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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第二章 千駄木シズル
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第十七話 再びの終わり

 引きこもれば時間の進みも早く感じられるようになる。世界の終わりが来るまであっという間だった。前の世界では今頃ナイと公園デートしてる頃だろうな。目の前で『闇』が現れたんだっけ。この家は『闇』に飲み込まれるんだろうか。あの学校にいないと飲み込まれてしまうんじゃないだろうか。しかし既に俺は布団を被った暗闇の中にいる。これならいきなり飲み込まれてもわからないだろうな。と、皮肉な心持になる。大分病んでるな、と自分でも思うが、どうしようもない。

「ヒィロ」

 母の声だ。ドアの外から。今回は前のように消極的な態度はとらない。なんだい、母さん、と返答する。

「ヒィロ。よく聞きな。ニュース見てるとね、どうももうダメみたいなんだわ。だからね、母さんと父さんね、最後くらいはお前の顔を見たいのよ」

 俺は怒らなくていい所で怒る。

「ほっとけよ! もう世界は終わるんだよ! シズ姉のことだって、俺には助ける力なんてなかった。もうこれでいい。このまま俺は次の世界に行く!」

 そう言って俺は布団の中でペンダントを握りしめた。

「そう言わないでおくれ。さあ、出ておいでよ」

 張らなくていい意地を張っている。どうせ時間を巻き戻して世界を移動できるんだからと俺は高をくくっているんだ。それが自分でもわかった。その事実でもって傷ついた自分を甘やかしているんだ。

「ヒィロや」

 お母さん。すまない。今は、一人にしてくれ。俺なんかこういう時に起き上がる元気も起きないダメ人間なんだ。シズ姉のことだって救えるはずもない。もういい。俺なんかに構わないでくれ。こんな俺にまだ何か言うつもりか?

「ヒィロ、聞いておくれ」

 俺は言葉を返さない。だが一応聞き耳は立てている。

「ヒィロ、あんたのことは本当にお母さん産んでよかったと思ってるよ」

 ごめん、そんな言葉も俺には響かないんだ。

「あんたのことはずっと見て来たよ。親なんだから当たり前だけど。生まれたばかりの時からこんな大きくなるまでずっとね。一度も目をそらしたことなんかなかったよ。理想の親じゃなかったかもしれないけど、それなりにはね」

「母さんは理想の親だよ」

 俺はそれだけ言うことができた。ドアの向こうの気配が温かくなった。

「ありがとうね。ヒィロ。あんただって理想の息子だよ。子供なんて、ただ生まれて来ただけでいいんだからね。それだけで理想の子供だよ」

 そういうモノなのかな。

「あんたはとっても優秀な子だったけど、母さん、たとえあんたが何もできない子でも、生まれて来ただけで褒めてあげたいんだからね。それは忘れないでね」

 そうか。そうなんだ。こうなって初めて褒められてうれしいんだ。なにも褒められるようなことがなくても肯定してくれる安心感があるから何かで認められるとうれしいんだ。そうか。そういうことか。だからシズ姉は……。

 俺は布団を跳ね飛ばした。もう時間がない。わかったんだ。ついに。俺はパジャマから急いで外着に着替えてドアを開ける。驚いた表情のお母さんがいた。

「母さん、わかったんだ、俺……」

「ヒィロ!」

 俺は母さんに抱きしめられた。あの時のシズ姉にそうされたように。強く、強く抱擁された。だが泣いているのは今度は相手の方だった。母さんは大粒の涙を流して俺に抱きついていたんだ。父さんも二階に上がってきた。

「母さん、父さん、ありがとう。産んでくれて。でも、俺、行かなきゃ」

 それだけ言うと、母さんも察したようで、離してくれる。その目は語り掛ける。どこへ? と。

「シズ姉のところへだよ。シズ姉が今俺の周りで一番助けを必要としてるんだ。行かせてくれ」

 母さんと父さんはじっと俺のことを見つめていたが、ためらいつつ笑うと、行ってきな、と言ってくれた。ありがとう、ありがとうと俺は何度も言いながら家を出た。必ず学校の屋上に逃げるんだ、と言い残して。

 もちろんシズ姉の家は隣だからちょっとの話だ。俺はズカズカと庭に入るとインターホンも鳴らさずに玄関の扉を開ける。

「シズ姉! 千駄木さん! いるよな!?」

「な、何だ!?」

 中の様子はわかっている。声とテレビの音からして中心のリビングにいるようだ。俺はそこへと通じるドアを開ける。果たして、二人はいた。離れて座って『闇』に関する報道に見入っていたようだ。無論今はいきなり入って来た俺に視線がくぎ付けになっているが。

「やっとわかったんだよ! シズ姉」

「な、なんですか、ヒィロさん、いきなり」

「千駄木さん!」

 俺はしょぼくれた様子でいる親父さんに叫ぶように語り掛ける。向こうは突然のことにキョトンとしている。

「人間は何事かを成さないと認められたりはしないって言ったな!?」

「何を言うんだ、いきなり……」

「ヒィロさん? どうしたっていうんですか」

 俺は構わず続ける。

「でもな、親だけは別なんだよ! 生まれて来ただけで褒めてあげなきゃなんないんだよ!」

「そんな甘ったれた育て方はしてないんだよ私は!」

 まさか反論が返ってくるとは思わなかった。

「私がいなければこの子は今のようにはなっていないんだ! いきなり来て何を言いだすかと思えば! 邪魔しないでくれ! 私たちはせめて親子二人で邪魔されずに最後の時を迎えたいんだ!」

 しかし俺はめげない。

「確かにあんたがいなけりゃシズ姉は今のようにはなってないさ、でもだからと言って奴隷やお人形にしていいわけじゃない。それに心が通じ合わない状況で最期を迎えたいだぁ!? ふざけるな! 何もなくても頭とか撫でてやれよ最後くらい! 何離れて座ってんだ! 抱きしめるとかなんとかあるだろ!」

 今度は黙ってくれたようだ。反論する気がないのか、言葉が見つからないのか、それとも納得してくれたのかはわからないが。

(こんなもんか)

 俺はこれ以上言葉を紡ぐのをやめると二人を交互に見た。ぽかんとしているシズ姉と、ぎゅっと口を結んでこちらを睨んでいる親父さんをだ。

「父さん……」

「シズル。お前は黙っていなさい。さあ、ヒィロ君には出て行ってもらおう」

「やめてください」

 親父さんはシズ姉の方を見る。驚いているようだ。おそらく自分に反抗する娘の姿など想像したこともないんだろう。

「何のつもりだね、シズル」

 シズ姉は毅然として、

「どこで最期を迎えるか、私が選びたいんです」

「なんだって!? ここ以上にふさわしい場所があるというのか?」

「ありますよ」

 シズ姉の目線と俺の目線が恋人同士のように交わった。彼女は視線を自分の父親に戻すと、

「私はヒィロさんと最後を迎えます。私は私のことをわかってくれている人と一緒に死にます。あなたとではありません」

「私以上にお前のことをわかっている人間なんかいるものか!」

「いますよ」

 もう一度、俺の方を見てくれる。

「ヒィロさんです」

 親父さんはその言葉を聞くと口を開けて俺とシズ姉を交互に見た。

「それは本心かね?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

「そうか」

 どさっと椅子に自分の体を投げ出す親父さんだった。手で自分の目を覆って、疲れ切ったような様子だった。

「父さん」

 シズ姉がそんな父親に呼びかける。

「私は最後だけは自分の意思を貫かせていただきます。私はあなたの奴隷じゃありません。ごめんなさい」

 謝ることなんて一切ないのにシズ姉は謝るのだった。親父さんは目をふさいだまま手を振って、

「わかった」

 と言った。

「二人で、二人きりでどこへなりとも行くがいいさ。だが私はここを動くつもりはないよ。亡き妻の思い出と共に死ぬつもりだ」

「でも、父さんも一緒に……」

「行け! 行くんだ! ヒィロ君と一緒に行くんだ!」

 すてっぱちになったような叫びだった。俺は千駄木さんに、学校の屋上に来るように言った。もし、その気があるのなら、と付け加えて。そして、俺たちが手を繋いで部屋から駆け出ようとしたとき、

「シズル」

 と呼び止められた。こちらを見ずに、目を覆ったまま、

「私は怖かったのかもしれない。お前があまりに自分の意思を表さないもんだから、私自身が正しいと思ったことを無用に押し付けすぎてしまったのかもしれない。だがそれは間違いだったんだ。今わかった。お前が私に反抗してくれたことに、私は本当の安心を感じたんだ。ありがとう。ヒィロ君。気づかせてくれて」

 俺は無言でもって返答とした。親父さんは手をどけて目を開けると、シズ姉を見て、

「シズル。大きくなったなあ。よく、見てなかったよ。今まで。こんな父さんを、許してくれ」

 シズ姉は泣いていた。いつからかは知らないが。結構シズ姉の泣き顔をよく見るよな、いや、そんなことないか。なんて考えていた。だが今回のは間違いなく、うれし泣きだから、よかった。

「さよなら、父さん。ありがとう」

 それだけ言うと、シズ姉は俺の手を引いた。学校へ向かわなくては。ペンダントは持っているな。これがなければ一大事だ。


 走る。シズ姉の手を引きながら。『闇のカーテン』が次々に街を覆っていくのを尻目に。走りながら切れつつある息で、

「ヒィロさん、どうして学校へ行くべきだと思ったんですか?」

「勘だ!」

 前の世界でそうだったから、とは言えないし、自分以外の人がどうなるかもわからない。それでも行くしかなかった。

(父さん母さんは学校に行っただろうか)

 俺はそこも気になった。学校への坂を上がりながら考える。もしかしたら二人は家ごと『闇』に飲まれているかもしれない。ふと、『闇』の内部で地獄の業火に焼かれている両親の姿が目に浮かんだ。また、俺だけ助かるんだろうか。ズルい気がした。だが今は少しでも『闇』から逃れねばならない。その先がどうなっているかわからなくても。

 校庭に着いた。前の世界と同じように、避難してきた人たちでごった返している。その中にはやはり烈都ニハヤもいて、

「烈都さん!」

 シズ姉が駆け寄っていった。

「無事だったんですね!? サモリさんとナイさんを見かけませんでしたか?」

 ニハヤは突っ立っている。長い長いストレートの髪を揺らしもせず、じーっとシズ姉を見ている。何かを口ずさむように唇を動かしている。異様な様子だ。黙ってしまうシズ姉と俺だった。俺は、

「二人は家が離れてるからここに避難してくるとは思えないよ。できるだけ上に行こう」

 と言った。シズ姉はニハヤから視線を外してこちらを向くと、頷いて従ってくれた。律儀に靴箱のところで靴を履き替え、屋上に上る。今回はそこへ一直線だ。屋上へ出ると、やはり前の時と同じように、人っ子一人いなかった。

「すごい光景ですね」

 シズ姉が言った。その通りだ。眼下に見下ろす街には幾本も『闇のカーテン』の柱が立っていた。前も見た、絶望的な景色。

 ふと、俺たちはシズ姉の家を出てからずっと手をつないでいたことに気が付いた。俺が引いていたのだ。九月だというのにシズ姉の手は冷たかった。

「ヒィロさん……」

 その手が震えているのがわかった。そりゃ怖いだろう。世界のどんづまりで世界が終わるのを見届けなきゃいけない。まさにそんな気持ちだ。

「私、思い残すことは、あります」

 俺はその言葉に驚いて隣の彼女を見る。そうならないように頑張ってきたのに。

「もっと、父さんとお話ししたかった」

「そっか」

 そりゃそうだよな。これからってところだったから。でも、これ以上何ができたというんだ? 二人の間のわだかまりを解くのだけで精いっぱいだったじゃないか。

「でもいいんです」

 シズ姉がこちらを向く。その美しい顔には力が抜けた様な、これから泣いてしまうよ、と言った感じの儚い笑みが浮かんでいた。いつも微笑むシズ姉らしさが、この最後の時にもあったということだ。シズ姉は俺の右手を両手でぎゅっと握ってくれた。

「父さんに自分の思いをちゃんと言えたから、それすらできなかったら、本当に後悔していたと思うから。あの何かがずれような家の中で、人形の様な心持で世界の終わりを迎えるより、ずっとずっといいんです。ありがとう、ヒィロさん。私を解放してくれて」

「シズ姉」

 俺たちは見つめ合っていた。長いこと。周りを『闇』が囲っても、気にせずに。

「好きです、ヒィロさん」

「俺もだよ。シズ姉」

 シズ姉の目尻から涙がこぼれた。それをぬぐいながら、

「もう、女の子の方に言わせちゃだめですよ」

「ごめん。好きだ。好きだよ、シズ姉」

「知ってますよ。ずぅーっと前から」

 俺は天を見上げた。もう既に闇がそれを覆いかけていた。そしてついにすべてが覆われる。完全な暗闇が俺たちの間に満ちる。互いの顔も見れなくなる。暗くなった時、シズ姉がキャッと叫んだ。俺は大丈夫だよ、と言う代わりに握っていた右手の力を強めた。

「ヒィロさん、怖い」

 俺は左手でペンダントを握る。震え始めたそれがエメラルドグリーンの光を発し始めた。シズ姉が不思議そうに問う。

「これは?」

 淡い緑色に浮き上がった彼女の顔を見ながら、俺はこう言うんだ。

「さよならだ。シズ姉」

 残酷な言葉だった。

「どういうことです!? ヒィロさん」

 ふと、本当にこのままもう一度世界を移動してしまっていいのか、と思った。ここでシズ姉との愛に殉ずるのが正しい在り方なんじゃないかと。ナイとの恋愛にはそうできなかったのなら、せめて……。

 しかしそう思って間もなく、光が全てを包んだのだった。シズ姉の呼ぶ声が聞こえるが、それはもう遠い世界の出来事のようだった。俺は眠いような、気怠いような感覚に支配される。これは前の時も感じた感覚だ。そして聞こえる、あの声。

「それでいい。それでいいのよ」

 俺の意識は遠のいた。

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