第十八話 第三の少女
俺はベッドで目覚める。前の時と同じだ。今度は混乱して「これは夢なんじゃないか」とか思ったりしない。当然だ。起きて、首から下がっているペンダントを手に持って見つめる。またこいつに助けられたな。今度はどんな世界に連れて来てくれたんだか。まあ大方予想はついているが。パジャマのままダイニングに降りて行く。テレビの声が頭に響く。
「中東各国で発生したこの現象は専門家も頭を悩ませており、一部の見解では国家規模の突発的な消滅もあり得るとの見方が……」
「ヒィロ! もう、ここのところいつも遅いからぁ。早く食べて学校行きなさい」
三回目ともなればこれが五月一日の朝に交わされた会話だとわかる。ちゃんと覚えてるさ。予想通りの流れ。
「ヒィロ? アーリーバードは三文の得、だよ。昨日何か変な事でもして夜ふかししたんじゃないのぉ?」
だがこれは予想外だった。俺の寝ぼけ頭は一瞬にして覚醒した。「今度」がサモリなのはいい。予想から外れてはいない。しかし、まさか……。
「おはよ、ヒィロ。どうしたん? 驚いた顔して。あたしの美しさに今更気付いた?」
「お前の顔は中の中だろうが」
ついそんな言葉を返す。しかしサモリの顔のレベルなどどうでもいい。問題は……。
「何でサモリがここにいるんだ?」
それだった。母さんが怪訝そうな顔を向けてくる。
「何言ってるの? ヒィロ。サモリちゃんは昨日外泊なんてしてないわよ」
「外泊?」
ちょっと待て。頭を整理しよう。ちょっと待て。
「それじゃあな、行ってきます」
父の声が玄関から響いた。
「ヒィロ、サモリ、今日は遅くならずに帰って来るんだぞ」
「はぁーい」
サモリが返事をした。つまり、これは、
「サモリってこの家に住んでるの?」
お前は何を言ってるんだ。そんな母さんとサモリの怪訝そうな顔が俺に向けられた。そうだ。そりゃあそうだろう。そういう設定でずっと幼馴染として暮らしてきたということになってるんだろうからな。俺はごまかそうとする。
「あ、いや、ゆ、夢でさ。どうも、混乱してたみたい。ははは」
俺は廊下につながるドアを出てそれを閉じる。深呼吸だ。一回、二回。はい、十分。もう一度ドアを開ける。また俺に視線が注がれる。
「ヒィロ」
母さんがしょうもないものを見る目で俺を見てくる。
「馬鹿なことやってないでちゃっちゃと食べちゃいなさい」
俺は仕方なしに現実を受け入れるしかない。サモリの向かいに座ると、並べられた俺の分と思しき朝食を摂り始める。ちらりと黙々とフォークを口に運ぶサモリを見る。ブロッコリー、レンコン、ハッシュドポテト。俺のはそこに目玉焼きとベーコンが加わっている。肉嫌いはこの世界でもちゃんとそのままのようだ。唐突になんだかよくわからない文句を挟む癖といい、やはりこいつは根津サモリで間違いない。俺は最低限の知識を得るためコミュニケーションを試みる。
「なあ、サモリ」
「んあ?」
口からブロッコリーをポトリと取り落としながらサモリが間抜けな顔を向ける。
「えっと、俺たちってさ。何年くらい一緒に住んでたんだっけ」
サモリは犬食いしていた身を起こして天井を仰ぐ。むっちゃむっちゃと咀嚼しながら、
「んえー? そうだなあ。始まりはそう、遠い昔、遙か彼方の銀河系で。メッチャ昔じゃん」
「なつかしいわあ」
母さんが父さんの分の食器を片付けながら呟いた。
「でも珍しいわね、ヒィロがそんな昔の話をするなんて」
「ああ、なんか気になってさ」
実は爆弾だったりしないだろうか。注意深く斬り込んで行く。俺の予測によれば少なくとも「一緒に住むきっかけになった出来事」は地雷だろう。
「七年かな」
サモリが言った。
「うん、ジャスト七年だわ。あたしがここに住み初めて。借り暮らしをはじめてさ」
他の女の子が俺のことを「ヒーロー」扱いしてくれる思い出と同じ時期。
「いやだわ借り暮らしなんて」
母さんが言う。
「母さん、あんたはヒィロの妹だと思ってるんだからね。ここはあんたの家よ」
「あたしの方が妹なの? お姉ちゃんじゃなくて?」
「いやそれだけはない」
俺はナチュラルにそう言う。むすっと膨れるサモリだった。そりゃそうだろう。シズ姉が同じ立場だったらノータイムで姉と言ったが。誕生日の遅い早いとは無関係だ。
先に食事を始めていたくせにいつまでも食べ終わらないサモリを尻目に俺は準備を済ませる。さあ後は出かけるだけだという段になって見ると、まだグズグズしている。このままじゃ遅刻だ。
「先に行くぞ、サモリ」
「女を急かす男は嫌われるよ」
「はいはい」
なんだか、初日(俺にとっては、だが)から自然に家族として振る舞えている感じがする。この世界の初音ヒィロとは違って、こいつと共有しているバックボーンは何もないのに。
思ったよりも遅刻しそうにない時間に家を出ることが出来た。普通に通学路を歩いていても十分余裕がある時間だ。鞄とギターケースを背負ってえっちらおっちら歩くサモリを伴って。それにしてもこいつはいつもこういう風にギターを背負ってこうして坂を登っているのか。部活で軽音部にでも所属しているわけでもないのによくもまあ。前と、前の前の世界とこの習慣が一緒なら、毎日ということになる。
「そのギター、形見なんだっけか」
サモリはなんとなくこの話題が嫌なようだ。じろりと横目で俺を見た後、「そうだよ、知ってるでしょ」と言った。
「せっかく持ってくるんだったら部活に入ったらいいのに。学外のバンドに所属するだけじゃなくってさ」
サモリは大げさにため息を吐く。
「ダメだなぁ、ヒィロ。ダメダメさ。ユー・ドン・ゲティッ。.わかってない」
「何がだよ」
「自分の居場所は自分で作らないといけないんだよ。だからあたしは用意された場所じゃない、新しい場所に飛び込んで行ったの」
なるほどな。こいつにしては、いや、案外こいつらしい殊勝な心掛けじゃないか。
「じゃないと、この世界に私の居場所なんて」
「え? そんなことないだろお前」
「なんでもない、忘れて」
それからは、無言。こいつにもやはりこいつなりのこんがらがった感情があるのか。まるで俺はエージェントだな。他の世界に送られては女の子の抱える問題を解決するという。
学校に到着すれば、いつもの残りのメンバーからの歓迎が待っている。
「おはよ」
とサモリが言えば、
「あ、遅いよ! サモリ、ヒィロ!」
ナイが跳ねるようにこちらを向くなりそう言った。
「おはようございます、お二方」
シズ姉。やはり、この様子だと前の世界のことは忘れているというか、そもそも関係ないらしい。俺は努めて平静を装いながら、
「こいつが朝飯食うのが遅いんだよ」
「ヒィロが変な話振るのが悪いんじゃん。俺たち結婚何年目だ? とか言って」
「いや確実にそんなこと言ってない」
「あー、のろけてる!」
ナイが叫んだ。すると周りの連中からもクスクス笑いが聞こえて来た。何だ。何だっていうんだ。この世界では俺とサモリは公認の仲なのか? まあ、一緒に住んでるって知られてるんだったらそんなもんか。サモリはそんな生暖かい視線などどこ吹く風で、ロッカーの横にギターを置くとナイと一緒にシズ姉の席にたむろするのだった。