第二話 四人の昼食
「なんなのあいつぅ!?」
ナイは怒り心頭と言った様子で自分の作った弁当を口に詰め込んでいる。中庭は今日は人が少なめとは言っても、座る場所の確保には苦労した。一番混んでいる日だと、歩くのにも人を避けなくちゃいけない。乾いた陽気の下、みんな気持ちよさそうに食事をしている。
「まあまあ、人と上手く接する方法を知らない人はいますから。何とか棘にならない言い方でそれを教えてあげられれば良かったんですけど」
シズ姉は甘いよ! と抗議するナイだった。こうして傍で見ていると三者三様の食事風景が面白い。ベンチにきちんと座って、毎日家に送られてくるという有名店のお弁当を行儀よくいただいているシズ姉。誰も盗りはしないのに必死に飯をかっ込んでいるナイ。サモリはと言うとベンチを使わずにコンクリの上に寝転んでバーガーをかじっている。俺はと言うとベンチの横で石畳にどっかと腰を下ろしてあぐらをかいて弁当を広げる。
「絶対変だよ。誰もあの子の携帯の番号どころかSNSのアカウントも知らないし。あり得るそれ!?」
ナイはいつまでもニハヤという少女への非難の言葉を止めなかった。まあ確かに彼女はどうかと思うし、変人だ。それには同意する。
「サモリより変人とか普通じゃないよなあ……。で、何で俺のご飯の上にチーズ付きのハンバーグが乗ってるんだ?」
俺はどう見てもつい今しがたまでハンバーグに挟まっていたようにしか見えない一枚丸ごとのハンバーグを箸でつまんだ。
「あんたにくれてやったの。あたしに感謝しろよ」
「押し付けたっていうんだよこれは!」
「そんな喜ぶなって。そのハンバーグを食べることを許す。アイル・ギブ・ユー・パーミション・トゥ」
サモリはいつもこうなのだ。肉を食べたら死ぬ、が口癖で、そのくせいつも肉入りのハンバーガーを買うのだ。そしてこれまたなぜかわからないが、いつも俺に肉の部分を押し付ける。
「肉食べないのはいいけどちゃんと私の野菜弁当も食べないとダメだよ! サモリは超偏食なんだから!」
ナイがほとんど中身の減っていない彼女お手製の弁当を箸で差しながら言った。
「そうですよ、サモリさん。それに人に勝手に自分の食べ物を押し付けちゃいけません」
そんなナイとシズ姉二人分の叱責の言葉も、
「うぃーっす」
と、サモリは取り合わないのだった。
「ところでシズ姉、さっきの小テスト結局何点だったの? 先生が褒めてたじゃんか」
ナイが訊いた。
「大した点数ではありませんよ」
そうは言いつつも得意げな様子は隠さない。丁寧で礼儀正しいシズ姉だったが、芯から奥ゆかしいわけではないのだ。
「そういうの却ってよくないよ!? おこがましいってやつぅ!? 一位の癖に!」
ナイが箸を振り回しながら食って掛かる。するとサモリが、
「素直にこう言おうよ。ジュ・トゥ・ベニヤハイ」
「えー!? 今なんて言ったのー!?」
「フランス語で祝福するって言ったの」
「どこで覚えたの!? ……あっ」
ナイは禁句を言ってしまったのに気付いたらしい。そう、それはサモリにとっては思い出すのがつらい記憶のはずなのだった。
「別に構わんよ」
しかし彼女はニヤニヤしつつあっけらかんとそう答えるのだ。
「ケ・セラセラ。.私たちの仲だもん。肩ひじ張ってちゃ仕方ないよ。勝手にしたらいい。あたしがそうしてるようにね」
シズ姉が、
「ナイさんまでサモリさんみたいに勝手に振る舞ったら大混乱ですよ」
俺は笑ってこう言うのだ。
「少なくともサモリみたく校則破ったらナイの場合は許してもらえないだろうな」
「そうですね。一芸に秀でていればある程度自由にしても許してもらえるって、なかなかないですよね。変わってるんですよ、日暮ノ里高校は」
俺はサモリを見ながら、
「少女ロッカーだからなあ、サモリは。得意なことがあるのは羨ましいよ」
と言った。しかし三人とも俺のセリフに納得いかなかったようで、口々にヒィロだって、と半ば怒りながら似たようなセリフを投げかけてくる。中でもナイは本気で怒っているようだ。
「ヒィロはヒィロですごいじゃん! テストも運動も家事も何もかもそれなりにできるし欠点らしい欠点が何もないもん!」
「それほどでも」
はにかみながら形だけは謙遜する。俺がにやにやしていると、シズ姉に窘められる。
「ヒィロさん。サモリさんを見習わないと。この人は全然自分の持っているものを誇ったりしませんよ」
サモリはうなずきながら、
「それほどでもない」
と言った。そんな他愛ないやり取りが続く中、ふとナイがこぼすのだった。
「みんないいなあ、取り柄があって。私は何もないもん」
サモリが寝っ転がったままナイの作った野菜炒めの茄子を箸でつまんでしげしげ眺めながら、
「こんなおいしい野菜炒めはなかなかないよ、とでも言えば元気出る? あたしもなかなか気遣い上手だねえ」
と褒めた。いや、褒めたつもりなのかどうなのか。少なくとも素直な言い方じゃない。
「サモリさん。自分で言っちゃあ台無しですよ」
すっかり窘め役となったシズ姉なのだった。
「あー、なんか変な言い方された! 作ってあげないよ、そんなこと言うと!」
「あたしはパンだけでいーしー」
「自分を人質に取らないで! そっちが飢え死にしたら私のせいになるじゃん!」
俺とシズ姉は笑い合うのだった。
こういうなんでもない時間が幸せなんだろう、なんてフツーの高校二年生が考えたりもしないようなことを俺は感じていた。静かな幸福感。心に感じる温かさ。
(こんな日がいつまでも続けばいいのに)
だけどそうじゃないことは知っている。今しかできないこと、今やらなければ永遠に消え去ってしまうこと。俺はまさしくそんなものの中にいた。じっと空を見上げる。青と白の綺麗なまだらが視界を飾った。