何も起こらない日常の先の駅
この夏の駅のホラーを読んで、だから書きたくなったわけではないのですが、書いておこうと思った駅の話です。(2020年09月30日)
この夏、なろうでは『駅』をテーマにしたホラー祭りやってましたね。
ランキングに上がっていて、目についたものはいくつか、おもしろいなあと思いながら読みました。
だから書きたくなったというわけではないのですが、『駅』でいつもちょっと思い出すことがあります。
十年くらい前に、とくに用事もなく、北海道は札幌から釧路方面に夫婦でドライブに行ったことがありました。
それも、夏と冬、一回ずつ。まあ、普段からよくドライブはしているのですが。
当時は北海道横断道路……もとい、道東自動車道も本別ICだったか、浦幌ICまでしか延びていませんでした。各ICの詳しい位置を知らない方が大半だと思いますが、だいたい、札幌~釧路間の残り1/3くらいの位置を想像していただければ問題ありません。
で、終点のICを降りると、当然そこからは高速がないので、その残り1/3をずっと下道で、R274からR392を走って釧路方面へ抜けるわけです。
白糠で海にぶつかるまでは、車窓の景色は七割がた森で、ときどき小さな橋だとか、小さな集落だとかある程度です。
夫婦交代で運転していて、そのとき助手席にいた私はやることもないので、道路マップを眺めていたのですが、マップ上、現在地のすぐそばに、駅名が書いてありました。
そこは茶路というところで、ずいぶん前に廃線になった路線の、廃駅の名前でした。
道路マップによれば、進行方向右手にその駅があったはずですが、夏に、車窓から見えたのは単なる緑の藪でした。冬に、車窓から見えたのは単なる白い雪でした。
そんな北海道の片田舎の、なんでもない景色を何を改まって書くことがあるんだと思うでしょうが、ちょっと考えてしまうのです。
今は人口減社会です。少子化対策に(笑)がつくような現況です。
都市部で暮らしていると何の実感もありませんが、どんどん人はいなくなっているわけです。
自然に帰る、といえばそのとおりなのですが、人がいなくなった端のほうから、あの緑の藪の中、あの白い闇の中に飲みこまれていくのかなと想像できてしまうわけです。
むなしいような、うすら寒いような、……なんとなく考えてしまいます。
幽霊も、生霊も出てこない、ただ何も起こらない人口が減り続けるという日常がただ過ぎていくだけで、いずれどの駅だって、あの中に取り込まれる可能性があるのだなと。
あ、いまさらですが、これはエッセイなので、ホラーではありません。
エッセイなので体験談ですが、「信じるか信じないかはあなた次第」というわけでもなく、単純に、車窓からは廃駅がまったく見えなかったというだけのことです。
少子化をどうにかしなければ!とか、そういう熱い思いがあるわけでもなく、ただ、いつもちょっと思い出すというだけの話です。
おそらく廃線好きな方や鉄道好きな方は、まったく違う感慨をお持ちでしょうが、そのあたりはご容赦ください。
なお、当時は十勝山中で繋がっていなかった道東自動車道も今は繋がり、終点も阿寒ICまで延びています。鉄道の廃線のみならず国道のほうまで廃道……はされないでしょうが、当該区間を通行する機会は、ずいぶん減ったような気がします。