第三話 ピクニック
日曜にはいつも、俺たち四人は何がしか遊びの予定を入れた。随分仲がいいなと思うかもしれないが、それは自分でも本当に思う。俺たちの仲の良さはクラスのSNSのグループチャットでもよくイジられて、「ハーレム」とか言われるものだが、そんなこと言われるたびにナイやサモリが、「ヒィロはただの便利な荷物持ちだから」なんて失礼な返信をするのだ。今回は近くの公園にピクニックに行くことにしたから、日曜の早朝にナイの家に集って弁当の用意を手伝うことになっていた。駅前でシズ姉とサモリ(ギターケースを背負っている)と落ち合った後、目的地に向かう。歩いている間、無口になった俺を見て、シズ姉が、
「大丈夫ですか?」
と言った。その言葉にハッとなる。ついついボーっとしていた。あの夢のせいだ。
「しっかりしなよヒィロ。あたしより目が離せないような振る舞いはショージキ困る。車に引かれるよ。それともエッチな事でも考えてた?」
「なっ、ちげぇよ」
サモリのからかいを俺は手を振って打ち消す。シズ姉はクスクス笑っていた。それにしても、本当に普通の生活まで邪魔されるほど俺は眠れてないのだろうか。
「おはよう! 入って入って!」
玄関で迎え入れてくれるナイは朝六時だというのに一つも眠そうな気配がない。こういう元気さがこいつの良い所なのだ。
「こんな朝早くから三人もお邪魔して本当にご迷惑じゃないんですか?」
シズ姉が訊ねる。俺はもう事情をすっかり知っているからなんてことはないのだが、やはりシズ姉には気後れすることらしい。
「いいのいいの、親いないから」
日曜の朝っぱらから? シズ姉とサモリは当然疑問に思うだろう。だが敢えてその理由を問うたりはしない。そして俺はいつものことと理解している。俺は質問した。
「よう、ところでミンはもう起きてるのか?」
「ううん、まだ寝てるよ。今のうちに作っちゃって、あの子を驚かせようと思って」
ナイには七歳の妹がいる。家族ぐるみで付き合っている俺とは幼いころから見知った仲で、「お兄ちゃん」とか呼ばれてる。
キッチンまで上がらせてもらったら、さっそく準備開始だ。
「じゃ、始めにお野菜切って。ああ、シズ姉は不器用過ぎて危ないしサモリは指が傷つくのが絶対嫌とか言ってやらないからヒィロが全部やってね、それから……」
てきぱきと指示を飛ばすナイに俺も自然と動く。幼いころからこうして手伝い手伝われる関係だったから、体に染みついてる。
「よし、これでいいっと。あ! シズ姉! お味噌淹れるタイミングがおかしい! そこ! サモリ! つまみ食いしない!」
俺はもろもろ準備しながらナイの姿を横目で追う。本当に手際がいい。いつもならミンや俺だけに手伝わせるところなのだが、慣れない二人を扱うのに手間取っているようだ。
「それにしても、最近あたしの体はナイのお弁当でできているのかと思うよ」
とサモリ。
「このつまみ食いの分まで入れたらホントそうかもね」
ひきつった顔でナイが答える。おにぎりを少なくとも二つは腹に入れてしまったサモリに対する怒りでむしろ準備のスピードが上がっている。
(こいつは「良い嫁さんになる」タイプなんだろうな)
そんなことを想いつつ、結婚式でこいつの隣に立つのは一体どんな男なのだろうと夢想した。もちろん、自分を置いてみたりもするのだが。
みんなの努力の結晶を重箱に詰め込んで公園に向かった俺たち。公園の緑の空気の中に自分たちの体を晒す。青い天空から注ぐ柔らかな日差しに手をかざしてみる。
「いやー! 今日の陽気は本当に心地いいね!」
「本当ですね。」
「あたしは夜の方が好き。『 昼の光に夜の闇の深さが分かるものか』」
あいにく俺は荷物のほとんどを持たせられていてそれどころではない。女連中三人が前を行き、俺がその後ろに続く。決して重いわけではないが、取り落とした際にどういう視線を受けるかと思うと自然と体に無駄な力が入る。ナイがここにしようよ、と言い、俺たちは子供連れのお父さんお母さんたちとは少し離れた場所に赤と白のチェックのシートを敷く。女の子座り、正座、あぐら、三者三様の座り方を見せる女の子たち。サモリがギターを取り出す。年季の入った、形見だというアコギ。なんだかよくわからない古そうな曲がかき鳴らされる間、ナイが重箱を開けて一段ごとに広げるのだった。目の前のおいしそうな光景についつい顔がほころぶ。作っている時、完成したとき、そういう時の達成感とはまた一味違った感動が俺の心に満ちた。ギターに夢中のサモリ以外の二人もそのようで、感嘆符の付いた声を上げている。定番の卵焼きに、食べられない人がいるから少な目の肉巻き、コロコロと一口サイズに握られたおにぎりに、アスパラのチーズ巻き、サトイモ、カボチャ……。一度見ていてもやはりこうして目的地で開けてみると感慨深いものがある。ナイもシズ姉も、何のポーズなんだか、示し合わせたように顔の前で手を合わせてすごいすごい言っている。早く食べようという声に、俺たちはいそいそと箸を取り出し、いただきますと各々呟いてつつき始める。
「はい、サモリ、あーん」
ナイが、みんなが食べ始めても一向にギターを弾くのをやめないサモリに食べさせようとする。それもごぼうの肉巻きを。イヤイヤするように首を振って拒否するサモリの口を箸が追う。キャッキャと子供の様にいたずらを継続するナイ。
「ナイさん、意地が悪いですよ。はい、サモリさん。こっち」
シズ姉がカボチャの醤油煮を箸でつまむとサモリの口まで運ぶ。器用にギター演奏を続けつつそれにかぶりつく。ナイが逆切れという奴でプリプリ怒りながら、
「えー? 何でせっかく私が巻いたお肉が食べられないのー?」
と言った。こいつは本当に昔から人の好き嫌いが許せない性質らしい。もう一年以上の付き合いになるサモリの激しい好き嫌いも、いまだに理解できないでいる。
「だーかーらー、肉は食べられないって。食べたら死ぬの。あたしが死んでもいいの? ナイは」
「どうして食べたら死ぬんだよぉ。アレルギーって訳じゃないんでしょ? 理屈に合わないじゃん」
何遍も繰り返されてきたやり取りに俺は目を細める。ナイはやっと諦めたのか、サモリに差し出していた肉巻きを俺の方に向けると、
「ささ、ヒィロも。はい、あーん」
その瞬間、サモリの演奏以外のすべての時が止まった。ナイは自分がやったことの意味に気付いてフリーズしてしまうし、俺もどうしたらいいのかわからず困惑してしまう。意外と初心なシズ姉は照れくさそうにそっぽを向く。サモリはサモリで、「お熱いねえ」とかいいつつ口笛を吹き、一層強くギターを鳴らした。ナイは心底焦ったように、
「あ、い、いや、こ、これは、ち、小さいころからの、く、くせで、ね? ほ、ほら! 家族ぐるみでお付き合いあって、それで、その、こういうのよくやってたし! そう、やってた!」
ヒュ~、と、また口笛が吹かれた。
「まあ、お二人がそういう関係なのは気づいてましたし、どうぞ気兼ねなく……。でもできれば、二人きりの時に……」
「そういうんじゃない!」
シズ姉の勘違いに俺とナイの声はハモるのだった。
帰り道、俺たち四人で横に並んで駅まで歩く。
「はぁ~~、食った食った」
俺はそう言うと腹をさすった。
「親父くさっ」
などとナイに言われてしまうが、気にしない。薄暮れの赤い空に周囲の建物の黒いシルエットが映えて、街灯の白が添えられた風景。それを満ち足りた気持ちで眺めるのは何とも幸福感を漂わせるものだった。俺は眠気を感じ、あくびを一つ。
「また眠いの?」
ナイがお辞儀をするように隣の俺の顔を覗き込む。これがすっかり癖であるのだ。サモリが言う。
「あたしも眠いな。良い一日は幸せな眠りをもたらす。少なくとも今日は気持ちよく眠れると思うよ」
「だといいんだがなあ」
だがサモリの奴はその調子で悪乗りしてこうも言う。
「ナイに添い寝してもらえば確実じゃないの?」
「な、何言ってんの!?」
ナイが慌てた。俺も俺で顔を引きつらせて、
「こいつとはそういうんじゃないから。ただの幼馴染だって」
「どうだか」
サモリはにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべた。
「サモリさん、はしたないですよ。当人たちには当人たちなりの距離の詰め方があるんですから」
「距離なんか詰めたりしないよ! 誰がヒィロなんかと」
そうは言うものの、俺はそれが嘘であるということにはとっくに気付いていた。そう。シズ姉の言う通り、俺たちには俺たち固有の時間の流れがあっていいはずなんだ。
その日は、確かに久しぶりによく眠れた。