第1話:わたしは間違って生まれた
「雨宮さん、コピーの取り方、前も教えましたよね?」
「えっと……す、すみません」
「ほんっと使えない。ま、気の利かないあんたに期待する方がバカか〜」
──私は何度目かの謝罪をしながら、心の中でため息をついた。
こんなことで泣かない。悔しさで指が震えても、私は、泣かない。
名前は雨宮ユナ(あまみや・ゆな)。27歳、東京都内在住。
実家は山奥の田舎町。両親は数年前に他界。
学歴もコネも美貌もない私が手に入れたのは、月給17万の事務職だった。
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昼は社内でミス押し付け要員、
夜は一人暮らしのワンルームで、
99円の豆腐とモヤシと特売の冷凍うどん。
友達? 恋人? SNS映え? そんなもの、生活費の敵だ。
それでも──
「もうちょっと頑張れば、何か、いいことあるかも」
……って、思ってた。
思いたかった。
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けれど、その日は違った。
「ユナちゃん、飲み会来ないとか、やる気ある〜?」
「上に嫌われたら終わりだよ? ま、もう終わってるけどさ」
やる気とか以前に、
その飲み会、会費5000円で、今月の食費が飛ぶんだよ。
でも言えない。言ったら“空気読めない貧乏人”ってまた言われる。
わたしは笑って、頭を下げるしかない。
……生きるって、何だろうね。
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その夜。
冷たい雨が降っていた。
スーパーで買った見切り品のパンを片手に、
私は歩道橋の上から、ぼんやりと街の灯りを見下ろしていた。
「……死にたいとか、思ってないよ。ちゃんと……頑張ってるから……」
呟いたその声は、風にかき消された。
泣くほどの余力もない。
誰にも認められない。
何も叶わない。
ここが……私の人生の終点だって、どこかで、わかってた。
雨は冷たかった。
いつもの帰り道。電車を降りて、暗い坂道を歩いていると、スマホの通知が一斉に鳴った。
《#今日のわたし #努力は報われる》
《#朝活女子 #自己肯定感爆上げ》
《#人生変えた言葉》
──違う。
こんなの、ウソだってわかってるのに。
「……頑張っても、無理な人間だっているのにさ」
自分でもわかってる。私、雨宮ユナは、人間の中でも下の方。
貧困家庭に生まれ、学歴もコネもなかった。
努力して、食費を削って、仕事も覚えて、我慢して、それでも──
「“気が利かない”、ってだけで、全部否定されるんだよ」
職場ではミスの押し付け、飲み会では陰口のターゲット。
母の介護をしながら奨学金を返してた頃は、“女なのに貧乏くさい”って笑われた。
それでも。
「死にたくない。生きてたいよ……!」
でも──
***
キィィイイ──ッ!!
光が、横から迫る。
見上げた瞬間、車のフロントライトが視界を埋め尽くした。
「え──」
衝撃。
骨が軋む音。
冷たい雨が、血と涙に混じる。
そして……意識が、闇に沈んだ。
***
……でも、終わりではなかった。
目を開けると、そこは空白の世界だった。
真っ白な空間に、男の声が響く
「……転生処理、再開。エラー処理コード『A-AMY-171』。魂、確認──完了」
「え……?」
「あなたは、本来“天使界下層階級”に誕生すべき魂でしたが──
神のミスにより、人間界に誤送信されていました」
「……ミス、って……何、それ……?」
「当方では“転送コード入力ミス”と記録されています。
本来『アヴェリア雲界第七園』に送られるはずの魂が、地上の“日本”に誤投下されました」
「…………」
あまりにあっけらかんと言われたので、何も言えなかった。
でも、頭の中でずっと鳴っていた。
──私は、生まれてから今まで、全部“間違い”だったの?
***
「ですが──あなたの魂は、人間界での試練において、極めて高い純度を記録しました」
光が私の体を包む。
ふと、手を見下ろすと、か細く透き通った十七歳の少女の姿がそこにあった。
──あれ?
私、二十七だったよね?
「記録更新に伴い、あなたは“智天使”に昇格。
本日付で《アウリオン・セレスティア学園》に編入されます」
「……え……?」
わけがわからないまま、私は空中に浮かび上がる。
背中から羽が──生えていた。
「以降、あなたの存在は“神託に記された選ばれし魂”として処理されます。
生前の記憶は一部保持され、偽装プロファイルは既に天界に共有済みです」
「ちょ、ちょっと待って……神託? 偽装? えっ?!」
「いいえ、本当に地上の“人間道”で魂を修行していたのですよ。
貧困・モラハラ・過労・孤独・承認欲求地獄……
あなたは、過去五百年の魂の中で最も過酷な道を歩まれました。
その結果、魂経験値はカンスト状態です。
本来なら庶民級の天使予定だったのですが……
おめでとうございます。“智天使”への即時昇格が決定しました!」
──意味が、わからない。
でも、そのときの私の身体は、
白く輝く光に包まれ、見覚えのない、透明感のある17歳の少女になっていた。
混乱する私にどこか退屈そうな声が聞こえた。
「……まったく、神様の気まぐれで“地上コンテンツ”を観察とか、バグかと。
これでまた、秩序が乱れる……」
銀髪で冷ややかな目をした男。
名を、ミカエル・システム。
天界の最高執行官。
彼の視線は、私のすべてを“誤作動”と見なしていた。
***
そして、天上に浮かぶ巨大な玉座。
その上で、気だるげに頬杖をついた存在が──笑った。
「ふふ……ミスとは、時に最高の奇跡を生む。なぁ、ミカエル?」
「……まったく、これだから神は……」
至高神、エリュ=ディオス。
彼らだけが、このすべての“真実”を知っている。
私が、“ただのミス”で間違って生まれた魂だったことも。
そのせいで二十七年、地獄みたいな人生を歩んだことも。
***
こうして私は、「選ばれし智天使」として転生した。
でも、それは誰にも言えない“神の誤送信”の上に成り立つ、歪んだ奇跡だった。
地獄みたいな現世を生き抜いた地味女の私が、
まさか“逆ハーレム天使学園”でモテ始める未来なんて、
このときはまだ、想像もしてなかった。