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おかあさん

夜勤の日は朝勤、昼勤よりも少しだけ余裕がある、と思う。

看護師仲間に聞いてみたことはないけど、みんなそうなんじゃないかなって思う。

勤務時間は同じ。お給料はちょっぴりプラス。

入院患者さんのケアは同じ、といってもやはりみんな夜は眠るから少しは楽だし、外来患者さんも来ない。日が落ちてから救急車は出ないから、緊急搬送もない。

病棟の見回りがちょっと怖いけど、窓はシャッターが下りてるし、笑っちゃうくらい壁も分厚い。急患用のドアも二重になってるから安心。

いざというときのために自家発電装置もあるし、数日分の備蓄食料もある。

一人暮らしのアパートの、隣の部屋の音も聞こえる薄い壁。外のクラクションも聞こえる薄いドア。

それに比べて病院の建物の安心感はダンゼンすごい。

小さな物音にもびくついて過ごす一人の夜よりも、こうして皆に囲まれてせわしなく過ぎる時間のほうがいいに決まっている。

夜を、忘れられるもの。

夜勤と朝勤は勤務前後の仮眠も含まれるから拘束時間が長いけれど、その分少し手当が出るからまあいいかなって思える。

日勤よりは。

朝日の届かない物陰に、帰りそびれた"やつら"がいるかもってびくつきながら出勤するよりは。

仕事が終わらずうっかり残業しちゃって、夕日と追いかけっこしながら帰宅するよりは。


ぼんやり巡回を終えて帰ってきたら、受付のあたりがやたら騒がしかった。

メモを取りながら大声で電話対応してる人もいるし、当直のドクターたちも集まってきてる。同僚たちもなんだか不安そうな顔。

「ああ、由香さん、いいところに。今から急患来るから」

「今から、ですか」

先輩の言葉に今までのお気楽さが吹き飛んでいく。イマドキ、"やつら"がうろついている夜中に危険を冒して駆け込んでくる患者さんはほとんどいない。住宅地のど真ん中にあるこの病院でも、月に一、二回くらい。ちょっとした怪我くらいで、命の危険をかけてまで病院に来るわけなんかない。みんな救急センターに電話して応急処置を教わり、朝が来るのを待ってやってくる。

てことは当然、こんな時間にやってくる人は、よっぽどの重傷なのだ。

「ええ。5分くらいで来るっていうから、守衛さん呼んできて。急患用ドア、使うから待機してもらわないと」

大きく頷いて、守衛さんの詰所へ走る。

急患用ドア。二重ドアというより、外と中とをつないでいる大きなエレベーターくらいの頑丈な部屋。

二重になった内側も外側も、守衛さんのパソコン操作でしかドアはあかないし、もちろん監視カメラでくまなくチェックするマニュアルにはなっている。

それでもそのドアが動くときにビクついちゃうのは、目が離せなくなっちゃうのは私だけじゃないと思う。

ドアが開いて駆け込んできたのは、幼稚園くらいの男の子を抱いたきれいな女性だった。身なりを整え、上品にお化粧をして、けれどその顔は今は青ざめて歪んでいる。

「あの、大介がお風呂で熱湯浴びてしまって!水はかけてみたんですけど、泣き止まなくて!」

外科と小児科のドクターが、看護師たちが二人を取り囲んで処置室に連れて行く。私はもうやることがなくなって、ただ呆然とその姿を見守っていた。


「大介君、たしか先月も来てました。あのときは階段から落ちたんだっけな。包丁で怪我したこともあったと思います」

「やんちゃな子みたいだね。お母さん、大変だろね」

荒れ放題の入り口を片付け始めた先輩は手を止めて、私の言葉に頷いた。

「でもさ、見た?お母さんの服。全部ブランドものなの。わかりやすくさ。アクセサリーとか、でっかい宝石、すっごいセンスいいの。

夜中に病院来れる距離に住んでる人なんてさ、みんなすっごいお金持ちなんだよね」

駅のそばとか病院のそばとか、そういうところの家賃は、すっごく高い。夜が近づいてもすぐにおうちに帰れるとか、夜中に何かあっても病院まで走りこめるとか。そういう安心感は一部の人しか持てないのはしかたない。みんながみんな、同じところには住めないんだから。私もこの病院からチャリで15分くらいの安いアパートしか住めないから、夜中に怪我とかしても朝まで我慢するしかないと思う。病院で働いてるのに。どうせ怪我するならここでしたいなとか思ってしまう。

「こないだ3丁目の山中さんがさ、やっぱ夜、娘さん怪我しちゃって。でもこっから遠いじゃん?来れなくて。

今入院してるけど……跡、残っちゃうかな」

小児病棟で眠っていた子供たちを思い出す。

「結局、お金なんだよねぇ。世の中」

「ですねぇ」

二人してため息をつき、私は先輩の作業を手伝う。大介君のカルテを出すときに散らばった書類を集め、夜間診療の記録をつける。


「でも先輩、お金もだけど、やっぱ愛ですよね。

病院のそばに住む努力も、こんな夜中に大介君連れてこれるとこも。お母さんだって怖いでしょにね」

うんうんと先輩は頷く。

「愛だよ~世の中愛とお金だよ~私も愛が欲しいよ~」

おどけ笑いを残して先輩は事後処理に向かっていく。私も片づけを終え、急患用ドアのこちら側を揺すって鍵がかかっていることを確認する。

もちろん、"やつら"が忍び込んでいないことも。

最後に防犯カメラをチェックする。ドアがあることを示す、けれども夜を刺激しないように注意された明かりの範囲には何もない。車いす用スロープの途中までを照らすの明かりは頼りないような気もするし、強すぎて"やつら"を刺激してしまうような気もする。

ずっと見ていると不安になるので、防犯カメラの映像は消す。また急患が来るまで、外のことは忘れていたい。朝勤の人と交代して仮眠室に入るまで、なにもおこんないことを、私はただ願っている。


夜が、深まっていく。


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