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第五話 ライブ

「ライブ?」

「そ。あたしの晴れ舞台」

 五月最後の日曜の予定を話し合っている時だった。唐突にサモリがその日はライブだから来れば? と言い出したのだ。今週に入るまで分からないことでもなかったろうに、いきなり言うなよな。

「すごくいい! 行こうよ、絶対楽しいじゃん?」

 夕方六時からとのことだった。

「私はそういうところはちょっと苦手かもしれませんね」

 とはシズ姉の言葉だったが、ナイが許さなかった。来なきゃ絶交だ、とか過激なことを言っている。そんなやり取りには構わずサモリが言う。

「私が今お世話になってるとこにはわざわざ来なくていいからね。ライブの準備で早目に出かけるし」

 お世話になってるところ、というのは里親の人の家のことだ。正直俺たちには自分が暮らす家を「お世話になっているところ」と呼ぶ関係性はちょっと理解が及ばない。ナイが言う。

「うん。どうせライブハウスとは逆方向なんでしょ? 楽しみだなーっ、サモリの演奏。こういうの初めてだもんね」

 その言葉にサモリはそうだね、と言った。


 いくつか駅を挟んだ所の掘っ立て小屋のような建物がライブハウスだ。正直結構ボロいんだなという印象だった。幾つも垂れ下がった白熱電球の下、僕らは隅の方の一角に突っ立っていた。

「まだかなあ、サモリ」

 ナイはワクワクと言った様子で体を揺すっている。シズ姉はと言えば、慣れない環境故にか、言葉少なにキョロキョロしている。

 今日の演目はサモリと、あとよくわからないトークイベントで、サモリの方が後だから、俺たちは興味もない退屈なイベントを見る羽目になった。清聴しなければならないモノでもないらしく、周りの僕らより年上の若い人たちもペチャクチャと喋っていたので俺たちも遠慮なく話をした。もちろん小声で、だが。

「ねえ、サモリの演奏だけどさ」

 ナイの言葉だ。

「その時もこんな風にみんなあんまり聞いてない感じだったらなんか気分悪いよね」

 そうだな、と俺は言った。

「大丈夫ですよ」

 シズ姉。

「サモリさん、いつ聞いても演奏には非凡なものがありますから。きっとみんな真剣に聞いてくれますよ」

 さすがシズ姉だった。先ほどまでそわそわしていたのに、今は声音が落ち着いていて、そのおかげで俺たちも不安を拭い去るすることができたのだった。


 ついにその時が来た。いったん幕が閉じて上がった後、サモリは髭面の男性や大人の女性に混じって現れた。いや、混じってと言うのは語弊がある。あいつがいるのはドラムやキーボードの前じゃない。例のアコギを引っ提げてバンドメンバーの真ん前にいるのだ。その威容に気圧された数舜の後、演奏が始まった。激しくて、真面目な演奏だった。曲はバンドのオリジナルらしい。前奏の後、サモリの声が響き始める。いつもとは全然違う、彼女の本当の声。誰とも似ていないかすれた声が激しい曲調にマッチしていた。他のお客さんと同じように俺たちも体をアップダウンさせて演奏にノるのだった。段々とふわふわ浮かぶような気になっていくその中で、サモリ、あいつのことを考える。いつもは絶対考えないようなことを。とにかく俺たちはまだまだガキで、ガキでいるってことは大人に居場所を用意してもらうってことなんだ。その点あいつはすごい。自分だけの力でこの世に居場所を掴んでいる。両親がいないのに、なんてことはきっと関係ない。サモリの生命力は今この瞬間にこそ最も強く輝いていた。


 五分の演奏は盛況で終わった。惜しみない拍手。もちろん俺たちも賞賛を送る。控えめに言っても大成功だったと言える。

「すごかったじゃん! ほんっとに!」

「ええ、私、感動して……」

 あー、シズ姉泣いてるー! とナイがからかった。泣いてしまう気持ちもわかる。演奏の素晴らしさもさることながら、あのサモリが、みんなにお世話されるような迷惑かけっぱなしのあのサモリがあんなに輝いていたのだから。シズ姉はいつの間にか彼女の親代わりの様な気持ちでいたのだろう。「あの子があんなに立派に」なんて気分なんだきっと。ステージの上ではサモリがバンドのメンバーたちとあれこれ話しながら機材を片付けている。その仕草はサモリ特有のスローさを伴ってはいたが、それでも学校で見るときの彼女よりずっとテキパキしていて、意外だった。一体どんな話をしているんだろう。なんだか不思議な気分だ。あいつがちゃんと俺たち以外の人間とやっていけているなんて。あいつにも最低限の社会性はあったということか。俺たちはだんだんと少なくなっていく会場でいつまでも立ったままサモリを待つのだった。


「おんぶ」

「はぁ?」

 三人で夜道を最寄り駅まで歩いている時、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。ライブハウスからの帰り道、唐突にサモリがそう言いだしたのだ。いくら疲れたからって同級生におぶってくれだなんてよく言えるなあ。俺はナイとシズ姉の方を見る。二人とも困ったような顔をしているが「仕方ないなあ」という色の方が強い。俺は無意識にナイを見つめる。諦めたようにふっと笑うとジェスチャーでやってやれやってやれと伝えている。だったらいいか。俺はこの同い年のだだこね少女の前にしゃがむと、彼女がおぶさって来るのに任せるのだった。軽い。羽のように軽い体だった。いくらチビで痩せだからってこれはないだろうってくらい。そのまましばらく歩いた。サモリは背中で眠るように静かでいる。公園に差し掛かった時だった。急にシズ姉が、

「すみません、私、お花を摘みに……」

 と言い始めた。何の話だ? 俺もナイもわけがわからないといった風に顔を見合わせる。シズ姉の顔が見る見る赤くなっていく。

「もう! お手洗いです!」

「あー! 私も行くー!」

 そ、そういうことか。そう言えば「花を摘む」は女性のトイレに行く時の隠語だと聞いたことがあったようなないような。だがまさかそんな古風な言葉遣いをクラスメイトがするとは思わなかった。ナイが子供のように大声を出すのはシズ姉の気恥ずかしさを打ち消そうとする彼女なりの配慮なのだろう。それくらいできるのは知ってる。二人が公衆トイレへ駆けて行って、俺とサモリは取り残される。お前はいいのか? と訊いても返事は返ってこなかった。よく眠れるよ、人の背中で。耳にサモリの吐息が当たってこそばゆい。ふと、その息の中に声が混ざっていることに気が付いた。

「……パ……パ……」

 ドキリとした。俺をお父さんと間違えているのか? 夢の中では実の父親に負ぶわれているつもりなんだろうか。俺はなんとなくしんみりとした気持ちになる。そんな中、

「ありがと、ヒィロ」

 と聞こえて来た。

「なんだ、起きてたのか」

「人の背中で眠るほど厚かましくないよ、あたしは。人のことを何だと思ってるの?」

 ときた。おいおい今しがたまで眠ってただろうが。まったく。ちょっとからかってやろう。

「今の今まで寝ぼけて『パパ~』とか言ってたやつが何言ってんだか」

 そう言ったら、急にサモリは身をよじり始めた。俺は慌てて腕を解く。サモリは後ろにドサッと尻もちをついたようだった。

「大丈夫か?」

 慌てて俺は訊くが、呆けた様な表情のサモリには届かないようで、何も返事がない。と、思ったら、こんなことを言うのだ。

「あたし、本当にそんなこと言った?」

「ああ、言ってたぞ。お父さんのことを……」

「本当なの!?」

 俺は驚く。サモリにしては大きな声だったから。一体どうしたんだ? と俺が言ってもやっぱり聞いていないみたいで……。

「うぇぇええ」

 泣き出してしまった。声も涙も湧き出てくるのを、両手でしきりに顔をぬぐって……。

「あーっ、どうしたの!? 何泣かせてるのぉ?」

「え、いや、これは」

 トイレから戻ってきた二人。俺は何と説明したらいいかしどろもどろになってしまう。泣き止まないサモリ。シズ姉がサモリに駆け寄って大丈夫だからね、とささやいている。シズ姉に抱きつくサモリだった。

「ちょっと、サモリに何したの!? ヒィロ!」

「いや、俺は何も……」

「だったら泣くわけないじゃん!」

「いや、本当に俺は何もしてないって」

 頭から湯気でも立てそうな剣幕で怒るナイ。俺はたじたじとしてしまう。俺が悪いのか? これは。

 シズ姉が落ち着かせてくれたおかげでようやく泣き止んだサモリを伴って、再度俺たちは駅へと進む。だが会話はない。ちらりとサモリを見る。今も袖で顔をぬぐっている。シズ姉が手を繋いであげているからどうにか歩いているという風だ。ナイの視線が痛い。結局、俺たちはいつものように電車の中で分かれた。私の父の車があるから送って行きましょうか? というシズ姉の問いかけに、サモリは頭をぶんぶん振るって拒否の意を示す。せっかくのライブの成功でめでたい日だというのにとんだことになってしまったな、と思っていたら、サモリが降りた駅で、ドアが閉まる直前、

「今日は本当にありがとう。来てくれてうれしいよ」

 とだけ聞こえたので、よかった。

 もう二つ隣の駅でシズ姉とも別れた俺達二人は、いつものように自分たちの家へと帰る。道すがら、当然のようにサモリに何をしたのか、訊かれた。

「いや、俺は本当に何もしてないんだよ。寝言で『パパ』って言っていたと言っただけで」

「それだよ」

 確信をもって言ってのけるナイ。

「サモリはそこらへんデリケートなんだから。絶対もっと気を遣った方がいいんだよ。本人はいいって言ってるけど、今日のようなことがあるんだったら、ホント気をつけないと? そうじゃん?」

「ああ、そうかもな」

 と、ぶっきらぼうに応える。俺の気のない返事がナイはお気に召さないようだったが、夜空の月がきれいだな、と言ったら、そちらの方が気になるようだった。何故か、顔を赤くしていた。

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