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新連載第一話。依存する少女。
ぬいぐるみペニス症候群というものがあるらしい。
可愛らしい男性が急に性欲を見せてくると、ぬいぐるみに突然ペニスが生えたかのような嫌悪感を感じるというものだ。
高校生の美春にとってぬいぐるみはいつしか欲を発散する対象になっている。
ペニスが欲を象徴する物とするならば、美春にとってぬいぐるみ自体がペニスのようなものなのかもしれない。
1.
中学3年生の不破 美春はそこそこの成績でそこそこ友達が多くてそこそこ見た目が良い普通の女の子だ。良く言えば手のかからない模範的な生徒、悪く言えばありふれていて誰の目にも止まらない生徒。
美春はそんなただの中学生の女の子だ。
普通の美春は思春期で色々と思い悩むこともある。
「明日までの宿題やってくるように」
今日も教室で授業が行われ、宿題を強制される。
「移動教室一緒に行こ!」
今日も友達が美春の下にやってきて、共に行動しなければならない。
「はーいさようなら、みんな気を付けて下校するように」
今日もみんな同じ時間に解放されて帰路につく。そして、また明日同じ時間同じ場所に集まらなければならない。
「なんか、ずっと同じだな」
美春はそう呟いた。美春の家は友達たちの家とは逆方向にあり、下校はいつも1人きりだ。
1人きりの登下校、同じようなことが繰り返される学校、そんな毎日は美春にとってとても窮屈で退屈なものだ。
友達と話している時は楽しいし、授業は真面目に受けるけれど、それはそうするべきだからやっているだけ。
同じ空間で同じことが繰り返されていること自体に美春は閉塞感を感じる。
早くこの生活から脱したい。でも、この先中学を卒業して高校や大学に行っても結局はただ同じことを繰り返す日々であることは変わらないだろう。
絶望だ。この世界はこんなにも退屈で、美春の人生はこんなにも窮屈なのか。
美春はそんなことを思いながら自宅への足を進める。
その道中、ふと目を上げると目の前に空き地があった。この空き地は美春が小さいころよく友達と遊んだ場所だ。誰にも整備されずにところどころ雑草が生え始めている。
あの頃は今よりずっと楽しかった。どんな遊びをしてもいつも新鮮で、今日は楽しかった、明日は何しようといつも考えていた。
あの頃の美春はまだ何にも縛られておらず、この世界を自由に飛んでいるかのような人生だった。
そんなことを考えていると、不意に強い風が吹いた。あまりに唐突だったその風に美春は思わず目をつぶりそうなる。
しかし、目の前の光景に目が奪われ、瞼が下りるのをやめた。
先ほどの風によって、空き地に生えていたタンポポの綿毛が舞っていた。浮かび上がった綿毛は、夕日に照らされ輝きながらどんどんと高度を上げていく。
いつしか家の屋根よりも高いところまで飛んでいき、各々が思い思いの方向へと飛んでいった。
ふわりふわりと空気の中を泳ぐように進んでいき綿毛に、美春は心を奪われ目線は釘付けになってしまっていた。
美春は綿毛が視界から消えるまでずっと眺めていた。綿毛が自分の目の届かないところにいってしまった瞬間、現実に引き戻される。
自分がなりたいのはあれだ、あの綿毛だ、と思う。
何にも縛られることなく自由に空を飛んでいくあの綿毛のようになりたい。
美春は空き地に残っていたタンポポを1つ手に取り、息を吹きかける。先ほどの風で舞い上がった綿毛ほどではないけれど、綿毛は美春が息を吹くと同時に空中へと踊りだした。
その姿を見つめていると、体の内側からゾクゾクと熱がこみ上げてくるのを感じる。
ああ、自分の理想は、自分のなりたい姿は、自分の求めているものはこれだったのか。
美春は脳裏に焼き付いた綿毛の姿を頭の中で何度も描きながら家に帰った。
家に帰ってから、美春はずっとスマホで綿毛の動画や画像ばかりを見ていた。
癒し映像と称されたただ綿毛が飛んでいく動画や写真家が撮った綿毛が飛び立つ瞬間を切り取った写真をひたすら眺める。
リビングのテレビからはニュースが流れている。キッチンではお母さんが夕飯の支度をしている。同じ空間で、美春は制服のままソファーで綿毛を見続けた。
『東京都内では連日、強盗による被害が多発しております。ご注意ください』
テレビから人の声が聞こえるが、脳を経由せずにそのまま通過していく。
「怖いわねぇ」
お母さんがそう呟いたのは聞こえた。
『首都直下型地震への対策が協議されました』
「うちも備蓄あったかしら……」
綿毛がつむじ風で巻き上げられる動画を見つけた。急激に上昇する綿毛に目と心が奪われる。
『先日公表された人体改造の技術を危険視する声が上がっています』
「なんだか難しいわねぇ」
朝露と綿毛の写真を見つけた。水に縛られている綿毛が少し可哀想だと思ったが、飛んでいない綿毛も中々美しいと思った。
そうやって綿毛を見るたびに段々と体と心の底から熱を感じる。
憧れや羨望、愛情、執着、愛しさ、美しさ、綿毛に対する様々な感情が渦を巻き、1つの熱として自分を震わせているような感覚だ。
「美春、そろそろご飯よ」
綿花の画像が流れてきた。タンポポの綿毛とは違ってぎゅうぎゅうに詰まっている綿だ。実物は見たことないけれど、きっとふわふわな感触でよく飛ぶのだろう。
「美春ッ!!」
お母さんに大きな声で呼びかけられ、驚いて顔を上げる。
「もうご飯よ! スマホばっか見てないで少しは手伝いなさい」
お母さんはそういってキッチンへと歩いて行った。
綿毛を見るのに夢中で、呼びかけに全く気付かなかった。
美春はスマホを閉じて夕飯の準備を手伝った。
家族と夕飯を食べた後、美春は自室にこもって綿毛を見続けた。タンポポ以外の様々な綿毛の写真や動画を漁り、脳裏に焼きつける。
気づくと時刻は午前2時を回っていた。美春は慌てて布団に入り4時間ほど寝てから学校に向かう。
綿毛に魅了されてから、美春の学校生活はみるみる色褪せていった。授業も友達との会話もこの世界で起こる何もかもが、美春が見た綿毛の輝きの前では取るに足らないつまらないものだった。
自分が興味の無いこと、自分の視界に入らないものを続けることはできない。綿毛と出会ってから美春は勉強に手がつかなくなり成績はどんどんと落ちていった。友達付き合いも悪くなり美春の周りから人が離れていった。
でも、美春はそんなことはまったく気にしない。
美春の人生にとって唯一意味がある物は綿毛だ。学校には親に行けと言われるから言っているだけで、それは自分の人生ではないし、意味もない。
綿毛を見て綿毛に触れて、自分の体と心の底に熱が生まれる時だけが美春の人生なのだ。
学校にはただいるだけで何もしない、何も手につかない。学校から帰れば空き地からタンポポの綿毛を取ってきてそれに触れ、眺める。綿毛の時期が過ぎるとネット上の綿毛を見て自身が触れた綿毛を思い出す。
何となくいけないことをしている気がして親には隠し通した。周りの人間にバレないように綿毛に夢中になった。
そんな生活を続けていると、中学の卒業が迫った頃には進学できる高校がほとんど無くなってしまった。そして、美春の生活に綿毛は必要不可欠なものになった。
親にスマホを取り上げられ綿毛を見ることを触れることもできなくなった時は耐えられなかった。いつになっても落ち着かず、体が本能的に綿毛を求めた。
そういう時はススキやアザミといったタンポポ以外の綿毛を求めて遠出をした。
持ち帰った綿毛をひたすら触ったり飛ばしてみたりして自分を喜ばせた。
美春は綿中毒になっていた。
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