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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第三章 根津サモリ
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第二十話 失敗した歩み寄り

 しかし次の日も、その次の日も、事務的な会話以外、サモリは俺と話をしてくれなかった。学校でもそうだから、サモリがいない時ナイに、

「なぁ~にぃ? 夫婦喧嘩?」

 とか言われてしまった。

「誰が夫婦だよ。ただの幼馴染だって」

 俺は設定に殉じた。ナイは、

「あー、そういうこと言ってるのサモリに聞かれたら傷つけるじゃん。気をつけないとダメだよ。女の子はデリケートなんだから」

 いや、デリケートには違いないが、あいつはそういうんじゃないと思う。少なくとも今抱えている問題は恋話じゃないんだ。そのことを話すと、じゃあ喧嘩でもしてるの? と訊いてきた。

「うーん、それに近いのかなあ。この前怒らせちゃったのは確かだし」

「何言ったの?」

 よく思い出してみる。確かあいつが明確に不満を示したのは……。

「俺の両親を『俺たちの』両親って言ったからかな」

 ナイはふーんと言うと口に指を当てて俺に近寄って来る。何だよ、と俺は後ずさりする。

「何もわかってないんだね、ヒィロ」

 サモリにもそう言われたっけ。どうしてだよ、と訊くと、

「サモリが両親のこと割り切れてないのはヒィロが一番知ってるはずじゃん。なのにちょっと無神経じゃないかな? サモリの両親は生みの親だけ。あの子はそう考えてるんだよ」

 と返ってきた。そうなのかな。ナイに礼を言うと俺はその考え方を胸にとどめた。この世界の初音ヒィロなら知っていて当然の話だったんだろうな。


 サモリにはなんとなく避けられているような気はしていたんだが、昼飯だけはちゃんと一緒に摂ってくれる。ナイと、シズ姉と、おれと。サモリは欲望に正直だ。食べ物で釣られる。したい恰好を崩さないし、したいことしかしないし、したいようにしか振る舞わない。そんな彼女の唯一の枷になっているのが、両親の死であるんだろうな。

 光降る五月の中庭の空気がサモリのわだかまりを削いでいるのか、その日はとにかく機嫌がよさそうだった。ギターをかき鳴らす彼女の姿にナイも気をよくしたのか、箸で弁当のおかずを口に運んでやるのだった。

「サモリってホントプロ級じゃん、すごいすごい」

 こいつは時々他人のことを酷く持ち上げる癖があって、前の前の世界で俺は幾度となく自信の面で助けられたっけ。

「あたしよりうまい人は沢山いるってば。ま、界隈じゃあそれなりに重宝されてるけどね。先割れスプーンくらいには役に立つっていうか。馬鹿とはさみは使いようっていうか」

 シズ姉が、

「一度、ちゃんとした舞台で聞いてみたいですね」

 と言った。俺はふとあることを思い出したので、何気なく言ってみる。

「そう言えばもうすぐライヴがあるからその時に……五月の最終週だっけ?」

サモリは心底驚いたようで、

「ホワ!? どうしてヒィロがそのこと知ってるの!?」

 サモリの不意の驚きにその場の全員が俺の方を見た。不味った。あのライヴへの参加の誘いはかなりサプライズな出来事だったんだっけ。現時点で俺が知るはずはない。

「直前まで誰にも言うつもりなかったのに。スパイ計画か何かみたいに。それが自立ってことでしょ?」

 全然違うと思うが。ナイは何を勘違いしたのか、

「すごいじゃん! 以心伝心ってやつ!? さっすが! 一緒に住んでるだけあるぅ!」

 なんて言ってる。シズ姉もクスクス笑ってる。俺は、

「まあ、こんなもんじゃないのかな、幼馴染としては」

 と言って本来言い逃れようのない予知能力をごまかした。サモリ本人が感じている違和感はもみ消せないだろうが、彼女は「そんなもんか」という顔でナイの差し出す胡瓜スティックにかぶりつくのだった。

 そうだ。もうすぐライヴの日が来る。その日に少しは仲直りできるといいな。


 俺にとっては最初の世界以来のご来店だ。ボロいライブハウスの中、白熱電球に照らされるホール。ナイとシズ姉はこの世界では初めてのはず。待ちきれない様子のナイに、落ち着かない様子のシズ姉。俺の記憶通りだ。ナイは興奮しながら俺にこう言う。

「ねえ、サモリの今回の演奏はどんなかな!? ヒィロは何回も聞いてるからわかるでしょ!?」

 そうじゃないんだよなあ。この世界で暮らして以来、隣の部屋からギターの音色が聞こえてくることはよくあったが、なんだかそっとしておかねばならないような気がする音だった。寂しい旋律。近寄りがたいと言ってもいいかもしれない。この世界の初音ヒィロもきっと自分から積極的に「聞かせてくれよ」とはいかなかったんだろうな。サモリが自分の部屋に閉じこもって弾くときのギターは、滝浴びか何かのようで、割って入る余地がないのだ。

 そんなことをモヤモヤずっと考えていると、前半のイベントが終わった。サモリの出番だ。隣の二人と違って俺は既に一回聞いているからとりたてて驚くということはなかったが、それでもいつものアイツとは全く違うその雰囲気は意外に思えるほどだった。俺は注意深くサモリの姿を観察する。プロにもアマチュアにも似たような性質が存在しない個性的なかすれ声。ギターの演奏技術。魂を揺さぶる情感。どれをとっても一級品で、十分プロとしてやっていけるじゃないか。非凡。天才。ダイヤの原石。そんな感じだ。サモリがこうして輝くのを見る機会はこれだけだったし、前も見たわけだが、伝わってくる熱量はまさしくホンモノ。素人とは隔絶しているのだ。

 拍手の中、頭を下げるサモリ。

「すごかったじゃん! ほんっとに!」

「ええ、私、感動して……」

「あー、シズ姉泣いてるー!」

 俺は二人の前も聞いた会話を聞きながら、前以上に注意深くサモリの様子を見ていた。バンドのメンバーと、指示を出したり出されたりしながら一個のチームとしてちゃんと動いている。これまでのアイツの観察結果ではとても集団行動ができるようなタイプではなかったのに。なんとなく、サモリが自分の知らない場所で自分が知っている以上にちゃんと振る舞えているという事実に落ち着かないものを覚える。意外さ。自分の知らない一面。独占欲だろうか。それを抱けるくらいにはあいつを好きになり始めているということだろうか。わからない。


「おんぶ」

 暗い帰り道、前と同じようにサモリが負ぶってくれとせがんできた。この世界では全く気兼ねがないから何も問題はない。そして前回とまったく同じタイミングで二人がトイレにいなくなり、全く同じタイミングでサモリがパパ、と寝言を呟いた。それが聞こえてからほんの少ししてから俺は、

「サモリ、起きてるんだろ」

 と言った。うん、と返って来る。俺は負ぶっていた彼女に後ろに降りてもらって、ベンチに並んで座る。気をつけなきゃ。前は直球で父親の話題に触れて泣かせてしまったんだっけ。別の話題、別の話題。ああ、こんなのがいいかな。

「お前さぁ。形見のギター、いつもあれを使うんだな」

 サモリはまだまどろみの中にいるのか、黒だの銀だののブレスレットの嵌った両手で顔をぬぐいながら、

「そうだね。弾き語りの時も使うよ。それも来る?」 

「弾き語りなんかするのか。聞いてみたいな」

 こちらを向いてくれる。その顔はこいつに似つかわしくない、好意と照れと嬉しさのない交ぜになった、複雑かつ素直な笑みだった。

「そっちはなんだか恥ずかしいんだけどね。0点の答案ほどじゃないけど。だから学校のみんなを呼ぶのは抵抗が、ね。でもいいよ、ヒィロなら」

 俺も笑いかける。なんだか初めてこいつの心に触れられたような気がする。この前の喧嘩の仲直りはもう済んだようだ。

「お前はあのギターを弾くことに没頭してる時が一番多いよな。俺やナイやシズ姉に聞かせるときの誇らしい感じとか、一人で弾いてる時の悲しそうな音色とか。今日のライヴももちろんよかったけど、日常のお前のあの姿も好きだよ」

 サモリはベリーショートの頭を掻いた。

「そーなのかなあ。そーなのかもね。一番私を見てくれてるヒィロがそう言ってくれるなら。あのギターは特別だから」

 俺は少し踏み込むことにする。

「由来、聞いてもいいか? 聞いたっけ?」

 この世界の初音ヒィロは。デリケートな問題だったか? サモリは背中のギターケースの中に仕舞ってあるはずのアコースティックギターを、まるで今持っているかのように弾く真似をする。空気を撫でるように。愛おしそうに。満足するまでカラ演奏をすると、おもむろに切り出した。

「言わなかったっけ。あのギター、パパの御手製なんだ。ていうかものすごい前から知ってるはずなんだけど。一緒に住み始めたころから知ってるはずの。中学校のお勉強より付き合いの長い知識のはずなんだけどなあ」

 そうだったか。この世界の「俺」は知ってるはずだったか。だが聞かなきゃいつまでも俺にはわからないことだ。いつかは通らなきゃいけない関門だ。こいつの心に近づくためには。

「ああ、そうだったな。思い出した、思い出した」

 ごまかす。変に違和感を持たれて「君は本当にあたしの知ってる初音ヒィロなの?」と言われたらたまったもんじゃない。

「形見なんだよな。あれはお前の……」

 父親の。みなまでは言わなかった。その時俺はふと、前の前の世界では何故こいつは泣いてしまったのか気になった。確か、寝言でパパと言っていたよ、と伝えたのが悪かったんだったな。どうしてだろう。サモリを見ると、目をこちらに向けて、じっと強い視線を送ってきている。また泣かせてしまうのか? 急に俺は怖くなった。

「ヒィロはさ」

 だが涙の代わりに出て来たのは恐る恐るという調子の、

「私のことどれだけわかってくれてる?」

 という質問だった。俺は面食らう。正直、ただの友達として付き合ってる時にこの自由人を「わかってやれた」ことなんて一度としてなかったし、一緒に暮らすこの世界に来てからもそんな体験は全くなかった。

「あー、そうだな」

 助けてくれ、この世界にもともといた「俺」。いや、もしかするとお前もサモリのことわかってないんじゃないのか? 俺は頭をボリボリ掻くと、ごまかしなのか本心の吐露なのか自分でもわからない話を始める。

「結局俺なんかさ。まだガキだからさ。そこまで人のことをわかるチカラがあるとは思わないんだよな。実際。だってそうだろ? お前は本質的なことは絶対言わないし、そこに迫られると痛いところに触られたみたいに逃げるし。わかりっこないよ。でも安心していいよ。父さんと母さんはたぶんちゃんとわかってるから」

「父さんと母さん」

 サモリは俺の言葉を繰り返す。彼女の目はずっとこちらをその中に収めているのに俺の方はと来たら、あっちへこっちへせわしなく映っただろう。

「そうだよ。父さんと母さんだ。俺たちの……違う、そうじゃない、忘れてくれ。そうじゃなくてだな。あー」

 俺がいい淀んでいると、サモリは予想の範囲のセリフを吐いた。

「私の両親はヒィロの両親じゃないよ。とてもとても、とてもとても残念だけど」

 やってしまった。強くそう思った。言葉が出ないのに口を閉じることもできない俺から視線を切ると、サモリは立ち上がって、

「先、帰るね。去るよ。風と共に。風と共にサヨナラ。答えは風の中で風に吹かれているから。風にでも聞いてくるよ。風のある日に学校の屋上で風を口に含みながらブツブツやってりゃいつか教えてくれるはず。私の本当の心をね。ヒィロは当てにならない」

「あ……」

 ショックだった。はっきり言われるのは。しかし引き下がらない。俺もベンチから腰を上げる。

「なあ、どうして一人になるのがそんなに好きなんだ」

 サモリは振り返らない。

「理解できないようなことを言って他人を遠ざけて、それで何になるっていうんだ? お前なんか俺やナイやシズ姉がいなかったら学校で一人ぼっちだろ。違うか? どうしてこっちに心を開いてくれない。素直になれよ」

「うるさいよ!」

 サモリらしからぬ大声だった。俺は「やはりシンガーの本気の声は違うな」とか的外れなことを考えた。しかしそんな場合ではない。

「ヒィロは何もわかってない! あたしだって、あたしだって」

 こちらを見たその目には、今度こそ涙が。ダッと駆けだすサモリだった。俺はというと、追えなかった。追ってどうできたというのだろう。これで家とは逆方向に走っていったのならまだ心配もしたのだが、本当に先に家に帰るようだったから敢えて追わなかった。

 トイレから戻ってきた二人に顛末を話したら、シズ姉には同情され、ナイには怒られた。

「そうですねえ。どうしてあげたらいいんでしょう。私も本当のところはわからないんです。ごめんなさい」

「シズ姉は甘いよ! ヒィロは幼馴染なんだよ!? もっとわかってあげなきゃだめでしょ!?」

 幼馴染だからってそんな法はないと思うが。しかし俺は反論もせず、駅へと向かう二人と別れて夕暮れの中を一人寂しく帰るのだった。

 果たしてサモリは家にたどり着いていた。玄関をくぐってすぐ、二階からくぐもったアコギの音が聞こえて来たから間違いない。夕飯の時間になっても降りてこない。俺は食卓で箸片手にSNSで呼び出したが、返答はなしだ。既読すらつかなかった。相当没頭しているのか、敢えて無視しているかだ。こいつとは頻繁にオンラインで連絡を取り合う関係にはなれそうにない気がした。「今日は○○を食べたよー」なんてのをかわいい絵文字付きで送ってくるサモリなんて想像できない。ナイやシズ姉とは家が隣り合ってる時もそうでない時もそういうやり取りを沢山したものだったが。俺は心配を感じつつも自分の部屋で寝入るのだった。さすがに添い寝には来なかった。

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