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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第一章 谷中ナイ
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第六話 宿泊

 夢の中で誰かがささやいている。俺は耳をふさいでいる。だけども声は頭の中に響いてくる。

「まず、一人。うまくやるのよ」

 自分の叫び声で目が覚めた。いつの間にか布団の枕脇にあったペンダントを握りしめながら眠っていた。手の中のそれを見る。三つくっついた輪。その中の一つにチェーンが通してある。ただのアクセサリーの形に意味なんかないというのはわかるが、どうも俺には爺さんの意図が察せられるような気がしてしょうがない。だが考えてもわかることじゃない。顔を洗って歯を磨き、着替えた後で首からかけて一階に降りて行く。今日は……。

「あーっ、遅いんだ! 今頃起きてきて!」

ダイニングの中、母の包丁の織り成すトントンという音とテレビのニュースの音の他、ナイの甲高い声が響く。六月最初の土日はこいつと過ごす時間になった。そしてその可愛い妹も。

「お兄ちゃん、お久しぶりです。お姉ちゃんがいつもお世話になってます」

 テーブルの椅子から立ち上がってきちんと挨拶をしたのはナイの妹のミン。谷中ミン。姉とは似ても似つかない礼儀正しさだ。ナイなんか挨拶こそすれ自分の家みたいに俺の家に上がり込んでくるからな。俺はほとんど本当の妹のように面倒を見てきた七歳の少女の頭に軽く手を置くと、ダイニングテーブルのテレビに近い方の席に座った。

「ヨーロッパ各国でも同様の現象は起こり始め、先進諸国は強い危機感を抱き始めています。これらの空間異常に対し、国連は先進諸国に連携を呼びかけ……」

 また、どこか遠い世界のよくわからないニュースが垂れ流されてる。

「ヒィロ、さっさと食べちゃいなさい。ナイちゃんとミンちゃんはもう食べちゃったわよ」

「はぁい」

 テレビを見つめながら、俺はぼーっとしている。やはり最近の眠気は抗いがたい。

「ほらぁ、ぼーっとしない! そんなんで今日勉強会出来るの?」

 向かいの席のナイが身を乗り出してそう言ってくる。そう。今日は俺の家で勉強会の約束だったのだ。土日も仕事でいない両親のために、ナイが、「あの可愛くない妹(俺からすればナイより可愛いのだが)のお守りをしなきゃいけないー」っと愚痴っていたので、こうしないかと俺が提案したのだ。ナイの成績の悪さは知っていたから、俺が特訓してやろうと言って。ナイは喜んで従ってくれた。俺の両親も、ナイのご両親が仕事でいなくてミンやナイを預かるのは幼少期からしょっちゅうだったから、今更とやかく言ったりしない。朝食をごちそうするのもお客に食事を提供するというよりかは、親戚の子にご飯を食べさせるといった風だ。初音家と谷中家の間にはそういう風習があるのだ。

 食べた後、俺たちは親のいなくなった食卓の上で食休みもせずにノートや問題集を広げる。黙々と課題を解いていく俺に対し、谷中姉妹は黙ってはやらない。

「お姉ちゃん、これ教えて」

「自分で考えなさい」

 このやり取りを五千回は繰り返している。実のところナイは本当に勉強が苦手だ。まあ流石に小学四年生にモノを教えることはできるが、教えるのも絶望的にド下手。それがわかっているおかげで、積極的にも、消極的にも教えてあげたりしない。結局、俺がミンの教師役になる。そうすると、

「さすがお兄ちゃん!」

 となるわけで、これがナイには面白くないらしいのだ。普段はご飯を作ってあげたり、面倒を見てあげたり、いい姉なのだが、一度ムキになるとどうにもならないというのがナイなのだった。むすっとした顔をし始め、カリカリとピンクのシャーペンを走らせていたのが、だんだんとガリガリという音に変わっていった。

 四十分程った頃だろうか。熱心なミンの集中力も切れ始め、俺が休憩を提案しようとしたその時、

「なんか最近親とうまくいってないんだ」

 ナイが口を開いた。俺は驚いたようにノートに落としていた視線を向かいのナイへと上げる。

「なんだろ。プレッシャーってやつ? ミンは感じてないと思うんだけど」

 俺の返事を待つこともなく、そろそろと言葉が漏れ出てきた。

「何にも口出しされないけど、たまに会うたびに無言で『これくらいできなくちゃね』って言われてる気がする。本当はもっと勉強も上手くできるようになりたい。もっと期待に応えたい。でも私頭悪いから……」

「そっか」

 それだけ答える俺。立ち上がって、インスタントのコーヒーを淹れて(ミンにはもちろん砂糖とミルクたっぷり)、三つのマグカップを持ってテーブルに戻る。ダイニングには時計のコチコチと言う音だけが響いていた。なんとなく居心地が悪い。俺はスマホいじりで間を持たせようとそれに手を伸ばしかけるが、ナイの言葉がそれを遮った。

「ねえ、私、頑張ってるよね?」

 なんて答えてあげればいいんだ。うん、と即答することもできた。だが、それは何か違う気がして、うつむいたままのナイを見つめる。ミンは聞いているのかいないのか、マグカップを両手でもって啜っている。俺も一口飲む。いつもより苦い気がした。

「あー」

 俺は何とも言えない声を発する。考えはまとまらないが、とにかく何か言わなくちゃ。

「そりゃ、なあ。なかなかいないと思うぞ? ほとんどひとりで家事もこなして、ミンの面倒も見て、学校にもちゃんと行って、弁当まで作ってきてくれて。ホントすげえよ。マネできるやつ少ないと思うぞ」

 本心だった。こうもすらすらと素直に言えたというのがうれしい誤算だったが、あまり流暢に喋りすぎると却って嘘っぽいのかもしれない。失敗したような気でいると、ミンが、

「お姉ちゃんは」

 と言った。俺とナイは振り向いて後に続く言葉を待つ。こらえるように間を開けた後、こう言うのだ。

「最近優しくないんだ」

 俺の心に寒い風が吹いた気がした。ミンはそれだけ言うとミルクコーヒーを啜るのに戻った。俺はナイを見る。泣きそうな、怒っているような、そんな顔でミンを見つめていた。だがそれも一瞬で、

「なーんてね、バカな弱音吐いちゃったよね! 私は大丈夫だよ! 安心して、ヒィロ!」

 そこにはいつものナイがいた。なんとなく心が痛かった。


 教えたり教えたり教えたり。教えられることは一回もなく、終始俺が問題の解説役に回っていた勉強会は終わった。三時で切り上げることにしたのだ。あんまりやりすぎても能率が上がらない。ナイはまだできると言ったが、ミンと俺はへとへとだった。ナイの提案で外に繰り出す。まださほど日も傾かない六月の空の下、俺は大きく伸びをして、きゃっきゃと先を行くナイとミンの後を追った。目的地は商店街。おやつ代わりに揚げ物をいくつか買い込んで、近くの公園のベンチでいただくことにする。ミンが元気よく足を前へ後ろへ振りながらメンチカツを頬張る。ナイは春巻きを頬張り、俺は手をタレで汚しながら焼き鳥をいただいた。

「楽しいね」

 ミンが言った。俺はああ、と頷く。

「ほら、カスがこぼれてる。ああ、ソースが垂れちゃうよ」

 と、ナイがミンをしきりに気に掛ける。こう見るととても面倒見のいい、理想的な姉じゃないか。では、あの、「最近優しくない」とはどういう意味なのだろう。訝し気な俺の目に気付いたのか、ナイは、「どうしたの?」とでも言いたげな風で見返してくる。変に勘繰られないよう、慌てて目をそらす。いや、これじゃ逆効果だ。

 ミンがトイレに行った。俺たちは食べ終えたカスの入ったビニル袋を挟んでベンチに座っていた。

「あのさ」

 だしぬけの俺の声にナイはゆっくり顔をこちらに向ける。

「最近優しくないって、どういう意味だろう」

 聞きにくいこともズバッと訊く。俺の一長一短あるスタンスだ。

「ああ」

 ナイは今までとは違う抑えたトーンで、

「最近怒鳴るの。私。ミンのことを」

 へえ。とは返事しつつも、俺は何とも言えないひどい居心地の悪さを感じていた。怒りだろうか? 何だろうか?

「ついやっちゃうんだ。私。イライラが溜まっちゃって。なんでだろうね?」

 怯えたような目。俺はどちらかと言えばこんな話をするナイは、妹の面倒を見なければならない姉と言うよりかは、子育てに悩む母のようだと思った。実際そうなのだろう。ナイはミンの母親役なのだ。俺がお兄ちゃん役であるように。

「何でだろうな」

 それだけで俺たちの会話は終わる。ミンが戻ってきたのだ。俺はこちらに歩いてくるあの子の姿をじーっと見た。ミンは本当にいい子だ。大人し目で、優秀で、ナイと同じ血を分けたとは思えない。だからこそうまくいかないのだろうか、この姉妹は。三人で俺の家へと戻った。


「え? 泊まるのか? 二人」

 俺は驚いて母さんに訊いた。

「そそ。久々にウチに泊めてあげようと思って。だって寂しそうじゃない、あの広い家に子供二人きりなんて。あ、客間の畳変えてる最中だから使えないのよね。ヒィロ、あなたのお部屋に泊めてあげなさい」

「いや、まずいでしょ、男女の雑魚寝は」

「だって小さいころはいくらでも一緒に寝てたじゃない」

「何年前の話だよ!」

 結局、食費の増大よりも、夕食を手伝ってくれる女手とわいわい楽しい食卓の方を母さんは選ぶのだった。父さんも谷中姉妹と夕食を共にするのは慣れっこだったし、「お、今日は泊まるのか。ゆっくりしてきな」なんてとぼけたことを言っている。

 しかしナイの料理は旨い。母さんの技術をどんどん吸収してどんどん良くなっていく。スピードも味も熟練の主婦並みだ。そりゃそうか。もう何年も台所に立っているんだから。


「わーい! お蒲団だー!」

 と騒いだのはナイではない。ミンだ。ミンは時折、何かから解放されたように子供らしく騒ぐ。一旦家に帰って持ってきたパジャマ姿。俺の部屋にぎゅうぎゅうに敷かれた布団に飛び込むときにそうなった。ボフッと母がきれいにメイクした掛け布団に埋まると、ゴロゴロと右に左に転がった。

「こーら、まったく、たまにこうやって興奮しちゃうんだから」

 ため息をつくナイに俺は「いいじゃないか」と言った。しかしナイと雑魚寝かぁ。気恥ずかしい。それはナイも同じらしく、もじもじとしている。元気なのはミンだけだ。いつもとは正反対の光景になんだか俺は可笑しくなる。

「じゃ、もう遅いし、寝ようか」

「うん!」

 ミンから帰ってきた力強い返事に俺は安心すると、自分一人では絶対寝ない時間に寝ることにする。

「さて、私も寝ようーっと」

 ナイがこちらに目を合わせもせずに布団へ入る。奴め、緊張しているな? わかるんだぞこっちには。別にただ同じ部屋で寝るだけだろうに意識してしまっているのだ。だがそんなことを思う自分もまた変に意識しているのは事実なわけで……。リモコンで電気を常夜灯だけにし、俺も布団に入る。すると真ん中の布団に入っていたミンが、

「お兄ちゃん、へへへ」

「こらこら、入って来るな」

 暗闇の中でいたずらを仕掛けて来た。俺の布団に侵攻してくると、腕をつかんで掌をこちょこちょとくすぐる。絶妙な按配のこそばゆさに俺は身をよじって逃れようとする。

「きゃははっ、お兄ちゃんったら変な動きしてるー!」

「ミン! やめなさい」

「あ、また怒った。今日は一度も怒らなかったのに」

「あのねえ、妹のくせに……」

 俺はまあまあ、と二人をなだめる。その内に、ミンがどんどんこっちに潜り込んできて、俺の体温が伝わる範囲にまで体を入れて来た。ナイは体を起こして、

「もう! ミン! ヒィロが困ってるでしょ!?」

 ヒソヒソ声で叫んだ。ミンは顔だけ向こうにいるナイに向けて、

「お姉ちゃん『しっと』してるんだ。もういいもん、お兄ちゃんは私のモノだもん」

 と言った。いつもは聞き分けのいい良い子なんだが、一度こうなるとやんちゃというかなんと言うか。その言葉に飛び起きるように体を半分起こしてこちらを睨むナイ。うーむ、別に困りはしないのだが、こういう状況になるとさすがにどうしていいかわからないかな。口論を続ける姉妹だったが、最後にミンが、

「お姉ちゃんもこっちくればいいのにぃ」

 と、俺に抱きつくくらいくっつきながら言った。それは不味いぞ……。そう思う俺とは裏腹に、ナイはすっくと立ちあがると、枕を持ってこちらにやってきて、ミンを挟むように俺と隣り合って寝転がるのだった。

「おい、ナイ。その、ちょっと、なんだ、その……」

「ミンはよくて私はだめなの?」

 ミンはぎゅっと俺の胸に顔を寄せた。こいつは妹みたいなものだしまだ七歳だから別に添い寝にどうこう言うつもりもないが、ナイとはなあ。高二にもなって一緒の蒲団は……。ったく母さんもちょっと思慮が浅い。ミンはいよいよ俺の体に自分の体を押し付けてくる。

「お兄ちゃん、好き~」

 それを見てナイはもう観念したのか、何も言わなかった。俺たちは三本の線の間に隙間の無くなった川の字になって、一枚の布団にくるまる。腕と腕の間に抱え込んだ小さな体が温かかった。俺はリモコンを使って常夜灯を消して、部屋の支配者を、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけにする。

 やがて、ミンの寝息が聞こえ始めた頃、ナイが口を開いた。

「この子、ほとんどお父さんお母さんとスキンシップしてこなかったから、ホントは寂しがり屋なの。いい子を演じてるけど、ちょっとしたことですぐに子供になっちゃう。まあ、子供だからいいんだけど」

「まるでお前みたいだな」

 何も見えない中で、ナイの表情が変わるのがわかった。何で私がー? そんな子供じゃないじゃん。と、というのがいつものこいつのセリフだったのだが、

「わたしだってさみしい。小さいころからお父さんもお母さんも全然かまってくれなかったから」

 今日は違うらしいのだった。おれはふと、そうしたくなって、ナイの方に手を伸ばす。布団の中でぬくくなった手を穏やかな寝息を立てるミンの体から離して……。

「馬鹿!? どこ触ってんの!? 信じらんない!」

「す、すまん!」

 暗くてよくわからなかったが、柔らかいものに当たった感触がした。それは絶対に避けるべき目標だったらしく、怒気に溢れたひそひそ声が聞こえて来た。どうしたものかと思っていると、手を握ってくるものがあった。当然、ナイだ。冷たい手だった。

「ヒィロの手、温かいんだね」

「お前が冷たいのさ」

 その言葉を最後に、何とも言えない味の夜はまどろみの中に消えて行った。

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