第48話「答えを急がない君へ——シュリ=レミファントとの対話」
アウリオン・セレスティア学院の放課後。
夕陽が窓辺を黄金に染める中、ユナは静かな廊下をひとり歩いていた。学園祭の準備が近づき、教室も食堂もなんとなく浮ついた空気に包まれている。
「……ここかな?」
向かったのは、旧・研究資料室。今は誰も使っておらず、ひんやりとした空気が残る。
——カイに「誰かがいたらイヤだ」と言われたくせに、やっぱり“答えを考える時間”は必要だった。
ノックもなくドアを開けると、予想通り、そこにいたのはシュリ=レミファント。
「……こんにちは。資料整理?」
ユナが声をかけると、シュリは眼鏡をクイと押し上げ、手にしていた古い書簡をそっと閉じた。
「いや、君が来ると思って、待っていた」
「……え? 私、何も言ってないよ?」
「君は言葉では言わない。けれど、態度には出る」
「な、なにそれ……そんなにわかりやすいかな、私」
「誰よりも難解で、誰よりも透明だ。だから、読み取れる」
——この人、やっぱりずるい。
ユナは少し照れくさくなって、視線を逸らした。
「……最近、みんなが優しくしてくれて。嬉しいけど、正直ちょっと怖いなって思ってたの」
「当然だろう。君は、特異な存在だ。誰もが惹かれ、同時に怖れている。……私も、だ」
「え、シュリくんでも?」
「もちろん。感情という不確かなものは、私の研究対象ではあるが……それが“自分に向けられている”となると、話は別だ」
そう言いながら、彼は机に置かれていたグラスを取り上げ、ユナに差し出した。
「……レモン水?」
「疲労回復、集中力の向上に効果的だ。糖分は控えめだが、君のように繊細な子には合っている」
「繊細って……褒められてるのかな、それ」
「君は、誰よりも人の感情を吸収してしまう。だがそれは、弱さではない。共鳴の力だ」
「共鳴……?」
「君と話すと、私は論理では説明できない感情にさらされる。……それを、悪いとは思わない」
シュリはふっと眼鏡の奥で視線を外す。まるで、自分の気持ちに正面から向き合うのが恥ずかしいみたいに。
「……君が誰を選ぶか。それを、知りたいとは思う。でも」
「うん」
「急かす気はない。……君が“自分の答え”を見つけた時、それをまっすぐ私に言ってくれれば、それでいい」
「……いいの?」
「待つこともまた、君への信頼のひとつの形だ。感情も、研究も、結果を急いではいけない」
ユナは、その言葉に胸がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
「……ありがとう、シュリくん。今日、ここに来てよかった」
「私は、いつでもここにいる。……君が答えを出すその日まで、私は“君自身”を観察し続けよう」
「わ、観察って言わないでよ……なんか、実験動物みたいじゃん」
「では、“見守る”に言い換えよう」
2人は笑った。
その笑い声は、誰もいない旧研究室にやさしく響いて、小さな灯のように空間を満たしていた。
——この優しさが、嘘じゃないなら。
——私は、いつか、ちゃんと向き合える日が来るのかもしれない。




