お経・フロム・ビヨンド
年代モノのラジカセ から流れるサーっというホワイトノイズに、照行は聞き入っていた。
民放のAM放送がFMに転換してからすでに数年 が経ち、今やこの昭和時代の骨董品で聞けるのはNHKラジオ第一のみだ。それ以外の周波数ではノイズしか入ってこない。
ホワイトノイズは胎内音に似ているためにリラックス効果がある、などという説もあるが、照行としては、このノイズが宇宙からやってくるというところに心惹かれる。宇宙背景放射といって、ビッグバンの名残が今も電波として地球に降り注いでいるという。なんとも神秘的というか、壮大な話ではないか。
そんなのもあって、照行はノイズを立てるラジカセを点けっぱなしにしていた。
「ん?」
ふと、何かがノイズに混じってかすかに聞こえた。いや、さっきからずっと聞こえていたものの、ノイズとして聞き流していた一連の音に突然気がついた、と言うべきか。
ボリュームを上げ、耳を澄ましてみると、それは低い男性の声のようだった。ぼそぼそとしゃべっているようで、何と言ってるのかは聞き取れない。
言ってることがわからないにも関わらず、聞いているとなんとも言い難い不安感が煽られるような、そんな不気味な印象があった。
違法電波だろうか。一瞬、乱数放送 の類かとも思ったが、明確に単語ごとに切り分けてしゃべっている風ではなく、抑揚のない声で延々としゃべり続けている。どちらかといえば、読経のほうが近いかもしれない。
(お経……? なんでラジオでお経が……)
ちょうどお盆の時期なのもあり、照行は薄気味悪くなって周波数を変えた。だが、チューナーの周波数ツマミをどこに変えようと、どの周波数でも同じようにその声は聞こえてきた。
念のため、照行はラジカセをOFFにしてみた。ラジオの音声ではなく、身近な場所から聞こえているのではないかと思ったのだ。
しかし、ラジカセが沈黙すると、声も沈黙する。ONにすれば、再び声も聞こえた。どうやら、ラジカセのスピーカーから聞こえているのは間違いないらしい。
ここまで来ると、照行は薄気味悪さよりも好奇心のほうが強くなってきた。
ラジオで受信できるということは、どこかから電波が発せられているわけで、それは心霊現象とかのオカルトの領域ではなく、物理的な話ではないのか。
ほとんどすべてのAM波帯域で同時に発信するというのは、通常の放送機材では無理だろう。
AMにせよFMにせよ、普通はまず発信する電波の周波数を決めてから、送りたい信号に合わせて波形を変化させて発信するようになっている。言い換えれば、周波数を定めないことには変調させようがないのである。たとえ不法無線機であっても、この辺の理屈は変わらないはずだった。
ただ、振幅変調方式というのは電波の強弱で信号を伝達するものである。波というものの性質を考えると、いくつもの周波数成分を別個に変調させて、そうして得た波形を重ね合わせてまとめて発信するというのは理屈の上では可能だと思われる。なぜわざわざそんな面倒な方法を取っているのかは、まったく想像つかないが。
では、内容のほうはどうか。
世の中にはお経を流すだけの放送や、YouTube上のお経の動画だとか、リアルタイムでお経を配信するサービスというのはたしかに実在しているようだ。
だが、違法電波に載せてまでやるようなものかというと、どうなのだろう。需要があるとも思えないし、コスト的にもどうなのか。
もっとも、宗教のやることだと、理屈は通用しないのかもしれないが。
もっとはっきり聞こえないものかと、照行は音声をPCに取り込んで、波形解析ソフトにかけてみた。
フィルターでノイズ部分をカットして、声らしきものを抽出はできたのだが、それでも何と言っているのかは不明だった。音声認識AIも試してみたが、認識不能だった。
ネットを探してみると、ラジオからお経のような声が聞こえるというのは、SNSや掲示板などでちらほらと話題に上がっているようだった。照行の身の回りだけで起きている不可思議現象ではないとわかり、ほんの少し彼はほっとした。
ただ、お盆という時期もあって、心霊現象という括りで捉える向きがほとんどだった。
その中で、ある掲示板では発信源を特定しようという動きがあった。しかし、指向性アンテナをどの方向に向けても信号の強度に変化は見られず、発信源の方向は判然としなかったという。
それで、多数の地点で信号の強度を測定し、その分布から中心を割り出そうということになった。
そうして突き止めたのは、発信源はおそらく伊豆の山中だろうということだった。
グーグルマップで見てみると、該当地点周辺には何も表示されてはいない。だが、航空写真モードにすると、山奥の開けた草原にぽつんと建造物が写っているのが見えた。
所在地で調べてみると、どうやらそこは以前はお寺だったらしい。現在は放棄されて、管理者のいない廃寺になっているという。
廃寺からお経が流れてくるというのは、いささか出来すぎな気もしないでもない。
場所が絞り込めたところで、では掲示板の住人で集まって現場に行ってみようという話になった。ROM専、つまり読むだけで特に書き込みはしていなかった照行も、それに便乗することにした。
問題の地点の最寄にある道の駅に集まった物好きは、照之を含めて男性四人だった。
初めての顔合わせであいさつもそこそこに、それぞれの車で目的地へと移動した。
集まったのがすでに日もだいぶ傾いていた時間だったため、到着したころには夕闇が迫っていた。
県道から枝分かれしたその荒れた道路は広い草原の中へと続いていた。アスファルトはひび割れ、そこから雑草が顔を出している。
管理はされておらず、荒れるに任せている様相だった。だが、敷地への入り口には車止めが設置され、合間には片手で握れるほどの白い粉の塊が盛られていた。
塊はおそらく塩だと思われた。さして湿気を吸っているようではなく、置かれてからそれほど長い時間は経っていなさそうである。だとすると、誰かがここに来ているのだろうか。塩を盛るなど、宗教的意味もありそうである。本当にここが放棄された廃寺なのか、疑わしくなってきた。
だが、何者かがいるのであれば、謎の放送もその人物が関わっている可能性がある。
たとえ廃寺となって管理されていないように見えても、所有者がいないとは限らず、正当な理由無く私有地に無断で入り込めば不法侵入となりかねない。それを承知の上で、好奇心に突き動かされた四人の男たちは車を降りて、敷地の中へと足を踏み入れた。
ここへ来てラジオを点けてみると、これまでにないくらいにはっきりと音声が聞こえた。もはやフィルターなしでも聞き取れるほどだ。
『へぐごろどー・うらがーたふん、よぐ・そとそー、えほまーす・はわりー、いーあー、いーあー……』
それを聞いた彼らは、互いに顔を見合わせた。
「なんだ? これ……」
「わからん」
「お経だと思ってたけど、なんか、違くね?」
「だよなあ……」
声ははっきり聞き取れはするものの、何を言っているのかは相変わらずさっぱりわからない。間違いなく日本語ではない。かといって、他の国の言語で似たような発音のものというのも思いつかない。
こうして聞いてみると、お経かどうかすら怪しくなってきた。お経に似ているところといえば、節をつけながらぼそぼそと平坦に読み上げ続けるところくらいで、漢字訓読みに置き換えられそうな発音ではなさそうだった。
ただ、内容はわからないものの、これを聞いているとなんとも言い難い不安感を掻き立てられるというのは変わらなかった。
そうして歩いているうちに、朽ち掛けた建物に辿りついた。
すでに日は沈んでいて暗くなった中、懐中電灯で照らしてみると、鉄筋コンクリート製らしきその建物は、壁には皹が入り放題で、一部は崩れ落ちて錆びた鉄筋が剥き出しになっていた。窓だった場所は窓枠と割れたガラスだけが残されていた。
廃寺と聞いていたが、これはどう見ても仏教様式の建物ではなかった。しかし、周囲に他の建物らしきものはその痕跡すら見いだせない。とすると、もしかしてこの施設は仏教とは何の関係もない新興宗教の類なのではないだろうか。
新興宗教というところにやや警戒しつつ、彼らは建物の中へ入っていった。
鉄製で両開きの大きな扉の先は広間となっていた。学校の教室よりも広そうで、天井もかなり高かった。
ここが本堂に相当するのだろうか。そこには仏像などといったわかりやすい宗教的アイコンは見当たらない。その代わり、別の奇怪なオブジェクトがあった。
広間の中央の床には、直径4mはありそうな二重の円と、それに接する大きな五芳星が描かれていた。五芳星の隙間には奇妙な文字らしきものや図象がびっしりと描きこまれている。
そして、五芳星の中心には奇妙な意匠が施された、幅50cm、高さ1mほどの歪んだ直方体の台座が置かれており、その台座の上ではガラスか水晶のように透き通った素材でできたねじれ双角錐が浮いていた。
ねじれ双角錐とは多角錘を角度をずらして底面同士を貼り合わせた多面体である。それが台座の上30cmほどのところで何の支えもなしにゆっくりと回転しながら宙に浮いており、その中心から明滅する紫色の光を放ち輝いていた。
予想もしていなかった異様な光景に、全員が息を呑んで見入っていた。
ねじれ双角錐の放つ紫色の光を浴びているうちに、照行の意識は次第に朦朧としてきた。
そして、異様な光景を幻視した。
恒星の底でうごめく名状しがたい何か。ありとあらゆる生命に襲い掛かり喰らい尽くす悍ましい粘液。ブラックホールの深遠に潜むモノ。次元を超え、異なる宇宙を渡り歩く忌まわしく冒涜的な存在。
人間の想像できる範疇を遥かに逸脱した、恐怖の事象の数々を目の当たりにし、照行の正気は失われた。今いる場所が伊豆の山中なのか、我々の知る宇宙とは別の時空間に属する異界なのか判然としない。
狂気の中で、照行は漠然と理解した。あの声はお経などではなく、また、心霊現象がどうたらといった、およそ人間の矮小な脳みそが思いつける程度のものでもなかった。あれは異界に棲む『何か』が放つ光が、ねじれ双角錐を通して、時空間を超越して漏れ出てきたものだと。
照行は絶叫した。恐怖のあまりに心臓が麻痺し、意識が途絶える前に感じたのは、灼けるような痛みだけだった。
*
『……静岡県西伊豆町の山中で、複数の男性の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、酸で溶けたような跡があるということです。警察では事件・事故の両面で捜査を進めています。それでは次のニュースです。本日未明、新宿区の路上で……』
〈了〉
お読みいただきありがとうございます。
心霊系の怪談とみせかけて、実はラブクラフト系だった、というお話でした。結末が意味不明で不可解なままなのは、コズミックホラーだからです(強弁)。
※1 ラジカセ
ラジオチューナーとカセットテープレコーダー、スピーカーをセットにした可搬型音響機器。
CDラジカセは現在でも販売されてますが、若い世代だと純粋なラジカセは見たことない人も多そうなので、一応念のため補足。
※2 AM放送廃止
今より少し先の2028年までに、民間のAM放送の大半がFMに切り替わる予定になっています。なので、このお話はそれ以降の時代になります。6年後というとすぐのような気もしますが。
※3 乱数放送
暗号らしき数字や欧文通話表(アルファベットをそれぞれアルファ、ブラボー、チャーリーなどに置き換えたもの)などを繰り返し読み上げ続けるだけという、発信元も目的も不明なラジオ放送のこと。




