
外見は明るいトーンの茶髪と同色の瞳、小柄で色白。目がきゅるんとしてて可愛い。
これから未来の旦那様にめちゃくちゃに甘やかされるし独占欲やべぇほど分からせられる。戦慄しているうちに外堀埋められるから、卒業後は諦めて苗字変えるしかない。
実は虎視眈々と狩りをする機会を窺ってた猫くん
めちゃくちゃ顔がいい。とにかく顔がいい。社会人の姉と大学生の兄がいる末っ子。
頭もよくで運動神経も抜群ななんでもマン。でも人付き合いがあんまり得意じゃないのがネックで友だちは少ない。
一見クールに見えるけど、結構感情豊か。小鳥ちゃんの前ではクールぶってた。
女嫌いというか女苦手。特に香水がキツイお姉様方は無理。
今回の一件で吹っ切れて、小鳥ちゃんに所構わず愛を伝えるようになるし、着実に外堀埋めて逃げられないようにする。か弱い小鳥は俺のもの。
子供はたぶん双子の兄妹とか。妻に甘い溺愛系パパになる。
ファインプレーした美女(♂)
銀髪翠眼のお色気系美女。その外見と性別の差で絶望を与えた男性は数知れず。大学では「魔性のオンナ(♂)」と呼ばれている。
実は小鳥ちゃんのことは弟から「兄さん、この子俺のお嫁さん。覚えといてよ」と写真(隠し撮り)を見せられていたので知ってた。そう、この子がアタシの未来の義妹ね……。あら可愛いじゃないの、愚弟には勿体無いわ。
これから多分、昏睡状態の激重シスコンな弟くんが目覚めて猫くんとバチバチしたり、猫くんのイッケメェンなお姉様が登場したり、小さい頃に「おおきくなったらケッコンしようね」って約束してた自称フィアンセな幼馴染と再会したりとかするんでしょうね。夢が膨らむぜゲヘヘヘヘ。
ちょっとした質疑応答↓↓
Q.猫くんはいつ小鳥ちゃんを好きになっていたんですか?
A.一年生の夏頃です。こちらも一目惚れして、一度も話さぬまま激重感情を育てました。
Q.猫くんは小鳥ちゃんに執着していますが、今後監禁などはされますか?
A.小鳥ちゃんの態度次第ではあります。でもたとえ監禁生活になっても、小鳥ちゃんは惚れた弱みでなんだかんだ監禁生活を満喫するでしょう。
Q.小鳥ちゃんが猫くんから逃げられる未来はありますか?
A.ありません。諦めてください。
Q.小鳥ちゃんが猫くんに「付き合って」と言わないのは、本当に弟の昏睡状態だけが理由なんですか?




