第六幕 逃走中
晴哉は菜月の住む街に向かうべく、彼女と共にこの森を出ることを決意した。
だが、晴哉は不安だった。
「本当にこの森を出られるのか?」
この森の樹木は形、大きさがほぼ同じ。
しかも、樹木と樹木の距離もほぼ等間隔のため、自分たちが今どこにいるのかわからない。
しかし、菜月は自信満々に、
「安心して、方角は間違いないから」
「何を根拠に...まあ、いいけどよ」
この辺りのことを全く知らない晴哉は素直について行くしかなかった。
一抹の不安を抱える晴哉は、早速彼女に最初の疑問を振りかける。
「えーっと、菜月だっけか?率直に聞くんだが、ここはどこなんだ?」
それが今、晴哉が最も知りたいことだ。
意識を失う前、最後に覚えているのは黒い手に飲まれたところまで。
そして、目が覚めたらこの森にいた。
晴哉の率直な疑問に彼女は「んー」と考え込み、こちらをじっと見る。
「その前に私から聞いていい?それによって私の答えも変わるから」
「別にいいが」
「じゃあ、早速だけど晴哉くんは死んだ記憶はある?」
菜月の口から出た『死』という単語に、晴哉の片眉が僅かにピクッと反応するが、動揺している訳ではない。
「さあな...自分でもよくわかってないんだ。多分死んだとは思うけど」
「曖昧な答えね。でも、それで十分」
菜月は短く息を吸い、言葉を継げる。
「さっきあなたの答えによって私の答えが変わるって言ったじゃない?それは答える幅の広さが変わるということなの」
「...は?」
「まあ、一から教えなくちゃならということよ。まずはここはどこか...いえ、この世界のことを教えなくちゃね」
「この世界?」
「えぇ、薄々感じるかもしれないけど、ここは晴哉のいた世界じゃない。ここは死んだ魂が集まる世界、いわゆる死後の世界よ」
「死後の世界?ここが?」
「想像してたのと違うって言いたそうね。でも、ここは紛れもなく死後の世界よ。実際私も死んでるし、この世界にいる人は全員死んでる」
「そうか」
やはりあの時死神に殺されたのか。
晴哉は「はぁ」とため息を吐く。
「大丈夫?」
「大丈夫だ。続けてくれ」
「うん、それに晴哉くんさっき頭が痛いって言ってたじゃない」
「あぁ、今まで味わったことない痛みだった」
「それはこの世界にあちこち漂っている霊気が原因なの。現世は窒素、酸素、二酸化炭素が空気の割合を占めているけど、この世界では50パーセントが窒素、酸素、二酸化炭素、そして残りは全て霊気で構成されている」
「レイキってなんだ?聞いたことねぇな」
「それはそうよ。霊気はこの世界特有の言葉だもの。あとね、霊気の濃度はとても濃くて、慣れない内は酷い頭痛がして身体が思うように動かないの」
「なるほど、さっきまでの頭痛はそのレイキってのが原因だったのか」
「あなたはまだ早い方よ?普通の人なら慣れるのに半日以上はかかるのに」
「伊達に鍛えてる訳じゃねーからな」
まあ、鍛えた結果がこの有様だ。
守るべき人を殺され、自分もあとを追うかのように死んだ。
本当に何のために鍛えたんだろう。
「どうしたの?暗い顔して」
「なんでもねえ」
「もしかして現世に心残りがあるの?」
「......」
晴哉は言い当てられ、沈黙する。
「沈黙は肯定ね、私もね現世に心残りがあるの、詳しくは言えないけど...」
微笑む菜月の顔はどこか悲しそうに見えた。
人には掘り下げたくない過去が1つや2つはあるが、生前のこととなると尚更だ。
「この事に関しては触れないでおきましょう、お互いの為にもね」
「ここが死後の世界だってことは分かった。だけど、まさか鬼が存在するとな。正直驚いた」
「この世界は人以外の種族が多数存在するのよ。鬼はその中の一種」
「まじかよ、そんなのまるでーーー」
「異世界、そう言いたいんでしょ。私も死後の世界よりそう呼んだ方がしっくりくるわ。でもね、害のある種族ばかりじゃないからーーーっ!?」
「な、なんだ地震か!?」
何の前触れもなく、地面が大きく振動し出す。
「これってもしかして...」
菜月はさっきまで血色の良い顔していたのに地面が振動した瞬間急に青ざめる。
そして、2人の前方の地面が盛り上がり、そこから10メートル以上のムカデが現れ、
「キィィィィィィィィィィィ」
晴哉たちを見て、今まで聞いたこともない奇声を発する。
「これは明らかに害があるよな...?」
「大百足...」
ーーーーーーッドサ
菜月はその場で気絶してしまった。
「おい、大丈夫か!?」
晴哉は菜月に声をかけるが返事がなく、完全に気を失っている。
当分は目が覚めそうにない。
そして、さらに2体の大百足が晴哉たちの前に現れる。
「1体だけならまだしもこれだけの数はきついな、菜月もいるし」
晴哉は決断する。
「よし、逃げるか」
晴哉は菜月をおんぶして全速力で逃げる。
3体の大百足も逃すまいと、晴哉たちを追いかける。
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大百足から逃げること20分ーーー。
晴哉はこの森をあちこち逃げ回るが、一向に大百足を撒けない。
「はぁ、はぁ、しつこい!!」
晴哉はしつこく追いかけて来る大百足にかなりイライラしていた。
いや、むしろこれだけ走り回っても出ることが出来ない森に苛立ちを覚える。
「ん、ん〜晴哉くん?」
すると、今まで気を失っていた菜月が目を覚ます。
「目が覚めたか菜月!早速でわりーが、このムカデを撒く方法とかねーか!?ってかどっちに行ったらこの森を出られるんだ!?」
「へ?」
菜月は逃げてる方と逆の方向を見る。
「ヒィッ!!」
ーーーーーーガクッ
菜月は追いかけて来る3体の大百足を見た瞬間、再び気を失う。
「え!?ちょ、おま、また!?どんだけムカデ嫌いなんだよ!」
晴哉は菜月のムカデ嫌いに心底呆れる。
「くそぉ!どうしたらいいんだ!」
晴哉はこの状況の打開策を考えていると、前方からさらに2体の大百足が現れる。
「っち、ここはムカデの住処なのかよ」
そして、左右からも大百足が現れ、晴哉たちは完全に囲まれてしまった。
「こんなところで終わってたまるか.」
晴哉は拳を握りしめ、前方の大百足に拳圧を放つ。
「グギィィィィィィィィィィィィ」
放った拳圧が大百足に直撃し、後方の樹木を破壊しながら遠くへ飛ばされる。
「予想以上に飛んだな?まあいい、とりあえず突破口を作った!」
晴哉は自ら作った突破口を利用し、この状況を脱する。
そして、その後も晴哉は大百足から逃げ続けた。
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さらに20分経過ーーー。
晴哉の体力も限界に近かったが、それでも彼は走り続けた。
すると、あちこちに樹木が並ぶ森から何もない草原に出た。
そして、今までしつこく追いかけていた複数の大百足は森を出た途端追いかけるのをを止める。
「撒けたか...?」
晴哉は森の中に消えていく大百足を見て、一安心する。
そして一旦菜月を下ろし、草原に体を預けるた。
「疲れた〜...」
晴哉は辺りを見渡す。
「ほんとここが死後の世界なんて信じられねーな」
樹木が並ぶ森、風に揺られる草原、今も照らし続ける太陽、ここが現世と言われても何の違和感もないだろう。
むしろ死後の世界と言われた方が違和感がある。
「人間は価値のない生き物だ...人は無で始まり、無で終わる...」
「ーーーーーー誰だッ!?」
晴哉は突然の声に驚き、聞こえた方向に顔を向けると、そこには一人の男が立っていた。
青白い顔に肩にかからないぐらいの白い髪
、そして痩せ細った身体は一種の不気味さを物語る。
しかし、不気味なのはそこではない。
ーーーこの辺りさっきまで俺と菜月しかいなかったはずだ...どっから現れやがった?
晴哉たちがいる草原は周りに何もない。
人がいればすぐ分かるし、人が来れば草を踏む音で分かるはずだ。
しかし、この男は突然現れた。
晴哉は身構えるが、男は言葉を続ける。
「人間は何かを成し遂げることで達成感がどうとか口にするが、最後に辿りつくのは『虚無』...だが人間はそのこと気づく前に死という『虚無』で終わる...」
何を言っているのか、全く理解出来ない。
ただの変人なら、そんな身構える必要はないのだが、この男は危険だと直感で分かった。
「そして死して尚、自覚しない人間には心底呆れる。もう、何もない空っぽの存在だという事を知らずに」
そう言うと男は一瞬で消えた。
いや、いなくなったと言った方が正しいだろう。
「何だったんだ...今の...?」
晴哉はあの男が何者なのか気になったが、大百足から逃げ続けた疲労で考える余裕が無かった。
「疲れてるのかもな...少し昼寝でもするか...」
そうして、晴哉はそのまま眠りについた。