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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第二章 千駄木シズル
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第十四話 方針決定

「シズ姉ってホント優秀だよね~」

「そんなことはありませんよ」

「アブソリュートリィ。.ナイの言う通り。なんていうの? さすがデキたお嬢様っつーか」

 シズ姉がまた小テストで高得点を取った。クラス一位。先生もいちいち褒めたりしない。みんなシズ姉が一番だとわかっているから。むしろそうじゃなくなった時の方が注目されるだろう。

「優秀だよ~、優秀!」

 ナイはシズ姉の机の周りで跳ね回るようにそう連呼するし、サモリはずっとニヤニヤしている。だんだんとシズ姉の微笑みが困ったようなひきつりを帯びていくのを俺は見逃さなかった。変だな。前まではナイしか見えていなかったのに。

「まああんまりそういう言い方はするなよ。却って突き放すみたいだろ?」

 俺の言葉に三人は初めて気づいたようにこちらを見る。そして、

「うーん確かに褒め殺しは失礼だったかも」

「そうかもね。それにあたしシズ姉には英語では負けたことないし」

「サモリは他の教科が壊滅的でしょ!?」

 二人は他の話題に移ったようだ。俺は黙ってしまったシズ姉を見つめる。優秀だ、と言われることに何か穏やかではいられないような感情、コンプレックスでもあるのだろうか。心の中でそう問いかけても、彼女は答えてはくれない。ナイとサモリの掛け合いを見ながら前髪を穏やかに撫でつけるだけだ。

 気付いてみると、ナイとシズ姉に交互に視線を向ける俺がいた。何だっていうんだろう。俺はナイが好きだったはずだ。絶対にそのはずだ。しかし今は……。シズ姉のすらりとした細い背や、ウェーブがかかった長い髪なんかに目が言っている。ナイの少女然とした体とは全く違う、その美しさ。いや、何を考えてるんだ俺は。しかし男とはこういうモノか。別れてもまだ好きな相手と好意を寄せてくれる相手なら後者の方が気になるとかそういうのか。しかも性的魅力という点で勝っているとするなら……。下衆いな、俺は。仕方ないのか、それとも罪深いのか。

「どうかしたんですか?」

 そんな俺の様子がシズ姉に見止められてしまったらしい。悩める内面まではさすがにばれていないことはキョトンとした表情のおかげで分かった。

「あ、いや、なんでも」

「なんでもって、私の方を見ていたじゃないですか。何かおかしなところがありましたか?」

 ナイならきっと「エッチな事でも考えてた?」とか、少なくとも俺の好意の目線に気が付いてクスクス笑いを浮かべるところだろうが、シズ姉は違った。どうやらこういうのには疎いらしく、本当に訳が分からないという顔だ。

「なんでもないさ」

 俺はそう言ってこの流れを打ち切った。


 おかしい。授業中も、昼時も、一緒の下校の時も、意識してしまう。部屋から出たあの時に感じたシズ姉の柔らかさを思い出してしまう。ナイが「いない」、終わりを約束されたこの世界で、シズ姉だけが興味を引く相手だった。それ以外の日常は繰り返し(レペティション)に過ぎない。ただナイがそばにいないという違いがあるだけ。一度経験したはずの物事をもう一度同じように体験する、張り合いのない生活。一度見たニュース、テレビ、話題、テスト、出来事。ただシズ姉といる時間だけが俺にとってみずみずしい時間だった。客観的に見ても、彼女に惹かれるのは無理のないことだな、と思う。許してくれ、ナイ。この世界には「いない」相手に、俺は心の中で謝った。そして、シズ姉が向けてくる好意に、向き合うことにしたんだ。


 こんな流れは前の世界ではなかったぞ。俺は珍しい思いに駆られた。

「じゃ、決まりね! 今度の日曜はシズ姉の広ーい家で勉強会ね!」

「中でギター弾いていい?」

「サモリは勉強道具しかもって来ちゃダメ!」

 六月のとあるホームルーム。いつものように俺たちはシズ姉の席に集まって作戦会議だ。ナイの言うように、次の日曜はシズ姉の家での勉強会に決まった。前の世界では、一年の頃に同じような勉強会をしたっけ。この世界ではどういう思い出になっているんだろう。

「久しぶり、だよな? シズ姉の家へ行くの」

 俺は恐る恐る訊いた。自分がこの世界に来て以降、みんなでシズ姉の家に行ったことはなかったから、「久しぶり」というのは間違っていないはずだ。四月以前の記憶を突っ込まれないように気をつけないと。

「何言ってるの? ヒィロ。ヒィロは幼馴染なんだからいつもシズ姉の家に行ってるんでしょ? 子供の時からずっとそうだってシズ姉から聞いてるよ」

 俺は焦った。そういう記憶は俺にはない。どうにか話を合わせないと。

「最近はそうではないんですよ」

 シズ姉が言った。なんとなく言いにくそうに、

「その、五月以来ヒィロさんは一度も私の家には来ていないんです。四月まではよくお茶を飲みにいらしてたのに」

「ふーん、そうなんだ」

 まずったかな。どうやらこの世界の初音ヒィロは幼馴染のはずのシズ姉の家に頻繁に行く間柄だったらしい。なんだか想像できないな。ナイはいい。兄弟の様なものだから。だがシズ姉はどうかな。そうは思えない以上、女の子の家に軽々しくは上がれないだろう。例え「自分」がかつてそうやっていたとしても。サモリがニヤニヤしながら、

「じゃあご無沙汰なんだ」

 と言ってきた。真っ赤になるシズ姉。さっそくサモリはナイに怒られている。まあ、とにかく、久しぶりに(俺の体感時間上では本当に久しぶりに)シズ姉の家に行くことにしよう。


「おじゃましまーっす!」

「いらっしゃい、みんな」

 ナイの元気の良い挨拶と共にシズ姉の玄関のドアが開いた。中から現れたのはもちろんシズ姉だ。促されて家に上がらせてもらう。ナイと俺はお邪魔します、と言ったが、サモリは言わなかった。みんなでホームシアターを借り切ってそこで勉強しつつ映画も楽しんじゃおうというおいしい計画。いざ目的の部屋に行く前にリビングに顔を出して親御さんに挨拶をする。幼馴染という立場の手前、気さくに振る舞うべきなのか、行儀よくすべきなのか、わからなかった。白を基調としたシンプルで観たこともない広いリビング。高そうなソファーにその人はいた。

「おや、いらっしゃいみんな。おやおやヒィロ君、久々じゃないか」

「あ、どうも」

 組んだ足も崩さず、新聞紙を広げたままその人は言った。俺にとってはあまり会ったことのない友人の親御さんだが、この世界の初音ヒィロにとってはもっと親しんだ人のはずだ。無用な緊張を表に出さないように努めてはいるが、できているだろうか。

「大丈夫かね?」

 千駄木さん、と呼んでいたのだろうかどうか。まあ仮に心の中ではそう呼ぶことにしよう。千駄木さんはよくわからない質問をする。

「大丈夫って、どういう意味です?」

「ああ、引きこもっていたと聞いていたからね。顔を見せないものだから今もそうだったのかとてっきり」

「父さん」

 シズ姉が割って入った。

「前にも言ったじゃありませんか。ヒィロさんはもう大丈夫だって」

「そうだったかな」

 千駄木さんは心底興味なさそうな様子で新聞をパラリとめくった。まあこの人の家だし好きな態度をとってもいいとは思うが、なんとなく不快だった。それでは、ホームシアターお借りします、と言って、俺たちはリビングを後にした。

 その後は別にシズ姉の親父さんの話題が出ることもなく、勉強して、映画を見て、家のお手伝いさんの用意したお昼をいただいて、勉強して、映画を見た。勉強はシズ姉がやたら教えるのが上手いもんだから俺もみんなも捗った。英語はサモリが教えたがったが、教えるのが下手過ぎて危うく喧嘩になるところだった。映画は、やたら半熟卵にこだわるフランス人が出てくる話だった。サモリはしきりに濡れ場はないの? と訊いていたが、そんなものシズ姉が選ぶはずないだろう。

「シズ姉ってさ、お母さん故人だっけ?」

 この日のシメの紅茶をいただいている時、サモリが斬り込むような質問を吐いた。絶句する俺とナイだった。普通そんなあけすけに言うか? いや、両親を亡くしたこいつだからこそ言える話なのかもしれないが。

「ええ、そうですよ。病弱な方だったそうで、あまり記憶はないんですけどね」

 座椅子に膝を崩して座ったシズ姉のその姿は、微笑みを湛えてはいてもどこか寂しげで物憂げであった。

「ちょっと、サモリ!」

 流石にナイが口を出すも、サモリは構わなかった。

「じゃあ大変だ。あたしは一応里親二人いるからね」

「そうでもありませんよ」

 シズ姉は平気そうに言う。それは装っているのか、本心なのか。この世界の初音ヒィロならわかったのだろうか?

「家事はお手伝いさんがやってくれますし、お金の面で困ったことなんか一度もありませんし」

「淋しいとか思わないの?」

 今日のサモリは本当にずけずけといくなあ。シズ姉は一瞬言いよどんでから、

「そんなことはないですよ」

 と言った。俺は俺がシズ姉と沢山の時間を過ごした初音ヒィロでないことを恨んだ。


「それじゃあね」

 シズ姉の家の前で俺たちは別れる。駅へと去っていくナイとサモリを手を振って見送る。夕日の赤が目に染みた。

「ヒィロさん」

 俺も家に戻ろうかと足を向けたその時、玄関から靴を履いて出て来たシズ姉が言った。

「少し、歩きませんか?」

「ん? いいよ、シズ姉」

 どうしたの? とは訊かない。何か変だとは思っていたから。二人してオレンジ色に沈んだ町内を歩いた。どちらともなく商店街の方へ。日曜の観光客でごった返すそこをえっちらおっちら通り抜けると、子供の頃よく連れてきてもらった通りに出た。

「懐かしいですね」

「あ? ああ」

 まあ俺の記憶はナイと一緒に来たものであったが。そこにナイの代わりにシズ姉がいたのを思い浮かべてみる。違和感は、すでになかった。

「さっきはああ言いましたが私、やっぱり、その……」

 え? 俺は間抜けな声を上げてしまった。シズ姉は笑って、

「前にも言ったかもしれませんが、不満があるわけじゃないんです。こんな恵まれた生活他にないですもん。ナイさんのように家事を頑張らなくちゃいけないわけでないですし、学業にも集中できるし」

 ああ、さっきのサモリの質問の答えの続きか。言葉を選んでいるというより選ばされているという雰囲気だった。俺はんー、と言った。思い返すのはナイの両親との確執だった。

「でも、実は寂しかったりするんじゃないか? ちゃんとお父さんとコミュニケーションは出来てるかい?」

「話はよくしますよ。学校のことだったり、学業のことだったり」

「そうじゃなくてさ、話したいことはちゃんと言えてる?」

 ナイの両親を相手にした経験が生きているような気がした。シズ姉は歩きながら大分考えているようだった。

「そうですねえ」

 しばらく無言の散歩が続いた。行きかう人は方向も速度もリズムもバラバラで、俺たちと一致する歩調はどれ一つとしてなかった。俺たちだけが一歩一歩をシンクロさせていた。やがてシズ姉が口を開く。

「家事はずっと同じお手伝いのおばさんに頼んでいるんですが、父に何度言っても代わりをさせてくれないんです。ナイさんみたいになりたいんですけどね」

「それはつまり家の手伝いがしたい、と?」

「というか、前も話したかもしれませんが……」

「もう一回話してよ」

 シズ姉はこちらを向いた、大きな目と何かを言いかけたような口からは意図が読み取れなかった。その赤い唇がおそるおそると言った風に動く。

「父に褒めてもらいたいんです、認めてほしいんです。私自身の力を。学業でも、家の手伝いでもいいんです。その、学業にだけ励んでいればいいとだけ言われても、まるで突き放されているようで。そう、もっと父に関わりたいんです」

「それがシズ姉の本当の望み?」

 頷く美しい顔。初めてシズ姉の心に迫ることができた気がした。

「ヒィロさん、私はどうすればいいでしょう」

 おっと、直球で来たな。これはちゃんと受け止めないと。

「そうだね」

 考える。シズ姉の望み、千駄木さんの態度、他に何か考慮に入れるべきものはあるかな?

「あー」

 久しぶりにちゃんと考えている気がする。

「だからさ、シズ姉」

 歩みを止めて向き直る。シズ姉も止まった。向かい合って見つめ合う俺たち。周りからは恋人のように見えただろう。

「なんとかおじさんの気を君に振り向かせればいいんだろ? だったら色々試してみようよ。普通の親が喜びそうなことをさ。シズ姉はいつも学年一位の成績じゃないか。そのことで褒めてくれたりするんだろ?」

 シズ姉は少しうつむいて、

「いえ」

「そっか」

 意外だった。俺の家だったらお祭りムードになっちゃうけどな。

「そっか、それでもダメか。じゃあ、厳しいなあ」

「そうですよね」

 二人して軽く落ち込む。俺は提案する。

「じゃあさ、何かいい方策が浮かんだらメッセ送るから、試してみてよ」

 シズ姉が顔を上げた。笑顔。かわいい。ドキッとするくらい。

「必ず、必ずいい作戦を考え付くからさ」

 その後の家路は、二人で沢山、笑えることを話した。

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