次代を担うものへと寿ぎを
あれは、私にとっては本当に珍しく、明確に記憶に新しい、春の日の事であった。珍しいというのは、私は殆ど、我が身に起きた物事のことごとく、それ自体を具象として記録するという習慣が無いからである。皆無と言って良い。でも、何か焼肉の時、焼く前の色鮮やかな肉なんかは、場合によっては無性に撮りたくなることもある。かなり例外的な振る舞いなんだけど、あれ、何でだろね。わかんねえや。
……そんなことは、どうでもよくて。少し前までは、間違っても外になんぞ出てたまるか――としか言いたくないような、厳しい冬の寒さを感じていたのに、近頃ではもうすっかりと暖かな陽気を感じ、ともすれば暑いことすらもあるようでありながら、それでもその数日前には、心の芯まで冷え切るような、冷たい風が吹き付けるのを感じていた、気まぐれな少女の如き季節のことである。……まぁ、たぶん。少なくとも、時期の方は間違ってないです。はい。
このままでは、マジで永遠に本題に辿り着かない可能性が高いので、ここまでを序文とし。意識的に、事実の列挙に努めよう。とにかく、あれは月に何度かの、有給休暇を取った日の事であった。本質的には究極デブ将…… もとい、出不精の私は、その春頃から妙に頻繁に出会うことになり始めた、然る女性の誘いを受けて、かの由緒ある街、京都の方に出向いたのである。
割と最近始めた趣味であるところの、こういった小説の執筆などをしながら、電車に揺られ、遥々と辿り着いたのは……。地名がするりと出てこない。私は昔から地理、社会の分野は、試験の成績がよろしくなかったのだ。興味がないことを覚えているかは、さながら「何かものを探しているときに、目を閉じたまま、記憶によると確かこの辺りにあったはず、と手に触れたものが期待通りのものである」かの如くに運次第なのである。そのため、ポケモンのわざで言えば「かみなり」くらいの的中率であった。もしかしたら、にほんばれの時のものかもしれない。
待って。違うねん。弁明を聞いてほしい。いや、聞かなくていいです。すみませんでした。私が悪いです。話を戻します。……そう、烏丸の次の駅。相対的にはそう。終点の…… まぁ、いいでしょう。思い出したらそのうち書くかもしれません。随筆を書くときは、なんとなく遡り訂正は最低限にしたほうが良いかなということで、必ず後の方に書きます。いえ、後から絶対に書きますという意味ではなく、書くとしても後の方に追記するという意味です。
当時、出不精の分際で、何故か一昨日も訪れていたその駅を出て。北の方に歩いて、京都市役所前の方を目指し歩いたことを、今でも鮮明に覚えている。言うて、執筆時点では未だ十日も経っとらへん(※)わけで、偉そうに言うことではないが。その日、待ち合わせをしていた彼女に、「まっすぐ北の方へ向かえば着くので」という助言をいただきながら、PDA(※)の地図アプリケーションが示すところの「右」の方へ向かうことに、「上じゃね?」等と無駄に強烈な違和感を感じつつも、商店街を歩き。その「商店街を歩く」という行為に、私の地元の商店街にもまた、こういう雰囲気の構造があったなと、何処か間違った郷愁の念(※)を感じて、嗚呼こういう時間もまた、思えば得難き幸福の一つであるのかと、思ったような。もしかしたら、思わなかったかもしれない。でも、幸福な記憶が増えるのは善い事でございますから、即ちそれは思ったことであるのでしょう。
……ちなみに、皆様は察しているとは思いますが。地図の方向については、普通に方角が90度ほど、ラジアン角で言えば -1/2π ほど傾いていただけでございます。もうちょっと常識と直感のズレに関して真面目に意識をすれば良かったのですが、地図アプリって、表示される方角どうなってんすかね。わっかんねえや。
そうして、まあまあ長い距離を――と申しましても、普段が究極出不精であるところの私にとってなので、歩くのが普通は全然苦にはならないのが、本来筋ではあるのでしょうが――歩いて、待ち合わせの場所に出向き、どれくらい待ちましたでしょうか。幾星霜とまでは言わないにしても、長編小説の一部分を書き切るどころか、最初の方の書き出しをどう書いたものか、と思案するほどの時間の後、現れたのでございます。待ち合わせていた、彼女が。なんと、ベビーカーに乗った赤子を連れて、です。
嗚呼、そんなことが、あってもいいのでしょうか。別に彼女は子持ちの傷ありとかでもなく、普通にガッツリと、既婚者でありました。俗に人妻と呼ばれる存在です。
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いえまぁ、そもそも既婚者であることは知っておりましたし、その日赤子を連れて会うという話も、実のところ最初からそういう予定での会合でございましたから、驚くようなことも、やましいことも、天地神明に誓って、これっぽっちもないのではございますが。そういう語りにしておけば、愚かな中年男性が、電脳上で出会った女性を相手に、何を勘違いしたのかワンチャン狙っていた、といったような喜劇に見えるかなということで、然様に書きました。一体、誰が得するんだ。自らの尊厳を切り売りするのは、あるいは自傷行為と言えるのかもしれない。
なんにせよ。拙者、不貞はNG。というか一時はそれを理由に「既婚女性が、旦那さんを抜きにして独身男性と二人で逢う、というのは如何なものかと」と、極めて明確に忌避してすらいたのに、それがよもや「ならば赤子が伴であればいいのですね」という理屈になろうとは、浅慮な私には到底読めなかったのである。
ええ、皆様察しの通り。今もまた、盛大に脇道に逸れている最中です。ただ、主題となるものは、まさに今、現れました。実のところ、この小説、ないし随筆は、かの赤子が非常に愛らしいものであったということを記し、そして次代に生きるものへ、幸福が待ち受けておりますようにと祈り、願うことを目的として書かれています。
ただ、目的を達成出来るかどうかについては、私の感情の向き次第なので、正直多分不可能なのではないか、と予測はしている。例によって、最後の方にそれらしい結論のような何かを捏ち上げて、さも「私が言いたかったのは最初からこれだが?」という風を装うことで、体裁だけは整えることになるだろう。だが、読者の皆様方の反応は特に可視化されていないため、「いや、別に体裁は整っていないですが……」と評価されている可能性はありそうだ。そもそも評価などされていないというのも、それはそう。私とて、これでも人の子ではございますから、それなりにヘコむので、そういう指摘はしないでください。
だから、いい加減に本題に触れろという話である。その赤子は、玉のように愛らしい女の子であった。細かいことは個人情報に当たるので全力で伏せるが、頭文字で言えばYちゃんである。つまり、典型的な名前では佳子ちゃんとか優佳ちゃんとかが、これにあたる。間違っても弥太郎ちゃんなどではない。女の子だっつってんだろ。世界樹ちゃんとかでもなく。あったらビビる。
いや、そんな馬鹿な話をするのが勿体無いくらいに、可愛らしいものであった。こちらを見ては、花が開くようにはにかみ、愛想を振り撒くのだ。未だ言葉らしい言葉が話せるような年齢でもないので、だあだあ、あぱぱと、正直何が言いたいかも分からん様なども、何とも可愛らしい。いや、「俺のほうが上手く話せるし」とかいう話ではない。あってたまるか。
かと思えば、穏やかだった様子が突如一変し、何が気に食わないのか全く予想もできぬまま、烈火の如く泣き叫ぶのだ。全くもって、理解が及ばない。もちろん当人にとっては明確な理由があって、それでも未だ意思を伝える術を持たないから、ただそうするのである。これもまた可愛らしい。
彼女――ここでは母親の方を指す――は、その様を「精神が不安定な女」と表現していた。なるほど、確かにそうかもしれない。そうと言えるかもしれない。赤子であれば、それもまた可愛らしい要素の一つではあるのだが、これが大人になった途端に、一転して疎ましい性向になるのだなと、今更に気付かされた。如何せん、女性経験などないに等しいものなので、世の人が言う「メンヘラは(付き合ったら)あかん」という言葉の意味を、今まで理解していなかったといえる。即ち、対応が現に必要であれば、至極大変である。世の親御様がたには頭が上がらない。
なお、その言を受けて「確かにメンヘラとは付き合えんな……」という旨の話をした折、彼女からは「Yは(恋愛の)対象外ってことですか?」などとからかわれた。そういう話ではない。それ単体で聞かれたら「何やこいつ、やべえ小児性愛者か」となるかもしれんだろう。最早、ロリータ・コンプレックスどころの話ではない。アリスもハイジもビックリやぞ。
……さて、その日は、母の代わりにベビーカーを押すという大役を賜って、京都の街を散策したのだ。その日の昼飯には、とある回転寿司屋にお邪魔し、そこにもまた、別の子連れの方がいたことを覚えている。正直知らん人だったので一切興味がない、という認知のバイアスは当然あるのだが、そこで見かけた赤子様よりも、Yちゃんの方が可愛い気がした。だが、元より自前で面倒を見る必然性が存在しない赤子というものは、余程悪辣な攻撃をしてこない限りは無条件に可愛らしいものではあるので、視線を感じたときには軽く手を振ってみるなどの、コミュニケーションの不得手な異常独身男性のやりがちな振る舞い(※)は行わせていただいた。親御様には不快感を覚えられていないことを祈るばかりである。
さておき。普段は然程気にもしていないというのが現実ではあるが、外を見てみればお子様がたというのは、存外ありふれてそこらにいるものである。ここでいう「お子様がた」というのは、何となく、未就学児から、精々が中学校に上がる頃までの、殊更庇護して然るべきもののことを指すのだと感じており、逆説的に、私にとっては概ね思春期――より限定的にはいわゆる厨二病(※)を発症する頃――以降の人間というものは、原則として、それなりに大人として責任ある態度を取ることを求めているのだな、と今更ながらに感じている。
……いや、そうではなく。昼飯のあとには、確か平安神宮と言ったか。朱色の柱と、青銅色の、あるいは緑青色の屋根の、非常に趣きのある観光地へと赴いて、ひんやりとした…… なんて言うんですかね、アレ。まぁ材質としては石で出来ているところに座り、なにか話をしていたのを覚えている。だが、如何せんどういう話をしていたのか、細部の記憶は期待出来ない。色々と写真を見せてもらっていたから、恐らくは思い出話の類であろう。
そう考えると、過去を振り返るときには証跡があると非常に手っ取り早いというか、思い出す契機にもなるので、「俺は未来に生きる!」などという、戯けたクソみたいなニヒリズムにでも染まっていないのであれば、思い立ったときには写真を撮るなり、何処かに気持ちを書き記しておくことが、殊の外あとから役に立つ場面もあるのだと思った。今ではPDAも広く普及しているので、直ぐに写真を撮れないという状況は珍しかろう。……時代は、変わったな。まぁ、そんな昔のことは知らんけど。
そうしてゆっくりと話してから、その近くの公園…… うろ覚えではあるが、確か岡崎公園という名前だった気がする、その公園の中、人工芝の上で、ただYちゃんがのびのびと芝を弄り、ベビーカーの左方後部車輪を食べたがるのを見ながら、ゆったりとした時間を過ごしたのだ。あれもまた、一つの至福の時と言えただろう。母の方は、流石に衛生的に許容できなかったのか、車輪を口に含もうとするのを止めていたが。
こんな時間も、平時であれば、ただ部屋にこもって『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』などに興じ、悪辣な牽制弾を以て、ただ相手に対する無限の嫌がらせを行うみたいな、卑劣極まりない勝ち筋でしか勝てない、性根まで腐りきったような時間を過ごすのが常である。そういうのも別に悪くはないが、生産性という点で言えば正直皆無なので、どうせ同じく皆無ならば、外で陽光を浴び、未来に繋がることに属する何かをする方が、望ましいに決まっているのだ。……何が、って? 体面だよ。それ以外に何かあるか?
まぁ、体面などそもそも然程気にしている訳ではないので、先の言動は当然だが冗句である。本当に。……いや、マジで。信じてほしい。どうして信じてくれないんだよ。こんなことばっかり言うとるからやな。わかるで。
とにかく、あれが幸福の一翼であるという事実には疑いようがなく、穏やかな時間を過ごしたものだ。時間でいうとどれくらいだっただろうか。体感的には「然程でもない」のではあったが、幾星霜とは言わんにしても、一時間以上はただゆっくりと、他愛のない話も交えながら、ただYちゃんの一挙手一投足を見つめていたのである。驚くべきことだ。やっていることはある意味で虚無そのものだというのに、そこに赤子がいるという、ただそれだけの理由で、虚無はかくも鮮やかに彩られるのである。すごいね。
そして、未だ明るいながらも段々と肌寒さを感じ始めた頃、確か午後五時頃であっただろうか。四時だったかもしれんが、それくらいに烏丸の駅の方まで歩いていったのである。その道すがら、オンラインゲーム上での付き合いに関して謎の一悶着があったのではあるが、今回の主題には特に関係がないので、そのあたりは省略する。気分次第では別の随筆として上がる可能性はあるが、恐らく段々忘れていくだろう。期待はされても困る。
その日は、合流してから割とずっと、彼女の代わりにベビーカーを押すという大役を賜っていたのであるが、当方がベビーカーの操作に不慣れであったことを主な要因として、精々五時間にも満たない――移動時間で言えば三時間に満たないだろうか――短時間のうちに、四度か五度ほど彼女の足を轢いてしまっており、その点については誠に申し訳ありませんでした、と謝罪させていただきたい。本当に、わざとじゃないんです。誓って。
乗用車では、運転席から見える景色に対して、その車輪の位置が想像よりもだいぶ手前側にあるが、ベビーカーはほぼ見た目のまま前輪の位置がただそこにあるので、何度も轢いた。不幸中の幸いと言えたのは、これが彼女以外の第三者を轢いたわけではないという、ただ一点のみである。どうせなら自分が轢かれればよかったのだが、轢くことが目的であった訳ではないので、詮無きことと言える。いや、ほんとすみませんでした。
ただ、他人事ながら、その日ベビーカーを押させていただくにあたり、思ったことがあり。このベビーカーを押すという行為、そこそこに罪悪感があるように思う。端的に言えば、自分の存在が、他の通行人にとっては至極邪魔だろうな、と思っていた。考え過ぎなのかもしれない。実際、私自身としては、赤子を持つ母親…… いや、その両親ともにではあるが、次代を担うものと、その保護者というものは、国の宝であり、可能な限り尊重されるべきものであると思っているので、全然邪魔だとは思わないのだが。
だから、これはもしかしたら、私自身が特にYちゃんの父親であるわけでもなく、客観的事実としては「母の、オンラインゲーム上にて特に親しい付き合いのある友人の、弟」という(※)、文章で表現すると本当に意味の分からない立ち位置の第三者であった、ということに由来する、本質的に無意味な罪悪感なのかもしれないし、そうであってほしいと願っている。それでも、保護者の方。貴方が道路交通法における違反行為などをしていないのならば、貴方がベビーカーを押して街の往来を闊歩することは、当然に認められた権利である。胸を張って歩いて良い。それを邪魔だと思うようなものは、基本的には自分勝手なカスどもである。そんなものを気にかける必要はない。警戒は要るかもしんないけど。
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そういったわけで、そんな穏やかな日も、いずれは忘失の彼方へと過ぎ去っていくのではございますが。記憶には残らずとも、他人事ながら、次代を担う貴女が、健やかに育ち、幸福とともに生きていかれることを願うものが、確かにここにおりました。この関係がいつまで続くのかも分からず、貴女と私に特に今後関係が生まれることは恐らくはないだろうと思いますが。
……それでも、苦界にも生まれて来たのであれば。せめて貴女が不自由なく、理不尽な目に遭うことなく。その道行が可能な限りの幸福で満たされますようにと、第三者は祈らせていただきます。
道半ばを征く貴女へ、導きの祝福がありますように。その道行に、寿ぎを。
ちなみに、その日降りた駅の正解は、河原町でございました。記憶になかったので、不正でやっと答えに辿り着きました。本当に地理弱いな、自分。
※最終確認したところ、ちょうど十日前の出来事だったようです
※PDA:Personal Digital Assistant の略、要するに個人用携帯電話のことを指す
※郷愁っていうか、どっちかというと望郷では? これだから言葉の意味をうろ覚えのやつは……
※赤子に手を振ったりとかは、別にコミュニケーションの不得手な異常独身男性に特有の仕草ではないし、普通ですよね。でも、正直自信はないです
※厨二病という表記、もしかしたら執筆時点ですら死語かもしれない気がするけど、でもかといって中二って感じでもなくないですか?
※もちろん対個人としても友人の一人であるとは言っていいはずなので、この表現は意図的に悪い方に表現したものであり、他意はないです