第13話:ゼオの忠告「君は記録に存在しない」
天界の午後は、どこか眠気を誘うほどに穏やかだった。
透き通るような空気に包まれた庭園を、私はひとり歩いていた。
頭の中は、まだ朝の「魂共鳴テスト」のことでいっぱいだった。
測定器が砕け散ったあの瞬間。
ナオの、あの手の震え。
教師たちのざわめき。
そして、四煌が次々と「護衛する」と言い出した異様な空気。
(……本当に、私、何か変なのかな)
歩いているうちに足が向いていたのは、学院の東庭——人気の少ない静かな場所。
風が吹き抜けるその小道の先に、ひとりの人物が立っていた。
――ゼオ=ヴァルトレイス。
天界評議会の高官にして、学院の影の監察官。
その姿は、白銀の装束に身を包み、どこか“神殿”のような気配をまとっていた。
「……おや。奇遇ですね、ユリエルさん」
「……ゼオ様?」
ゼオは、いつものように穏やかな微笑を浮かべながら近づいてきた。
「こんなところで独り歩きとは……護衛は、ついていないのですか?」
「えっ……あ、いえ……」
「……なるほど。孤独には、慣れているのですね」
その言い方があまりにも自然で、反論する隙もなかった。
「今日は、少しだけ……お話をしましょうか。あなたの“記録”について」
「記録……?」
ゼオは立ち止まり、私の目を見たまま、はっきりと告げた。
「あなたの魂は、天界の記録に存在していません」
心臓が、一瞬止まった気がした。
「……それって、どういう……」
「この世界は“記録された魂”だけで構成されています。輪廻も、転生も、昇格も……すべては“記録”をもとに認可される。ですが、あなたの魂には、どの経路にも記載がない」
「……でも、神様は……エリュ=ディオス様は、“神託に記された魂”だって……」
「そう。そう言いましたね」
ゼオは、ほんの少しだけ笑みを深めた。
「ならば問います。あなた自身は、“それ”を信じられますか?」
「……私は……」
「神託とは、記録の外にある“言い訳”でもあります。誰かが“意図的に改ざん”しない限り、あなたのような魂は、生まれない」
「っ……」
「けれど、あなたがここにいる。それは確かです。そして私は、それを“脅威”とは思いません」
ゼオは、そっと手を伸ばしてきた。
「……ですが。あなた自身が“己の存在”に疑問を持ったとき。そこから、すべては始まるのです」
「私は……ただ、普通に……生きたかっただけなのに……」
「その願いは、美しいものです。だからこそ、歪みやすい」
その瞬間、別の気配が風を裂いて現れた。
「ユリエル!」
アリエルだった。
水色の羽根を揺らしながら、私の前に立ちはだかるようにして、ゼオを見据える。
「ゼオ様……何をしているのですか」
「おや、怒らせてしまいましたか?」
「彼女に“記録がない”ことを告げるなんて……その意図はなんですか」
「意図など、ありません。ただ、“真実”を語ったまでです」
アリエルの声は少し震えていた。でもその目は、まっすぐだった。
「彼女は、ここにいる。ちゃんと、頑張って生きている。それだけで、十分です」
「……なるほど。あなたの視線は、実に誠実ですね」
ゼオは一歩下がると、静かに一礼した。
「それでは、またいずれ。あなたが“自分の立ち位置”を知りたくなったときに——お会いしましょう」
風が吹いたときには、もう彼の姿はなかった。
「ユナ……大丈夫?」
「……うん。でも……アリエルちゃん、ありがとう。来てくれて」
「怖かったでしょ……でもね、大丈夫。わたし、見てるから。ずっと」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。
私には、まだわからない。
“記録されていない魂”の意味も、
“誰かの改ざん”の真実も。
でも、ここにいてくれる人たちが、少しずつ教えてくれる気がした。
──私は、ここにいてもいいんだと。




