第43話「リリィの選択――あたしも、誰かを救っていいの?」
ミカエルが去ったあと、魔界の空はかすかに揺れながらも静けさを取り戻していた。
だが、緊張はまだ解けていなかった。
ナオは未だ地に膝をつき、肩で息をしている。ユナはその背を抱きながら、震える手で彼の手を包んでいた。
リリィはその二人の姿を見つめていた。
口元には笑みが浮かんでいたが、その瞳は――迷っていた。
(……なんで、こんな気持ちになるんだろ)
リリィの中で、知らない感情がざわめいていた。
悔しさ? 羨望?
……いや、違う。
これは――「憧れ」だ。
ユナみたいになりたい。
誰かの光になりたい。
けれど、リリィの頭の奥にこびりついた声が、それを否定する。
《お前は、“推されなかった側”だ》
《救われない役で、舞台の外にいた女だ》
「うるさい……」
かすれた声で、リリィは呟いた。
「黙れよ、ゼオ……。もう、あんたの理想を演じるの、やめる」
そのときだった。
空間に再びひびが入り、魔界側の追撃部隊が迫る。
「ゼオ様の命により、“実験体”ユリエルと“不安定因子”ナオ=アストラリアの回収を行う!」
巨大な監視兵たちが現れ、地を揺らして迫ってきた。
ユナがナオを庇いながら立ち上がるが、魔力はもう限界に近い。
ナオも記憶と力が混濁し、今は戦える状態にない。
「くっ……!」
「――もういいよ、ユナ」
前に出たのは、リリィだった。
紅のマントを翻し、あざ笑うように言った。
「“推されなかった”女が、ここで一花咲かせるってのも、悪くないでしょ?」
「リリィ……?」
ユナが呼びかける。
リリィは振り向かず、背中で言った。
「ナオはあんたが支えて。あたしはあんたたちを守る。“推し”を守るのが、あたしの戦い方だから」
紅の魔力が、リリィの身体を包む。
魔界式魔法陣が展開され、敵の位置をすべて感知する。
そして、リリィは叫ぶ。
「全域リンク解除。魔界監視網、第7~第13層、強制シャットダウン!!」
その瞬間、魔界中に広がっていた“目”がすべて閉じた。
通信網も魔力線も断たれ、追撃部隊は混乱し、足を止める。
「っ……裏切り、か……!」
「違うよ」
リリィはにやりと笑う。
「これが、あたしの“選択”だよ」
──あたしはもう、誰かに選ばれるのを待たない。
──あたしが、推すんだ。守りたいものを、選ぶんだ。
そのとき。もう一人の影がリリィの隣に立った。
「遅かったか。君は、やっぱりすごいな」
ミゼルだった。
堕天した四翼のひとり、ミゼル=フレイズ。
だが今はその目に、迷いはなかった。
「ミゼル……来てくれたの?」
「ああ。君がここにいる気がして、探してた」
彼は短く微笑むと、リリィの肩に手を置いた。
「ありがとう、リリィ。……君がいたから、俺は変われた」
その言葉に、リリィは驚いたように目を見開き――
少しだけ、頬を染めた。
「ば、ばか……そういうの、唐突に言わないでよ……」
──空が、ゆっくりと明るくなっていく。
封鎖された魔界の空に、ほんのわずかだが“光”が射したように見えた。
「さあ、行って。ユナ。ナオ。あんたたちがいなくなったら、あたしの“推し活”の意味がなくなっちゃうじゃん」
リリィは背中を向けて、手を振った。
その背中に、ユナは祈りを込めて囁いた。
「ありがとう、リリィ……あなたの光、見えたよ」
そして――
少女たちは、それぞれの“推し”を胸に、再び空を見上げた。




