第51話「好きって、どう言うの……?」
魔界からの帰還後、天界の空気はどこか少しだけ変わっていた。
変わったのは風景ではなく、人々の視線。そして、ユナとナオの距離だった。
***
昼下がりの庭園。人気のない木陰のベンチで、ユナはカモミールと柑橘の香りがやさしく香るハーブティーを片手に、ナオの隣に座っていた。
彼の横顔はいつもと変わらず静かで、けれど今はほんの少し、遠くを見つめるような憂いがあった。
「……ありがとう。わたしを、あの場所から呼び戻してくれて」
ぽつりと呟いたユナの声に、ナオはゆっくりと瞬きをした。
「助けてくれたのは、君のほうだ」
「……ううん。あのとき、私はただ……必死だっただけで……」
「必死になるって、君にとっては“他人のために動く”ってことなんだな」
ナオはそう言って、少し笑った。
「君らしいよ」
その一言に、ユナの胸が微かに熱を帯びる。
「ねえ、ナオ」
「ん?」
「“好き”って、どういうことだと思う?」
ナオは意外そうに眉を動かしたあと、少しだけ考えてから答えた。
「うーん……難しいな。俺も、わからない。……けど、君のことを考えてるときの自分が、少しだけ好きになれる気がする」
その言葉は、ユナの胸にじんわりと沁みた。
「私も……あなたが笑ってくれると、自分がここにいていいって思える。たぶん、それが“好き”のはじまりなのかなって」
ナオはその言葉に、小さく息を呑んだ。
そして、ふっと目を細めてユナを見た。
「……君って、ほんと不思議だな。俺、昔から何にも興味を持てなかった。世界に飽きてて、感情も薄くて……でも今、君と話してると、初めて“知りたい”って思う」
「……わたしも、ずっと“諦めてた”の。誰かを好きになるなんて、きっと私には一生関係ないって。でも今……あなたが気になる。とても」
一瞬の沈黙のあと、ふたりの視線がそっと重なる。
けれど、どちらもそれ以上の言葉を口にすることはなかった。
それはたぶん——この瞬間が、壊したくないほど優しかったから。
***
夕暮れ、寮に戻る途中。
ナオはふと立ち止まり、空を見上げた。
「……好きって、どう言えばいいんだろうな」
独り言のように呟いたその声に、背後からそっと手が伸びる。
ユナが、彼の袖を掴んでいた。
「……いつか、わたしたち、わかる日が来るかな」
「きっと来るよ」
その言葉に、ふたりは微笑んだ。
空はゆっくりと茜色に染まり、やがて静かな夜が始まる。
“好き”という感情はまだ名前を持たないまま、でもたしかにふたりの心を結びはじめていた。




