表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

数字の男 〜The meaning of numbers〜

作者: てこ/ひかり


 貴方は死後の世界を信じるだろうか?


 私は昔から無神論者で、天国とか地獄とか、輪廻転生だとか、死後の世界などはそもそも信じていなかった。そんなものはただの子供騙し、生者が安心したいがための虚構(ウソ)であると。

 大体本当に死後の世界があるのなら、皆もっと気軽に死んでいるはずである。それが無いから……或いはあるかどうかも分からないから……大多数の人間は死を怖がり、忌むべきものとして扱っているのである。


 しかし……そんな私ですら、これはもしかしたら『本当に死後の世界ってあるんじゃないか?』と思わざるを得ないような不思議な出来事が起きた。とはいえ、今まで散々周囲には『無神論者』だと豪語して起きながら、いきなりそんなことを言い出しても一笑に付されるのがオチである。


 これは誰に打ち明けたものかと思い悩んでいるうちに、息子に教えてもらったのがこのインターネットの小説投稿サイトであった。何でも此処では誰もが自由に匿名で……前置きが長くなってしまった。あまり読んでいて面白くない話かもしれないが、できるだけ当時の記憶を忠実に、今日はその話を、そして私の悩みを皆さんにお伝えしたいと思う。


■■■


 それは三年前、私が胃潰瘍で入院していた時のことである。


 病院というのはやはり、一般的な社会よりも『死』が実に身近にある。

 長く入院していると、同じ病室で、仲良くしていた患者が、ある日目を覚ましたら亡くなっていた……なんてことがちょくちょく起きるものである。そこでは『死』は遠い将来の出来事でも何でもなく、今日の晩御飯のおかずはハンバーグだった、と同じくらいの確率で、生きている自分のすぐ隣に立っているものであった。


 そういう、生と死が隣り合わせにある不安定な環境だからこそ、『この世ならざるモノ』を感じ取ってしまう人間がいるのも、何ら不思議なことでは無いのだろう。


 無論、私に霊感があった、などというつもりはない。私は生まれてこの方七十年弱、ただの一度も幽霊の類を見たことはない。ただその時私が見たものは……明らかに常識的に判断できる範疇を超えていた。


 ”それ”はつまり……形からすると、”人”ではあった。

 その晩、外は最高気温を更新とかで非常に寝苦しく、私はベッドに横になったものの、いつまでも深い眠りにつけなかった。仕切られたカーテンの向こう、他の入院患者の鼾を聞きながら、私は本日何度目かの寝返りを打った。


 その時だった。

 私は思わず悲鳴を上げそうになった。私が寝ているベッドのすぐ横、寝返りを打った目の前に、見知らぬ人影が立っていたのである。

 私は息を飲んだ。その男は……真っ黒なスーツにネクタイを締めていたので、私は男だと思った……棒立ちになって、無言で私を見下ろしていた。何より私が驚いたのは、男の顔の部分に日めくりカレンダーのような紙が貼り付けられていることだった。


 顔に離れた真っ白な紙には、黒い文字で大きく『七』と書かれていた。私が凍りついたようにその数字を見つめていると、黒服の男はやがて煙のようにスーッと消えてしまった。


 初日は、私もあまりにも寝付けなくて妙な夢を見たのだと思った。その手の与太話はいくらでもある。この病院にすら、真夜中にトイレで女の啜り哭く声が聞こえるだの、怪談話は数え上げればキリがなかった。ただその次の夜、『六』と書かれた紙を顔に貼った男が枕元に立った時は、流石に私も腰を抜かしそうになった。


 それから『五』、『四』……と、『数字の男』は、それから毎晩私の元へと訪れた。彼(彼ら?)は、大体夜中の二時から四時の間にやって来た。特に私に何をするでもなく、私が話しかける隙も与えずに、サーッと消えて行くのだった。とはいえ、いくら何もしてこないといっても、枕元に立たれるのは気持ちのいいものではない。日に日に減っていく数字にしても、私は薄ら寒いものを感じていた。


 顔に数字を貼り付けた、黒服(喪服なのだろうか?)の男を目撃してからというもの、私は疑心暗鬼になっていった。私の症状は簡単に言うと胃潰瘍で、だいたい一週間から二週間で退院できると医師からは話があった。しかし……本当にそうなのだろうか? 


 『数字』のカウントダウンが進むにつれて、私は恐ろしい考えに囚われていた。即ち、私の症状は本当は末期ガンとか、すでに余命が決まっている重症で、周りはそれを隠しているのではないか? と言うものだった。もしかしたらあの物言わぬ『数字の男』たちは、私に寿命を伝えに来た死神の類ではないのだろうか。だとすれば、数字が『零』になった時、私は……私は自分の妄想を振り払うように、一度ブルっと身震いした。

 

 それから数日後。

 確か数字が『三』とか『四』の夜だったと思う。

 私の斜め右隣に入院していた患者のサイトウさんが、突然ポックリと亡くなった。

  

 最初にお話しした通り、それ自体は特段珍しい事でも何でもない。ただ、サイトウさんは死ぬ前日、同じ部屋で過ごす我々に少々おかしな事を言っていた。

「夢を見たんだよ」

 死ぬ間際、彼はしきりにそう語っていた。

「枕元に、ご先祖様が大勢立って。家内もいた。『お迎えに来ましたよ』って、俺に手招きすんのさ」

 そう話すサイトウさんの顔は何だか穏やかで、むしろ嬉しそうにも見えた。自分がこれから死ぬ事を、悟りきっているようにも見えた。

 

 普段の私なら……三途の川だとか、あの世からお迎えが来るなんてそんなものは信じないのだが……その時ばかりは勝手が違った。何せ私の枕元にも、同じような人物が夜な夜な立っているのである。もしかしたらあの男たちは、私の遠いご先祖様かもしれない。もう少し詳しくサイトウさんに話を聞いておけば良かったと、私は少々後悔した。


 そうしているうちに数字は『二』になり『一』になり、とうとう今晩数字が無くなると言うところまで来た。その日の晩、私はベッドに横になりひたすら寝たフリをして、『数字の男』が現れるのを待った。それから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 突然私は、スーッと力が天井の方に抜けて行くのを感じた。

 これは実に表現が難しい。たとえて言うとすれば、筋肉痛のまま寝っ転がって、感じていた疲れが吸い取られて行くような感覚。私の体の中にあるエネルギーや、”気”、あるいは”魂”のようなものがどんどん昇って行く感覚であった。

 さらに私は、閉じている瞼の向こう側が、急に熱くなるのを感じた。暗かった視界が、向こうで何やら光を当てられているかのように、真っ赤に染まって行った。誰かが部屋の電気をつけた訳ではない。看護師が見回りに来たのでもないのに、懐中電灯を当てられたみたいに、急に顔の前が熱を帯びて行った。


 目を開けてはいけない。

 私は何故だか、すぐさまそう思った。特に理由はない。ただの直感としか言いようがない。正体は分からないが、寝ている私の上に”何か”がいる。今目を開けてしまうと、取り返しのつかない事になりそうで、私は必死に目を閉じていた。その間にも、体からはどんどん”何か”が吸い取られて行った。実を言うと、吸い取られる行為自体は、私は決して悪い気はしなかった。痛みや疲れがどんどん無くなって行くような感覚なのだ。むしろ気持ち良いくらいで、これが死ぬと言う事なら、なるほど案外悪くないとすら思えた。


 それでも私はシーツにしがみつき、必死に抵抗した。

 吸い取られた挙句どうなるかを考えると、私は背筋が寒くなった。まだ死ぬ訳には行かない。孫の七五三もまだだと言うのに! まさかそんな大病だとは思っていなかったから、まだ遺言状も遺産の配分も決めていない。私はまだ死にたくなかった。そもそも死んでも良いやと思っているのなら、わざわざ入院などしない。気がつくと私は全身にびっしりと汗を掻きながら、必死に歯を食いしばっていた。

「どうして?」

 不意に耳元でそう囁かれて、私は心臓が口から飛び出そうになった。

 それでも私は目を閉じ続けた。汗でびっしょりと濡れたシーツに爪を立て、ブルブルと震えながらも必死に聞こえないフリ、寝たフリを続けた。


 やがて、どれくらいの時間が経っただろうか。

 不意に私の目の前から光が消え失せ、暗闇に戻った。


 天井の方から吸い取っていた”何か”も、何処かへと去って行ったのだろうか、急に何も感じなくなった。代わりにズシン! と、今まで吸い上げられていたものが戻って来たかのように、自分の体に重さを感じた。私は冷や汗を垂らしながら、恐る恐る目を開けた。病室は静まり返っていて、暗闇に包まれ、枕元にもカーテンの向こうにももちろん誰もいなかった。ただ、壁際の窓が何故か空いていて、冷たい夜風が部屋の中に入り込んでいただけだった。


■■■


 それから次の日、私の隣で寝ていたイノウエさんが亡くなった。良く鼾をかいていたイノウエさんだ。もちろん、それ自体は特段珍しい事でも何でもない。ただ、彼は死ぬ前日、見回りに来た看護師たちに妙な事を言っていたと言う。

「迎えが来たんだ」、と。

 そんな与太話はいくらでもあるから、看護師たちも気にも止めなかったらしい。


 それから私は無事退院し、三年の月日が過ぎた。その間に家内は亡くなり、私はこの世に一人残されてしまった。死の間際、家内は私にしきりにこう話していた。

「お迎えが来たんですよ」と。

 その顔は晴れやかで、これから死にに行く者の表情には、私にはとても見えなかった。


 死んでいった彼らの話を思い出すたび、私はふと不安に思う事がある。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() と言う事だ。


 もしあの時病室で私が抵抗しなかったら……私はそのまま『死後の世界』に連れて行かれたのだろうか。あれ以来、今のところ私の元にあの男は現れてはいない。そして、これから迎えに来るとも限らなかった。

 

 とはいえ、生き物である以上、人間はいつか死ぬものだ。年老いてさらに、それをひしひしと感じている。だが、もしかしたらもう二度と、私には『迎え』が来ないかもしれない。今にして思うと、もしかしたらあの黒服の顔に貼ってあった数字は……私の寿命などではなく……何らかの『期限』だったのではないかと思うのだ。つまり、天国とか地獄とか、死後の世界に渡れる『制限時間』。それを過ぎてしまったら……一体どうなるかは、私には想像もつかなかった。


 『お迎え』に呼ばれ、無事死の向こうへと連れて行かれた人々。

 それを跳ね除け、減って行く数字を無視し今生にしがみついた私。


 もう一度だけ問いたい。貴方は死後の世界を、信じるだろうか?


 もしその世界に渡れる鍵を、人生で一度だけ手に入れる事が出来るなら……貴方はそれを受け取るだろうか? それとも突っぱねるだろうか。それは一体、どっちが良かったと言えるのだろう?


 一人この世に残された私は、未だに悩んでいるのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 怖みは感じないのですが、呼んだ後に余韻があって良かったです。 [一言] この出来事は、つまり……と思わず考える自分がいました。 素敵なお話です。
[一言] いかにも”死神”というようならともかく、顔が日めくりカレンダーのような数字の紙では、”お迎え??”かどうか迷ってしまいますよね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ