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2.

第二話。出会い。

2.

 中学を卒業してから半年、美春は地元から少し離れた私立高校に通っている。勉強への興味も意欲も一切なくなった美春が行ける高校はここくらいしかなかったのだ。

 授業は中学レベルで、クラスメイトの半数ほどしか登校していない。学費さえ払っていれば卒業できるような高校だ。

 環境が変われば人の見た目も変わる。美春は高校に入ってから髪色をピンクに染め、ツインテールというファッションに落ち着いた。この学校ではこういう格好の方が目立たない。

 浮かないように見た目を合わせ、面倒ごとにならない程度に人付き合いをして、美春にとって無意味な学校生活は平和に進んでいった。

 本当は学校になんて行きたくないけれど、親に行けと言われるし、一応将来のことを考えて高校くらいは卒業しておきたいと考え、毎日通っている。

 美春の中に残った僅かな常識が、美春を学校に通わせている。

 ある日の休み時間、美春はいつも通りスマホで綿毛を見ていた。

 美春の綿毛への嗜好はどんどん移り変わっていき、最近は綿花にハマっている。最初はタンポポの綿毛にしか興味が無かったけれど、そこから色んな綿毛を見ていって、今は綿花が好きな時期だ。

 ぎゅうぎゅうに詰まっているのにふわふわで、風が吹くと容易に飛んでいく。そのギャップを、美春は蠱惑的にすら感じていた。

 綿花にはタンポポには無い魅力がある。


「それ、綿?」


 不意に声をかけられ振り返ると、同じクラスの熊野 渉(くまの わたる)がいた。渉はこの学校では珍しく大人しいタイプだ。勉強ができないようにも見えないし、なんでこの学校にいるのか分からない、少し不思議な男子だ。


「うん、そう」

「裁縫とかするの?」

「いや、しないよ」

「そっか」


 渉は一方的に会話を切り上げる。

 美春は会話の意味も意図も分からずに呆然とする。その間に渉は行ってしまった。

 渉に話しかけられた次の日、何となく気になって渉を見ていると鞄につけられたクマのぬいぐるみに目が留まった。手のひらサイズの青色のクマで胸元にはピンクのリボンがあしらわれている。売っているのは見たことがないが、売り物のようなクオリティだ。

 ぬいぐるみを眺めていると、渉と目が合った。特に用があるわけでもなかったので、何となく会釈だけして目を逸らす。

 その日の休み時間、昨日と同じように渉が美春の席に来た。


「ぬいぐるみとか興味あるの?」


 突然そんなことを言われて戸惑ったけれど、きっと今朝美春が渉のぬいぐるみを見ていたからそう思ったのだろうと思った。


「別に、特別興味があるわけじゃないけど」

「そっか」

「渉くんが鞄につけてるクマ、可愛いね。どこで売ってるの?」

「あれは売ってないよ」


 売ってないならどうやって手に入れたのだろう。


「もしかして、限定品でもう売ってないってこと?」

「違う、あれは自分で作ったやつだから」


 美春は驚いて一瞬理解できなかった。

 渉の持っているクマのぬいぐるみは作りがしっかりとしていて売っていてもおかしくないレベルのクオリティだ。それを自分で作っただなんて信じられない。


「すごいね、こんなのどうやって作るの?」

「縫ったり綿詰めたりするだけだよ」


 渉は淡々とざっくりとした説明をする。


「美春さんが綿の画像とか僕のぬいぐるみ見てたから裁縫とかに興味あるのかと思ったんだけど、違った?」


 渉が美春に話しかけてきた理由が判明した。どうやら勘違いさせてしまったらしい。


「ごめん、私は裁縫するわけじゃないんだ」

「そうなんだ、勘違いだった」


 渉は会話を終わらせ、美春の下を去ろうとする。

 ぬいぐるみにはそこまで興味が無いけど、美春は渉に興味がある。

 この学校には似つかわしくない大人しい雰囲気で素行が悪いというわけでも勉強ができないというわけでもない。そんな渉に少しだけ親近感が湧いていた。


「でも、今興味湧いたかも。他にもぬいぐるみ作ってるの?」


 そう言うと渉は足を止め、美春の方に向き直った。


「作ってるよ。家にはたくさんある」

「そうなんだ、クマ以外のぬいぐるみもあるの?」

「うん、ネコとかウサギとかがある。よければうちに見に来る?」


 突然自宅に誘われ、美春は固まってしまう。


「欲しいものがあったら、貰ってほしいんだ」


 あまりにも唐突で断ることもできず、その日の放課後、美春は渉の家にお邪魔することになった。

 渉の家は美春の家とは反対方向で学校から電車で10分くらいのところにある。家が駅に近くて登校が楽そうだ。


「その辺に座ってて、お茶とか持ってくるよ」


 渉の部屋に案内され、ソファーに腰を掛ける。渉の家族は不在のようだ。

 数分後、お茶とお菓子を乗せたお盆を持って渉が部屋に入って来た。


「はい、お茶」

「ありがとう」


 緑茶はちょうどいい温かさで、飲むと少し落ち着く。

 渉の部屋は物が散乱しているというわけではないけれど、全体的に散らかっている印象だ。

床は綺麗だが、棚や机の上は整理整頓されておらず、細かい物がぐちゃぐちゃに詰められているような感じだ。

 貰ったお茶を飲みながら部屋を見回していると、透明な衣装ケースの中に詰め込まれた大量のぬいぐるみが目に留まった。


「あれも全部自分で作ったの?」


 美春が衣装ケースを指さしながら訪ねると、渉は頷いた。


「そう、置く場所が無くてひとまとめにしてある」

「せっかく作ったのに、飾ったりはしないの?」

「作る度にわざわざ飾ってたらキリが無いし」


 そう話しながら渉は部屋の奥にあるクローゼットを開けて中からパンパンのゴミ袋を取り出す。

 ゴミ袋の中には衣装ケースと同じようにぬいぐるみが詰め込められていた。


「こんなにたくさん飾る場所ないしね」


 衣装ケースの中にあるぬいぐるみはぱっと見クマが多かったけれど、ゴミ袋に詰め込まれたぬいぐるみは人やウサギ、鳥やネコといったものが多い。

 その一つ一つが袋に詰め込んで保管しておくにはもったいないほどのクオリティだ。


「こんなにたくさん作るのにどれくらいかかるの?」

「どうだろう、ぬいぐるみ作りは中学生になってから始めたから、3、4年くらいかな。奥にまだゴミ袋2袋分くらいあるけどね」


 たくさんあるとは言っていたけれど、まさかこんなに多いとは。

 美春はあまりのぬいぐるみの多さに驚いた。


「こうやって保管しておくのも邪魔だから、できれば貰って欲しいんだけど」


 渉はぬいぐるみを呆然と見つめていた美春の前にぬいぐるみを並べ始めた。

 美春は渉が自分を招いた理由を思い出した。


「欲しいのがあったらあげるよ、好きなの選んで」


 渉は袋からどんどんぬいぐるみを取り出す。

 どれも本当に作りがしっかりしている。もし同じようなぬいぐるみを買うとしたら安くても1,000円弱はしそうだ。


「本当に貰っちゃっていいの?」

「いいよ、ただしまっておくだけなのも勿体ないし」

「でも、これ作るのにもお金かかってるでしょ」


 美春は渉の部屋の机と棚を見ながらそう言った。

机には針や糸切ばさみといった裁縫道具があり、棚には大量の糸や綿が保管されている。こんなにぬいぐるみを作っているのだから材料費もそれなりにかかっているだろう。


「いいよ、趣味でやってるだけだし。ぬいぐるみ数体くらいならそこまでお金かかるわけじゃないから」


 渉はこちらを見もせずにどんどんぬいぐるみを出していく。本当にただ大量のぬいぐるみを処理したいだけのようだ。


「じゃあ、遠慮なく貰っていこうかな」


 美春は数分間吟味して、2つのぬいぐるみを貰うことにした。

 1つは片目がボタンになっている紫のネコのぬいぐるみ、もう1つは片目から涙がでているピンクのウサギのぬいぐるみだ。どちらのぬいぐるみにもリボンがついている。

 渉が作ったぬいぐるみにはほとんど全てにリボンがあしらわれていて、全体的に可愛い雰囲気のぬいぐるみにそのリボンが似合っている。


「2つだけ?」

「うん、また欲しいものがあったら貰いに来る」

「分かった。じゃあ、他のやつは一応取っておくよ」

「ありがとう」

「保管場所が無くなったら捨てちゃうと思うから、欲しいのがあったら早めに貰いに来て」


 渉はそう言いながらぬいぐるみを袋に詰め始めた。美春はそれを無言で手伝う。

 その後はお茶とお菓子を貰いながらしばらく渉の部屋で雑談をした。

 渉は中学1年生の頃に初めてぬいぐるみを作って、そこからぬいぐるみ作りにハマっていったらしい。あまりにも熱心にぬいぐるみを作っていたせいで、勉強や友達付き合いが疎かになりいつしか家にこもるようになってしまったようだ。

 渉はぬいぐるみ作りの話をしている時だけとても楽しそうに話す。

 そんな渉に美春は親近感を覚えた。

 1つの物事の虜になり、他のことに興味が湧かず、今の高校に入った。美春と渉は重なる部分が多い。

 自分と同じような流れで今の生活に落ち着いている渉は自分と同じ種類の人間なんじゃないかと思う。違うところがあるとすれば、美春の場合はただ自分の欲を満たしているだけだが、渉は自分の欲を満たしながら素晴らしい作品を生み出しているという点だ。

 渉と一緒にいると安心感を感じて落ち着く。渉の隣にいると、この世界で唯一の仲間を見つけたような気持ちになって居心地が良い。

 そんな渉と話していると、ついつい時間の流れを忘れてしまった。

 家に帰る頃にはとっくに日が沈んでいて、時刻は21時を過ぎていた。

 美春は流石に遅くなり過ぎたな、と思い静かにリビングに向かうとお母さんがまだ起きていた。


「ちょっと美春、こんな時間までどこ行ってたの。ご飯冷めちゃってるよ」

「友達の家だよ」

「友達って誰よ、高校の同級生?」

「別に誰でもいいでしょ」

「もしかして夜遊びとかしてるんじゃないでしょうね、あんた勉強もしないで」

「うるさいなぁ! そんなことしてないよ!」

「ちょっと美春!」


 美春はお母さんを無視して自分の部屋に向かう。

 高校に入ってからはいつもこんな感じだ。お父さんとはほとんど話さないし、お母さんはいつも美春の言動にケチをつけて来る。

 美春が勉強をしなくなった時は何か悩みがあるのかとか色々と心配して優しく接してくれたけれど、ろくに勉強もせずに高校に進学した今の美春は完全に問題児扱いだ。

 親としては自分が正しいと思う道に導きたいのだろう。美春が髪を染めた時も猛烈に反対してきたし、今みたいに少し帰りが遅くなった時もいちいち注意をしてきて煩わしい。

 こっちは染めたくて染めてるわけでも学校の人間と仲良くなりたくて遊びに行っているわけでもない。どちらも学校で浮かないために、目を付けられないためにやっていることだ。

 確かに今日の帰りが遅くなったのは自分から望んだことだけど、平和な学校生活のためにわざわざやっていることをいちいち注意しないでほしい。

 美春は苛立ちながらベッドに寝転がり、スマホを開く。

 いつものように綿毛を見て、自分を落ち着かせるとともに自分の中の熱を生み出す。

 こうやって綿毛を見ている時だけ、美春は癒される。

 今日もぎゅうぎゅうに詰まったふわふわの綿花にうっとりと見惚れた。

 いつしか美春が綿を見ている時の感情は、喜びから恍惚へと変わっていった。

 そういえば、渉の部屋に綿が大量にあったな。ぬいぐるみ作りに使うのだろうけど、あれを貰うことは可能だろうか。あのふわふわな綿があれば、この熱をもっと高められる気がする。

 寝る前に今日渉から貰ったぬいぐるみを取り出して眺めた。

 ただ成り行きで貰っただけだけど、ただ置いておくには勿体ない。

 そう思ってネコのぬいぐるみは机に飾り、ウサギのぬいぐるみは鞄につけた。


「何そのウサギ! 可愛いね!」


 数日後、同じクラスの女子に話しかけられた。

 やっぱり渉の作ったぬいぐるみは誰から見ても可愛いらしい。


「どこで買ったの?」

「いや、これは買ったんじゃなくて貰ったんだよ」


 美春はチラッと渉の方を見たが、渉はボーっとスマホを眺めていた。

 距離的にはこちらの会話は聞こえていると思うけれど、自分の作った物が褒められていることにはあまり関心が無いらしい。


「いいなー私もぬいぐるみ欲しいんだよね」


 一瞬だけ渉が作っていることを教えようとしたけれど、口に出す寸前でやめた。

 渉と美春の関係の他の人間が入ってきて欲しくなかったからだ。渉は初めて出会った自分と同じ種類の人間だ。

 居心地のいい渉との時間は美春だけのものにしたい。渉に感じる親近感や安心感は1人で独占したい。

 美春はぬいぐるみの出所をはぐらかし、何とか会話を終えた。

 その日、今度は美春の方から渉に話しかけ、放課後に渉の家にお邪魔した。


「クラスの子がぬいぐるみ欲しいって言ってたけど、聞いてた?」


 渉の部屋に着き、お茶を飲みながら話を始める。


「いや、聞いてない」

「そっか、私以外でぬいぐるみが欲しいって子がいたらぬいぐるみ作ってること言う?」

「うーん」


 渉は少し悩んでから口を開いた。


「言わないかな、美春以外のクラスメイトってなんか騒がしくて苦手だし、からかってきたりしてきそうだから」


 美春は渉の言葉に安心した。これでこの関係に他人が入ってくることはない。


「そっか、確かに、あの学校の人たちって不良みたいな子ばっかだもんね」

「美春も見た目は不良だけどね」


 何か言い返そうとしたけど、言い返す言葉が見つからない。

 確かに今の美春は高校生なのに髪を派手に染めて派手な髪飾りやアクセサリーを身に付けて、真面目な学生とは程遠い見た目をしている。


「今日は何しに来たの?」

「あ、えっと、またぬいぐるみ貰おうかなと思って」


 本当はさっきの質問をするのが今回の目的だったのだけれど、それだけだと不自然に思われるので少しだけ嘘をついた。

それに、もう少しだけ渉と一緒に過ごしたかった。


「そうなんだ、何が欲しいの?」

「えーっと、人型のやつがいい」

「分かった、ちょっと待ってて」


 渉はクローゼットへと向かう。

 その間、部屋を見回していると机の上に置きっぱなしになった綿が目に留まった。

 『手芸わた』と書かれたビニール袋に綿がパンパンに詰まっている。きっとこれからぬいぐるみ作りに使うのだろう。

 ぬいぐるみよりあの綿が欲しい。でも、綿が欲しいなんて変なこと言えない。

 あのパンパンに詰まった手芸綿もきっとふわふわなのだろう。袋を開けた瞬間、綿が飛び出てくるのだろうか。どんな感触がするのだろう。タンポポの綿毛には無い力強さがありそうだ。

 そんなことを考えていると渉が戻って来た。


「人型のやつ色々持ってきたけど、どれがいい?」


 渉はぬいぐるみを机に並べ始めた。全部人型ではあるけれど、同じぬいぐるみは一つもない。男だったり女だったり肌の色が違ったり服が違ったりと、それぞれのぬいぐるみが個性を持っている。


「本当にぬいぐるみ作り上手いね。全部売り物みたい」

「そうかな、ありがとう」


 美春は少し悩んで、日本人女性がモチーフになっているぬいぐるみを選んだ。長い黒髪で着物のような服を着ている可愛いぬいぐるみだ。

 美春はぬいぐるみを鞄に入れ、前と同じように雑談を始めた。


「そういえば、ぬいぐるみってどうやって作るの?」


 美春が質問すると、渉は少し考えてからいくつかの道具を持ってきた。


「ざっくり説明すると、最初に型紙を作るんだ。こういうので」


 渉は粘土や厚紙、新聞紙を見せてきた。


「自分の作りたい形に合わせて型紙を作ったら、それに合わせて布を切って、縫い合わせて、綿を詰める」


 渉は布やチャコペン、手芸綿を見せてきた。手芸綿は袋にパンパンに詰まったままだ。


「で、形を整えたら完成」


 渉は近くにあったぬいぐるみを手に取って見せてくる。


「分かるような分からないような感じだね」

「そう? そんなに難しい事じゃないと思うけど」

「作ってる本人はそこまで難しいと思わないだけだよ。口で説明されるだけだとよく分からない」

「じゃあ、実際に見せてあげるよ。ちょうど作りかけのやつがあるから」


 渉は机に向かってごそごそと何かを取り出し始めた。


「これが作りかけのやつ」


 渉がそう言って見せてきたぬいぐるみは、白人女性をモチーフにしたぬいぐるみだ。しかし、まだ右腕部分がなく、右肩の辺りから綿が飛び出ている。

 美春はそれを見て息を呑んだ。体の奥から熱が湧き出てくるのを感じる。


「これから腕の部分を縫い付けるんだけど、綿の量を調節することが重要なんだ」


 渉は楽しそうに説明をしている気がする。

 人形から飛び出た綿はタンポポでも綿花でもススキでも袋に詰まっている綿でもない、自分が今まで見たことが無い綿の姿だ。


「綿を詰めながら、腕を縫い付けていく。綿を少しずつ詰めながら形を調節していく」


 人形から飛び出した綿は、ふわふわとした柔らかさがありながらも、人形から飛び出そうとする躍動感がある。

 ただそこに在るだけの綿ではなく、人形の外へ、外の世界へと進んでいくような、そんな意思を綿から感じる気がする。


「体と腕のバランスを考えながら綿を詰めて、縫っていって、腕が完全にくっついたらとりあえず完成」


 綿がどんどん人形の中へと詰め込まれていく。これも今まで見たことない綿の姿だ。

 綿の反発など意味がないかのようにどんどんと詰め込まれていって、その反発が人形を膨張させ、形作る。

 躍動感のある飛び出した綿と反発を許されず狭く小さい人形に詰め込まれていく綿、初めて見る綿の姿とそのギャップに、美春は今まで感じたことが無いほどの興奮を覚えた。

 自分の知らない綿の姿が、こんな身近にあったんだ。


「聞いてる?」


 気が付くと、渉は腕が取り付けられた人形を持ってこちらを見ていた。美春が綿に興奮している間にぬいぐるみ作りの解説は終わっていたのだ。


「あ、うん、聞いてる。ありがとう」

「……どうしたしまして」


 渉は訝しんだ目でこちらを見ている。いくらぬいぐるみの綿が魅力的だからって夢中になりすぎた。

 その後は少し雑談をしてから渉の家を出る。帰りが遅いとまた面倒くさいことになりそうだから18時には家に着くように帰った。

 家に帰った美春は夕飯と風呂を済ませ、自室に上がる。

 美春はベッドに横たわり、天井を見つめてボーっとした。頭の中では渉の部屋で見た綿の様子がループしている。

 なんて魅力的な光景だったのだろう。あれはネットの動画や画像では見れない、本物の綿の動きという感じがした。

 もう一度見たい、もう一度あの動きを見て、できれば触れてみたい。

 その時、美春は今日貰ったぬいぐるみのことを思いだした。

 美春は鞄から人型のぬいぐるみを取り出し、じっと見つめる。

 この中に綿がある。綿毛でも綿花でもないあの綿が詰まっている。

 そう思うと、美春は我慢できなくなった。良くないことだとは思いながらも美春は自身の欲に抗えず、渉から貰ったぬいぐるみを引き裂いた。


 それから、美春は週に一度は渉の家を訪れるようになった。

 渉の部屋で渉の過去の話を聞いたり渉のぬいぐるみ作りを見学したりして過ごす。そして、美春は毎回適当なぬいぐるみを貰っていった。

 渉の両親は放任主義で、渉は好きなことを好きなだけやれる家庭で育ったようだ。ぬいぐるみ作りに没頭してもほとんど何も言われない環境だったという。

 きっとそのおかげで渉はぬいぐるみ作りの才能を開花させているのだろう。

 美春は渉の家に行くたびにぬいぐるみを貰った。

 渉は毎回丁寧にぬいぐるみを並べて選ばせてくれたけれど、美春は大して見もせずに選び、ぬいぐるみを貰ったら片づけを手伝わずにそそくさと帰った。

 そして、持ち帰ったぬいぐるみはそのほとんどを家で引き裂いた。

 ぬいぐるみを引き裂き、中から綿が飛び出してくる様子、それを投げてみたりして綿が舞い上がる様子、それを見て美春は熱を感じていた。

 ぬいぐるみの中身を見るたびに、高校1年生の頃初めて風に舞う綿毛を見た時のように美春の体は興奮と感動で打ち震えた。

 タンポポの綿毛から始まった美春の嗜好だったが、今のトレンドは完全にこのぬいぐるみから湧き出る綿だ。

 今まで見ていた植物の綿にはない魅力がある。

 渉から貰ったぬいぐるみを引き裂くたびに、美春の興奮は絶頂へと達した。

 渉からぬいぐるみを貰い、それを家で引き裂き、綿を見て絶頂する。

 美春にとってぬいぐるみは完全に欲の対象となっていた。

 そんな生活は高校を卒業するまで続いた。そして、高校を卒業する頃には美春の綿中毒は完全に美春の人生と結びついていた。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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