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三成に恋して 彼に恋して 私の長浜ものがたり

作者: 近江屋 草助

■長浜ってどこ?

長浜って?

ネットで懸賞小説を調べていたら、長浜ものがたり大賞作品募集がヒットした。

テーマはそのものズバリ「長浜」だ。

長浜市を舞台・題材にしたものや、市に関係ある人物を主役にしたもの。

マンガ部門と原作・シナリオ部門の作品を募集していて、応募資格も不問だ。

他県在住の方の応募も大歓迎!

こう書かれていた、それなら東京都在住の私も応募できると喜んだのも束の間

そもそも長浜ってどこにあるんだろう?

都民には馴染みのない地名だ。


石田三成 誕生の地?

三成って、関ヶ原の合戦で徳川家康と戦って負けた、あの人。

そしたら、私たちの敵だった人じゃない。

家康が江戸に幕府を開いたから日本の中心が大阪から江戸になり、今も首都として日本の中心であり続けている。東京での家康の評価は高い。

三成も再評価され、最近ではドラマなどで正義感あふれる人物として扱われているが、所詮は家康に対抗できるような器ではなかった。

「虎の威をかる狐」豊臣秀吉の威光を楯に成り上がった人物。

これが、都民が描く平均的な三成像だ。


びわ湖「長浜」が今アツい?

びわ湖ということは、長浜は滋賀県にあるの。

これも三成同様、困ったものだ。

私の独断かもしれないが、ほとんどの都民が滋賀県には興味がないといっても過言ではないだろう。

関西なら、京都・大阪・神戸、飛んで福岡またまた飛んで沖縄など、やはりメジャーなところが人気だ。

滋賀県は国際観光都市京都の影にかくれて、地味な印象を受けてしまう。

大半の人が滋賀県といえば、びわ湖ぐらいしか思い浮かばないだろう。


私はこれまで何度か短編ではあるが、懸賞小説に応募したことがある。

入選はしなかったが、どの作品も私なりに満足いくものだったので、時間を無駄にしたとは思ってない。

しかし、この企画は私にとってマイナス要素が多すぎる。

知らない、興味が湧かない。

三成って関ヶ原で負けた以外に何かあるの?

滋賀県ってびわ湖以外に何かあるの?

ざっと、こんな感じだ。

あいにく私は、自分の感性を上回るほどの文才を持ち合わせていない。

今回は見送りかな。

んん?待てよ、ロケハン(無料)も開催予定!

まじ?タダで長浜の街を案内してくれるの。

これは、主催の長浜市も本気みたいだ。

自分達の街に自信がないと無料でロケーションハンティングなどおこなわない。


「長浜」これは、あなどれないかも。

早速ネットで、長浜を調べてみることにした。

世界のガラス作品を集めたガラスの殿堂「黒壁ガラス館」を中心として、ガラスギャラリー、工房、飲食店からなる黒壁スクエアには、年間200万人もの人が訪れ滋賀県一の観光スポットになっている。

長浜曳山まつりの子ども歌舞伎はテレビで、何度か見た記憶がある。

自然も豊かで、観音信仰が根付いている地域もある。

歴史がまた凄い。

石田三成だけじゃなく、信長、秀吉、我らが家康の戦国ビッグスリーも長浜とは深い繋がりあり、戦国悲劇のヒロイン浅井三姉妹の生まれた所でもある。

歴史ファン、特に戦国時代に興味がある人にとってはまさに聖地だ。


「長浜」恐るべし。

私の認識は一変したが、東京生まれ、東京育ちの私は長浜とどう向き合ったらいい。

私は旅行が好きで休みになるとよく女友達と出かけるのだが、滋賀県には一度も行ったことはない。

というより近畿圏に行ったのも、高校の修学旅行で京都・大阪に一度行っただけだ。


今から1年ほど前にも、こんなことがあった。

「今度の休み、京都と大阪に行かない?」

「いいわね。千年の都、古都京都。そして商人の街大阪。USJにも一度行ってみたかたしね」

大学からの親友で、三十路を過ぎた独身トリオ。()()()()そして私の3人で秋の3連休にどこに行くか、カフェで相談している時、早智が提案し由希もすぐに賛成した。

「それはどうかな~。京都なんかは観光シーズンの時は人でいっぱいだろうし、人なら毎日嫌というほど見てるから。それに、USJってディズニ―ランドと同じようなものじゃないの」

「出た~。加奈(かな)の関西嫌い」

「別に、私は関西は嫌いじゃないわよ。1年前には3人で九州に行ったじゃない」

「私たちは広い意味での関東、関西を言ってるんじゃないの」

「そう。加奈の嫌いな京都、大阪を中心とした近畿圏のことを言ってるの」

関西嫌い?

言われてみればそうかもしれない。それは、多分に母の影響だと思う。

母はのんびりした性格で、話し方もゆっくりしている。

どうも大阪の人のせっかちな、まくしたてるような話し方が苦手なようで、学生時代に同じサークルに大阪の子がいたが、最後までその子とは仲良くなれなかったと話していた。

それに母は京都が嫌いだ。

京都が嫌いというより、京都に嫁いだ父の妹、母の義妹、私にとっては叔母さんに当たる人のことが嫌いなのだ。

よく叔母さんは東京の実家に帰って来るのだが、その時は必ず私の家にも来て、

いかに京都がいいところかを延々と話をして、「加奈ちゃんも京都の人と結婚できればいいわね」と言い残して帰っていく。

私の結婚相手を出身地だけで決められても困るのだが、母は叔母が帰ってから必ず父に小言を言うのだった。

「明治維新で都が東京に移ってから、何年たってると思ってるのかしら」

「京都は国際都市だと言うけれど、京都でオリンピックをやったことがある。

こっちは次で2回目よ」

オリンピックだけが、国際都市の基準じゃないだろうけど、母の中ではオリンピック=国際都市のようだ。

母は最後に必ず父に言うことがある。

「あの人は、本当はいまでもジャイアンツファンなのよ」

それを聞いた父はいつも閉口しているが、もしそれが本当なら、叔母さんも大変だ。

東京への思いは断ち難いものがあるが、必死に京都人になろうとしている。

そんな叔母さんの姿が浮かんでくる。

私は母とは違う意味で京都しいては、関西が嫌いかもしれない。

京都人になろうとしている叔母さんをどこか冷めた目でみていて、心の底から受け入れない京都の閉鎖性に暗いものを感じてしまし、叔母さんもそれが分かっているから、躍起になって京都のいい点ばかり言うんじゃないのかと思う。

それじや、叔母さんが可哀想だ。

それにやはり私は母の娘だ。

母に似てのんびりした性格で、大阪人のせかせかした雰囲気は好きになれない。

結局その年の旅行は、なんだかんだと言い合って金沢に行くことになった。

金沢は前から行きたかったので、いい結果になったが最後に2人から強烈な皮肉を言われた。

「加奈お嬢様。今年の秋の旅行は伝統工芸の街として文化が香り、時がゆっくり流れる金沢でよろしございますか?」

「もちろん。でも、私はお嬢様じゃないわ。一般の東京都民よ」

「いえいえ生活レベルは一般都民でも、あんたは立派なお嬢様よ。関西のがさつはあんたに合わないわよ」


滋賀県は近畿圏なのだが、長浜は滋賀の上の方、一番北にある。

福井県と岐阜県に隣接していて、都民が思い描く関西・近畿とはだいぶ様子が違う。

京都や大阪より、福井県の敦賀市や岐阜県の大垣、岐阜市それに中部経済圏の中心である名古屋市に行く方が近くて便利なようだ。

関西と関東の狭間、京阪神と中部の狭間。

そこにはどんな歴史があり、どんな文化が生まれるんだろう。

私はますます長浜に興味を持つようになり、スマホで長浜市のホームページ見ることが私の日課になった。

7月中旬、ロケハン企画「ながはまるっと☆ロケめぐり」9月4日決定!

この文字がスマホの画面に踊った。

やった、ついに決まったか。9月4日なら日曜日で会社も休みだ。

長浜と向き合うためには、まずは長浜をもっとよく知ることだ、

このロケハンに参加しょう。

ネットや観光ガイドでは分からない長浜に出会えるはずだ。

そこで、何か感じとれたら私なりの長浜を書いてみよう。

しかし、ひとりじゃ不安だ。

私は早速、早智と由希に相談することにした。

「日帰りになるかもしれないけど、観光の穴場があるの」

そう連絡して、会社帰りに2人にいつものカフェに来てもらった。

「加奈の方から、提案するって珍しいわね」

「穴場って、近場でいい温泉でもあった」

期待してくれているみたいだが、長浜と聞いて2人はどんな顔をするかな。

「もったいぶらずに、早くいいなさいよ」

「うん、分かった。観光の穴場というのは長浜なの」

「長浜??」

2人は顔を見合わせた。

「長浜ってどこよ?あんたの好きな東北のどこか」

「ううん違う。滋賀県」

「滋賀県??」

また、2人は顔を見合わせた。

「滋賀県って京都の隣よね」

早智が由希に確認していた。

「多分そうだと思うけど、またえらく地味なとこついてきたわね」

ふいに早智が私のオデコに手のひらを当ててきた。

「何よ」

「あんた熱でもあるんじゃないの」

「別に熱なんかないわよ」

「加奈、よく聞きなさいよ。あんたは1年前、私が京都と大阪に行こうと言ったときに、関西は嫌いだからイヤだって言ったのよ」

「確かに気は進まなかったけど、関西が嫌だともイヤだとも言ってないわ」

「同じことよ。京都、大阪がダメで、どうして滋賀県ならOKなの」

「それにさ滋賀県に行ってなにするの。一日中、びわ湖ながめてるわけ」

やっぱりというか予想通りというか、2人の反応は冷たいものだった。

そこで私は長浜市がシナリオを募集していることや、無料でロケハンが実施されること、長浜がいかに魅力ある街かを2人に話した。

「今日はえらく熱が入ってるわね」

「いつもの加奈じゃないみたい。長浜って、そんなに素敵なところ」

「本当のところは、まだ分からない。だけど長浜には何かある、そんな気がするの。そして、その何かを感じ取れたらいい作品が書けると思いたいの」

「それで、私たちにどうしろって」

「ひとりじゃ、不安だから一緒にきてほしいの」

「やっぱり、そんなことだったの。いいわよ一緒に行ったげるわよ。早智もいいでしょう」

「加奈、行ってきなさい。え~え、長浜でもどこへでも行けばいいわ。いや、むしろ絶対に行くべきね。けど私は行かないわよ」

「早智どういうことよ。加奈がこんなに一生懸命言ってるんだから、一緒に行ってやろうよ」

「だから、私は行かないって」

「もしかして、あんた1年前のこと根に持ってるの」

「由希、よく聞きなさいよ」

「あんたの話はさっきから聞いてるわよ」

「私たちは加奈が小説書くようになった時から、何か賞をとるまで応援していこうって約束したわよね」

「ええ、そうよ」

「加奈はいつも頑張ったわ。けれども何度応募しても一度も入選することなく、もう三十よ」

「年は関係ないんじゃない」

「小説って、自分自身と向きあうものでしょ」

「そうなの加奈」

「そういう側面はあるわ」

「今回の加奈は本気よ。だからいつもみたいな、お気軽な旅行にしてほしくない。そのために、長浜には加奈ひとりで行ってきてほしい」

2人とも口では、「あんた、いつ賞とるの」「才能ないんじゃない」とか言ってたが、私のことをずっと応援してくれていたんだ。

「たしかに早智の言うとおりかも知れないわね。あんたも、たまにはいいこと言うわね」

「トラはわが子を千尋の谷に突き落とすって言うでしょ。今の私はその気持ちよ」

「それライオンじゃなかった?」

「トラでもライオンでもネコ科の動物なら、なんでもいいのよ」

「それじゃチータでもいいの?」

「チータは違うでしょ、チータは。チータは草原を猛スピードで走ってるんだから、谷に突き落とすイメージと合わないでしょう」

「なんでもいいって言うから」

「アッハハハハハハ・・・」

私は思わず笑ってしまった。

いつも2人のやり取りを見て、私が楽しいでいる。

そんな構図になる。

「早智、由希ありがとう。分かった。長浜には私ひとりで行く」

「加奈、これだけは約束して」

「なに?」

「おみやげは買ってきて」

「絶対ね」

「そのつもりだけど、2人とも滋賀県に興味ないんでしょう。なに買っていいか分からないよ」

「滋賀県には興味がないけど、これには興味があるの」

そういって由希がスマホを私に差し出した。

魚の干物のような写真があり、その下に説明が書かれていた。

鮒ずし  

琵琶湖固有種の二ゴロブナをご飯と一緒に漬け込み発酵させた、滋賀県独自の食べ物。酒の肴にもってこい。

さすが飲ベエの2人だ。酒の肴のチェックには余念がない。


■いざ長浜へ

9月4日・日曜日。

今日はロケハンの日だ。東京は朝から雨だったが、天気予報によると西に行くほど天候が良くなるらしい。

長浜はきっと晴れだろう。

朝早いのに、早智と由希が新幹線のホームまで見送りにきてくれた。

「こんなに朝早くからいいのに」

「やっぱり、ちょっと心配でさ」

「じゃ早智も一緒に行けば」

「それは駄目よ。可愛い妹には旅をさせろって言うでしょう」

「それ、可愛い子には旅をさせろじゃなかった?」

「子でも妹でも、親族なら誰でもいいのよ」

「それじゃ、おじいちゃんやおばあちゃんでもいいの?」

「おじいちゃんやおばあちゃんは違うでしょ。可愛いおじいちゃんには旅をさせろって、どう考えても変でしょう」

「誰でもいいって言うから」

「アッハハハハハハ・・・」

私はまた笑ってしまった。早智、由希いつも楽しましてくれてありがとう。

だけど、あなたたちにひとこと言いたい。

『あなたたち2人より、私の方が誕生日は先なのよ』って。

「加奈、これ餞別」

早智から、小さな紙袋を渡された。

「日帰りなのに、気を使ってくれなくてもいいのに」

「開けてみなよ」

紙袋の中には、乗り物酔いの薬が入っていた。

「気遣いはありがたいんだけど、私、乗り物酔いしないたちだから」

「違うわよ。あんたが、関西の人間に悪酔いしないようによ」

「ハッハハハハ・・・・」

2人は大笑いした。

もしかしたら、私が2人を楽しましているのかもしれない。


東京駅から新幹線に乗り、滋賀県の米原駅で北陸線に乗り換えてから長浜駅はすぐだった。

改札口を出て長浜の街を見た第一印象は、少し開けた田舎という感じだ。

私が集合場所である長浜駅西口に着いたのは9時前だった。

集合時間は9時45分だから、まだ誰も来てないと思っていたが、長浜ものがたり大賞のポスターを持って立っている人がいたので声をかけてみた。

「あの、ロケハンを申し込んだ、吉崎(よしざき)加奈です」

「あ、東京からお申し込みの吉崎さんですか」

良かった。やっぱり主催の長浜市の職員さんだった。

東京からの申し込みは私だけだったようで、すぐに分かってくれた。

職員さんに「後の参加者はまだですから、待っていてください」と言われ、

初めての地で地理も分からなかったので、その場で待つことにした。

15分ほどしてから紺のポロシャツを着た男性がやってきて、私と同じように長浜市の職員さんにロケハン参加の旨を伝えていた。

年は私より上のような気がしたが、精悍な顔つきでとても小説やマンガを書くような人には見えなかった。

その人はチラッと私の方を見てから、私に背中を向けてどこに行ってしまったが、ポロシャツの背中に、可愛いキャラクターがのぼりを持って立っている絵柄がプリントされていて、その、のぼりには[宿場町・草津]と書かれていた。

え!この人、群馬県の草津から来たの?

一番遠くから来たのは私だと思っていたのに、まさか群馬県から来る。

このポロシャツがお気に入りで着てきただけかもしれないけど、この場に着てくるかな。

やっぱり群馬県に関係ある人なんだろう。

どちらにしても不思議な人だ。私はこの人を不思議さんと呼ぶことにしょう。

だけど群馬県の草津って宿場町だった、あそこは温泉町じゃないの?

その後、参加者も集まってき順にバスに乗り込み、定刻の9時45分にバスは出発したが、私の気になっていた不思議さんは、私の2列前にひとりで座っていた。

参加者は総勢30名というところだろう。

最初に職員さんから、長浜市の概要説明があった。

「長浜市は近隣の町と合併して、今では滋賀県下で2番目の人口を誇る市になりました」こう言った時。

「3番やがな。2番は草津市やがな。草津は人口13万人を越えたんやから」

いきなり、不思議さんが関西弁で割り込んできた。

「そうですね。草津市は最近、躍進してますからね」

長浜市の職員さんはリップサービスなのか、不思議さんに話を合わした。

「いや、いや。うちは人が増えてるだけで、観光といえば長浜市さんですわ」

不思議さんも、リップサービスなのか長浜市を持ち上げていた。

ここで、私は分かったことがふたつある。

まず、滋賀県には草津という市がありそこは宿場町で、この人が着ているポロシャツはその草津市のものなんだということと、もうひとつは、関西人は平気で人の話に割り込み、その後うまく話を合わすということだ。

「草津からですか、私は大津なんです」

「私は彦根です」

その後、不思議さんを中心に滋賀県民どうしで話が盛り上がっていた。

大津は県庁所在地の割には目立たない。

草津は人口が増えているだけで、見るところはどこもない。

彦根は歴史はあるが、それに頼りきりだ。

など自慢とも謙遜ともとれる会話が続いていた。

私はおもわず胸の中で叫んだ。

『何が人口13万人で躍進よ。東京じゃ市じゃなくって、13万人以上の人間が住んでる区がいくらでもあるわよ』

『狭いバスの中で、秘密のケンミンショー滋賀県編をやってるんじゃないわよ。

あなたたちが、東京にきたら誰も同じよ。あなたたちは、田舎者というひとつのくくりなのよ』

通路をはさんで私の隣に座っていた、50代ぐらいのおばちゃん2人がヒソヒソ話を始めたが、声が大きいから私にまる聞こえだ。

「滋賀県って、別に見るとこないやんな」

「どこも同じやて、たいして変わらんで」

あれ、このおばちゃん2人はどこから来たんだろう?

どうも滋賀県の人じゃないみたいだし、滋賀県に興味がないようにもみえる。

どうして、このロケハンに参加したんだろう。

私は気になったので聞いてみることにした。

「どちらから来られたんですか?」

「うちら大阪です」

「大阪ですか、どうしてこのロケハンに?」

「長浜は大阪と一緒で太閤さんが作らはった町やさかい、一度見ておこ思うて」

太閤さん?豊臣秀吉のこと。

えらく親しそうに言ってるけど、あなたたち秀吉の知り合い。

「そんで、なんか太閤さんのええこと書きたいな思うて。うちらこう見えても文学少女ですねん」

「何十年前のやの」

これが噂に聞く関西人か!

大阪人が2人寄ると漫才になる。

まさに、そのとおりだ。フリ、ボケ、ツッコミとも完璧じゃない。

私はまた胸の中で叫んだ。

『どうせならヒョウ柄かトラ柄か知らないけど、そんな服着てきなさいよ。

あなたたちのトレードマークなんでしょう』

「お嬢ちゃんは、どこから」

お嬢ちゃんと呼ばれる年齢でもないけれど、うまく切り返す言葉が見つからなかったので私は笑顔で「東京です」とだけ答えた。

「え、わざわざ東京から」

「よう来はったね」

今のどういう意味だろう。

遠くからよく来たわね。

それとも、豊臣秀吉、あなたたち流に言うと太閤さんゆかりの地に、東京の人間がよく来れたわね。

おそらく後者だろう。

私は頭が痛くなってきた。

悪酔いしそうだ。

酔い止め飲もうかな、早智、由希あなたたちの判断は賢明だったわ。

おばちゃんたちはまだ何か言いたそうだったが、その時、長浜観光ボランタリーガイドさんの説明が始まったので助かった。

最初の目的地、石田三成出生地にちなんで三成の話だった。

要はこれまで三成は悪く描かれることの方が多かったが、最近は評価が変わってきて今度の大河ドラマも期待が持てるというものだった。

話の中に何度か「三成は正義の人で」というワードが出てきたが、三成が正義の味方なら三成と戦った家康は悪者じゃないの。

やっぱり悪酔する、酔い止めを飲もう。


■石田三成出生地

石田三成出生地には三成の墓が埋められていた場所があり、そこには供養塔が建てられていた。

え、お墓を埋める?

お墓って埋められた遺骨を供養するためにあるんじゃないの?

私はそんなことを考えながら供養塔を見ていたら、不思議さんも私と同じように供養塔を見ていて、お互い顔を上げた時に目が合った。

「あ、君。一番に来てた人やね」

私のこと覚えてくれていたんだ。

私は最初、不思議さんが群馬県から来たと思っていたので、そのことを思い出し笑いしてしまった。

「何かおかしい?」

「いえ、すみません。最初、群馬から来られたのかと勘違いしてしまって」

「あ、このポロシャツ」

不思議さんはくるりと回って、背中を私に向けた。

「滋賀県草津市のマスコットキャラクターたび丸。良かったら憶えておいて」

「はい」

「君は東京からでしょう」

「どうして、知ってるんです」

「大阪のおばちゃん、あんな大きな声で喋ってたらヒソヒソ話になりませんわ」

「アッハハハハハ」

さすが関西人、話にオチがある。

参加者は三成の資料が数多く展示されている石田会館の方に向かったのだが、不思議さんはまだ供養塔を見ていた。

「一緒に行かれないんですか?」

「うん、ここでしばらく三成の気持ちを考えてみたい」

供養塔といってもただの石じゃない。そんなものをずっと見ていて、何が面白いんだろう。

やっぱり不思議さんだ。

だけど私もなんとなくその場を去りがたかったので、残ることにした。

「僕、田中だけど君は?」

「吉崎です。吉崎加奈です」

相手が苗字しか言ってないのに、なにフルネーム名乗ってるんだろう。

「あ、田中(たなか)健一(けんいち)です」

私がフルネームを名のったので、不思議さんもフルネームを名乗った。

田中健一か、不思議さんにしてはありきたりな名前。

それにこの人、厳つい顔してる割に自分のことを僕って言うんだ。

私はまた笑ってしまった。

「僕なにも言ってないけど、次はなに勘違いしたの」

「いえ、なんでもありません。それより田中さん、お墓を埋めるって、どういうことなんです」

「江戸時代、三成は天下の大悪人、逆賊。だから埋めたんじゃないの」

供養塔の近くに三成の銅像があった。

真面目で几帳面、頭が良さそうな顔立ちだったが、身体は華奢で戦国武将というイメージじゃない。

この人が、大悪人にはとっても見えない。

今ならさしずめ、お役所の偉いさん。

「地元の人が進んで埋めたってことですか?」

「それは違うんじゃないかな」

「ここは三成の生まれたところだから、徳川の役人も目をつけていただろうし、見つかってお(とが)めを受けないように泣く泣く埋めたのか、それとも徳川方に大切なお墓を壊されたら大変だから埋めたのか、どちらかだと思うよ。

地元では三成は今も昔も人気あるから、こんな墓、埋めちゃえということはないよ」

三成は今でも地元の人に愛されているんだ。

私はもう一度、三成の銅像を見た。

この人が、天下分け目の関ヶ原の合戦をやった人?

「見えない。この人が大悪人にも、関ヶ原で合戦をした人にも」

「歴史は多くの場合、勝者の都合のいいように語られるからね。今日はせっかく長浜に来たんだから、吉崎さんも吉崎さんなりの三成を見つけられたらいいね」

「私の三成」

「そう、君の三成。東京の人って、家康が好きな人が多いでしょう」

「そうです。家康が江戸に幕府を開き平和な時代が長く続いたからこそ、今の日本があるんじゃないですか。三成は悪人じゃなかったとしても、正義の味方じゃないわ」

田中さんは私の鞄に目をやり「おや」という顔をした。

「吉崎さん、会津と白虎隊が好きなの」

私の鞄には会津の赤ベコと白虎隊のストラップがかけてある。

父方の祖父が会津地方出身ということもあるのだが、私は最後まで徳川のために戦った会津に正義を感じ、会津藩とともに散っていった白虎隊の純粋さが大好きだ。

「ええ、私は会津藩と白虎隊のことは好きですけど」

「会津藩は新政府に最後まで逆らった逆賊。白虎隊はそんな会津のために死んでいったバカ、関西風に言うとアホでしょう」

いきなりなんだ。私は猛烈に腹が立った。

「会津は悪くない!白虎隊の悪口を言うな!」

自分でもビックリするくらいの大きな声が出た。周りの人もあっけにとられてように、こちらを見ている。

「それじや、三成のことも多少はそういう目でみてやれよ」

田中さんはそう言い残してバスに戻って行った。

敗れた側にも言い分もあれば正義もある。

田中さんは、そう言いたかたのかもしれない。

私はもう一度、三成の銅像を見た。

『石田三成。あなたは正義の人なの、それとも悪人?

どうして、あなたに関ヶ原の合戦のような大それたことができたの』

バスに戻ったら田中さんは窓際に座って、外の景色をながめていた。

「さっきは大きな声をだしてごめんなさい。隣、座っていいですか?」

田中さんともう少し話がしたい。

私は自然な形で田中さんに声をかけていた。

「あ、どうぞ」

そういって、田中さんはさりげなく窓際の席を私に譲ってくれた。

この人、こんな気配りができる人なんだ。

出発時間を少し過ぎてから、大阪のおばちゃん2人が当たり前のようにバスに乗りこんできた。

「遅そなって、かんにん」

口では、そう言っているが全然悪いと思ってないだろう。

おばちゃんは目ざとく、田中さんの横に座る私を見つけた。

「い~や、お嬢ちゃん早速ええ男見つけて」

その、お嬢ちゃんっていうのはやめろ。

それに私が席を変わった一番の理由は、田中さんの隣に座りたかったのもあるけど、あなたたちの隣に座りたくなかったからよ!

「おばちゃん、いらんこと言うてんと、さっさと座りいな。それと、つぎ遅れてきたら琵琶湖の水止めるで」

「止められるもんなら、止めてみいな」

「滋賀県、関西広域連合からはずしたるわ」

田中さんとおばちゃん2人は顔を見合わせて、笑い合った。

「今のケンカ?」

「いや、単なる余興」

やっぱり関西人は分からない。


■大原観音寺

バスは次の目的地である秀吉と三成の出会いの地、大原観音寺に向かっていた。

「豊臣秀吉って、不思議な人だと思わない」

突然、田中さんが言ってきたので私は返答に困った。

「どういうことですか?」

「彼の晩年の政治は本当に酷かった。意味も無く朝鮮に出兵して無駄に国力、民力を疲弊させただけでなく、今でも両国の歴史に禍根を残す結果となったしね」

「そのとおりです」

「それに大変な土木道楽で、(じゅ)楽第(らくだい)・淀城・伏見城などの、なんの戦略的な意味を持たないものを諸侯に命じて作らせ、これまた国力と民力を疲弊させたよ」

あれ、この人は秀吉のことが嫌いなんだろうか?

「他にもいろいろとあるよ。いいがかりをつけて千利休を切腹させたり、自分に子どもができたから、跡取りにするはずだった秀次にもいいかがりをつけて切腹させ、その妻子にいたっては公開処刑にしたんだから」

「それは惨すぎます。どうして、秀吉はそんなことをしたの」

「分からない。権力の乱用といわれれば、そのとおりかもしれない、特に秀頼が生まれてから、余計おかしくなったのは確かだよ」

年老いた権力者が自分は何でもできると思いこみ無茶をいい、わが子可愛さに権力を振りかざす。

秀吉の晩年はこんな感じだったかもしれない。

「でも、秀吉って今でも人気あるでしょう」

「それはそうです」

「彼のサクセスストーリーは、日本人の憧れさ」

貧しい農家の子として生まれた秀吉は彼の才覚と強運で出世街道をひた走り、最後は天下人にまでなった。

彼の出世物語は日本人なら誰でも知るところだ。

「秀吉は生まれながらにして、人の心を惹きつける資質を持っていたとしか思えないんだよな」

「それで、秀吉は天下の人たらしと言われるんですね」

「それは彼が生きている時だけじゃなく、彼が死んでからもなんだよ」

「え、秀吉が死んでからも」

「さっき言ったように彼の晩年の政治は酷いものだったけど、誰もそのことにはあまり触れずに、彼の陽気さ人間性に魅力を感じ。わが子、秀頼の将来を心配して死んでいく彼の姿に人間の悲しさ哀れさを知り、多くの人は、天下人も同じ人間なんだという、彼の人間くささに共感を覚えた。江戸時代でも彼の出世物語である太閤記は結構、読まれたらしいからね。秀吉は死んでからも人たらしさ」

田中さんの話を聞いて、私の秀吉イメージが少し変わった。

秀吉は希代の名役者だったのかもしれない。

しかも、後世に残る芝居をする。

三成もそんな彼の芝居に魅せられた一人だったのかもしれない。

「今でも秀吉の信者はたくさんいるしね。その人達に秀吉の悪口を言ったら、さっきの君の剣幕どころじゃないよ」

田中さんは親指で後ろを指した。

私は思わず笑ってしまった。

私は幸いにも、おばちゃん達に秀吉の悪口を言うほどの勇気は持ち合わせていない。

もし言ったら大変だ。

『あんた、太閤さんの悪口言わんといてんか!』

『太閤さんのこと嫌いやったら、このバスから降りてんか!』

私は間違ちがいなく、バスからつまみだされるだろう。


バスは大原観音寺に着いた。

ここには有名な「三献の茶」の話が残っている。

田中さんが、当時に書かれた「武将感状記」が載っている古い本を私に貸してくれた。

[石田三成はある寺の童子也。秀吉一日放鷹に出で喉乾く。其寺に至りて、誰かある、茶を点じて来れと所望せり。石田大なる茶碗に七、八分にぬるくたて持まいる。秀吉飲之、舌を鳴し気味よし、今一服とあれば、又たて捧之、前よりは少し熱くして茶碗半に足らず。秀吉飲之、又試に一服とある時、石田此度は小茶碗に少し許なるほど熱くたて出る。秀吉飲之、其気のはたらきを感じ、住持にこひ、近侍に使之に才あり、次第に取立て奉行職を授けられぬ]


鷹狩りの途中でこの寺に立ち寄った秀吉に、三成は1杯目は大きな茶碗でぬるい茶を、2杯目は中くらいの茶碗でやや熱めの茶を、3杯目は小さな茶碗で熱いお茶をだした。

三成の頭の良さと気遣いに感動した秀吉が三成を近習として召し抱えた。

観音寺には三成が水を汲んだ「三成茶汲井戸」も残っている。


「感動的な話だけど、話として出来すぎてます」

「どうして?」

「武将感状記に次第に取り立てられて、最後は奉行職になったと書いてあります。三成が奉行になったのは、2人の出会いからだいぶ先でしょう。だから、武将感状記は後で創作で書かれたものだと思います」

「へ~え。吉崎さん頭いいね」

「別に、ほめてくれなくってもいいです」

「三成には他にもこんな逸話があるよ」

田中さんは三成の逸話を3つの話してくれた。


三成の盟友、大谷吉継は以前より重い病を患っていた。

ある茶会において、秀吉の点てた茶を招かれた客人が回し飲みしている時、吉継に茶が回ってきた。

吉継は茶を飲み次に回したが、皆、茶を飲むふりをして茶碗に口をつけなかった。吉継の病が移るのを恐れたからである。

その時、三成が「喉が渇いた。こちらに茶をよこせ」そう言って茶を持ってこさせ、茶碗を高々とかかげ一気に飲みほした。

吉継は三成のためなら命もいらぬ、その思いで関ヶ原で奮戦し、最後は自害した。


関ヶ原の合戦で負けが決定的になった時、三成は徳川方に見つからないように一人で背後の伊吹山に逃げ込み、与次郎という三成の領地の百姓に匿ってもらっていた。

「与次郎、わしを匿ったと分かったらお前もただではすまぬぞ」

「三成様は年貢を安くしてくださり、賦役(ふえき)を公平にしてくださいました。

そのおかげで、この地がどれほど住みやすくなったことか。

もしものために妻とも離縁いたしました。罰をうけるのはわしひとりです」

「与次郎。そちの義を義で返したい。わしを家康に引き渡せ」

三成は恩を受けた与次郎にこれ以上、迷惑をかけたら自分が与次郎に対して不義を働いたことになる。

自分の身を家康に引き渡させたことで、義を義で返した。


家康に引き渡された三成は大阪から堺、京都の町を引き回されたうえ、六条河原で首を打たれる運命だけが待っていた。

刑場に引かれる三成は喉が渇いたので護衛の者に湯を求めたが、あいにく湯がなく変わりに干し柿が出された。

「柿は痰の毒だ」と言って三成が断ったら、護衛の者たちが「今から、死ぬ奴が何言ってるんだ」とあざ笑った。

「大事を志す者は最後の瞬間まで命を大切にして、本望を叶えようとするものだ」三成はそう言い放った。

これから処刑される一番みじめな時でも自分のやったことに後悔はない、そういう三成の意思のあらわれである。


「ええ話や。ほんまに、なんべん聞いてもええ話や」

後から不意に声がしたので、振り返ったら大阪のおばちゃん2人が立っていた。

私たちは大原観音寺の本堂に続く階段の一番上に腰掛けて話していたのだが、私は話を聞くのに夢中で、田中さんは話すのに夢中で、後ろに人がいるのに気がつかなかった。

「いつから、いたんですか」

「お嬢ちゃん。人を幽霊みたいに言わんとき、最初からやがな」

なんなのこの人たち、私には理解不能だ。

「さすが三成はん。太閤さんの一番弟子だけのことはあるわ」

「ほんまやで、友情と人情に熱く義にも熱い。そんで男らしい」

「お嬢ちゃん。今の話、東京の狸おやじに聞かしたり」

だから、そのお嬢ちゃんっていうのはやめろ。

狸おやじじゃないだろう、せめて家康と言え。

おばちゃん2人は言いたいことだけ言って、階段を下りていった。

「困ったおばちゃんたちだけど、ああいう人たちがいるから秀吉の人気は続くんだよ」

東京で家康は評価されているが、秀吉のような大衆的な人気はない。

それは2人の人柄の違いによるものなんだろうか。

「田中さん。あなたの話は大変興味深かったし、三成という人を考えるうえで参考になりました。でもあくまで逸話、伝説。さっきの話と同じように創作でしょう」

「確かに伝説というのは、君が言うように創作の可能性が高いよ。ただ、それが民間に語り継がれるのはその必然性があったからじゃないの」

「必然性?」

「たとえば庶民に愛されてたとか、人気があったとか。大衆の支持があってこそ、その伝説は語り繋がれるんじゃないの。誰も天下の大悪人の伝説を語り継がないよ」

イヤな人間を誰もいいように語り継がないだろうし、語り継ぐメリットもない。

私は大原観音寺の本堂を見た。

『ねえ、三成さん。ここはあなたが秀吉さんと最初に出会った想い出の場所でしょう。あなたは本当はどんな人だったの。そろそろ私に本当のあなた見せて』


大原観音寺の本坊ではMEET三成展が開催されていて、「三献の茶」の体験として、無料でお茶が振舞われていた。

私たちが会場に立ち寄ったら、またあのおばちゃんたちがいてお茶を飲んでいた。

「にいちゃん、お嬢ちゃん、こっちきてお茶のみ」

このお茶、あなたたちが提供しているわけじゃないでしょう。

飲みたかったら飲むわよ。

だけど呼ばれて無視するわけにもいかないので、私と田中さんはおばちゃんたちの隣に座った。

「にいちゃん。あんた話うまいな講談師になれるで」

「今日はお嬢ちゃんがいたさかい、よけ熱入ってたんと違うか」

いい加減、そのお嬢ちゃんっていうのやめてくれない。私、三十路よ。

「お嬢ちゃん、なんで関ヶ原の合戦がおこったか知ってるか?」

「いろいろ要因はあると思いますが、それが複雑に絡み合っているので特定は出来ないと思います」

「そんな難しいことと違うがな」

(せつ)ちゃんの関ヶ原論はためになるで」

背の高いほうのおばちゃんは、節子っていうのかしら。

(きよ)ちゃん、そんなに持ち上げんとき」

背の低い小太りのおばちゃんは、清子っていうのかしら。

ここから節ちゃんの独演会が始まった。

「太閤さんの奥さんいはるな」

「寧々ですか」

「そう寧々さん、後から北政所いう立派な名前にならはったけど、いうならばこの人が太閤さんの本妻さんや」

「秀吉の正室だったわけですね」

「可哀想なことに太閤さんと本妻さんの間には、子どもがでけへんかったんやがな」

「そうですね」

「そんで茶々いるわな」

「浅井三姉妹の長女で、秀吉の側室になった淀殿ですか」

「淀殿いうたいそうなもん違うけど、まあそうやな。いうならばこの人が太閤さんの二号さんや」

「二号さんって」

「この二号さんとの間には子どもができたんやがな」

「秀頼ですか」

「そや、秀頼や。太閤さんも年いってからできた秀頼が可愛かったんやろな。

天下は秀頼に譲る言うて、死んでしまははったんやがな」

「秀吉が秀頼を後継者に指名したわけですね」

「そうしたら本妻さん、おもしろないわな」

「おもしろいとか、おもしろくないとかいう問題じゃないと思いますけど」

「そやけど、寧々さん偉いがな。辛抱しはたんやで」

「我慢したんですか」

「茶々いうのはお姫さんみたいにいわれてるけど、またこれが、したたかな女やったんやがな」

「思った以上に強い女性だったんですね」

「なんと寧々さんを、大阪城から放りだしよったんやで」

「北政所は淀殿に追い出されたんですか」

「そやがな、追い出しよったんやがな。これには、寧々さんも怒らはったがな。

あの女狐とその子どもには絶対天下を渡さへん。その思いや」

「女狐って」

「太閤さん亡き後の実力NO1は、なんやかんやいうても家康や。『家康はん。天下はあんたにあげるさかい、あの女狐やつけてんか』寧々さんも、これぐらいのことは言うたやろな」

「そんな簡単に天下をあげちゃうんですか」

「そしたら女狐も負けてへんがな。同じ近江の出で出世頭の三成はんに、

『助けて~。家康が秀頼の天下奪いよる』ぐらいのことは言うたで」

「あくまで憶測ですね」

「三成はんは真面目な人やがな。太閤さんに受けた恩を返さなアカン思うて、家康に立ち向かははった。それが関ヶ原の合戦やがな。どや、お嬢ちゃんよお分かったか」

え~え、よ~く分かりました。

あなたの歴史観は、豊臣家の性生活の延長線上にあるということが。

しかし待てよ。

この話だったら、この人は天下人としの豊臣家の存続を望んでなかったように聞こえる。

「関ヶ原の合戦で西軍が破れて、天下が家康のものになってよかったんですか」

「関ヶ原で西軍が勝っても、しょせん豊臣の家はあのアホぼんが潰してしまいよるがな」

「アホぼん?」

「秀頼のことや」

「秀頼はバカだったんですか」

「仮にアホちごても大阪城から一歩も出んと、おなごに囲まれて甘やかされて育った男がまともな大人にならへん。そんなもんに天下の仕置ができるかいな」

おばちゃんの言うとおりかもしれない。

仮に西軍が勝っていても、私にはその後のビジョンはまったく見えない。

それは多くの歴史ファンも同じだろう。

だけど、最初に秀頼を甘やかしたのは、あなたの大好きな秀吉じゃないの?

「ほんまのとこは太閤さんが、みんな悪いのかもしれん」

「え?!」

この人は秀吉の晩年の政治が間違っていたことを、分かっているんだ。

「そやけど、すべての(ごう)は太閤さんがあの世に持っていかはったんや。家康も、あんまりひどいことすないうねん」

「それじゃ、家康はどうすればよかったんですか?」

「豊臣の家は残しても、よかったんと違うか」

豊臣家は一大名として、江戸時代を生き続けたらいい。

おばちゃんはそう言いたいのだ。

家康の晩年も秀吉と違う意味で評判が悪い。

秀吉が死んだらそれまでの律儀者の皮をかなぐり捨てて、謀略・陰謀・恫喝ありとあらゆる手段を使って豊臣の家を潰し、後世にダーティなイメージを残したことは否定できない。

「太閤さんのおかげで、みんなええめしたのに太閤さんが死なはった途端、家康に鞍替えや」

私は歴史の授業で習ったことを思い出した。

秀吉の頭は米中心の経済から抜け出していて、佐渡金山開掘による鉱業利益。

南蛮貿易と貿易の運上金の利益。

びわ湖の交通の拠点である大津・長浜の都市化による内国貿易の利益。

これらの利益により、秀吉のもとには大量の黄金が集まりって、空前の好景気バブルになった。

そして富のあるものは、みんな豪勢なふるまいをした。

その需要にこたえるため、大阪・京都などの商工業もおおいに発展した。

多くの大名もその恩恵をこうむったが、秀吉が亡くなった後、ほとんどの大名が家康についた。

「あの時代は力の強い者につく。自家の保全のためにそれは、仕方がなかったんじゃないですか」

「そや。確かにお嬢ちゃんの言う通りや。そやけど、誰か一人ぐらい最後まで太閤さんのために働く人間、太閤さんの恩に報いよ人間がいてもええがな」

「三成のことですか」

「後は自分で考え。うちの話はこれで終わりや」

おばちゃんの話が終わった途端、いっせいに拍手が起こった。

周りを見ると黒山の人だかりだ。

いつ、こんなにギャラリーが集ったんだろう。

「いや~節ちゃんの話はいつ聞きいてもおもろいな。お嬢ちゃんもええタイミングでツッコむわ」

私、漫才師じゃないわよ。普通のOLよ。

関西というところは普通のOLまで、漫才師にしちゃうの。


「田中さん、さっきの話どうでした」

私はバスに戻る途中で、田中さんに聞いてみた。

「当たらずとも遠からず。案外、本質を突いているんじゃないの。それより、吉崎さんの三成は見つかった」

「少し。少しだけど、三成のことが見えてきました」

「それは良かった」

田中さんはそう言って笑った。私は本堂の方を振り返った。

『三成さん。もうすぐ本当のあなたに会えるんですね』

出発時間ギリギリに、おばちゃん2人がバスに飛び込んできた。

「遅刻してびわ湖の水とめられたら、困るさかいな」

引っ張るわね~。

だけど、今度は遅刻しなかったから、びわ湖の水は止めないであげるわ。


私は三成の他にも気になることがある。

もちろん、田中さんのことだ。

田中さんの話す言葉は、大阪のおばちゃんとアクセントやイントネーションが微妙に違う。

関西弁で話す時もあれば標準語で話す時もある。

そして、お互いの言葉が混同している時が一番多い。

「田中さんはもともと、草津の方なんですか?」

「いや、違うよ」

田中さんは京都御所がある京都市上京区の出身で、生粋の京都人だが仕事の関係で5年前に滋賀県に引っ越してきたと話してくれた。

ここからの田中さんの持論は、関西を知るうえで参考になる話だった。

滋賀県の人は、京都・大阪に近い割に関西弁ではなくほぼ標準語で話す。

南部地域の大津・草津・守山周辺は京都、大阪から引っ越してきた人が多く関西弁と地元の言葉が交じり、最終的に標準語に近いものになった。

北部地域の長浜・米原・彦根は中部経済圏に含まれ、名古屋あたりの言葉と地元の言葉が交じり、最終的に標準語に近いものになった。

「それは新聞の購読傾向をみても良く分かるよ」

南部は京都で多く読まれている地方紙の購読率が高く、北部は名古屋を中心に中部地域で多く読まれているブロック紙の購読率が高い。

滋賀県南部は京阪神、関西の影響を受け、滋賀県北部は中部、関東の影響を受けていて、それがほどよくミックスされている。

滋賀県は東西文化の交流の場。

お互いのいい部分を吸収して京都・大阪・名古屋にはない魅力を発信している。

私たちの話が聞こえたのか、ボランタリーガイドさんも関連した話をしてくれた。

「お正月に食べるお雑煮。関東は角餅で関西は丸餅、味つけは関東はすまし、関西は白みそ。ここ長浜のお雑煮は餅は角餅で、味付けは白みそです」

見事な東西融合だ。

「田中さんはどういう基準で、関西弁と標準語を使いわけてるんです」

「え、僕、京都弁で話す時ある。草津に5年も住んでるし、標準語使ってるつもりやったのに」

京都の人は関西弁とは言わないんだ、京都弁って言うんだ。

京都は大阪と違うという、京都人のプライドなんだろうか?

それと、どうも田中さんは自然と標準語と京都弁が混ざるようだ。

あなたも見事に東西が融合しているわ。


■姉川古戦場

バスは次の目的地、姉川の合戦があった姉川古戦場に着いた。

姉川を挟んで織田軍二万三千人、徳川軍六千人の連合軍と浅井軍八千人、朝倉軍一万人の連合軍が対決したところだ。

「見事なデビュー戦だったね」

合戦の跡地を見ながら田中さんが言った。

「三成さんのことですか?」

「あれ、吉崎さん。いつから三成さんになったの」

私の気持ちはすでに三成から三成さんになっていたが、それが言葉になって出てしまった。

「今のは違います。石田三成もこの合戦に参戦してたのかなっと思って」

「別に、言い直さなくてもいいよ」

田中さんが笑いながら言った。

なんだか心の揺れを見透かされているような気がしたので、もう一度、言い直した。

「だから違います。三成はここで、戦ったんですかと聞いてます」

「そんなに怒ったように言うなよ。三成は1560年生まれで、姉川の合戦は1570年。三成は10才の子どもだったんだから、姉川の合戦には参戦してないよ」

「それじや、誰のデビューだったんですか」

「徳川家康」

「え?家康」

「正確には家康の歴史の表舞台へのデビューかな」

後は田中さんが詳しい話をしてくれた。

織田信長と同盟を結んだ徳川家康は、織田軍の援軍として姉川の合戦に参戦。

徳川六千人と朝倉一万人、織田二万三千人と浅井八千人が激突し、徳川軍は激戦の末、朝倉軍を破った。

これにより、浅井軍に苦戦していた織田軍も盛り返し浅井軍を敗走させたのだった。徳川軍の奮闘がなければ、信長は負けていたかもしれない。

自軍より多い敵がたに勝利し、信長の窮地をすくったこの一戦で、家康の名は天下に鳴り響いた。

「野戦は人数の多いほうが圧倒的に有利なのによく勝ったよ。それと、家康の若いころはやっぱり律儀者だったな」

「どうしてです?」

「織田信長と同盟していたといっても、実際は手下みたいなもので、いいように使われてたから、この合戦の時、信長を裏切って浅井につくこともできたはずだ」

「そしたら、どうなってました?」

「信長は浅井と徳川に挟み撃ちにされ、織田軍は壊滅的な打撃うけ、もしかしたら滅んでいたかもしれないよ」

ここで信長が滅んだら後の歴史は変わってしまう。

当然、秀吉と三成さんの出会いもなかっただろう。

『家康さん知ってた。あなたが2人の出会いの演出者だったってこと』


■小谷城跡

姉川古戦場の後、バスは小谷城跡に向かった。

ここは浅井三姉妹が生まれた所だ。

三姉妹のことは私もよく知っている。

浅井家は姉川の合戦の後、信長に滅ぼされるだが、三姉妹と母の市は信長に保護された後、それぞれが数奇な運命をたどった。

三女の(ごう)は二代将軍秀忠の正室になり、三代将軍家光、天皇家に嫁ぎ後水尾天皇の后となった和子(まさこ)など、7人の子どもの母になった。

江は浅井のDNA、近江人の血統を将軍家と皇室に残したことになる。

滋賀県の人にとって、江は誉れ高い女性なんだろう。

バスから降り、あまり時間がなかったので、小谷城跡地を見上げながらボランタリーガイドさんの説明を聞いた。

小谷城は小谷山の地形を生かした中世の三大山城のひとつで、攻めにくく守りやすい戦国屈指の城だったようだ。

今は本丸も何もないが時間があれば是非、登ってみたい気がする。

「田中さん。遠い昔、茶々も江も小谷城からびわ湖を見たのかしら」

「いや、小谷城が落城したのは1573年で、江が生まれたのも1573年生まれだから、今でいう0歳児がびわ湖を見てもその記憶はないだろう」

なにこの人。

確かに理論的には、あなたの言うとおりよ。

0歳児がびわ湖を見ても記憶としては残らないわ。

だけど、ここは『そうだね』ぐらい言わない。

「のど渇いたね。何か買ってくるよ、何がいい?」

田中さんは私の機嫌を損ねたと思ったのか、急に飲み物を買ってくるといいだしたが、断るのも悪いし「私は、お水でいいです」とだけ答えた。

この場で田中さんが飲み物を買ってくるまで待つことにしたが、節ちゃんと清ちゃんのおばちゃんコンビが現れた。

この2人ボランタリーガイドさんの話も聞かずに、どこに行ってたんだろう。

「年いったら、ちこなっていかんわ」

あ、トイレですか。

「そしたら、お嬢ちゃんも一緒に行こか」

「どこに」

「まあ、ええから、ええから」

私は2人に促され、もう少し小谷城跡がよく見えるところに連れて行かれた。

「節ちゃん、この辺でええやろ」

「そやな」

え、今から何が始まるの?

私を真ん中にして右から節ちゃんが、左から清ちゃんがいきなり腕を組んできた。

え、私どこかに連行されるの?

「こら、茶々。自分の息子の教育ぐらいちゃんとせ」

いきなり節ちゃんが叫んだ。

え、あなた何やっているの?

「そや、そや。子どもは甘やかしたら、ええいうもんと違うで」

今度は清ちゃんが叫んだ。

だから、あなたも何やっているの?

「世の中、プライドだけでは生きていけへんのじゃ」

ちょっとやめなさいよ。

周りの人がこっちを見ているじゃないの。

「そや。なんで粥すすってでも豊臣の家、残そとせえへんかった」

だからやめなさいよ。

私はこの場を逃げ出したかったが、両腕をガッチリキープされていて、動けない。

「お嬢ちゃんもなんか言うたり」

え、私はあなたたちの仲間なの?

「はよ、言うたり」

これは何か言わなければ、この場から解放してもらえないだろう。

「あなたたちのために、最後まで戦った人もいるのよ。そのことは忘れないで」

私は蚊が鳴くような声で、これだけ言うのがやっとだった。

「もっと大きな声で言わな、茶々に聞こえへんがな」

「お2人のような、大きな声はださません」

「何言うてんねん。さっきは「会津は悪くない」って大きな声出してたがな」

あれを聞かれてたんだ。こうなったらヤケだ。

「あなたたちのために、最後まで戦った人もいるのよ!そのことは忘れないで!」

また自分でもビックリするぐらいの大きな声が出た。

「お嬢ちゃん、よう言うた」

私は2人から抱きしめられて、背中をバンバン叩かれた。

なんなのこれ、いい加減にしなさいよ。

周りの人が茫然としているじゃないの。

おばちゃんの肩越しに両手にペットボトルを持った田中さんが、こちらに走ってくるのが見えた。

「おばちやん、これ何のつもりなん」

「なんでもあらへんがな。茶々にいっぺん言うたろ思て」

「若いのには、ピシッと言うたらんとな」

茶々って、あなたたちより400才ぐらい年上よ。

「この子、巻き込むのやめたりいな」

「いいの田中さん、私も久しぶりに大きな声だして、ストレスが発散できたから」

ちょっと恥ずかしかったけど、悪い気はしない、むしろ爽快感すらある。

おばちゃん2人はバスの方に向かって歩きだした。

私は田中さんが差し出したペットボトルの水をひと口飲んだ。

「大変やったね」

「やってみると結構楽しかったです」

田中さんが自分のコーラのキャップを緩めた時、コーラが勢いよく飛び出てきた。

「うわ~」

この人、私の声を聞いて一生懸命走ってきたくれたんだ。


■ウッディパル余呉

バスは昼食場所であるウッディパル余呉についた。

ウッディパル余呉はコテージ風な建物で、回りの自然とよく調和している。

昼食のお膳がすでに用意されていたが、お膳の横には、麺の上に焼き魚がのったお椀が置かれていた。

お椀にはお汁が入ってないけど、つけ汁はどこにあるのかしら。

「これは焼鯖素麺と言って焼鯖を出汁で煮込んで、その煮汁で素麺を煮たものなんです」

隣に座ったおばさんが、親切に教えてくれた。

「よくご存知ですね」

「ええ、私は地元の人間ですから」

やっと、まともな人に出会えた気がした。

食べてみると、意外と美味しい。

鯖は柔らかく煮込んであり、素麺も煮汁が良く染み込んでいて、お互いがよくマッチしていた。

以前、京都の叔母から、京都名物のにしんそばが送られてきたことがあった。

「天ぷらにした魚なら分かりますけど、どうしてそばの上に煮た魚をのせるんですか。そばと煮魚って合わないでしょう」

母がお門違いの抗議を父にして、いつものように父を閉口させ、母は、にしんそばを食べなかった。

私もそばと煮魚の組み合わせに違和感を覚え、そばはエビ天をのせて食べ、にしんはごはんのおかずにした。

いま思えばあの時も、にしんそばを食べとけば良かった。

「長浜では、昔から農家に嫁いだ娘のもとへ農繁期の5月に焼鯖を届ける習慣があって、そこから焼鯖素麺が生まれ長浜の郷土料理になったんです。客人をもてなすハレの料理としても使われます」

隣の親切なおばさんが、また教えてくれた。

たまたま、このおばさんがそうなだけかもしれないが、長浜の人は郷土愛が強いのか、地元のことをよく知っている。

「滋賀県は海無し県やけど、長浜のすぐ上は福井県でそして若狭湾。長浜は海のもんと、山のもん、湖のもんが食べられるいいところですね」

親切なおばさんの向かい座る上品そうなおばさんが、話しかけてきた。

「どちらからです」

親切なおばさんが聞いた。

「私も海無し県の奈良からなんです」

「関西は滋賀と奈良が海無し県で、京都がオブザーバーやね」

私の向かいに座る田中さんが、話に割り込んできた。

あなたいい人だけど、時々、関西人の(さが)がでるのね。

それに、京都は海に面しているんじゃないの。

「田中さん、京都って北の方は海に面してますよね」

「あそこは、丹後やがな」

私の「え!」という顔を見て、田中さんは言い直した。

「海に面した丹後。山に囲まれた丹波。伏見や山科そして碁盤の目の中、南部のお茶どころの宇治なんか、すべて含めて京都やね」

田中さんは碁盤の目の中の京都の出身だ。

その京都と他の京都は違う、明らかにそういう言い方だ。

まったく言い訳になってない、これが叔母さんを苦しめている京都人の閉鎖性、排他主義なんだ。

私は興ざめする思いで田中さんを見た。

「にいちゃん。あんた、京都のどこの出や」

遠くの席から、節ちゃんが聞いてきた。

「御所がある、上京区です」

「そらしゃないわ。お嬢ちゃん、そんなすべった芸人見るような冷めた目で、にいちゃん見んといたり」

「3人でご飯食べよ。お膳もってこっちにおいで」

私は2人に呼ばれ、席を移動した。

「今度は節ちゃんの京都論聞き、お嬢ちゃんの考えも変わるかもしれんで」

「さっきのにいちゃんの話聞いて、どう思った」

「京都の中心の人は、同じ京都の人や他府県の人を見下してると感じました」

「見下してる。そりゃ違うわ」

「どう違うんですか。碁盤の目の中だけが京都で、後は京都の付属品みたいな言い方だったじゃないですか」

「それが、京都人の誇りや」

後は節ちゃんが分かりやすく、話してくれた。

千年以上都だった京都は皇族を中心にした強烈なエリート意識があり、それが京都人の誇りになっている。

京都人が見栄張りなのはそのためだ。

そんな京都に憧れがあるから、多くの人が観光で京都に来る。

京都人が誇りをなくしたら、京都らしさ京都の魅力が半減してしまう。

田中さんの発言もけっして、他を見下しているのではない。

「お嬢ちゃんも、今は東京が日本の中心やいう誇りがあるやろ」

「そうかもしれません」

「滋賀に来る前は、滋賀なんか田舎や思ってたんと違うか」

図星だ。私が他府県を見下していたんだ。

「あの、にいちゃんも滋賀県民になろうとしてるけど、たまに京都人が顔出しよるんや」

「節ちゃんの京都論ためになったか。にいちゃんも、お嬢ちゃんに滋賀県のこと好きになってほしいさかい一生懸命やがな、京都の人はたまに憎たらしいものの言い方するけど、悪気はないねん、気にせんとき」

関西に偏見を持っていたのは私だ。

京都に嫁いだ叔母の件もそうだ。

京都の人が叔母を受け入れないのではなく、叔母自身が東京出身というプライドを捨てきれずにいるのかもしれない。

そのことも考えずに京都の閉鎖性、京都の側の問題と捉えたのは私の偏見だ。

昼食の後バスに戻ろうとしたが、田中さんにどう言おう。

私が困っていると、いきなり節ちゃんと清ちゃんに腕をとられバスに連れこまれた。

田中さんは、また窓際に座り外を見ていた。

「にいちゃん。お嬢ちゃんにもっと滋賀県のことと、三成のこと教えたり」

そう言うと、サッサと後ろの自分たちの席にむかって歩き出した。

「あ、どうぞ」

そういって、田中さんはさりげなく前と同じように窓際の席を私に譲ってくれた。

「先程はどうも」

「いや、こちらこそ」

2人でぎこちなく言葉を交わした後、笑い合った。


■余呉湖と賊ケ岳合戦の地

バスは次の目的地、余呉湖と賊ケ岳合戦の地に向かって出発したが、近くだったようですぐに目的地についた。

バスから降りると、回りを山に囲まれた余呉湖が視界に飛び込んできた。

余呉湖はワカサギ釣りが有名で、そのニュースが地元のテレビで流れたら、滋賀県の人は冬の訪れを実感するそうだ。

賊ケ岳の合戦は、秀吉と柴田勝家が信長の後継者をめぐり対立し戦になったのだが、実際は勝った方が天下取りに王手をかける、秀吉と勝家の覇権争いだった。

私は賊ケ岳の合戦というのは、賊ケ岳という山でおこなわれた合戦だと思っていたが、実際はもっと複雑で、秀吉軍と勝家軍は余呉湖周辺の山に砦を築き対時したのだった。

もらったパンフレットに砦の場所が書いてあり、ボランタリーガイドさんも山を指差しながら説明してくれたが、どこに誰の砦があったのかよく分からなかったが、おおむね余呉湖から北に柴田軍が砦を築き、南に秀吉軍が砦を築いた陣形だ。

「そやからガイドはん、太閤さんの陣地はどこでしたん」

節ちゃんと清ちゃんが何度も同じことを聞いて、ガイドさんを困らしていたのが妙におかしかった。

「この合戦では加藤清正や福島正則の賊ケ岳の七本槍が有名ですけど、三成さんも参戦してたんですか?」

私は田中さんに聞いてみた。

「もちろんだよ。三成は偵察の役割をになっていて、秀吉に柴田軍の動向をいち早く知らせたのは三成だったらしいからね。それと、一番槍は三成だったとも言われてるよ」

この人、歴史のことをよく知ってるわね。あなた一体、何者なの?

ここで、悪戯(いたずら)な気持ちがおこった。私も少し田中さんを困らせてやれ。

「ツッコまないんですか?」

「何を?」

「私が三成さんって言ってること」

「吉崎さんの中で、三成は三成さんになったんだろう」

「そうですけど、田中さんはずるいです」

「どうして?」

「私には自分の三成さんを見つけろって、言ったじゃないですか」

「そうだよ」

「田中さんの中には、田中さんの三成さんがすでにいるんでしょう」

「これだという三成像はないけど、三成ってこんな人だったというイメージはあるよ」

「それじゃ、それを先に全部聞かせてください。田中さんは歴史のことをよく知ってるけど、私は分からないことの方が多いです。小出しにするなんてずるいです」

「僕の三成を吉崎さんに全部話さなかったから、僕はずるいの?」

田中さんを少し困らせてやれと思ったが、どうも困ってしまったのは私の方だ。

「ずるくありません。私は田中さんの三成さんを聞きたいだけです」

何を言っいてるんだか、自分でも分からなくなってきた。

「そやし、太閤さんの陣地がここやったら勝家の陣地はどこでしたん」

「だから、あの山だと言ってるでしょう」

節ちゃんと清ちゃんは、ボランタリーガイドさんを本格的に困らしてるようだ。

私たちは、余呉湖がよく見えるベンチに腰掛けた。

「それじや、田中さんの三成さんを聞かしてください」

「分かった。三成は賊ケ岳でも手柄はたてたけど、やはり武人として評価は秀吉子飼いの家臣団の中では、加藤清正や福島正則の方が上だよ。彼らは武勇伝には、ことかかないからね」

「三成さんが、敵をバッサバッサやつけるイメージはありませんものね」

「やはり三成は文官だったんだよ。彼の計数管理能力はまさに天才的で、朝鮮への出兵では何十万人の将兵と大量の物資を、4万隻の船で輸送する計画を彼一人でたてたんだから」

「コンピューターもない時代に」

「そう、それだけじゃないんだ。公儀の財政帳簿から台所の小払帳にいたるまで、あらゆる帳簿を彼が考えだしたんだから」

「まあ、すごい」

「有名な太閤検地も実際には、三成がやったんだよ。検地尺というものを作り、全国の土地を同一尺、言い換えたら同じ長さで測ることによって、租税の公正化をはかったんだよ。財政面だけじゃなく産業、貿易の振興にも力をそそいでるよ」

「三成さんって、スーパーマンみたいな人だったんですね」

「秀吉も全国統一なしとげた後は、三成こそ必要な人物だったと思うよ。平和な時代に戦争屋はいらないよ」

「だけど秀吉が死んだあと、また戦争屋が必要な時がきた」

「吉崎さん、するどいね」

「はい。今日はいろいろと勉強させてもらいましたから」

田中さんに褒められて、無性にうれしかった。

これから田中さんの話は、私が一番知りたい関ヶ原の合戦の話になるだろう。

私はさっき田中さんが買ってくれたペットボトルの水を2口飲んだ。

「関ヶ原の合戦は、家康の天下取りの野望から始まったことは間違いないよ。家康は秀吉が死んだら、人が変わったようになったしね」

「家康は以前から、天下を狙っていたんでしょうか」

「それは分からないけど、秀吉が死んだ時、家康も56才ぐらいだったから、自分には時間ないことは分かっていたと思うよ。あの時代は人間50年といわれて、平均寿命は50才ぐらいだったから」

「家康は焦ってたんですね」

「多分そうだろうね。そこで、目をつけたのが豊臣家の内紛だよ」

「節ちゃんの言っていた、北政所と淀殿の対立ですか」

「北政所は尾張の出身で加藤清正や福島正則も尾張の出身だから当然、仲間意識がある。淀殿は近江の人で石田三成や大谷吉継も近江の出身こちらも当然、仲間意識がある」

「尾張派と近江派は、対立したんですね」

「おまけに尾張派は歴戦の勇士が多く、いうならば武官派。近江派は経理にたけた人が多く、いうならば文官派だったんだよ」

「それじや、対立するのは当然じゃないですか」

「そして、三成は損な役割を担わされてたんだ」

「どんな役割です」

「さっきバスの中で話したように、秀吉政権の最後の方は酷かったけど、秀吉その人を憎む訳にいかないから三成が憎まれたってわけさ」

「それじや、三成さんが可哀想じゃないですか」

「そうだよ。なんでも三成が悪いっていうわけさ。千利休の切腹なんて三成はなんの関係もないのに、三成の差し金だって陰口をたたかれたし、加藤清正たちは朝鮮での軍事行動を三成が秀吉に批判的に報告したと勘繰って、三成を殺そうとした話は有名だよ」

「なんで、三成さんの責にされちゃったんです」

「まあ、三成っていう人は一部の人に嫌われてたのは事実みたいだからね」

「それは三成さんにも、何か問題があったていうことですか」

「三成に問題があったかは分からないけど、秀吉が国づくりを進めるうえで三成は欠かせない人物だったんだ。だから、秀吉から特別に可愛がってもらっていたわけで、それをどう捉えるか人によって違ったと思うよ」

「嫉妬ですか」

「もちろんあったよ。それは、三成の時代だけじゃなく今でもあることだよ。

本人は会社のために頑張って働いているつもりなのに、「あいつはゴマすりだとか」陰で言う奴はどの会社にでもいるよ」

まさにそのとおりで、それは私の周辺でもあることだ。

そして、陰口を言う人ほど上司に媚を売ったりする、自分に自信があったら、陰口は言わないものだ。

「尾張派と近江派の争いなんか、今でいう学閥とかの派閥争いだ。武官と文官の争いもそう、現場と事務方のいさかいみたいなもんだよ。

そして、何か具合が悪いことがおこったら、すぐに人の責にするんだから」

「確かにそうですね。よく政治家が秘書のやったことでとか、苦しい言い訳してますもんね」

「その秘書雇ったん、誰やねんという話だよ」

「アッハハハハ・・・」

「話が脱線しちゃったね」

「田中さんの話おもしろいから、どんどん脱線しちゃってください」

話が佳境に入る前に、一旦休憩することにした。

私は余呉湖の湖面を見ながら、三成さんに話しかけた。

『三成さん。あなたも、この余呉湖を見たんでしょう。

私はやっとあなたという人が分かってきました。あなたは頭がよくってスマートで、いつも一生懸命な人だったけど、堅物で周りから煙たがられてたんじゃないの。でも、またそこが、あなたのいい所よ』

「話が廻りくどくなったけど、本題の関ヶ原の合戦に戻すよ」

「はい。よろしくお願いします」

「会津の上杉景勝に謀反のきざしがあるとして、家康は豊臣家の大名を連れて会津征伐に向かうんだけど、この時の会津は江戸時代の会津藩とは違うし、別に謀反のきざしもなかったんだけど、家康が兵を挙げるための口実に使われただけだよ」

あれ、この人、午前中のこと気にしているんだ。

「それぐらい知ってます。午前中の話は、田中さんが私に三成さんを考えさせる上で、たとえで言ったことも分かってます」

バスの中で田中さんのスマホの待ち受け画面が見えたのだが、待ち受け画面は会津若松のシンボル鶴ケ城だった。

『田中さん、あなたの会津好きは分かってます。あなたは、そんな厳つい顔して歴史の敗者に浪漫を感じる人だということも』

「それは良かった」

田中さんは本当にうれしそうな顔で笑った。

「話を元に戻すと、家康が兵を東に進めた時に三成も挙兵したんだよ」

「三成さんは兵を挙げるチャンスを、待っていたんですね」

「ここは難しいところなんだよ。三成は会津の家老、直江兼続と計って家康を東西から挟み撃ちにするために挙兵したのか、それとも家康の誘導作戦にのせられたのか」

「田中さんはどっちだと思うんですか」

「分からない」

「じや、私も分かりません」

2人で顔を見合わせて笑いあった。

「とにかくこれで、家康の東軍と三成の西軍がでそろったわけさ」

「どんなメンバーだったんです」

「関ヶ原の合戦といっても、全国の大名が関ヶ原に集まってきたんじゃなく、各地で戦闘がおこなわれたから、僕もよく分からないことが多いんだけど関ヶ原に集った主なメンバーだけでいい」

「もちろんいいです」

「東軍は家康を筆頭に、他は福島正則・黒田長政・細川忠興なんかの豊臣家ゆかりの大名がほとんどで、西軍は三成を筆頭に、宇喜多秀家・小西行長・大谷吉継あとは裏切ったり、戦わなかったりだよ」

「家康は豊臣家の内紛を利用して、豊臣家の大名どうしを戦わせたんですね」

「そこが家康のうまい所で、やっぱり家康は政治家なんだよ。結果は吉崎さんの知ってるとおりさ」

「それじや、三成さんが勝利するチャンスはなかってことですか」

「小早川が裏切らなかったら、毛利が参戦してたら、とかいう人はいるけど、そんなことはありえないよ。最初から家康のシナリオは出来てたんだよ。

だけど僕は三成がひとつだけ勝つ方法、家康のシナリオにないものがあったと思う」

「それはなんです」

「戦いの前日だったかな、島津が東軍に夜襲を掛けようと言ったんだ。島津の薩摩藩といえば日本一兵が強く、戦上手としても有名な藩だ。

その島津が夜襲を主張したといことは、ある程度、勝算があってのことだよ。

それに、家康も本番前の夜襲はシナリオになかったんじゃないかな」

「どうして、夜襲を掛けなかったんですか」

「三成が反対したから」

「なぜ反対したの」

「夜襲は卑怯だから。三成は堂々の大合戦をして雌雄を決したかったんだよ」

卑怯だったからって、夜襲はひとつの戦術、作戦じゃないの。

なんでも有りが、(いくさ)ってもんでしょう。

やり方が正しい、正しくないは問題じゃないのよ。

そんなこと素人の私でも分かるわよ。

あなたは真すぐな人だけど、融通がきかなさすぎよ。

『三成さ~ん!あなた、そこまで正直なのはバカよ!

あの時代はとにかく、勝ったらいいんじゃないの!

秀吉に恩を受けて、裏切った人は何人もいるのよ!

どうして、あなただけは他の人と違うの!

三成さん、いや石田三成。あなたは、まだ私に何を隠してる。本当に本当のあなたを見せなさい』

「また、分からなくなってしまいました」

「なにが?」

「石田三成」

田中さんは三成さんから、また三成に戻ったのという顔で私の方を見た。

私は「コクッ」とうなずいた。

「後はイメージするしかないよ。今日はいろんな三成を見てきただろう、そこから想像することだよ」

「田中さんのイメージする三成を全部教えてください。そうでなきや、私はイメージできません」

なにこれ、まるで彼氏に甘える彼女じゃない。

「僕の考える石田三成はタイムトラベラーさ」

「タイムトラベラー?」

この人は、また何を言い出すのよ。

「高名な作家も書いてたよ、三成は現代人の匂いがするって。あの時代は利害が人間の一番の行動基準なんだけど、三成は正義か不義かでものごとを考えたんだよ。

だから、豊臣の天下を横取りしょうとする家康が許せなかった。

関ヶ原でも正々堂々と戦いたかった。

だいたい忠義とか正義とかいう考え方は、江戸時代の朱子学に基づく考え方なんだけど、どうして三成が身につけてたのか分からない。

大谷吉継との友情もそうなんだ。友情という概念は、う~んと後からの考えだと思うよ。組織というものを分かっていたし、規律をやかましくいう人みたいだったから、まさに現代人の先駆けだよ。

各種帳簿を発明したのも誰に教えてもらったのという感じだけれど、政治的な駆け引きは苦手だったようで、政治家じゃないんだよな。

三成が現代に生まれていたなら、財務省の高級官僚として行政面から国を動かしていたか、検察官として政治家の不正を追及していたかもしれない、三成は平和な時代にこそ必要な人物さ。三成がタイムトラベラーじゃなかったら、間違ってあの時代に生まれた人だよ」

田中さんの話を聞いていたら、私は三成からまた三成さん戻りそうだったけど、最後の胸のモヤモヤを田中さんに聞いてみた。

「田中さん、もうひとつ教えてください。秀吉の末期の政治は酷かった。それは誰もが思うところです。三成は秀吉に受けた恩、自分の正義だけでその悪政を続けるつもりだったんですか」

「吉崎さん、歴史に「もし」はないけど、ここはもし関ヶ原で西軍が勝っていたらという話をさせて」

「はい」

「関ヶ原で西軍が勝っていたら当然、三成は豊臣家の中心人物として国を動かしていたはずだ。彼は非常に民にやさしい人だったから、秀吉時代末期の一部の人が利益を得るやり方を改めて、民のための政治をしたと思うんだ。そして、秀吉の名誉を回復したかったんじゃないかな」

「それで、田中さんの「もし」では豊臣家はその後も続くんですか」

「三成の生きている間は彼の力で豊臣の世が続くかもしれないけど、三成が死んだらやっぱり徳川が天下を取るか、群雄割拠また戦国時代に逆戻りするかだよ。

僕の「もし」の世界の中でも、豊臣の世が続くとは思わないよ」

「秀吉の後継者が、あほボンだったからですか?」

「秀頼うんぬんより、豊臣政権っていうのは秀吉一人が作り上げたものなんだ。

家康は三河武士団という譜代の家臣を持っていたけど、元々、秀吉には何もないんだから。豊臣の世は、秀吉という天才が作り上げた砂上の楼閣だったんだよ」

豊臣家の栄華はみんな幻だった、私はそんな気がした。

(つゆ)と落ち露と消えへにし我が身かな 難波(なにわ)ことは夢のまた夢」

後ろから突然声がしたのでギョっとして振りかえったら、節ちゃんと清ちゃんが立っていた。

「いつから、いたんですか」

「そやし、お嬢ちゃん。人をバケモンや幽霊みたいに言わんとき。さっきからやがな」

「さっきって、いつからですか」

「いつからやった清ちゃん」

「田中はんの考える三成をみんな教えてちょうだい。そやないと、うち三成のこと分からへん。もう、田中はんのいけず。この辺からやな」

人の話を立ち聞きしてるんじゃないわよ。

それと、私の言ったことを脚色するな。

私は生れてから一度も「いけず」っていう関西弁を使ったことはないわよ、そもそも「いけず」ってどういう意味、意地悪ってこと。

「まあ、お嬢ちゃんもにいちゃんに甘えて」

ここは否定できない自分がつらい。

「さっきのは太閤さんの辞世の句や、太閤さんは自分のことよお分かったはる。

豊臣の家は、自分一代で終わりやそお思たはった。そやけど、三成はんにはあの世で感謝したはるはずや」

「そうかもしれません」

「ここ長浜は太閤さんがはじめてお城もたはって、三成に出会い茶々に出会い、天下取りの合戦を勝家とした所や。太閤さんも一生、長浜のことは忘れはらへんやろ。

うちらも今日は、ええ勉強させてもろた。お嬢ちゃんも三成はんのことだいぶ分かったか」

「なんとなく、なんとなくです」

「まあ、今日はそんなもんでええがな」

節ちゃんと清ちゃんはバスの方に向かって歩き出したけど、途中でボランタリーガイドさんを見つけて、早速質問していた。

「ガイドさん、どこ行ってはったん。前田利家の陣地はどこか、さっきから聞いてますやん」

え、まだやっていたの。

「僕たちもバスに戻ろうか」

「ええ」

私は田中さんに言われて歩き出した。

『三成さん、本当のあなたを私に見せてくれなくてもいいわ。私があなたを探し出すから』


■黒田観音寺

ロケハンも後、2時間たらずで終わってしまう。

今日はいろんなことがありすぎたので、心を落ちつかせる意味でも、次の目的地、観音像がある黒田観音寺は、今の私にうってつけの場所だ。

長浜は戦国動乱の歴史もあれば、古くから地元で観音様を信仰する静の歴史もある。

びわ湖の一番うえ、湖北といわれる地域に平安の昔から観音文化が根付いたのには、どんな理由があるんだろう。

いや、やめよう。それを考えだしら私は長浜から帰れなくなってしまう。

今日は観音様に手を合わせて、三成さんとの出会いを感謝することにしょう。

黒田観音寺はまったく観光化されてない、普通のお寺だった。

田中さんはあまり興味がなさそうに、そのへんをブラブラしていた。

「田中さんは観音様には興味がないんですか?」

「いや、そんなことあらへんで」

あなた絶対に興味ないわね。

今、動揺したから関西弁になったんでしょう。

「田中さんは、京都で観音様や仏様を見飽きてるでしょうけど、こういう観光化されてない観音様の方が、ご利益(りやく)があるかもしれませんよ。私と一緒に観音様に手を合わせましょうよ」

「そうだね。そうしょうか」

あなた分かりやすい人ね。

だけど、いきなり標準語に戻らないでよ、こっちが面くらうわ。

本堂に入ったら、すでにロケハンの参加者は本堂に座っていた。

「お嬢ちゃん、遅いがな。また、にいちゃん困らしてたんと違うか」

どっと笑い声がおきた。

もう、なんでも好きに言ってちょうだい。

あなたたちには、だいぶ慣れたわよ。

私の目の前にある観音様は伝千手観音立像といわれ、18本の腕を持ち、厳しさの中にもやさしさを感じる顔立ちだった。

説明は難しくてよく分からなかったが、一本の木で彫られたもので、奈良時代の特徴を残しているとのことだった。

姉川の合戦や賊ケ岳の合戦を見てきたこの観音様の世話をしているのは、今も昔も地元の人たちで、戦乱の時は観音様を保護し、今は拝観の予約があったら当番の人が鍵を開けて、今日のように親切に説明しているのだった。

観音様は地域の宝。

長浜では観音文化が地域に根付き、そこに住む人々の信仰や生活と深く結びついている。

観光化されてない、こういう文化の中にこそ、本当の祈りの心があるんだろう。

私は観音様に手を合わした。

「観音様、今日一日ありがとうございました。これからも、地元の人たちを見守ってあげてください」

田中さんも思うところがあったのか、神妙に手を合わしていた。

「観音の里とか観音めぐりとかいうて、長浜もうまいこと商売するわ」

「さすが近江商人、抜け目ないで」

節ちゃん、清ちゃん。

身も蓋もないことを言うんじゃないわよ!

観音様のバチが当たるわよ。


■あぢかまの里

バスは最後の目的地、道の駅あぢかまの里に着いた。

ここは、びわ湖最北端の町で江戸時代、びわ湖独特の帆船「丸子船」の港として栄えたところだ。

あぢかまの里付近は見どころいっぱいだが、今日は時間がないので道の駅でのショッピングだけとなった。

早智と由希へのお土産も、ここで買おうかなと店の中をブラブラしていたら、田中さんが声を掛けてきてくれた。

「吉崎さん、長浜駅で解散したらどうするの?」

私はロケハンが終わった後のことは、何も考えてなかった。

「特に予定はありません」

「何時頃の新幹線に乗るの」

「米原駅から、8時の新幹線に乗ります」

「それじや、黒壁ガラス館なんかがある長浜の中心部を一緒に見ようよ。お土産もその時に買えば」

これは田中さんの好意、それともデートの誘い。

「バスに戻ってから、お返事します」

私はその場での返事をためらった。

田中さんはタバコを我慢するのは結構つらかったと言って、喫煙所にタバコを吸いに行った。

私はまた一人で店の中をブラブラしていたら、あぢかまの里のイメージキャラクター「あぢかもくん」のぬいぐるみがあったので、手に取ってみた。

「あぢかも」という言葉は、びわ湖の水辺で冬を越す鴨に由来していて「あぢかもくん」はその鴨をモチーフしたもので、鴨が三度笠をかぶり道中合羽をまとった姿が可愛い。

『あぢかまくん、駅で解散したら後は自由行動だよね』

『そうだね』

『田中さんから、一緒に長浜の街を見ようって誘われちゃった。これってどういう意味だと思う』

『別に深い意味はないんじゃないの。加奈ちゃんに、長浜の街を案内したいだけだよ』

『だけど、私、明日会社あるよ』

『え、加奈ちゃん。今日お泊りするつもりなの』

『ち、違うわよ。な、何言ってんのよ。バカね』

『なんか期待してるみたいだったから』

『わ、私が何を期待してるって言うのよ。バ、バカなこと言わないでよ』

『なに動揺してるの』

『動揺なんかしてないわよ』

「お嬢ちゃん、その鴨の子、気にいったんか」

「えらい熱心に見てるがな」

ふいに声を掛けられたので、顔を上げたら例のごとく、節ちゃんと清ちゃんが立っていた。

しまった、妄想の世界に入り込んでしまった。

これは恥ずかしい所を見られた。

「なんでもありません。なんでもありません」

私は「あぢかまくん」をその場に置いて、逃げるように2人から遠ざかった。

バスに戻ったら、やっぱり田中さんは窓から外を見ていた。

なんかこの人、浮世離れしているわね。

「田中さん、この後もご一緒させてください」

私はそれだけを言った。

田中さんも「あ~あ」とだけ答えた。

最後にいっぱいお土産を持った、節ちゃんと清ちゃんがバスに戻ってきた。

「おばちゃん、遅いで」

「いや、かんにんやで」

これはもう、ご愛嬌だ。

他の参加者も仕方がないおばちゃんたちだっという顔をしいてる。

2人は私の座る席の横で立ちどまった。

「お嬢ちゃん。これ、持って帰り」

節ちゃんから紙袋を渡された。

中を見ると、あぢかまくんのぬいぐるみと滋賀県名物の丁稚羊羹が入っていた。

「どうして私に」

「今日は、お嬢ちゃん一緒できて楽しかったわ。それに、東京からよお来てくれはった」

「気にせんと、受けとっとき」

大阪の人って言葉はきっいけど、根はやさしいのかもしれない。

私は2人の好意を受け入ることにした。

「それでは、遠慮なく頂戴します」

「頂戴しますって固いこと言わんとき、もろとくわでええねん」

「それじや、もろときます」

私の言い方がぎこちなかったのか、バスの中に笑い声がおこった。

「お嬢ちゃんの関西デビューや」

また、笑い声がおきた。

「そや、お嬢ちゃん。あんた名前どういうねん」

このタイミングで?!

「吉崎加奈です」

「うちは西尾(にしお)節子(せつこ)で、こっちは今井(いまい)清子(きよこ)や。よろしゅうに」

こう言って後ろの自分の席に戻って行こうとしたが、私は立ちあがって2人を呼びとめた。

「もし滋賀県の人が、びわ湖の水を止めたら」

「ほお」という顔で2人は振り返った。

「大阪の人が困らないように、東京都が国に陳情して、びわ湖の水門を開けてもらいます」

2人は笑顔になった。

「おおきに」

「その時は、よろしゅ頼むわな」

お嬢ちゃんも、言うようになったな。

その言葉が続きそうな気がした。


■ロケハンも終わって

バスは最初に集まった、長浜駅西口に4時30分頃に着いた。

節ちゃんと清ちゃんは「いや~疲れたわ。ガイドはん今日はおおきに」と言って帰るそぶりだったので、私はお土産も買ってもらった手前2人に別れのあいさつをすることにした。

「西尾さん、今井さん、今日は一日ありがとうございました。それにお土産までいただいて」

知りあって何時間も経つのに、はじめて2人の名前を呼んだのがおかしかった。

「うちらこそおおきに、お嬢ちゃんのことは憶えとくわ」

私はお嬢ちゃんのままなんだ。

「お嬢ちゃんは、これからどうすんねん」

「田中さんと一緒に長浜の街を見に行きます」

2人は「へ~え」という表情で、顔を見合わせ私の耳元で囁いた。

「お嬢ちゃん。これからがお楽しやね」

「今日、ちゃんと勝負下着つけてきたか」

やっぱり、最後のオチはそこなのね。


他の参加者は、ボランタリーガイドさんと黒壁ガラス館の方に向かったが、私と田中さんは長浜城を見に行った。

閉館まじかだったので、歴史博物館になっているお城の中には入れなかったが、

外からお城を見た。

「秀吉も長浜にいた時が、一番楽しかったかもしれないね」

「そうかもしれませんね」

秀吉はその当時、今浜と呼ばれていた地を長浜と改め、湖岸のここに城を築いた。

彼は長浜の町づくりに尽力し、その時の彼は希望に燃えていたことだろう。

石田三成、大谷吉継、加藤清正、福島正則などの秀吉子飼いの家臣も長浜城で切磋琢磨しただろうが、将来、敵どうしになるとは誰が予想しただろう。

歴史は皮肉なものだ。

「権力者が晩年おかしくなるのは、古今東西どこでも同じさ。そこに人間の限界、せつなさがあるんだよ」

この話も現代でもよくある話だ。

人間の本質は、今も昔はさほど変わらないのかもしれない。

「田中さんって時々、哲学者みたいなこと言うんですね」

「そうかな」

田中さんは、照れ笑いをした。

「秀吉も長浜の心を忘れなかったら、違う晩年を送っていたかもしれないよ」

長浜の心か。なんか耳触りのいい言葉だ。

「あ、そうだ吉崎さん。家康が本当は一番に家臣にしたかったのは誰だと思う」

田中さんの唐突な質問に戸惑ったが、私は今日一日の出来事を思い出してみた。

「え、三成さん」

「吉崎さんもそう思うよね、僕もだよ。三成の佐和山城は外観は立派だったけど、中は質素なものだったらしいよ」

「三成さんは節約家だったんですか」

「そうみたいだね。家康はケチの代表みたいな人だから、絶対に三成とは気があったよ。それと2人とも常識人だしね」

「秀吉が浪費家、破天荒の代表で、家康が節約家、常識人の代表ですか。よくその2人が、同じ時代に生きてましたね」

「そこが、歴史のおもしろいとこだよ。家康も平和な時代がきたら、側近だった本多正信のような寝技専門の謀臣はいらないし、腕力だけの武将もいらない。

三成のような忠義心も熱く、おまけに仕事ができる家臣が必要だったんだよ。

まあ、三成は人間的に面白味がないのが欠点だけど、そこは家康も同じだからね」

田中さん。あなた、なにげに家康のことボロカスに言ってない?

ここで私も歴史の「もし」を考えてみた。

私の「もし」には関ヶ原の合戦はない。

秀吉が亡くなった後、三成さんが淀殿を説得して、天下は徳川のものにする。

その代り豊臣家は中クラスの大名として、徳川から保護される。

豊臣家の領地は、もちろんここ長浜よ。

淀殿が三成さんの説得に応じなかったらどうするかって?

分かってます。

彼は真面目だから、理論だけで押し通そうとするけど、女は理屈だけじゃ落ちないわよ。

その時は、節ちゃんと清ちゃんに頼むわよ。

「ここは、実力者の徳川はんの世話になっとこ」

「それで、豊臣の家、残した方が得やがな」

あの人たちなら、これぐらいのことは言うわよ。

そして、三成さんは徳川の官房長官として民の為に働き、日本史に別な登場の仕方をするわ。

『どう三成さん。なかなかいいでしょう』

「吉崎さん、ガラス館の方に行かない」

「あ、はい。はい。行きます。行きます」

「何、考えたの?」

「別に、なんでもありません・・・」


駅のコンコースを通って、私たちは北国街道を中心に東西南北にお店が連なる街の中心部に、向かって歩いた。

歩きながら田中さんが以前、長浜で食べたうどんのシイタケが大きすぎて、食べるのが大変だったという話をしてくれた。

「そんなに大きかったんですか?」

「うどんの丼と同じぐらいの大きさだったよ」

本当かな~。

黒壁ガラス館に着いた時は5時を少し回っていたので、閉店の作業をしている店が多かった。

「結構、店じまいは早いですね」

「観光地だから、こんなものじゃないの」

まだ、周りには沢山の観光のお客さんがいた。

私たちはまだ開いていた黒壁ガラス館、黒壁オルゴール館、海洋堂フィギュアミュージアム黒壁を見て回った。

私の感想は「これは観光客も来るわ」この一言だ。

ガラス館やオルゴール館は女の子が好きそうな、ガラス製品が目白押しだ。

フィギュアミュージアムでは限定フィギュアも販売されていて、興味のある人はたまらないだろう。

おしゃれなカフェ、お土産物さんも多いし昼間に時間をかけて、ゆっくりと散策したいものだ。

『あ、そうだ。早智と由希にお土産買わなきや。あれなんだったかな』

「田中さん、この辺で魚の干物みたいなものを、買える店はまだ開いてますか?」

「干物?ここは海辺の街じゃないから、さすがに魚の干物はないんじゃないかな」

「違いますよ。ほら、びわ湖の魚を加工したやつですよ」

「それ鮒ずしのことでしょう」

「正解ピンポン~」

何が正解ピンポン~よ。

三十路の女が、女子高生みたいにはしゃぐんじゃないわよ。

ここは、冷静になろう。

「ええ、その品です。友人から是非にと頼まれましたので」

「ハッハハハハハハ・・・」

田中さんは急に笑い出した。

「何がおかしいんです」

「正解ピンポン~って言った人が、急に、その品ですって・・・」

そこは、ツッコまないでください。私も結構、恥ずかしかったです。

田中さんは知っている店に案内してくれた。

その店は鮒ずしに小あゆ煮、あゆの姿煮など。

びわ湖の恵みを、そのまま持ってきたような店だった。

私も試食用の小あゆ煮を食べてみた。

「おいしい」東京の佃煮とはまた違う、おいしさがあった。

早智と由希には鮒ずしを買って、両親のお土産に小あゆ煮を買った。

「お腹へったね。晩ご飯食べよか」

私たちは田中さんが言っていた、でかいシイタケがのったうどんを味わえる店に入った。

店の看板に「のっぺいうどん」と書いてあったので、シイタケ入りうどんは「のっぺいうどん」というのだろう。

「吉崎さん、「のっぺいうどん」食べる」

話のネタに食べたい気もしたが、シイタケは東京でも食べられるけど、せっかく滋賀県にきたんだ、滋賀県でしか食べられないものを食べてみたかった。

私はびわ湖にだけ生息するビワマスを使った、ビワマス丼を注文した。

田中さんは「そしたら、僕が吉崎さんの話のネタに「のっぺいうどん」食べるわ」と「のっぺいうどん」を注文して、さらに話のネタとして鯖のなれずしを注文してくれた。

「ここは、僕がおごっとくわ」

「そんなのいいですよ」

「まあ、ええがな。関西人ケチや思われたらかなんしね」

私はまた田中さんが関西弁に戻ったのが可笑しくって、笑いをこらえていた。

「なんか、おかしい」

「田中さん、また関西弁になってますよ」

「え、やっぱり緊張からとき放たれてリラックスしたら、京都弁が自然とでるんやな」

あなた私といる時、緊張していたの?

その割によく喋っていたわね。


最初に鯖のなれずしが出てきた。

「吉崎さん、お酒たのむ。これお酒に合うらしいで」

これ、パータン。これ、パータンのひとつでしょう。

酔わせて「今晩は帰りたくない」って言わせるやつでしょう。

「田中さんはどうします」

「僕はええわ。僕、お酒飲めへんさかい」

はあ~。お酒が飲めない体質の人はよくいるけど、あなたは違うでしょう。

そんな厳つい顔して、「僕、お酒飲めへんさかい」って誰が信用するのよ。

もしかして、私だけ酔わせるつもり。

「こんな顔してお酒飲めへん言うたら、みんなに引かれるんやど、こればっかりは体質やしね」

あら、本当だったんだ。田中さんが嘘を言っているようには思えない。

「私もいいです。私もあんまり飲めませんから」

田中さん、ごめんなさい。嘘です。

私は早智や由希ほどじゃないけど、そこそこお酒は飲める方です。

『加奈どうしたのよ、さっきからペースにぎられぱなしじゃない』

『ちょっと待ってなさいよ。これから挽回するから』

軽く妄想を織り交ぜてから、また元の私に戻った。

「ほんなら、吉崎さん。食べえな」

「それじゃいただきます」

私は鯖のなれずしを口に運んだ。

ん。んんん。

この味をどう表現すればいいのか、「すし」といっても普段食べている「すし」とはまったく違う。

ほんのりした甘さと適度な酸っぱさ、チーズに似たくさみ。

『女将さんお酒、ひやでお願いします』これが私の感想だ。

「鯖のなれずしは鮒ずしと同じで、魚を一匹、米と麹に漬け込んだ発酵食品やし独特の味やろ」

「それで、チーズに似た感じなんですね」

田中さん、あなた何でもよく知っているわね。

あなた、もしかしたらクイズ王か何か?

次に私が注文したビワマス丼がきた。

切り身の見た目はサーモン。味はサーモンといえばサーモン、トロといえばトロ。海の魚のようなくどさがない、上品な味わいだ。

いよいよ、お待ちかねの「のっぺいうどん」が運ばれてきた。

自分で注文もしないで人に注文させといて、お待ちかねもないものだが、ここは田中さんに甘えるしかないか。

まずシイタケ、でかい。

丼と同じ大きさは大げさでも、丼の7割ぐらいの大きさはあるだろう。

もうひとつ気になったのが、シイタケとうどんを覆っているゼリー状のものだ。

これは何だろう。

やはり、ここも田中さんが説明してくれた。

「これは、「あんかけうどん」になってるんや」

「あんかけうどん?」

「まあ、片栗粉でとろりをつけた出汁を「あんかけ」言うやけど、滋賀県の人はあんまり食べへんみたい、京都では、よお「あんかけ」食べるで」

田中さんはそう言って、美味しそうにうどんを食べながら、私の顔をみた。

「あ、今のは滋賀より京都の方が上やとか、そういう意味やないで、食文化の若干の違いやね」

「田中さん、いいですよ。ついでに、もう少し食文化の違いを述べちゃってください」

田中さんは安心したような顔をした。

あなた案外ナイーブなのね。

「大手チェーン店と違って、昔ながらの京都のうどん屋の話ね。京都のきつねうどんといえば、三角のお揚げさんと違うて、刻んだお揚げさんがのってるのが、きつねうどん。そして、その上にあんをかけて「あんかけ」にしたのが、何うどんやと思う」

「京都のきつねうどんは、刻んだ油揚げがのっている。そして、その上にこの「のっぺいうどん」のようなあんをかけた、うどんですね」

「そう」

「あんかけきつね、とかですか。分かりません。想像もつきません」

「答えは、たぬきうどん」

「アッハハハハハ・・・」

可笑しい、田中さんが話がうまいのもあるが、きつねにあんをかけたら、どうしてたぬきになるんだろう。

そういえば、この「のっぺいうどん」もそうだ。

「のっぺい」ってどういう意味だろう。

このお店はかなりの老舗みたいだけど、何か云われがあるのかもしれない。

関西はネーミングひとつを取っても、お笑いのセンスがある。

「それじや、私も食文化の違いを述べさしてもらいます」

「どうぞ」

「東京では、うどん屋さんより蕎麦屋さんの方が圧倒的に多いです。私は今日はじめて、あんかけうどんを知りました。あんかけ蕎麦は聞いたことも、見たこともありません。それに、東京でたぬきうどんといえば揚げ玉の入ったうどんのことです」

なにこれ、私の話って何も面白くないわね。

「関西と関東、様々な違いはあるけど、やっぱり日本人はうどんと蕎麦が好きやね」

田中さん。ちょっと強引だけど、あなたやっぱりうまくまとめるわね。


お店を出たのは夜の7時前で、あたりはすっかり暗くなっていた。

ほとんど店じまいしていて、さすがに歩いている人もまばらだ。

私は田中さんと駅まで肩を並べて歩いた。

後は、新幹線に乗って東京に帰るだけだ。

今日はハプニング続きだったが、ここで軽いハプニングがあってもいいんじゃないの。

『田中さん。自分で言うのもなんだけど、この黄昏の中、あなたの横を実年齢よりかなり若く見えて、しかも基準値を大幅に上回る女が、ほとんど無防備の状態で歩いてるのよ』

田中さんは、そしらぬ顔をして歩いている。

『だから、あなた。ここは手ぐらい握ってこない。

そしたら、やさしく握り返してあげるから。

こっちも三十路だ、それぐらいのテクニックは持ってるぞ。

でも、その先は絶対にさせないわよ』

私があれこれ考えている間に、長浜駅東口の秀吉・三成出会いの像の前まできてしまった。

出会いの像は、三成さんと秀吉の最初の出会い、今日、私たちが行った大原観音寺で、三成さんが秀吉にお茶を差し出している場面を再現した像だ。

そこには、まだ佐吉と呼ばれていたころの初々しい三成さんが立っていた。

『三成さん誤解しないで。今日の私の本命はあなたです。

今のは関西の無神経な男に、ちょっと苛立っただけです』

「三成は二十万石足らずの大名。そして家康は二百五十万石以上の大大名。

その家康に堂々と天下分け目の戦いを挑んだ三成は、なんだかんだいってもたいしたもんだよ」

田中さんは誰に言うのでもなく、ささやいた。

『三成さん。あなたは、あなたの生き方に後悔はないのね。だってあなたは、最後まで自分の意思を貫いたんですもの。

もしあなたが現代に生まれていたら、私、絶対にあなたのことを好きになっちゃう。今日はありがとう。そして、さようなら私の三成様』

「吉崎さん、三成へのお別れのあいさつはすんだ」

「はい」

私は石田三成、幼名佐吉といわれる人物の実像をどれだけ掴んだのか、本当のところは自分でもよく分からない

だけど、彼が素敵な人だということは確信が持てる。

そして、私はあとひとつ決着をつけなければならない問題がある。

「田中さん。最後にひとつだけ、質問いいですか」

「ああ、いいよ」

「田中健一、あなたは何者?」

「人を不審者みたいに言うなよ。京都府出身、滋賀県在住のちょっと変わった男さ」

後は田中さんは笑ってごまかした。

この人の正体を掴むのは、三成様どころじゃないかもしれない。


駅のホームで私たちは電車を待った。

私は長浜駅から3つ目の駅、米原で降りる。

田中さんは、そのまま電車に乗って草津まで行く。

2人でいられる時間は後わずかだ。

田中さんは店を出てから、ほとんど話さなくなった。

あんなにベラベラ喋っていたのに、どうしたんだろう。

やっぱり最後にサプライズがあるのね。

今、そのタイミング計ってんでしょう。

電車がきたので乗り込み、ドアーの近くの席に座った。

『ほら、もう時間ないわよ。連絡先の書いたメモぐらい渡しなさいよ。

それが、いい女に対する礼儀ってもんでしょう。

自慢じゃないけど私は大学生の時、校内のミスコンで準ミスになったこともあるのよ。もちろん連絡するか、しないかはこっちに選択権があるけど、チャレンジはするべきよ』

「吉崎さん、さ~」

キッター

「あ、はい、はい」

思わず声が上ずってしまった。

「どう、書けそ」

書く?

そうだ、今日は長浜ものがたり大賞のロケハンだったんだ。

(おとこ)(あさ)りに、わざわざ長浜に来たわけじゃないんだ。

私は一番肝心なことを、田中さんに聞かないままだ。

やたらと歴史に詳しいし、多少は何か書く人なのかしら?

「田中さんはどうなんですか」

「う~ん。主催者の原作・シナリオ部門という意図を計りかねてるんだけど、小説みたいな感じで、ちょっと書いてみようかなと思う」

「書くって何を?」

「長浜を。今日、そのために来たんでしょう」

まさに、おっしゃるとおりです。今日は長浜を書くために来たんです。

「私はシナリオ部門に応募するつもりですけど、あんまり自信がありません」

「そんなことないだろう」

その後、また田中さんは黙り込んだ。

電車は、まもなく米原駅についてしまう。

まず私がやらねばならないことは、目の前の課題をクリアーすることだ。

むこうがモーションを起こさないなら、こっちから仕掛けるしかないか。

「ねえ、私たちまた会える」

「会えるさ」

「いつ?」

「来年の2月ごろ」

えらく具体的ね、来年の2月に東京にくる予定でもあるの。

「どこで?」

「長浜で」

ロケハンは終わったから、私は当分、長浜にはこないだろう。

「どうして長浜?」

「長浜ものがたり大賞の授賞式に、2人とも参加するからだよ」

「授賞式に?」

「そう。シナリオ部門で僕が大賞で、君が優秀作品賞だよ」

「まあ、すごい自信ね」

「そういうつもりで書かなきゃ、いい作品は書けないってことだよ」

もうまもなく、米原駅だ。

私は立ちあがった。

「田中さん、今日は一日ありがとうございました。ご一緒できて楽しかったです」

「うん」

私はドアーに向かって歩き出した。田中さんは座席に腰掛けたままだ。

結局、田中さんとは何もなかった。

ドアーが開いて私がホームに降りた時に、田中さんが猛ダッシュで走ってきた。

あなた遅いわよ。

「吉崎さん」

「はい」

「君は、君にしか書けない長浜があるはずだ」

「私にしか書けない、長浜」

「そう、それを書きなよ」

「私の長浜を」

「そうしたら、君が大賞で僕が優秀作品賞だ」

その時、電車のドアーが閉まり、電車は遠ざかって行った。

やっぱりおかしな人。不思議さんだ。

「アッハハハハ・・・」

私の笑い声が、ホームに響き渡った。


■帰路にて

帰りの新幹線で、私は目を(つむ)って彼のことを思い出していた。

彼の名前は、山田(やまだ)和也(かずや)

彼とは一年半前の合コンで知り合った。

その合コンは早智と由希に強引に誘われたのだが、「大手のエリートばっかりだから」この言葉に多少は惹かれた。

彼も大手の建設会社に勤めていて、私より3才年上だった。

場馴れしない私に、声を掛けてくれたのが彼だった。

「君もこういう場は苦手」

「ええ」

「実は僕もなんだ」

IT関連だかマスコミ関係だか知らないけど、嘘か本当か分からない話を自慢げに言う人を私は、あまり好きではない。

彼からは真面目で誠実そうな印象を受けた。

間もなくして、彼とのつき合いがスタートした。

「あの人なら堅実でいいんじゃない」

「加奈には、ああいうタイプが合うわよ」

早智と由希も応援してくれて、私もその気になり彼との結婚を考えるようになった。

彼も私のことを「好きだ」と言ってくれた。

これから、この人と一緒に暮らすのかと思うようになったが、何か違うような気がしてきた。

まず、彼は会社人間だ。

私より仕事を優先させる人だ。

「仕事しない男より、する男の方がよっぽどいいわよ。由希の彼なんか肩書はゲームクリエイターだけど、あれただのオタクじゃないの」

「ほっときなさいよ。早智の劇団員の彼こそ、昼間からパチンコばっかり行ってるじゃない。あの人の劇団は、パチンコ屋で稽古するわけ」

「まあ、まあ。2人ともやめなさいよ。あなたたちはそんな彼が好きなんでしょう」

早智と由希は自分なりに恋愛を楽しんでいる。

2人とも経済力があるので、それはそれでいいのかもしれない。

だけど私は違う。

私も一人で暮らしていく自信はあるが、平凡でも幸せな家庭を持ちたい。

彼、山田和也は私の願いを叶えてくれる人であることは間違いないだろうが、つき合ううちに、彼の真面目さを退屈と感じ、仕事を優先さすことを冷たさと感じ、堅実さを息苦しく感じるようになっていった。

そんなある日、街で大学時代同じサークルだった中塚(なかつか)(しん)()にばったりあった。

彼は可もなく不可もなくの男だったが、私とはよく気があった。

久しぶりなのでお茶しょうということで、2人でコーヒーショップに入った。

中塚君は準大手の建設会社に勤めていて、現場監督の補佐的な仕事をしてるということだったので、彼の会社のことも聞いてみた。

「そこはよく知ってるよ。この前もジョインとで仕事させてもらったもの。

だけど、向こうは大手だろう、俺たち肩身が狭くって」

「実は今、つき合ってる彼がその会社で働いているの」

「現場の方?」

「ううん。本社の総務」

「あそこの総務の連中はうるさいんだよ。納期は守れ、事故は絶対に起こすなだろう。誰でも、そんなことは分かってるって言うんだよ。」

「だけど、それが総務の仕事でしょう」

「そうだけどさ、この前のジョイントの現場でも向こうの現場監督はなんか、現場も知らない本社の若造が偉そうに言うなってカンカンさ」

「もしかしたら、彼も現場の人を怒らせてるのかしら」

「吉崎さんの彼の名前は?」

私はその若造が彼でありませんようにと、祈りたい気持ちで聞いてみた。

「山田和也」

「そいつだよ」

「中塚君、山田さんのこと知ってるの」

「その山田さんっていうのは本社のエリートで、えらく専務から可愛がられてるらしいよ。そいつが、何も知らないくせに偉そうに言うんだよ」

「それは彼なりに一生懸命だからじゃないの」

「そこは、どうか知らないけど、現場の連中は山田さんのことを本社のイエスマンとか、専務のゴマすり野郎とか言って、みんな嫌ってるよ。だけど、常務が次期社長になったら、あいつは絶対に飛ばされるって噂だよ」

私が彼との結婚に不安を抱くようになったのは、その時からだった。

「エリートは嫉妬されるもんよ。嫉妬されるぐらいの男の方がいいわよ。早智の彼なんか、誰も注目しない劇団員なんだから」

「由希、あんたの彼こそ誰も注目しない自称ゲームクリエイターじゃないの」

「私たちって男運悪いわね」

「だから加奈はまともな男とつき合って、普通の結婚をしてほしい」

これが、いつもの2人の結論だ。

早智と由希は、山田さんみたいな男は滅多にいないから、結婚するべきだと後押ししてくれたが、私は踏ん切りがつかなかった。

そして、3ケ月前に彼から結婚を申し込まれた。

「私はあなたと一緒に暮らす自信がない」

これが私の答えだった。

「それじや、君が自信を持てるようになるまで待つよ」

「待っても無駄だと思います。私の気持ちは変わりませんから」

それ以来、彼とは連絡を取ってない。

そして1ケ月前。突然、中塚君から連絡があった。

話したいことがあるということだったので、前のコーヒーショップで中塚君と会うことにした。

店に着いたら中塚くんはすでに来ていて、彼の隣に可愛い女の子が座っていた。

この野郎~。

私が彼と別れてその傷も癒えてないのに、自分の彼女を自慢するつもりか。

「中塚君久しぶり。こちら、君の彼女」

私はわざと事務的に言ってやった。

「彼女ちゃ、彼女かな」

おい、おい。勘弁してくれよ。

「こちら澤井(さわい)さん。実は澤井さんは山田さんと同じ会社で、しかも同じ総務課なんだよ」

「え?!」

「澤井です」

その子は、そう言ってペコリと頭を下げた。

「吉崎です」

私も自分の名前を名乗って、頭を下げた。

私は中塚君の真意を計りかねた。

中塚君は私が山田さんと別れたのを、知っているんだろうか。

もし、知っているとしたら山田さんの同僚の女の子を連れてきて、私の傷口をえぐろうとしているのか。

私はお前に、そんな仕打ちをされる憶えはないぞ。

「前に吉崎さんに会った時、俺結構、山田さんの悪口ぽいこと言ったよね」

「別に悪口じゃなかったわ。あなたは、あなたの見たまま、聞いたままをいっただけよ」

「それならいいだけど」

後は澤井さんが、話を引き継いだ。

「吉崎さんは山田リーダーと、おつき合いされているんですよね」

「正確には、していたです」

私はあくまで事務的に答えた。

澤井さんは私よりかなり年下みたいだったから、こんな小娘になめられてたまるか、その思いもあった。

「やっぱり、そうだったんですか」

「やっぱり、そうだったんですかって、あなたには関係ないでしょう」

私はついムキになって、強い口調で彼女に言ってしまった。

「そうですけど、山田リーダーは私たちの憧れの的なので、うまくいってほしいなって」

「それじや、あなたが山田さんとつき合えば」

「私なんか、とても、とても。それに山田リーダーはいまでも吉崎さんのことが好きだと思いますよ。多分」

「どうして、そんなことが分かるの」

「そこは、女子の連絡網です」

私も入社して何年かは連絡網に参加していたけど、中堅と呼ばれるようになってからは自然とラインやメールはこなくなった。

毎日、山田さんと接している彼女たちは、彼の素振りで私と別れたことを察したんだろう。

山田さんは私に仕事のことをほとんど話さなかったから、会社での評判は中塚君から聞いた噂程度のものだけだが、これ以上この話を続けるつもりはない。

「山田さんとのことはすべて終わったことです。あなたは今更、私に何を聞ききたいの」

「吉崎さん、山田リーダのこと誤解してませんか」

「してません。彼のことを充分、分かったうえで出した結論です」

小娘が何を言うか。

結婚はお前たちがやってる、恋愛ごっことは違うんだ。私は帰ろうとした。

「吉崎さん。もう少しだけ俺たちの話を聞けよ、山田さんは吉崎さんが考えてるほどの冷血漢じゃないよ」

中塚君に呼びとめられて、足をとめた。

「私は山田さんのことを冷血漢だとは思ってないし、これ以上、あなたたちと話しても無駄よ」

「だから、話だけでも聞けって」

偉そうに言うんじゃないわよ。

毎年留年しそうなあんたを、助けてあげたのは私なのよ。

その言葉が出そうになったが、何とか飲み込んだ。

「それじゃ、話だけは聞いたげる。だけど、私の考えは変わらない」

ここから中塚君と澤井さんの話したことは、山田さんの違う一面を垣間見るものだった。

「山田さんの会社が元請けで、俺の会社が下請けとして入っていた建設現場で事故があってさ、うちの下請けの作業員さんが、足の骨を折る大怪我をしたんだけど、

山田さんのような大手の会社は、孫請けの作業員の怪我なんかなんとも思ってない。

すべて、俺の会社に責任を負わせ、事故が公にならないように、労災保険も使わせずに、一時金で処理しょうとしたんだよ」

「中塚、その血も涙もない元請けの責任者が山田さんで、山田さんは私が考えてる以上の冷血漢だっていうオチだったら、私はあんたをブン殴って、今すぐに帰るよ」

私の怒りはピークに達した。

やっぱり、この2人は私をからかう為に呼び出したんだ。

「違います。その逆です」

澤井さんが泣きそうな顔で、私に訴えかけた。

「どう違うのか、説明してちょうだい」

私はさっきより強い口調になった。

「山田さんは、現場事務所に行った時に事故があったことをはじめて知ったんです。

そして下請けでも、孫請けでも、怪我をさせた責任は元請けにあると言って、労災が使えるようにしたのは山田さんなんです」

私はここで、あえて意地悪な返答をした。

「それじや、事故が公になって会社は不利な立場になるわね」

「山田さんはいつも言ってます。会社を支えてくれてる人を、大切にしない企業は駄目だって」

「会社での自分の立場が悪くなっても、怪我をした人への企業としての責任を果たした。だから山田さんは立派な人です。あなたはこう言いたいわけね」

「そうです」

「中塚君。あなた、私に山田さんは本社のイエスマンだって言ったわよね」

「あれは、そういう噂もあるっていうだけのことだよ」

澤井さんが中塚君を肘で小突いた。

「山田さんは敵も多いです。だけど、それは企業で働くものなら、誰でも同じだと思います」

お前の様な小娘に言われる筋合いのものでもないが、確かにそのとおりだ。

「澤井さん、あなたたちの連絡網では、私と山田さんはどういう関係になってるの」

「吉崎さんのことは、中塚君に聞くまで知りませんでした。だけど、山田リーダーに彼女が出来たのはすぐに分かりました」

「どうして?」

「女の人って誕生日に何プレゼントしたら喜んでもらえのとか、クリスマスはとか、やたら聞いてくるようになったし、雑誌のホワイトデーの特集記事なんか真剣な顔して見てるんですもの、それは分かりますよ」

彼がむずかしい顔をして、ホワイトデーの記事を見てる姿を想像した。

似合ってないな。

「私のことはどう言ってたの?」

「山田リーダーに彼女どんな人ですかって聞いたら、素敵な人だって言ってました」

「それだけ」

「それだけですけど、山田リーダーの最高の褒め言葉だと思います」

あなた山田さんのことが、好きなんでしょう。

私は目で彼女に問いかけた。

彼女は私の視線から目をそらさなかった。

「中塚君、素敵な彼女ね。君にはもったいないわ。大切にしてあげなさい」

私はそう言い残して店をでた。

私は山田さんのことを、どれだけ知っていたんだろう。

ただ大手のエリートといだけで、彼との結婚を夢見たのかもしれない。

だけど、彼、山田和也は私、吉崎加奈を愛してくれていた。


「君は、君にしか書けない長浜があるはずだ」

「私にしか書けない、長浜」

「そう、それを書きなよ」

「私の長浜を」

今日一日、私はいろんな人に出会い、これまでにない経験をした。

それらを繋ぎ合せたら、何か書けるかもしれない。そんな気がしてきた。

そうだ、私は書こう、私の長浜ものがたりを。

そして、書き終えたら彼にこう言うのだ。

「もし、今でも私のことを好きでいてくれるのなら、私をあなたのお嫁さんにしてください」


■後日談

会社が終わった後の書店めぐり、これが私の秘かな楽しみだ。

今日どんな本に出会えるかいつも胸がわくわくする。

私は平積みされている本より、棚に並べられてる本の方が好きだ。

棚に並べられる本の作者さんは無名の人が多く、発行部数も少ないがキラリと光る作品に出逢えることがある。

その時、私は幸福感に包まれる。

棚に並べられた本を一冊ずつ見ていく、まずはタイトルをじっくり見る。

これはと思うタイトルがあれば、手に取って本文を飛ばし読みする。

おもしろそうだと思ったら購入して、家でゆっくり読む。

この方法で、気にいった本に出会える確率は私の場合80パーセントぐらいだから、なかなか率はいい。

私が書いた作品も早く書店に並ばないかなと思いながら、端から順に見ていたら「会津の恋」というタイトルの本があった。

これは私の好きな会津ものだ。

早速、手に取って読んでみた。

山口県萩市出身の男性と福島県会津若松出身の女性との出会いから結婚までの物語で、未だに会津に残る長州との遺恨を重くならないように、コミカルに描かれていて、読みやすく、幕末の歴史も随所にでてくる。

誰が書いたんだろう、私は表紙を見てみた。

近江屋京助、表紙にはそう書かれていた。

『え、近江屋。近江、滋賀県。京助、京都。え?』

私は著者のプロフィールを見た。

近江屋(おうみや) 京助(きょうすけ)

京都府出身 滋賀県在住 え?

「田中健一、あなたは何者?」

「人を不審者みたいに言うなよ。京都府出身、滋賀県在住のちょっと変わった男さ」

え?え?え?

著書に草津市マスコットキャラクターたび丸をモデルにした「たび助の恋」がある。え?

「滋賀県草津市のマスコットキャラクターたび丸。良かったら憶えておいて」

え?え?え?

田中さん、あなた作家だったのね!

「アッハハハハ・・・」

私の笑い声が、書店に響き渡った。



この作品は、私が長浜ものがたり大賞に応募したものですが、残念ながら入賞しませんでした。

入賞作品は書籍化されていますので、よければ一度、読み比べていただき感想などいただけたら幸いわいです。

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