1.1 幽霊屋敷
2020/9/6 一部修正しました
やっぱりやめとけばよかった。
煌々《こうこう》と降り注ぐ太陽の光を、轟美心は憎たらしげに睨みつけた。
多摩か奥多摩か知らないが、東京のくせにどうして木々がこんなに鬱蒼としているのだ?
ここは東京だろ。東京ならば東京らしく、コンクリートに覆われていればよい。これでは、地元と変わりないではないか。
踏み込んだときに反発しない足裏の土の感触、風で擦れる葉々の音、むんとする花の香りと掠れた土の匂い。
島根出身の美心にとっては、どれもこれも飽きるほど覚えがあり、よく知る感覚。
よくテレビで森林浴などと美化していうが、こんなものの何がいいのだろうか。
美心にはさっぱりわからなかった。
無駄に晴れ渡っている青空を避けるように、木陰を探して美心は半ば折れかけた心を引きずって歩みを進めた。
「本当にこんなところにあるんでしょうね」
苛立った美心の呟きを聞く者はいない。強いて言えば、葉の裏側にいるてんとう虫くらいだろう。だが、てんとう虫が答えてくれるわけもなく、虚しさが余計に募るばかりであった。
『奥多摩の方に人形職人の幽霊がいるんだって』
モデル仲間のそんな話をつい信じてしまい、美心はこんなところにいる。
聞いたときは、これだ! と思ったのだ。次の仕事で決まった番組の『お宅拝見』のコーナー。そこでパッと目を引くものはないだろうかと考えていたところの話である。
人形だ。
普通の人形では意味がない。かわいい人形だらけのファンシーなお部屋なんて、既に先例が山ほどある。
だが、職人の作った本格的な人形となれば、見栄えもするだろうし、インパクトもあるのでは?
これが、正解か!
そう思えたのは、駅を降り、バスに二十分揺られるまでであった。
遠いし、田舎すぎ!
バスの窓から見える景色がどんどん青く茂っていくのを見ながら不安にはなっていたのだが、バスを降りてしばらく歩いた辺りで、すぐに帰りたくなった。
これで人形職人がデマであったならば、泣き出してしまう自信がある。
今思い返せば、信じるに値しない話だった。そもそも奥多摩の方ってアバウト過ぎる。調べてみると奥多摩ですらなかったし。
それに人形職人の幽霊って。
いろいろ盛り過ぎじゃない?
人形職人だけでも、ハッ? 何それ? てなるのに、さらに幽霊までつけるってどんだけ盛るわけ?
たしかに情報源のあかりちゃんはそういう話し方をする子ではあった。けれども、核心部分で嘘はつかない子で、信頼はしていた。ただ核心部分以外は、盛りに盛って話す子であることを、美心は唐突に思い出すのであった。
せめて人形屋さんくらいはあっておくれよ。
この際、クオリティは期待しない。だいたい人形の良い悪いなど、美心にはわかりやしない。
そもそも興味がない。
もう二十歳を過ぎて、今更お人形遊びをすることもない。アニメやマンガが好きな友達が、大量にフィギュアを持っているけれど、はっきり言って全部同じに見える。
アイドルに黄色い歓声をあげる子達の方がまだ理解できた。
だって、たかが人形じゃない。
人の作った、人や動物を模した創作物。いや、動物を模した物は動物形とでもいうのだろうか。どちらにしろ、偽物にいったいどんな価値を見出すというのだろう。
そんなふうに否定的な考えをちらつかせながら、人気取りのために、あやふやな情報を信じて、果てしない土道を歩いている。そう思うと、なんとも業が深いなと美心はいっそう気落ちした。
もはや引き返すにも億劫な距離を歩いてきた頃、スマホの地図上では既に目的地の付近までやってきていた。
「この辺だけど」
つば広の帽子を持ち上げたとき、パッと視界に、それは飛び込んできた。
ごくりと喉が鳴る音を美心は聞いた。
人形職人の幽霊
あかりちゃんの声が耳の奥で反芻する。
黒に近いこげ茶色の木造建築。太い幹を積み上げて拵えられたその屋敷は、苔が適度に生えており、いい意味で古めかしく、わるい意味でボロかった。
カーテンが引かれているのか、窓から灯りはなく、そもそもきっかりと嵌められた窓枠から、その窓が開かれるのか疑問であった。
正面に佇む重そうな扉は、開いたら別の世界に繋がっていそうな不穏さを醸しており、まったく開ける気にはならない。
「幽霊の方が核心だったか……」
つまるところ、幽霊屋敷。
そんな風貌の建物は、どうやら目的地のようで、スマホの地図アプリは一心不乱に到達報告をしてくる。
壊れてるんじゃないの?
いや、もういっそのこと壊してしまおうか。
美心の向けようのない不安を受けて、ぎりぎりとスマホは悲鳴をあげていた。
しかしながら、そこは間違いなく目的地だった。
幽霊屋敷を囲む申し訳程度の門の少し上に、小洒落たかんじでネームプレートが飾ってある。
『瑠璃色工房』
その名は、まさしく美心が探していたお店の名であり、ある意味では、人形職人が住まうにふさわしい建物であった。
ふぅ、と美心はため息をつき、注がれる日差しにスッと目を細めた。
帰るか。