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二度とは来ないレペティション  作者: 北條カズマレ
第二章 千駄木シズル
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第十一話 激しい困惑

 嫌な夢だったな。

 それが朝起きた時の俺の感想だ。まったく、そうだ。夢に決まってる。何が世界の終わりだ。信じがたいほどバカげた夢だ。俺は布団脇の電気スタンドの上の三つ組の円環トーラスのペンダントを取り……うん? 首から下げてあるぞ? 昨日寝るときに取り忘れたのか? まあいい。起きて、パジャマのままダイニングに降りて行く。テレビの声が頭に響く。

「中東各国で発生したこの現象は専門家も頭を悩ませており、一部の見解では国家規模の突発的な消滅もあり得るとの見方が……」

「ヒィロ! もう、ここのところいつも遅いからぁ。早く食べて学校行きなさい」

 俺は母さんに生返事をする。先に出る、との父さんの声にも。そう、ここのところいつも……あれ? ダイニングに立ち入った俺はなんとなくの違和感の正体に気付く。暑くない? 昨日まで夏休み終わりの気候のはずだったのに?

「母さん? なんか今日暑くなくない?」

「そう? 春の陽気で暖かいじゃない。暑いってのは変だけど」

 はあ? 俺は当然の疑問を返す。

「春? 何言ってるの? 今日何月だと思ってるんだよ」

「五月よ。五月一日。まったく、ホントに寝ぼけてるの?」

 ……え? 俺はスマホを取り出してカレンダーを見た。確かに、日付は五月一日を指していた。まさか。いや、あり得ない。たっぷり四か月分もの夢を一晩で見たっていうのか? まさか。

「時間が、戻っている?」

 そうとしか考えられなかった。

「何? あんた、具合でも悪いの?」

 キッチンから出てきた母が俺の顔を覗き込む。俺は何でもない、と言い、朝飯を食べ、まるで何事もなかったように学校へ行く支度を済ませ、登校した。しかし俺の心の中ははてなマークがぎっしりで、モノを考えるのにも支障が出た。ただ、いつも通りの道を歩くルーチンワークで落ち着きを取り戻すしかなかった。とにかく、本当に時間が巻き戻ったのか、夢の中にいるのか、見極めるまではいつも通りに過ごそう。沿う決めた。学校への道を歩いていると、

「おはようございます、ヒィロさん」

「ああ、シズ姉」

 意外な登場だ。いったいどうしたというのだろう。多分、俺は呆けたような間抜けな顔をシズ姉に向けていたはずだ。何かおかしい。正確なところは覚えていないが、この日はナイと一緒に登校したというところは覚えている。覚えているというか、俺が一緒に登校する相手はナイだけだ。想定外にもほどがある。

「珍しいな、シズ姉がこの方角から登校するなんて。駅はあっちだろ? どうかしたのか?」

 するとシズ姉はトレードマークの前髪を揺らしながらあははと笑って、いやですわ、と言った。

「おかしなことを言うんですね。変な冗談」

 おかしいのはシズ姉だ。なんだか変な気分だ。いつものシズ姉ならもう少し抑えたクスクス笑いをするはず。なんだかまるでいつもよりずっと心を許してくれてるような気がする。

「どういうことだい?」

 俺は訊いた。するとシズ姉は膨れたような面をする。これもいつも通りじゃない。

「もう、ヒィロさんったらあんまりふざけないでください」

 それだけ言うと、話題は他に移る。勉強のこと、先生のこと、それから時事問題。それはシズ姉のいつもの調子だったので、俺は少し安心した。出てくる話題は五月にシズ姉から聞いた話題と寸分たがわず同じだったからだ。ただ一つ違うのは、話をする場所が教室ではなく登校の途上だったということだった。他の全てが正確に記憶通りで変わっていないのに、そこだけが異なっているのに違和感があった。

 教室に到着。そのころには俺はすっかり安心していて、シズ姉との話に花を咲かせていた。時間が戻っているという現実も、いつの間にか不思議と受け入れられ、難しいことは明日考えようという気になっていた。なにせ時間が戻る前のあの滅亡していく世界が精神を削ってくれたから、いい加減疲れていた。だから違和感を抱えていても、日常へ帰れただけで俺はほっとしていたんだ。

 2―Cの教室の中から二種類の挨拶が聞こえた。

「うっす」

 枯れた様な個性的な声。

「おはよう! 二人とも!」

 鈴の様な少女らしい声。ナイだ。ああ、ナイ。よかった。また会えた。しかしこらえる。五月のこの段階ではまだ俺たちは幼馴染関係のはずだ。恋人でなく。抱きしめたい気持ちをこらえる。しかし、あれだけ進めた関係がゼロに戻ってしまったなんて。

「あら、おはようございます。ナイさん、サモリさん」

 何だ? また、違和感が。俺はなんとなく感じたそれを抑えつつ訊く。

「あれ? ナイ、先に来てたのか。今日は一緒じゃないと思ったら」

 よく見知ったナイの顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。

「え? ヒィロ、何言ってんの? 私はいつも電車で駅からでしょ? ヒィロとは反対方向じゃん」

 何だって? 俺は続けて、

「な、なにバカなこと言ってんだよ。お前は俺の隣の家だろ?」

 ナイの口がぽかんと開かれた。本気でしらばっくれているにしたらいい演技だ。そこでサモリが、

「アー・ユー・クレイジー? ヒィロ。頭でも打った?」

 なんて失礼なことを言ってくる。俺はもう何が何だか……。シズ姉の笑い声が聞こえた。

「ヒィロさんったら。まだあの冗談を続けるんですか? まったく、仕方ない人ですねえ」

 ああ、そうか。三人に俺はかつがれているんだ。そうかそうか。よくわかった。そういうことか。じゃあもうこの問題は無視してやる。

「ところで今日の弁当は何だっけ、じゃない、何だ? ナイ」

「お弁当? が、どうしたの? 私やサモリのお弁当の中身が気になるわけ? ったく、ヒィロがそんなに意地汚いとは思わなかった!」

 ナイは腰に手を当ててプリプリ怒っている。また違和感だ。

「どうしたっていうんだよ。記憶ではこの日を含めてこれ以降も一度たりとて俺の分の弁当がなかったなんてことは……。いや、すまん、今のは忘れてくれ。これまで一度も作ってくれなかったことなんてないじゃないか」

 また、ぽかんとされる。何だ? 何なんだ? ようやく俺にもこれは異常な事態なんだということが飲み込めて来た。

「あのね、ヒィロ」

 ナイが言った。

「これまで私は『一度たりとて』ヒィロのためにお弁当なんて作ったことないんだからね? だって当たり前じゃん、男子にお弁当作って来るなんて、そうだなあ、ここだけの話好きな相手にしかしないよ」

「えっ」

 これは、これは、これは。どういうことだ。どういうことなんだ。俺はサモリの顔を見た。怪訝そうな顔。次にシズ姉の顔を見た。心配そうな顔。どうしたことだこれは。

「なあ」

「うん?」

 俺はナイに訊いた。普通は絶対にしないであろう質問を。

「俺とお前って、幼馴染だよな?」

「はぁ?」

 心底の疑問符。一片の演技も見受けられない純粋な本音。ナイが体ごと大きく顔を横に傾けて発声したその「はぁ?」にはそんな色が込められていた。それが感覚で確信できた。ナイがさらに続ける。

「ヒィロと会ったのは一年の時が初めてじゃん。何言ってんだか」

 どっと冷や汗が流れる。どういうことだ。この世界はどうなっちまったんだ!

「ヒィロさん」

 呼びかけに俺は横にいるシズ姉を見た。本当に、不安そうに俺を見ていた。

「幼馴染なのは、私ですよ? 隣に住んでいるのも、毎日一緒に登校しているのも、私です。まあ、お弁当は作ったことありませんが……。大丈夫ですか? 夢と混同でも……」

「うわああああああああああ!!」

 がたっと音を立てて後ろにあった机を倒し、俺はのけぞった。クラスが静まり返り、全員の視線が注がれるのがわかった。

「どうしたんだろこの人。突発的狂気の虫にでも憑かれたの? ほんとにクレイジーになっちゃった?」

 と、サモリ。

「本当にどうしたの? 今日のヒィロ変じゃん。いや、変ってレベルじゃないよ!」

 と、ナイ。誰かに手を握られる感触がした。振りかえると、後ろに立つシズ姉が、俺の手を握っていた。

「どうしたんですか? ヒィロさん。顔色も悪いですよ。何が怖いんですか? 子供のころからの長い付き合いですけど、こんなことは一度も……」

「いや、俺は」

 違う。君とじゃない。君とじゃないんだ。俺の幼馴染は、ナイなんだ。ナイの方を見る。怯えたような表情が返って来る。きっと、俺の顔はすがるような情けないものだったのだろう。

 そうだ。これは何かの間違いか、からかわれてるに違いない。まだその可能性があるんだ。俺は荷物を置いたまま教室を飛び出した。背後で「ヒィロさん!」と呼ぶシズ姉の声がしたが、構ってられない。うかつだった。どうして家を出てすぐナイの家を確認しなかったんだろう。大好きで、この世で一番大切なナイ。愛しの幼馴染。この世で一番長い時間を共有した相手。走る。走る。家まで走る。正確には俺の家の隣のナイの家へ。学校からはほとんど直線だ。角は一回しか曲がらない。そう。あの角を曲がればすぐそこに俺の家とナイの家があるんだ。ハァハァと息を切らしながら俺の目の前に現れたのは、記憶とも想像とも違う光景だった。

「何なんだこれは!!」

 そこには見知ったナイの家ではなく、もっと大きな、裕福そうな家が建っていた。俺の家の間取りは変わっていない。なのに隣のナイの家だったはずの場所により大きな別の家が建っているのだ。他の近所の家の敷地が記憶よりも狭まっていた。そして、その新しく出現した家に俺は見覚えがあったのだ。

「これは、シズ姉の家?」

 間違いない。何度か訪れた覚えのあるその家を、見間違うはずもない。だがその外観以外全てが記憶と違っていた。何より立地が、絶対におかしい。これでもう、記憶違いとか担がれてるとか言えなくなった。そう、現実なんだ。これが。現実。俺は胸から下がるペンダントを制服の中から取り出す。これか。これが俺をこんな目に遭わせるのか。ちくしょう。三つの輪が重なった形のそれをチェーンから引きちぎろうとするが、寸ででやめる。そう。今の状況をもたらしたのもこれならあの状況から救ってくれたのもこれなのだ。もし世界の改変が『闇』による世界の終焉にまで及んでいないのなら、またこれの力が必要になるのだろう。

「ヒィロさん!」

 俺はびっくりして振り返る。シズ姉? 何でここに? 声に出さなくても伝わったのだろう。彼女は、

「あんな風になった後に急に学校から飛び出すんですもん、心配しますよ」

 そう言うとしゃがみ込んで深く深く息をついている。シズ姉は確か運動が壊滅的にダメで体力ゼロだったはずだ。

「そこはかわらないんだな」

「えっ? 何ですって?」

 なんでもない。と俺は答える。そして、

「今日は休むよ。学校」

 シズ姉は何とか息を整えると、こちらをじっと見つめた。美人顔のパッチリした瞳に見据えられると、少女然としたナイとは別の印象に包まれる。だが今はそんなことを考えている場合ではない。今の俺は猛烈に休息を必要としている。ナイ。ナイ。なぜ、もう決して届かないところに行ってしまったんだ。俺はシズ姉をその場に残したまま、自分の家に入っていく。あらどうしたの? 学校は? と言う母の言葉に今日は具合を悪くしたから早退したとだけ答えて自分の部屋に上がった。そしてベッドに突っ伏すと、最愛の人と死別した人間のようにナイとの永遠の別れを思い、涙を流した。

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