第二十五話 真相
やっと、声が出るようになってきた。辺りは本当に真っ暗で、何も見えない。重さも感じないからずっと落ちているようだ。
「おい! サモリ! どこだ!? ……ニハヤ! いるんだろ!? 返事しろ!」
「何?」
「うおっ!?」
意外にも本当に返事が返ってきた。だが闇のままだ。視界は一切が塞がれている。ここには重力の感覚もない。通じるのは聴覚だけだ。怖い。ふと、首から下げたペンダントが震えているのがわかった。服の外に取り出す。光を放っていた。自分の手が見える。そして、暗闇の中に浮かぶ青白い顔も。
「うわあああああ!」
「何叫んでるの」
ニハヤだった。顔色が悪いやつだし、光の具合でさらに白く見えたからびっくりした。こいつは……。
「お前は、いったい何だっていうんだ。さっき気付いたが、俺の夢の中で呼びかけてきてたのもお前なんだろ? 違うのか?」
「そうよ」
あっさり答えてくれるなあ。繰り返し(レペティション)を何度も体験していて今更だが、どんな超常現象が起こってももう驚かないぞ。
「ニハヤ」
俺は呼びかける。
「説明してくれ。どこまで知っているのか、とかな」
「すべてよ」
「え?」
「私はすべてを知っている」
と来たか。なるほど。まあここまでわけがわからない状況なんだ。すべてを説明してもらわなければ困る。俺は予測を立て、問いの形にして述べていく。順を追って。
「まず訊こう。この状況、『闇のカーテン』によって世界が滅びるという状況は何のせいだ?」
ニハヤは緑の光の中で表情を変えなかった。そう、前も感じたが人形のようだった。しゃべる時、光の作り出す陰影で表情筋の動きがはっきり見えなかったら、本当に人形と勘違いしたかもしれない。
「何のせい、と言えば、それは人類自身のせい、と言えるわね」
「俺たちのせい!?」
意外な答えに俺は声を裏返らせる。一体どういうことだ?
「説明、してくれないか?」
ニハヤの目が閉じられた。これまでで始めて起こった表情の変化だ。
「それを説明するためにはあなたの知識や理解度を試さねばならないわ」
ほう。随分難しい説明を始める気らしいな。
「まず平行世界という概念は理解しているわね?」
まず簡単なところから、ということか。
「当然だ。アニメや漫画でよく出てくるもんな。一つの世界によく似た世界が幾つも存在するということだろ? 体験したさ」
ニハヤの白い顔が頷いた。
「おおむねその理解でいいわ。その実在も体験によって信じざるを得ないでしょうし話が早いわね。では多世界解釈についてはどこまで分かる?」
多世界解釈。俺は視線を斜め上にやって少し考えた後、この言葉に説明を加える。
「例えばタイムマシンで現在から過去へ行き、現代も生きているはずの人を過去で殺したとする。その人がタイムマシンの発明者だったりするとなおのこと話が早いね。そういう時に世界に起こる矛盾を解決するために持ち出されてくるのが、そういう場合には世界線が分岐するという多世界解釈だ」
また、ニハヤが頷いた。
「そう。それはエヴェレット解釈をよくあるSF的に理解したお話ね。正確なところは違うけど、そういう理解があるならこれからのお話を運ぶ上でおおむね問題はないわ。自分が持っている知識を適切に意識に上らせることができるのね。評価を改めないといけないわ」
「そりゃどうも」
ニハヤの目が開いた。俺はその大きな目がエイリアンか何かのように光るのを見て、不気味な思いにとらわれた。
「平行世界と多世界解釈は私たちを存在させるのに最も重要な概念よ。私たちはこれを使って自分たちの文明を作り上げているの」
「どういうことだ?」
話が難しい所に入ったのを感じた。ニハヤの右手が闇の中から現れて、自分の顔を指さした。
「私たちは平行世界という縦糸の間に自分という存在を横糸として差し挟むことですべての可能性を網羅せんとする知的生命体」
「はぁ?」
なんのこっちゃ。いきなり話の知的レベルを上げないでほしい。
「わからない?」
俺は首をゆっくり縦に振った。俺は、
「それで、世界が滅びるのとお前らと、俺と、何の関係があるんだ?」
「そこよ。話の核は」
ニハヤの顔が闇の中を滑る。その動きを見て俺は「ああ、こいつには今は体がなくて顔と腕だけしか実体が存在してないんだな」と直感的にわかった。虚空に図が現れる。光る線で構成されている概念図が枝分かれした木の様相をかたどった。何でもアリらしいな。
「私たちは平行世界に自分の存在をばらまくことで自らの可能性を最大化するわ。たとえばあなたがファミレスに入って紅茶を頼むかコーヒーを頼むか真剣に悩んだとするわね。そうすると平行世界分岐が起きる。紅茶を頼んだあなたがいる世界とコーヒーを頼んだあなたがいる世界とに」
「そうするとどうなるんだ?」
俺の間抜けさすら感じさせる質問にも、ニハヤはいやな顔一つせず答える。
「あなたはどちらかの自分しか認識できない。片方の自分にとって、もう片方の自分は観測不能な、完全に存在しないものになる」
「そしてお前らは紅茶を頼んだ自分とコーヒーを頼んだ自分とを観測可能な形で存在させたがるってことか。片方を切り捨てるのではなく」
「その理解で十分正解と言えるわ」
宙に浮かんだニハヤの顔が頷いた。
「そして私たちは平行世界を分岐させればさせるほど得になるのよ。その分存在する自分の数が増えるのだから」
「なるほど。お前らの居場所の一つが俺らの世界で、お前らはそれをたくさんの平行世界へと分岐させまくることでどんどん領地を増やしてるってことか」
「そうね」
だんだんとこいつとのコミュニケーションのコツがわかってきたぞ。しかしまだわからないことがある。
「じゃあ、どうしてお前らは『闇のカーテン』で世界が滅びるのを放置したんだ? どんな世界であれ、お前らにとっては存在した方が得なんじゃあないのか?」
「そう。得よ。だからこそ私たちはそれを止めようとしたの。あなたを使ってね」
「世界が滅びるのを止めようとした? 実際それができずに何度も滅びただろうに。そして俺が何だって?」
ニハヤの顔がこちらに近づいてきた。思わずのけぞる。
「一つ一つ、説明しないとね」
そう言って、ニハヤが俺の顔の前で手を振ると、互いに結ばれた赤いリボンと青いリボンが現れた。
「どちらかを選んで解いてみて」
俺はなにも考えずに赤いリボンを選び、それをつまむと引っ張った。緩く結ばれていたそれは簡単にほどけて二本のリボンになった。そして、俺がつまんでいない方の青いリボンが光に溶けたように消え去った。
「選ばれた時点で分岐した二つの世界線の関係は崩れる。さっきの紅茶とコーヒーのたとえだと、二つの選択肢が完全に同率になることは通常あり得ないわ。無数に分岐した世界の中で、紅茶を選んだあなたの数がわずかに多ければコーヒーを選んだ世界たちは完全に消え去る。これがあなたたちの未熟な文明がせっかく分岐した世界に対してしていることよ」
「どういう意味だ?」
ニハヤはため息をついて説明を始めた。吐息にはまったく臭いというものがなかった。
「私たちは二つのリボンを結んだまま選び取り、結んだまま解くことができるの」
「なんのこっちゃ」
「これは最も抽象化された例えよ。それとも具体的で専門的な解説が欲しい?」
ジジジ、と何かが焼けつくような音がして暗い宙にぴかぴか光る数式が浮かんできた。どれ一つとして理解できない。俺は眩暈を感じると、
「いや、いいです」
と言った。ニハヤが続ける。
「つまり、私たちはどちらかを選び取りつつも世界の豊かさを失わせない、つまり、選択されなかった方の世界を消失させない方法を編み出したの」
選んだだけで選ばれなかった世界が消滅する、という考え方に今一ピンとこないものを感じていた俺にはやはり追いつけない話だった。ニハヤはまたため息を吐く。
「わかっていただけないようね。つまりあなたたちが何かを選び選択する度に私たちは多大な迷惑をこうむっているということよ。世界の可能性が狭まっていくんだもの。あなたたちが選び、選ばなかった世界を意図せず消滅させることで。本当に度し難いわ」
そこまで言うと、ニハヤはまっすぐこちらを見た。なんの感情もこもらない視線に俺はたじろいでしまう。ようやく、話したいところに持ってこれたという感じだった。
「あなたたちの世界は限界に達していた」
「限界だぁ?」
おれは素っ頓狂な声を上げた。
「そう。あなたたちの世界線は度重なる選択によって限界を迎えていたのよ。人類は可能性分岐の袋小路に突入しているの。だからこそ世界は当然の帰結として『闇のカーテン』を作りだし、あなたたちの世界線が終わるわけ。私たちにとってせっかく開拓したあなたたちの世界への入植が全部パァになってとても迷惑ね。そしてそれを解決するための方策があなただったの」
「俺ぇ?」
また声が裏がえってしまった。この部分だ。話が見えないのは。
「一連の事象はあなたをターゲットに仕組まれたの」
「どういう意味だよ!」
俺は宙で拳を振り回した。ニハヤに当てるつもりは毛頭なかったが、彼女はすっと顔を引いて距離を取った。
「あの三人よ」
「三人?」
「そう。谷中ナイ、千駄木シズル、根津サモリ。彼女らが世界が要求した条件だったの」
「もう少しわかるように説明してくれ!」
ニハヤは再度近づいてきて、こう言った。
「これは大いに重大な質問なんだけれど……三人の内で結婚したいのは誰?」
「は?」
今度こそ俺の思考はフリーズした。わけのわからなさが極致に達したせいだ。バカにされているようにも感じられた。まともに答える義理などない。そう思っているとニハヤは、
「そう。やはりね。成功だわ」
と言った。
「どういう意味だよ」
ニハヤはふっと笑った。これまでで初めて見せる、彼女の笑みだった。
「本当にいい人なのね。私の見た通り」
「どういう意味だって言ってんだよ」
「選べないのね。あなたは。たった一人をなんて」
図星だった。どうやら心を読まれたらしい。なんてこった。そうだ。そうなんだ。俺にはあの三人の内の一人を選ぶことなんかできない。三人の人格を知ってしまった今ではもうだれか一人を選ぶことは俺にはできないんだ。またその思いを読んだのか、ニハヤが訊いてくる。
「それでも一人を選ぶなら誰? 大丈夫。選ばれなかった可能性もまた、他の世界線で生き続けるわ」
「その言葉も意味が解らん」
「あなたはそれぞれの世界でたった一人しか助けることができなかったじゃない? 例えばあなたが世界が終わりに千駄木シズルや根津サモリを構っている時、谷中ナイはどうしていたと思うの? 谷中ミンと抱き合って震えていたのよ? 最後の瞬間、二人は料理を作る手を止め、いなくなった両親を呼んで泣き続けた」
絶句だった。だが考えられることだった。あの両親は日本が封鎖される前に帰ってきたりしない。俺が茶々をいれない限り。解り切っていたことじゃないか。
「じゃあ、俺は、二回もナイをそんな目に遭わせてしまったのか? シズ姉を救った世界とサモリを救った世界で」
「そういうことになるわね」
「クッソ!」
また拳を振り回す。今度はニハヤは下がらなかった。俺がそこまで無分別な奴じゃないと確信が持てるようになったのだろう。
「これが世界線分岐の正体か!」
「そうね。選ばれなかった世界を切り捨てるあなたたちの業が招いた結果よ」
「そんな……選ばれなかったやつはどうなる? 何も解決できないまま世界の終わりを迎えてしまうのか!?」
ニハヤが指をピンと立てた。
「そこがあなたたちが考え方を変えなきゃいけない点よ。それぞれの世界線では彼女らはちゃんと救われるわ」
「どういう意味だ!」
本日何度目の「どういう意味だ」だろう。だがニハヤはちゃんと答えてくれた。
「あなたがどれか一つの世界線で彼女ら一人一人を一度でも救えるのなら彼女らは最終的に救われたことになるのよ」
「ある世界線で救われたならほかの世界線で不幸になってもかまわないと言うことか? それはつまり、お前ら平行世界に横糸を通す文明の考え方か」
「当たり。あなたたちとの一番の違いね」
俺はだんだんと冷静さを取り戻しつつあった。ということは、だ。
「救われない世界線の方が圧倒的に多いじゃないか?」
「それが何か問題でも? たとえ救われなかった彼女が無限に存在するとしてもたった一例だけ救われるならそれは幸せなことなのよ。少なくとも私たちはそう考えるわ」
俺は頭を振りながら、
「理解できない」
と言った。だがニハヤは構わない。情報を浴びせ続けて無理やりにでもわからせようとしてくる。
「あなたはたった一人を選ぶことになるけど、同時に三人を選ぶことにもなるの。世界はそれぞれの線上で破綻なく進んでいくわ」
「どういう意味だ?」
「最もクリティカルな事象の分岐点で世界線を選んでいただく。これが私の目的であり、あなたの使命。そして世界を救う唯一の方法」
「だからわかるように説明しろって」
「私がここまでして、つまり、あなたという本来小さくてどうでもいい存在にわざわざ着目してまで作り出したかった状況は一つだけよ。つまりあなたに三人への感情が等価な状態で誰かを選ばせたかったの。それだけが望みだった。世界を袋小路から救い、再び豊かな可能性を与えるために」
「はぁ?」
冗談じゃない。俺が好きな女の子を選ぶことがそんなに重要なのかよ。そう心に思ったら、どうやら読まれたようで、
「そう。重要よ。これであなたたちの世界線は再度豊かさを取り戻し、『闇のカーテン』から逃れられるわ」
「なんとも御大層な。どうして俺なんだ?」
ニハヤは辺りをふわふわ漂い始める。そういうことされると不安になるのだが、それには無頓着らしい。
「世界線分岐を破綻なく行えるようにするためのターゲットがあなただったというわけ。だって、あんな風に三人の女性に平等な思いを抱けるのはあなただけだったから。普通じゃあり得ないことよ。だから私達はあなたの過去をたどり適切なタイミングでそのペンダントを渡し、三人にほとんど平等な思いを抱けるようなシナリオを用意した」
俺は俺の手の上で光を発し続けるペンダントを見た。これは確かに祖父からもらったモノだが……。その記憶をねつ造するくらいこいつらならやりそうだ。
「で、俺がそれを成功裏に終わらせた後、世界はどうなる? ちゃんと滅びずにすむんだろうな?」
「もちろん」
俺は考え込む。
「俺が三人の内誰かを選べばもうそこですべては終わりなんだな?」
「そうよ。世界が滅びるという話は五月以前の時点からきれいさっぱりなくなり、あなたたちはその後の人生をおくれるわ。つまり幼馴染として過ごしてきた過去を持ちつつ世界が終わるはずだった世界線を生きることができるの。私の予想によればおそらくあなたはちゃんと選んだ相手を伴侶にできるわ。安心してちょうだい」
「なんともまあ」
俺は肩をすくめた。人生プランまで用意してもらえているとはね。
「選ばれなかった可能性は? つまり、選ばれなかった女の子はどうなる?」
「そこがあなた方人類文明に属する存在には理解しがたい所ね。あなたにとってはその女の子との恋話は二度とは来ないものになる。と同時に、分岐した他のあなたにとっても同じこと。それぞれの世界でそれぞれのあなたがそれぞれの女の子を幸せにする。全ての可能性が同時に存在し、同時に発展していく。あなたたち人類の世界の豊かさはあなたという一個体によって取り戻されるのよ」
「よくわからんがまあだいたいこうなんじゃないかという納得感はあるかな」
つまりこういうことだ。俺が誰を選んでもそいつとの幸せな生活は保障されてるし、選ばれなかった女の子も別な俺が幸せにする手はずになると。確かに俺たちの感覚にはそぐわない。選んでも選ばなくても全員が救われるなんて。
「でも一つの世界線を取り出してみればその中では救われる救われないの差別が発生してしまうんだろう?」
ニハヤはため息をついて、
「何度も言わせないで。それの何が問題なの? 私たちには理解できないわ。他の世界線で救われてる人間がいればそれでいいじゃないの。あなたがその子を救うのよ。何も問題じゃない」
「でも……」
ニハヤは首をかしげるとこう言うのだ。
「こう考えたらどうかしら。例え世界線分岐があろうとなかろうと、あなたにはどうせ全員は救えないの。それは納得してもらえるわよね?」
沈黙。俺はなにも答えない。だがそれは肯定と受け取られたようだ。
「わかってもらえたようね」
俺の心を読んだ結果だろう。そうだ。わかってる。俺には全員を一度に助けることなんか不可能さ。そう。多分。きっと。いや、本当にそうか?
「さあ、初音ヒィロ。そろそろいい?」
ニハヤも結構せっかちなんじゃないか。そう思った。
「で、俺は選べばいいんだろう。誰でもいいから」
「あまり投げやりにならないで。確かにだれを選んでもいいのだけれど、それは本当にあなたの強い思いが三人の内誰を選ぶかの確率を完全に同率にするからよ。気を強くしっかり持って、本気で選んでもらわなけらばならないわ。その時初めて世界線は完全に豊かな様相を伴って三つに綺麗に分岐するの」
「はいはい」
ええい、ままよ。俺は三人の女性のことを想った。ナイ。元気で健気で甲斐甲斐しい。こいつと結婚出来たら毎日幸せだろうな。シズ姉。この人の支えになれたら俺は誇りを持つということ、その真実の一側面を垣間見ることができるだろう。それに一番美人だしな。サモリ。こいつは何というか、ほっとけないんだよな。俺がそばにいなきゃって気になる。うん。間違いない。誰を選んでも後悔がない。それだけは間違いないんだ。
「覚悟は決まったようね」
ニハヤが言った。もう俺はこの異常な状況にどぎまぎしたりしない。言われたことは完璧に理解できている。さあ。
「では訊くわ。あなたは、だれを選ぶの?」
「俺は――」