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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第三章 根津サモリ
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第二十二話 サモリの殻

 前向きに考えることにしよう。サモリが学校へ行かなくなったのはよいことだ。何故ならいつかそれ以上の形で噴出するはずの問題がその程度で済んでいるのだから。あの日以来、彼女は俺の家で一人部屋に籠ってギターを弾いている。出て行く時と言えば夜にバンド仲間のところに行くときだけ。日付の変わる前に帰って来るから強くは言わなかった。しかし、サモリにとって音楽とは一体何なんだろうか。自己表現の手段? 夢の在処? 思い出の残骸? 少なくとも今は逃げ場所らしかった。

 母さんと父さんと俺が心配する中、学校生活はサモリを欠いたまま夏休みに突入する。突入しても、何も変わらなかった。

「夏休み中ずっとそうしてるつもりか?」

 夏休み初日の朝、俺はサモリの部屋のドアをノックしながらそう呼びかけた。返事はなく、ギターの音色すらも聞こえない。知ってる。まだ寝ているに決まってる。まあ、食事の時間を家族で共有するのを放棄したとはいえ、食べることまでそうしたわけじゃないんだ。言いたいことがあるならお腹が減って降りて来た時にすればいい。俺はそう思うと自分の朝食のためにダイニングに向かった。

「サモリは今日もお寝坊さんか?」

 斜め向かいに座る父さんがトーストを齧りながら言う。俺はああ、と答える。

「そうか、仕方がないな。今まで色々と表に出さないように頑張っていたんだもんなああの子は」

「そうなのかな」

 黒ぶち眼鏡の奥の黒い瞳が俺を捉えた。

「なんだ、ヒィロ。お前らしくもない。お前が一番あの子のことをわかってるはずじゃないか」

 またそれか。いやあ、この世界の俺は随分期待されていたらしい。父さんはそれだけ言うとテレビの画面に目を移した。

「それにしてもこの『闇』ってやつは、怖いなあ」

「ああ、そうだね」

 俺もそこに目をやる。夏休み中に日本は『闇』によって封鎖されるはずだ。それは何が起きようと変わらない。俺たち幼馴染同士の組み合わせが如何に変わろうと。急がなくちゃいけない。それまでにサモリの問題を解決するんだ。しかしその後はどうなるんだろう。遂にこのずれていく世界のループから解放されるというのだろうか? 考えても仕方ないことだった。とにかく、目の前の物事を何とかしないといけない。

 父さんが仕事に行って、サモリはその後昼頃のそのそと起き出してきた。SNSで催促のメッセージを送るようなことはしなかった。っさも利がダイニングに姿を現す。ぼーっとしたパジャマ姿でどさっとその身を食卓の椅子の上に落とす。そして料理教室に出かけた母さんが残してくれたサモリのための昼食のラップをゆっくりはがすのだった。俺はそんな様子をダイニングの向かいに座ってスマホをいじりながらずっとチラチラと盗み見ていた。サモリが金髪頭をボリボリ掻くと、心底うっとうしそうに、

「ヒィロ。あっち行ってて。なんか食べにくい。リーヴ・ミー・アローン」

 俺はそれを無視する。結局、その一言以外サモリは何も言わなかったから別に本当は構わなかったんだろう。温くなった肉抜き中華をレンチンもせずにもそもそ食べている。こいつはうまそうに食うということがない。こいつが笑みを浮かべるのはしょうもない下ネタをいう時ぐらいで。心から幸せそうに笑ったということがあっただろうか。俺はそれを引き出してやることが本当にできるんだろうか。

「自分の思いをわかってもらえないって、辛いよな」

 俺は切り出す。サモリは食事の手を止めなかった。

「ネットの体験談で読んだんだが、こんな親子がいたんだ。その子はずっと『いい子』を演じてきた。そうじゃなけりゃ、妹の面倒を見られなかったし。でもそうじゃない、その子は『いい子』なんかじゃなかった。それを知ってもらいたがっていた。……こんな子がいた。ずっとがんばって褒めてもらいたがってたんだけど、本当の望みはそれじゃなかった。ありのままの自分を肯定してほしかったんだ」

「何が言いたいの?」

 ぴしゃり、と俺の言葉が途切れる丁度のタイミングでサモリの言葉にふたをされてしまった。言いたいことは言い終わったのに、なんだか伝えたいことだけ口から出なかったような、変な気分だった。それとも言葉が足りなかったのか。サモリは続ける。

「あたしには何の意味もないよ。もういないんだ。パパもママも。なくしたものは、見つからない。永遠に」

 俺はなんだかイラつきを感じ始める。

「親が死んだのがお前のせいだとでも思ってるのかよ。むしろ親が子の面倒を見る責任を全うできなかったんだ、親の罪だぜ」

 初めて、箸を持つ手が止まった。

「よくもそんなことが言えたね……。パパとママをブジョクするなら許さないよ」

「だってそうだろうが」

 俺は席を立つ。窓の方に行ったり、ダイニングテーブルの周りを回ったり、サモリの方を極力見ないようにしながらしゃべりだした。食べながら聞いていいというアピールだ。

「お前の親、ナイの両親とはまた違うけど、世界飛び回ってたんだったよな。ナイとは違って幼いお前を連れて。それはいい。でもさ、治安がよくない国にわざわざ行って死んじゃうだなんて、お前の親としての責務を果たせてないって……」

「やめろよ!!」

 枯れたような声が響いた。俺はサモリに目を向ける。食事の手はとうの昔から止まっていたようで、皿の上の食べ物はほとんど減っていなかった。

「君はあたしのヒーローだと思ってたのに、どうしてそんなこと言うの?」

 消え入りそうな声だった。ヒーロー。ヒーローねぇ。俺はそんな大層な人物じゃないが、求められているならそうなるしかない。そして俺の信じる道は今、サモリに現実を突きつけることだった。

「お前がどうしてそんなに両親のことで気に病むのか、わからないんだ。真剣に。だって百パーセントお前のせいじゃないだろ? いったい何がそんなに……」

「やめてって!!」

 乱闘騒ぎ寸前の政治家のように乱暴に席を立つサモリ。椅子を蹴飛ばしたまま俺にくるりと背を向けてダイニングを出て行こうとする。待てって、と俺は声をかけて階段のところで彼女の手を掴んだ。放してよ、と、強い調子で言われた。

「お前を助けたいんだよ!」

 体は向こうを向いたまま、顔だけがこちらを向いた。

「大きなお世話だよ! あたしはこれでいいんだ! ヒィロがヒーローみたいに何でも解決できる人じゃないのはもうわかったよ。あたしが間違ってたんだ。それは謝るよ。だからもうほっといて。これは誰にもどうにもできない問題なんだ。あたしはずっとこの世界の厄介者で、その上放っておかれて、それでも見捨ててくれない人がいて、もう十分だよ。これでもう幸せ。はい、御終い! あとは音楽に集中させてよ。それで生きるしかない人間なんだよもうあたしは!」

 俺が手をがっちりつかんだままやりあう。ふと、自分は本当にただのおせっかいをしているんじゃないかという気分が沸き起こってきた。手を放す。しかしサモリは逃げなかった。騒ぐのをやめ、俺に背を向けたまま突っ立っていた。息を整えると、呟くように問いかけてくる。

「ヒィロさ、君は私をどうしたいの?」

「言っただろ? 助けたいんだ」

 彼女の横顔が引きつるのがわかった。皮肉な笑みで。

「っは、そう。そうなの。ふーん。だったらさ、もう、ほっといてくれない? 自分で解決できるんだよ。こんなの」

「力になりたいんだよ」

「あたし、力を必要としてるように見える? 病人みたいに」

 俺はまたため息をついた。

「見える」

 空気が変わるのがわかった。

「そうなんだ」

 振り返るサモリ。小刻みに震えるその姿には、激しい感情がこもっているようで。果実を絞って出てくるような、濃厚な激情が吐き出された。

「みんなあたしのことを腫れ物みたいに扱う! 学校の先生も、ナイも、シズ姉も! あたしは自分がポンコツだってわかってるよ! どうせ誰にも理解されないんだ! 寂しい、寂しい、寂しい! 理解されないってつらいよ! 寂しいよ!」

 目をつぶって体を折って無理やり捻り出したような言葉の数々に、俺はたじろぐほかない。

「誰もいない! 誰もいない! あたしの周りには誰もいない! みんな遠巻きに眺めてるだけ! 近寄ってきてくれる人間なんかいないんだ!」

 ひとしきり喚いた後、サモリは黙った。深い呼吸音が聞こえる。今度は泣きそうな顔になって、

「ヒィロはよくわかってるよ。わかってないなんて言ってごめん。幼馴染だもんね。そりゃわかってくれてるよね。でもだめなんだ」

 と言った。俺はなにか言い返さなきゃ、言ってやらなきゃ、と、強く思った。

「俺が」

 慎重に言葉を選ぶ。

「俺や俺の両親じゃ、お前に一番近い席、お前の両親の席は埋められないのか?」

 まったく、人間はいつも気づくのが遅すぎる生き物だ。言ってから気づいた。これは、禁句だ、と。サモリはわなないた。

「本当にパパとママの代わりができるっていうんなら今すぐこの寂しさを埋め合わせてよ! ねえできる!? できないよね? テレビのリモコンを探して、探して探してようやく見つけた時に電池切れてた時の気持ちわかる? そーゆーことだよこれは」

 どういうことだよそれは。俺はまたため息をついた。そしてよくよくサモリの姿を見る。赤くなった顔を晒している。その呼吸はひゅうひゅうと変な音を立てるようになっていて、何とも哀れだった。どれくらいそうやって見つめ合っていただろう。サモリは階段の方を向くと、トントンと上がって行ってしまった。一分もしないうちにまた降りてくる。肩にはギターケース。そうか。出て行くのか。わかった。わかったよ。しゃがんで靴を履くのも、玄関喉のドアから出て行くのも、ずっと無言なのも、俺は構わなかった。後も追わなかった。一度お互い離れて時間を置いてみることも必要だと思ったからだ。俺はナイに電話を掛けた。どうせ行先はそこだろうと。両親いなくて気兼ねしないだろうからな。電話をしてから、サモリが来たと折り返し連絡が来た。案の定だ。まあ、自分の殻に閉じこもるしか癒せない傷もあるのかもしれない。そしれそれがなんら本質的な解決ではないというのもまた事実だろう。結局は、俺たち家族が、俺が、何とかするしかないんだ。それしか方法がないんだ。あいつには、俺たちしかいないんだから。そしてその中で恐らく、世界が終わるまでの間に解決を提示できるのは俺だけだった。そう信じるしかない。

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