Episode1
1羽の雄鶏のけたたましい鳴き声を合図に、次々に鶏たちが鳴き始める。
僕はベッドに横たわったまま、天井をぼうっと見つめていた。
寝起きで回らない頭を、必死で働かせようとする。
起動に時間がかかる、というのは僕の欠点の1つだ。
毎朝同じ場所で目を覚ますはずなのに、いつも一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。
生まれつき、ハードが旧式なのかもしれない。
眠っているプログラムを起こすために、僕は先に体を起こした。
ベッドの隣のサイドテーブルに置いてある時計を確認する。
時刻は6時をまわっていた。
今度は反対側を向いて、カーテンに手を伸ばす。
するするとカーテンを手繰り寄せると、日差しが部屋に差し込んでくる。
外はすっかり明るい。
今日は暑くなりそうだ。
次の瞬間、僕は体を包んでいたタオルケットを足で乱暴に振り払うと、ベッドから飛び起きた。
あいつ、寝坊しやがったな。
あいつ、とは群れのボスの雄鶏、ラヴィのことである。
毎日きっかり5時30分に鳴き始めるラヴィは、僕の古い目覚まし時計よりずっと時間に正確だった。
それでも年に1、2度こうして寝坊をする。
動物に頼り切っている僕にも問題はあるが、まさかその年に1、2度の寝坊が今日だなんて。
ソファに積み上げてあった服の中から適当にシャツを引っ掴む。
頭からそれを被ると、同じようにズボンもはいた。
顔を洗い、歯を磨く。
毎朝のルーティンとやっていることは同じだが、1つ1つのコマンドに時間をかけている余裕がない。
1つでも何か省略できれば良いのだが、古いハードの僕にはそれができない。
とにかく今できることは、可能な限り処理速度を上げることだけだ。
顔を洗い終えると、壁に掛けてあったキャンバス地のカバンを鷲掴みにして家を飛び出す。
何年も使い古して、クタクタになった肩がけの鞄の色は茶色っぽく変色していた。
元の色がどんなだったかは、もうわからない。
牧場までの下り坂を一目散に走る。
こういうときほど、家が職場より高い場所に立地していて良かったと思うことはない。
足が勝手に前に出るため、スピードが落ちることがないからだ。
もう気づいているかとは思うが、帰えり道は地獄である。
「なんだ、寝坊か?」
頭上から声がする。
声の主は、友人のカニルだ。
黒い翼によく映える、赤い郵便配達バッグを首から下げている。
はずだ、だっていつもそうだから。
今はそれを確認する余裕もない。
カニルは特に返事を待つこともなく、そのまま僕を追い越すと、右にそれて街の中心の方に飛んで行った。
僕らが住んでいる地上都市は、街の中央を最も高い位置にして、末広がりに土地が広がっている。
周囲が海に囲まれた島国だ。
僕が働く牧場は比較的海沿いに、家は街の中心と牧場の間にあった。
街の中央には、政府が管理している巨大な建造物「ポロス」がそびえ立っている。
一見西洋の城の様にも見えるが、中は現代の最新技術がふんだんに使用されているハイテク施設だと言われている。
ポロスからは、1本の塔が天に向かって真っ直ぐに伸びていた。
塔はいわば天空の都市につながるゲートのようなもので、翼を持つものだけがポロスに出入りすることができた。
この翼を持つもの、というのは、実際の生物の鳥を指しているわけではない。
正しくは、鳥型の人間だ。
彼らはwingsと呼ばれている。
鳥類の遺伝子を組み込んだ細胞を投与する施術を受けることで、身体を強制的に鳥化させているのだ。
彼らは人間としての姿の他に、翼や頭、足などを部分的に鳥の姿に変化させた人獣型、全身を鳥の姿に変化させた鳥型の2つの形体に変身する能力を持っている。
僕たちが住む地上を管理している政府は天空にあり、普通の人間では行くことができない。
wingsになった者たちは、天空都市と地上とを自由に行き来する権利を得るのだ。
彼らは政府から仕事を与えられ、天空都市で居住場所も提供される。
つまり、wingsにさえなれれば、ある程度人生が保証される、というわけだ。
この国では、地上に住む人間たち全員に人生で1度だけwingsの施術を受ける機会が訪れる。
それが、年齢が18歳に達する歳の1月1日だ。
この時1度断れば、2度と施術を受けるチャンスが訪れることはない。
地上では、その年に18歳になる人間たちの内の約半分ほどが、wingsの施術を受ける。
施術を受ける人間たちの数を多いと考えるか、少ないと考えるかは人それぞれだが、半分ほどの人数しか施術を受けない理由としては、そのリスクが挙げられる。
wingsになれる人間は、具体的な割合は分からないものの、実際に施術を受けた人間のうちの20%ほどだと言われている。
その他の者たちにどんな変化が現れるのかというと、60%は無反応、19%は死亡だ。
そしてごくわずかにそれ以外の例外たちがいる。
人生一発逆転のために施術を受けるものもいれば、リスクを避けて施術を受けないものもいる。
施術を受けなくても、普通の人間として地上で生活をしていく分には何の問題もない。
カニルはカラスのwingsで、僕の友人だ。
先ほどは郵便配達の仕事の途中で僕を見つけたのだろう。
僕はといえば、海岸の方に向かってそのまま真っ直ぐに走り続けていた。
5分ほど走ると、前方に牧柵が見え始める。
牧場の牛たちが草をはんでいるのが見えた。
僕は右手にあるくすんだ赤い屋根の事務所の扉を開け、部屋に飛び込む。
良かった、誰もいない。
息を整える間もなく、自分の座席に鞄を放り投げ、壁に掛けてあったつなぎを服の上から着る。
髪を一つに結び、机の上に置いてあった堆肥の匂いが染みついたつば付きの帽子をかぶる。
帽子の後ろのバンドの所から、結んだ髪の毛を引き出す。
軽く頭を振ると、髪の毛が馬の尻尾のように揺れた。
僕は事務所を出ると、正面にある牧草地に向かって速足で歩いた。
少しだけ呼吸を整える。
「おはよう。遅かったわね」
牛舎に入ったところで、急に声をかけられた僕は短く悲鳴をあげる。
その様子を見ていたベリルが、くすくすと笑っていた。
彼女は、僕が働く牧場のオーナーの娘だ。
「勘弁してくれよ」
「あら、雇われている身でオーナーの娘に口答えするなんて、言いご身分じゃない?」
黒いTシャツにジーパンとラフな格好のベリルは、黄緑色の猫の様な丸い瞳を細めて楽しそうに笑った。
「何やってんだよ、こんなところで」
「それがさ、見てよ」
ベリルが目の前の飼料置き場の中を見るように促す。
僕は入口の戸を少しだけ横に引き、中を覗き込んだ。
その中では、真っ白な子猫と真っ黒な子猫が取っ組み合いをしていた。
黒猫が白猫の上に乗ったかと思えば、白猫が黒猫に飛びかかる。
くるくると上下が反転する姿がオセロのピースを彷彿とさせた。
「なんだありゃ」
僕はそのほほえましい姿に思わず笑みをこぼす。
可愛いでしょ、母猫も壁際にいるのよ。
そう言われてベリルの視線の向いている方を向くと、母猫であろう三毛猫が壁際で横になり、腹をけづくろっていた。
「私も昨日気付いたんだけど、どこからか迷い込んだのか、ここに住み着いてるみたい」
「飼料臭くなるな」
「そうなのよ。だから、少しずつ手名付けて、どうにか事務所まで引き連れてこうとは思っているんだけどさ」
「それがいいかもしれないな」
「ところで、なに、寝坊?よりにもよって感謝祭の前の日に」
「ごめん、それは俺が一番よくわかってる」
申し訳ない、と僕は頭を下げる。
「別に私は良いんだけどさ、今日はやることがたくさんあるから急がないと」
「そうだね。オーナーは?」
「鶏舎よ、明日のために卵をたくさん店に運ばないといけないから。私もこれから向かうところ。先に挨拶だけ済ませてくれば?」
一瞬、このままオーナーに会わなければ遅刻したことがバレないのではないかと言う考えがよぎる。
いや、どうしよう、このままここで作業をするって言うのも…。
「ラリー、来たのか」
そんな考えを打ち消すように、後ろから声をかけられる。
オーナーのジャスパーだ。
「お、おはようございます」
僕は少しでも申し訳なさそうに見えるよう、体を小さくして頭を下げた。
「寝坊だってさ」
「だろうな」
ベリルと同じ格好で、首にタオルを巻いている。
眼鏡をずらし、額に流れ落ちる汗をタオルでぬぐう。
2mほどもあろう長身は、いつ見ても威圧感がある。
ジャスパーがもしwingsだったらコンドルだったに違いない。
「おい、聞いてるか?」
「は、はい、なんでしょうか」
しまった、聞いていなかった。
まだ寝ぼけてんじゃねえのか?しゃきっとしろ。明日は感謝祭だからな、花火の音で牛たちが驚くかもしれねぇから、作業が終わったら放牧地の牛を牛舎に戻しといてくれるか?
「わかりました」
しっかりやれよと俺に告げると、そのまま背を向けて歩き去る。
今日は明日のためにいつもより卵や乳を多く収穫しないといけないため、たくさん作業があるのだろう
いつもだったらお説教コースだったかと思うと、明日が感謝祭で良かったと思った。