第一幕 渇望する大地
大地はただ望んだだけなのだ、豊かに色付く緑を、潤い流れる青を、輝く尊い赤を。
大地はただ望んだだけなのだ、暖かき愛を、新しい息吹を、命の芽生えを。
故に手を伸ばした。
再び目を覚ましたのは見たこともないような景色の中でだった。空は濃色の雲に覆われて陽の光を少しだけしか通しておらず。また眼前には渇ききって、大小様々なひび割れを起こした砂色の大地が、そして大地からは細くなんとも頼り無さを感じる灰色の枯れ木のようなもの点々と突き刺さっていた。
自分がなぜこんな場所にいるのか、なんの目的があるのかは何一つわからないが不思議と不安や恐怖は感じなかった。逆に随分と気持ちは気楽なモノで、目を覚ましたら無限の荒野なんてのはどこの小説や伝記探したってそうそうない経験だと思われる。
疑問は尽きることは無いがこのまま燻って動かないことも良くないと思い、一先ず一番手近な枯木を目指してみることにした。ざりざりと硬い大地と砂を踏む音だけが暗い世界に響き渡る、心臓の音に合わせるように一歩一歩足を踏み出す事で自分という存在を世界に刻みつけているような気分になる。小石が自然と転がっているのを見るに、風は吹いている筈なのだが。
さて、いざ根本まで辿り着くとその異様さ大きさに圧倒される。目算で大体3メートル程だろう高さへと指や髪のような細枝をまばらにだが精一杯伸ばして強く自分の存在を証明している、しかし色味は生気を全く感じさせない鋼色で空模様と大地の荒れ具合と相まって生物ではなく、かの怪人が用意した鉄の木のような無機物である気さえしてくる。
そのような感情を抱きながらもそれを生物であると認識できたのは枝の先に小さな色づきを発見したからだった。
葉ではない、実があった。
手近なものを一つ手に取ってみると林檎ほどの大きさからは違和感を感じる、ズシリとした確かな重さを感じた。色は光を吸い込んでいるんじゃないかと思う程のツヤツヤとした黒で、じいっと見つめていると自分の中の意識が吸い込まれてしまいそうになる。
その黒い果実を見つめていると、そこはかとなく匂う甘い香りがそうさせているのか不意の空腹感が襲ってきた。そう言えば目覚めてから水の一滴たりとも口にしていない、時間感覚的には腹が空くほど経っていない気がするのだが現実として腹が減り始めている。しかしどうにも食欲をそそらない色味をしているのにも関わらず腹の虫は忙しなく鳴き、口元は暖かく湿っていた、警戒心はある。しかし本能へと直に訴えかけてくる誘惑に勝つことができず。
シャクリ、と齧り付いたのだ。
見た目に反してその身はとても瑞々しくたっぷり溜め込まれていた果汁は堰を切ったように溢れ出し、渇いた大地を少しだけ潤した。特別に美味いということもないが空腹と共に喉も潤す事が出来るのは非常に助かる、が何か物を入れたせいか尚のこと腹が減ってきた。まだ上の方にはあるが、取るには少し難しそうな高さだ、諦めた方が良さそうだ。
食事を終えて一息ついていると段々と風が強くてなってきて立つのもやっとな程だった、咄嗟に木にしがみついた事で吹き飛ばされてしまうことはなかったが果実は全て転がり落ちてしまい物寂しい見た目になってしまっていた。
それにしてもすごい砂煙だ、目を開けているのも正直辛いッ…!
風で飛んできたのだろうか、何かに足が取られそのまま後方へと強く引き摺られていく。うつ伏せの状態で細かな凹凸がある砂地を素早く引き摺られた事で鼻や額の肉が削れ落ち、ただ赤く湿った軌跡を残しながら跳ね飛んでいく。
かなりの距離を移動させられていた道中、岩や低木などに引っ掛かり随分と変形してしまったが人間というのは案外頑丈な物でまだ意識が無くなることは無かった。どれほどの長さを移動したのか理解することは無かったが、風が止むことでなんとか一命を取り留める、筈だった。
長く移動してきた勢いはそう簡単に消える事がなく、転がり続け遂には一際大きな罅、暗い渓谷の中へと吸い込まれていった。重力に逆らう事もできず底の方へと引き摺り込まれる、背後に感じる寒気から逃れるように震える手を伸ばせども掴めるような場所もなく、遠くの日を求めてただ空振るだけだった。
幸いだったのは、途中に突き刺さるような木や打ち付けられる岩場が無かった事だろう、半ば人の形を残しながら闇の彼方へと落ちていく。
そうして視界は闇に包まれた。
幾日か後の事、ここに一つの命が芽生えた。
彼もまたこれまでと同じように空を目指してその黒い命を実らせるのだろう。
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次回 第二幕にてお会いいたしましょう。