Episode5
1日の労働を終え、泥と汗で汚れた身体をそのままに、ベリルが働く街の中央にあるパブに向かう。
カランコエ
おおらかな心を意味する花の名を店名に掲げるこの店には、人間からwingsまで、多くの客が出入りする。
店の中央の照明には、カランコエの花があしらわれており、人々の顔を明るく照らしていた。
wingsがいると言っても、ほとんどの客は人間の姿になっているため、誰がwingsかはわからない。
というのも、店内の限られたスペースで鳥型になんてなられたら、邪魔だからである。
みんな適当にそこらじゅうで酒を飲んでは話しをしている。
甘ったるい香水の匂いと、労働終わりであろう者たちの汗の匂い、そして酒の匂いが充満して、店内はムッとした空気に包まれている。
僕はカウンターで酒を注文すると、カップを片手に窓際の席を探した。
幸いにも、一番奥のテーブル席が空いていた。
席は影になっており、店内の明かりはほとんど届いていなかった。
少なくとも飲んで騒ぎたいやつらが選ぶような場所ではない。
僕は、テーブルの直ぐ横にある窓を勝手に開け放った。
月明かりが入り、少しだけ酒を持つ手元が明るくなる。
今日は満月だ。
「おい!ラリー、お前こんなところにいたのか」
人混みを掻き分けながら、カニルがやってくる。
僕たちは、昼に海で別れた後、それぞれ自分の仕事に向かっていた。
「探したぞ」
右手に酒、左手には肉の乗った大皿を抱えている。
「今来たところだ」
僕の返事を聞いているのかいないのか、お構いなしに、テーブルの上にあった僕の酒を肘でグッと端においやると、巨大な皿を置いた。
挨拶も早々に、肉を口の中に、正しくは、嘴に放り込んだ。
「なんでお前、いつも鳥型のまま飯食うの」
カニルと会う可能性がある飲食店で、僕がいつも端の席を選ぶようにしている理由はこれである。
店内で鳥型なんて目立つし、マナー違反だと思われるからやめてほしいと、僕はいつも思っていた。
「その方が長く味を楽しめるからさ」
嘴の先で肉の切れ端を転がす。
鳥の舌先は、味を感じることができない代わりに、嘴と食道で味を感じる。
つまり、食べ物を口に含んでから胃に落ちきるまで、食べ物の味が楽しめるということだ。
「この身体じゃあ、たくさん飯を食えないだろう。たくさん食ったら、身体が重くなっちまう。そこで俺は、この食べ方をあみだしたんだ」
本人は自慢げに話しているが、自慢するようなことではない。
僕は、黙々と食事を続けているカニルを横目に外に視線をやり、酒を煽る。
「カニル」
目の前の肉に夢中だったカニルが、ふと目の前に人が立っていることに気づいた。
パブの従業員であるロックだった。
腕まくりした作業着の様なベージュのシャツからは、がっちりとした腕が伸びている。
カニルは口を動かしながら、視線だけロックに移した。
「チラシ、まだ残ってるか。オーナーが、何枚か店に置いておきたいんだって」
こくりと頷き、肉を飲み込むと、人間の姿に戻る。
鞄に手を突っ込んでごそごそとやると、鞄の中に無造作に突っ込まれていたであろうチラシを取り出した。
「これが最後だ。全部持って行ってくれ」
カニルが腕で口元を拭う。
「相変わらずセンスのかけらもないチラシだよな」
ロックはチラシを受け取ると、バカにしたように鼻で笑う。
「そういえばラリー。お前、まだ海岸で飛び込みの練習してるんだって?」
僕は、基本的に愛想のいいタイプであるカニルの口数が少ない理由をここで理解した。
暗がりでよく見えないが、ひげ面のロックの左頬が、なんとなく腫れているような気がしないでもない。
「お前は飛べないかもしれないが、仕事もあるし、衣食住にも困っていないだろう。今の生活に、何の不満があるんだ。わざわざ、できないことをやろうとする必要なんてあるのか。いい加減、夢見てないで、地に足をつけて生きたらどうなんだ」
ちらりとカニルを見ると、ロックの顔を睨みつけていた。
「僕は地に足をつけて、生きてはいるけどな」
グラスを傾けながら皮肉っぽく言う。
ロックがチラシから視線を上げて僕の方を見る。
店内の喧騒とは対照的に、どこか冷たい空気が僕たちの周りに漂っていた。
店の奥から、客がロックを呼ぶ声がする。
ロックはそのまま振り返ると、左手に持っていたチラシを僕たちに見えるように軽く掲げた。
「相変わらず、感じの悪いやつだよ」
気付けばカニルは再び鳥型に変身しており、肉を食べ進めていた。
僕は、テーブルに置いたグラスに手を伸ばす。
ちょうどそのとき、グラスを掴む直前に酒の表面が気のせいか少し揺れたような気がした。
店内は騒がしいし、店が揺れているのだろうか。
僕はふと顔を上げて店内を見渡す。
変わらず騒いでいる連中がいる中で、店内にいた数名が僕と同じように周囲の様子を確認していた。
どうやら、僕の気のせいではないらしい。
「カニル」
「ああ、俺も気のせいじゃないと思う」
食事の手を止めて周囲の音に集中する。
地鳴りだ。
わずかだが音がする。
店内で聞き耳を立てているやつらは、おそらくwingsだろう。
「外、見てきた方がいいかもな」
カニルが立ち上がると同時に、数名の客が店外に出ていくのが見えた。
カニルと僕はテーブル上の料理をそのままに、彼らに続いて店の外に出る。
人間たちは僕たちが外に出たことさえも気づいていないだろう。
目の前の楽しみに夢中だ。
店の外に出ると、案の定先に外に出た人間たちが、翼を広げているところだった。
それぞれ散り散りに闇夜に消えていく。
「俺もちょっと、上に行って様子見てくるわ」
カニルは頭上を見ると、静かに浮上した。
黒い羽根は、あっという間に闇夜に溶ける。
その姿は、すぐに僕の目では認識できなくなった。
僕はどうしようか。
周囲にはもう人影はなく、1人その場に立ち尽くす。
ふと、動物たちの様子が気になった僕は、牧場へ向かうことにした。
オーナーはまだそこにいるだろうか。
「ラリー」
名前を呼ぶ声に振りむくと、ベリルが店の外に出てきたところだった。
「何かあったの?何人かお客さんがいそいそと外に出ていくのが見えたけれど」
心配そうな表情で周囲をきょろきょろと見回しながら、カニルは?と僕に尋ねる。
今ここでベリルに詳しく話せば、無駄な不安を煽りそうな気がした。
「いや、何も。カニルは、明日の感謝祭で急な仕事が入ったって。僕は忘れ物をしたから、牧場に戻るところ。他の客だって、たまたま外に出るタイミングが一緒だっただけじゃないかな」
「そう、それならいいけど」
ほら、客が待ってる。
僕はベリルに店内に戻るように促すと、牧場への道を急いだ。