第七六話 見つけちゃったよぉ
一〇〇年前にやって来て、二日目。
朝ご飯も小麦粉のスープを食べる。
君子はまず、ギルベルトへの聞き込みを始めた。
ギルベルトの母親の名前はラーシャ。
長い金髪で、白い一本角を持つ魔人だそうだ。
ギルベルトの話だと、近くに街があってそこに行くと言って母ラーシャはいなくなったようだ。
そうなると、捜索は街から行うべきだろう。
しかし、そうなると一つ問題がある。
「あっあのねギル、私ちょっと街に行ってくるから……そのっ刻印の範囲を広げて欲しいんだ」
一〇〇年後のギルベルトに書かれた物だが、現在の君子の所有権はこの一〇〇年前のギルベルトに移っている。
だから君子がギルベルトから離れる為には、彼に範囲を広げて貰わなければならない。
しかし――。
「…………お前一人で、行くのか?」
「えっうっうん、すぐに帰って来るから」
何があるか分からないので、まだ小さいギルベルトにはここで待ってもらおうと思ったのだが――。
「……やだ」
「えっ、そっそんなぁ、ギルのお母さんを探すんだよぉ」
ついでに食材の買い物もしようと思っているので、困ってしまう。
頭を抱える君子に、ギルベルトは頬を膨らませた。
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「ふぁ~、大きな街!」
えんじ色の石畳が広がる、とんがり屋根の家々が並んだ街。
黄色やピンクなどのカラフルな色の家が目立ち、なんだか絵本の世界の様だ。
(聖都も聖都ですごく大きな街だったけど、これはこれですごくいいなぁ!)
君子が見た事がある街は、ハルデと聖都だけなので、ベルカリュースにおける平均的な街というのを見た事がなかったが、この街は正にその平均といえる。
ここはユータァン。
位置は、ヴェルハルガルドの中央部の北東にあたり、マグニよりもずっと帝都に近い。
主に農業中心だが、領内には金鉱の存在が分かっており、これから発展していく可能性を秘めた領地である。
現在領主が不在で、近々にも新しい領主が来る事になっているのだ。
「ふわ~、すごいなぁ」
「…………むっ」
街並みに見惚れる君子のスカートを、ギルベルトが引っ張った。
ちょっと遊び気分の君子が嫌なのだろうが、仕草が可愛らしい。
「あっごめんごめん……お母さん探さないとね」
君子はギルベルトと一緒に、街を歩いていた。
刻印の範囲を広げるのを渋っていたのは、ギルベルトも一緒に行きたかったかららしい。
「お母さんが行きそうな場所を思い出したら教えてね、ギル」
「…………、なんで俺の事、ギルって呼ぶンだよ」
一〇〇年後のギルベルトがそうやって呼べと言うから、つい言ってしまったが初対面からこんなになれなれしく呼ばれるなんて、不快だろう。
「あっえっとぉじゃっじゃあ、ぎっギルベルト君」
なんか語感に違和感がある、この一年ずっと『ギル』と呼んで来た弊害だ。
「……ギル君じゃ、だめかな?」
「…………別に、どうでもいい」
一〇〇年後のギルベルトは色々と距離が近いが、この小さなギルベルトはまだ君子を警戒しているせいか、言葉や態度の節々に棘が目立つ。
(やっぱりまだ信用してもらってないって事だよね……、まぁ当然と言えば当然か)
でも一〇〇年後のギルベルトは、初めて会った時全く警戒しなかったし、すごく距離が近くなれなれしかった。
子供だから警戒しているというのもあるかもしれないが、不思議な話だ。
君子がそんな事を考えていると、頭の中に声が響く。
『全く、このワタシが街に行く事になるとは、大変遺憾です』
それはバッグの中にいるララァの念話だった。
「(家で待っていてくれても良かったんですよ、ララァさん)」
『アナタがいつ「時空震」を引き起こすか分かりませんから、離れる訳にはまいりません』
君子の一挙手一投足で、歴史が変わって世界が崩壊してしまうかもしれないのだ。
「(でも……なんで隠れているんですか? そこじゃせまいですよね)」
『……妖精族というのは数がかなり減っていて、他種族に見つかると騒ぎになるのです』
「(あっやっぱりそうなんですね、私も元の時代で妖精は見た事なかったです)」
エルフといい妖精といい、どうしてTHE異世界というモノはなかなかいないのだろう。
『まぁそうでしょう……、普通はワタシも彼女も滅多に人の前には姿を見せませんから』
「(彼女? ララァさん以外に妖精さんがいるんですか?)」
『えぇまぁ……でも彼女は本当にポンコツで、困ります』
「(ぽっポンコツって……)」
一体ララァの言っている彼女はどんな妖精なのだろうか、気になる。
そんな事を考えていると、ギルベルトが立ち止まった。
「……ギル君?」
君子が不思議そうに見つめると、それはおもちゃ屋さんだった。
人形やボールなど、子供が喜びそうなおもちゃがたくさん並んでいる。
「…………」
「……欲しいの?」
「なっ……ちっ、ちげーよぉ!」
一体どこが違うのだろう、あんなに物欲しそうな眼をしていたのに。
やはり男の子だからカッコつけたいのだろうか、とても可愛い。
「……すいません、このボール一つ下さい」
「えっ!」
「良いよ、買ってあげる」
あんな物欲しそうな目で見ているのだ、放っておけない。
君子は子供用のボールを一つ購入する。
「……いっ、良いのか?」
「いいよ、でも失くさない様にちゃんと名前を書いておくんだよ」
「名前?」
「そうだよ、これは自分の物ですっていうマークになるんだよ」
君子はバッグの中からお金が入っている皮袋を取り出す。
これは昔、ハルデでシャーグから貰ったハルドラ金貨を、ヴィルムにガルド金貨に変えて貰った。
マグニの城にいる間も聖都に行った時も、結局使わなかったのでかなりの金貨が残っている、ちょっとくらいの贅沢は問題ないだろう。
店員に金貨を渡そうとしたその時――、突然男の人がぶつかって来た。
「ひゃっ!」
結構強くて、君子は尻もちをついてしまう。
その彼女の横を、耳の長い魔人の男が走り去っていく。
「いっいたたっ……てっ財布がない!」
まさかのひったくり。
日本ではそんな目にあった事がないので、完璧に油断した。
「うぎょおおおっ、ぜっ全財産がぁ!」
あのお金が無くなったら、これからの食費が無くなってしまう。
君子は立ち上がりすぐさま追いかけるのだが、そもそも体育の評価が最低ランクだった彼女に、ひったくりを追いかける脚力がある訳がない。
「どっ、どろぼぉぉぉぉ」
叫んでも誰も助けてくれない。
こんなに綺麗な街なのに、なんて薄情なんだ。
脇腹が痛くなって、胸も苦しい、もう走れない。
こんな事ならちょっとはランニングをしておけば良かったと心から後悔した。
しかしその時――、ちょうどひったくりの前に男性が現れる。
どうやら路地から出て来たようで、ひったくりが走って来る事に気が付いたのは、衝突する寸前だった。
「うごおおおっ!」
酷い悲鳴と共に、男はひったくりとぶつかった。
その拍子にひったくりは君子の財布を落としたが、人目と君子が追いかけてくるせいか、そのまま財布を置いて逃げて行ってしまう。
「はっはぁ、よっ良かったぁお財布!」
君子は財布の安全を確保してから、ひったくりと衝突した男性の事を思い出した。
「あっだっ大丈夫ですか!」
「いててぇ……、だっ大丈夫だよ」
男の人は二〇代半ばくらいで、茶色の中途半端な長さの髪を結いあげ、身なりも酷い物ではなく清潔だ。
それになんだか似合っていない、ハンチング帽を深めにかぶっている。
なんというか、日本で言うとオシャレに失敗した休日のお父さんだ。
「全く……人にぶつかって謝らないなんて、酷いなぁ」
「あっ、いえあの人ひったくりなんです」
「えっひったくりぃ! マジかよ……そんな奴いるのか」
男はぶつぶつ言いながら立ち上がると、体に着いた土を払う。
「あっあの、財布を取り返してくれてありがとうございます、おかげで今日の夕飯が小麦粉のスープにならなくて済みます!」
「えっいや……別に俺何もしてないし」
「そんな貴方がいなかったら今頃大変な事になってました! 是非お礼をさせて下さい」
とは言ったものの、こういう場合どうやってお礼をすればいいのか分からない。
落とし物を拾ってくれた場合は一割だが、ひったくりを捕まえてくれた場合もそれでいいのだろうか。
君子が悩んでいると、少し遅れてギルベルトがやって来た。
急に君子が走ったのでご機嫌が悪いらしく、頬を膨らませながら君子のスカートを掴む。
「あっごっごめんね、怒らないでよ」
「…………随分大きな子供がいるんだな」
男はギルベルトを見下ろしながらそう言った。
知らない男を警戒しているのか、ギルベルトは君子の後ろに隠れる。
「私の子供じゃないですよぉ!」
「えっ、そっそうなの!」
男はとても驚いた様子でそう言うと、またギルベルトを見る。
「なんか……どっかで見た事あるんだよなぁ」
「へっ?」
「あっいっいや、なんでもないんだ……」
なにはともあれ助けて貰ったお礼がしたい。
君子が辺りを見渡すと、可愛らしいカフェを見つけた。
「そうだ、お礼にお茶でもご馳走させて下さい!」
「えっお茶?」
「はいっ、大したお礼じゃないですけど……させて下さい!」
男は少し困った表情をしていたが、君子があまりにも言うので頷くしかなかった。
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とりあえずコーヒーとココア、そしてパウンドケーキを注文した。
よくよく考えると、ヤマト村の人を除けば、王族や軍に関係のない普通のヴェルハルガルド国民とお話をするのは初めての事だ。
「へぇ……キーコちゃんは異邦人なのか、どおりで珍妙な格好をしてると思ったよ」
君子は気が付いていないが、皆彼女のセーラー服が奇妙な格好にしか見えなくて助けてくれなかったのである。
「俺はロバートって言うんだ、よろしく」
「はい、ロバートさんはこの街の人なんですか?」
「いや……普段は帝都で仕事をしてるんだけど、今度からこの街で仕事をするかもしれないから、今日はその下見も兼ねて観光かな」
それからロバートから色々な事を聞けた。
ここがユータァンという領地で、ヴェルハルガルドの中央部だという事など、ギルベルトに聞いても分からない事を補足して貰えた。
(なるほどマグニじゃないんだ……んっ? そうなるとやっぱり変だよね、なんで王子のギルが帝都じゃなくてここにいるんだろう?)
分からない事ばかりだが、母親が見つかれば全部分かるだろう。
『キーコ、何を暢気にお話をしているのですか』
「(あっごっごめんなさいララァさん……、もっもしかしてこうやってこの時代の人と接するのも、『時空震』を引き起こす可能性があるんですか!)」
お礼のつもりだったのだが、これで処刑されるのは困る。
『早くワタシにケーキを献上なさい』
「(えっ……あっはい)」
どうやらケーキが食べたかっただけらしい。
妖精というのは食い意地が張っているのだろうか、君子はパウンドケーキを一口大に切ると、なるべく不自然にならない様にバッグの中にいるララァに渡した。
「所で……なんで自分の子供じゃないのに、こんな小さい子と一緒にいるのかな?」
「ふぇっ」
「いやぁ……その、君の世界じゃどうかは知らないけど、ヴェルハルガルドでは奴隷とか人身売買は犯罪だよ?」
見ず知らずの子供を連れているというのは、やっぱり怪しい様だ。
「そっそんな事しませんよぉ! もうこの凡人顔をよく見て下さい」
「ごっごめんごめん、だって血縁者じゃない子供を連れているからさ」
確かに言われてみると、君子は一〇〇年後のギルベルトを知っているからこの幼いギルベルトを助けようと思ったが、見ず知らずの子供を助けるのは可笑しな話だ。
かといって一〇〇年後の未来から来ましたなんて言えないので、誤魔化さなければならない。
「実はこの子のお母さんがいなくなっちゃって、子供一人で放っておく訳にもいかないので、探してあげようと思ってて」
「それは大変だなぁ……、ドレファスとの戦争が終わって、国の治安が落ち着いて来たのに…………コレは今後の課題だな」
「へっ?」
「あっいっいや今のは独り言、気にしないでくれ」
ロバートはそう言うと、更に話を続ける。
「異邦人と子供だけじゃ、人探しは大変だろう……あてはあるのかい?」
「うっ……いえ、ぜっ全然ないんです」
軽く引き受けたが、よくよく考えるとヴィルムやアンネなど頼れる人が誰一人もいないこの状況で、ギルベルトの母親探しは大変だ。
自分の短絡的発想に落胆する君子を見て、ロバートは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ俺も手伝ってあげるよ、母親探し」
「ふぇっ! ほっ本当ですかロバートさん!」
「お茶のお礼って事で、あっでも俺が帝都に戻るまでの間、だけどね」
「十分ですっ本当にありがとうございますぅ!」
心強い協力者を得て、君子は何度も頭を下げてお礼を言った。
これで母親探しは大きく前進した、君子はパウンドケーキを美味しそうに食べるギルベルトへと笑いかける。
「良かったねギル君」
「…………ん」
ちょっとそっけないが、顔がにやけていて喜んでいるのは解った。
コーヒーとケーキを食べ終え、カフェから出る三人。
「俺はこの近くのロイヤルっていうホテルに泊まってるから、もし分からない事があったら尋ねて来てくれ」
「何から何まで本当にありがとうございました」
「いやいや別にいいんだよ……あっ、そう言えば肝心な事聞いてなかった、このギル君のお母さんの名前なんて言うんだい?」
本当に大切な事を忘れていた、ドジにもほどがある。
「あっすいません、ラーシャさんです」
「えっ……」
「金髪に真っ白な角を持った、魔人の女性だそうです……ロバートさん?」
「ねっねぇ……この子の名前、なんて言うんだい?」
なぜか固まっているロバートはどこか戸惑った様子で、尋ねて来た。
「ギルベルト、ギルベルト=ヴィンツェンツですよ」
なぜそんな事を聞くのか、君子は不思議に思いながら答えのだが――。
ロバートは、なぜか顔面蒼白で固まっている。
「ロバートさん……どうしたんですか?」
「えっ……いっいや、なっ何でもないヨ」
声が裏返っていて、明らかになんでもあると思う。
「じゃっじゃあ、俺はこれで失礼するねぇっ!」
「あっロっロバートさん!」
ロバートは明らかに不自然に立ち去って行った。
なぜかとてもびっくりしていた様な気がするのだが、一体なぜだろう。
「変な人だなぁ」
なにはともあれ協力者を得る事が出来たのだ、よしとしよう。
「とりあえず、お母さんの聞き込みをしながらお夕飯の買い物しようか」
「……うン」
『ワタシ、夕食はビーフシチューが良いですわ』
「(わっ……分かりました)」
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ホテルロイヤルは、この街一番の高級ホテルだ。
とは言っても帝都などもっと大きな街に比べれば、大した事は無い。
そのホテルの比較的良い部屋に戻って来たのは、ロバートである。
鞄をソファに放り投げると、大きな溜め息をつく。
「あ~、俺のお人好し、俺の馬鹿ぁ」
そして自分に罵声を浴びせると、ベッドへと倒れた。
その拍子に深くかぶっていた帽子が取れる。
茶色の髪の合間から見えたのは、銅のピアス。
鈍く光る銅のピアスは、右耳に一つ、左耳に二つ付けられていた。
そして心底困った様子で呟く。
「生き別れの弟見つけちゃったよぉ」
ロバートというのは偽名で、本当の名はロベルト=アーゲルド・ヴェルハルガルド。
このヴェルハルガルドの王子である。
なぜこんな所に王子であるロベルトがいるかというと――。
「うっううう、折角ユータァンの領主になれるかもしれないのに……」
ロベルトは兄弟の中でも最弱の王子である。
本当に魔王帝ベネディクトの血を継いでいるのか疑問に思うほど貧弱で、姉や兄の様に魔王になれず、更には弟にも追い越された。
流石に王子としてマズいと色々思っていたら、最近鉱脈が見つかったユータァンの領主にという話が持ち上がったのだ。
父親の期待に応えられていないと、負い目を感じていたロベルトはその話を受けて、王子としての箔をつけようとしていたのに――問題が起こってしまった。
「よりによって……捨てられたギルベルトを見つけちまうなんてぇ!」
話は七〇年前にさかのぼる。
当時ラーシャは、魔王帝ベネディクトの寵愛を受けて子供を身籠った。
もちろん懐妊自体は喜ばしい事で、王族が増える事は良い事だ。
しかし時期が悪かった、悪すぎた。
なぜならほんの二〇年前に、王子が生まれたばかりだったのだから。
異邦人ならば二〇も歳が離れていれば大人と子供、さして問題はないが魔人は成長のスピードが遅く、年齢はたいして変わらない。
年齢が近いと、縁者特に母親がどうしても張り合おうとする。
ラーシャの場合は特に運が悪かった、相手はヴェルハルガルドの中でも名家中の名家であるジェルマノース家の当主、ただの美貌こそは素晴らしいが平民であり、ただの歌手にすぎなかったラーシャとは、比べ物にならない。
ジェルマノース家は、ラーシャに不貞の疑いがあると訴えた。
もちろんそれは誰の眼から見ても言いがかりに他ならない。
しかし圧倒的権力と財力によって証拠を捏造し、ラーシャは生まれたばかりのギルベルトと共に、城を追われた。
生まれて間もなく捨てられた王子――捨て子ギルベルト。
「見た事あるに決まってるんだよ、父上にそっくりだし、アルバートには瓜二つ……完璧に父上の子供だよ、アレは」
分かっていたが、やはりギルベルトとベネディクトは血が繋がっていた。
もしこれでひとかけらも似ていないのなら、ロベルトだって無視できた。
しかし捨てられたとはいえギルベルトは腹違いの弟、このまま見て見ぬフリは出来ない。
「でも……もし、下手にギルベルトに関わったら、俺の領主の話が無くなっちまう!」
領主の話を便宜してくれたのは、他でもないジェルマノース家。
もしギルベルトとのかかわりを知れば、この領主の話は間違えなく頓挫する。
そうなればまた貧弱王子と笑われるし、何より――。
「…………」
ロベルトは懐からロケットを取り出すと、中に入っている肖像画を見つめる。
髪の長い半魔人の女性の肖像、彼女の右耳にはロベルトと同じデザインのピアスが描かれていた。
「……マリー」
彼女は、ロベルトの恋人。
貴族でも何でもないただの市井の娘だが、愛している。
彼女を貧弱王子の妻、ではなく領主の王子の妻にしてあげたい、だからこのユータァンの領主の話を受けたのだ。
でも――血の繋がった弟であるギルベルトも放っておけない。
ロベルトは、相反する二つの気持ちに苛まれていた。
「…………どうしよぉ」
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その夜。
君子は夕ご飯の片づけをしていた。
思ったよりもビーフシチューが上手くできたので、機嫌がいい。
「あむ、あむ……アナタはとても良いシェフですね」
(一皿食べちゃった)
見た目は小さいが、人間と同じ量を完食してしまった。
一体どこにそんな容量があるのか、どうやらララァはかなりの大食漢らしい。
「次はローストビーフを所望しますわ、一度食べてみたかったのです」
「分りました、明日ブロック肉を買いましょう」
出費がかさむのは困るが、ララァの機嫌を損ねて処刑されるのは嫌だ。
(というか……金貨一枚でめちゃくちゃ買えて、しかもおつりがたくさん来たんですけど)
金貨と言うのは、こんなにも価値がある物とは知らなかった。
今度からお財布を全て持ち歩くのは止めて、金貨一枚で十分だろう。
「それにしても、母親探しなど本当に出来るのですか?」
ララァは口元を君子のハンカチで拭いながら、そう言った。
「……今の所『時空震』は起っていないので、特に何もしないつもりです……料理も美味しいですし」
なんか後者の方が割合を大きく占めているような気がする。
だがララァの言う通り、今日一日ラーシャについて聞き回ったが手掛かりを得る事は出来なかった。
ここ最近は、人さらいや原因不明の失踪という話もないらしい。
「それに……あの魔人の子はアナタを信頼している様にも思えませんし、ワタシに処刑される危険を冒してまで人と関わろうとするのは、アナタに益がないでしょう」
君子が行動すれば『時空震』が起こる確率が上がるのだ、いくら一〇〇年後の知り合いであるギルベルトの為とは、いえ自身が危険を冒す必要は無い。
これはララァなりの優しさからの忠告なのだろう。
「益とかじゃないんです、ただ放っておけないんです……ギル君が泣くのが嫌なんです」
「随分子供好きなんですね」
「…………そうですね、子供は可愛いですね」
ギルベルトなんて天使の様だ。
おなかいっぱい食べたギルベルトがうとうとしたので、さっきトイレを済ませてからからベッドに行くように促した。
来たばかりの時は気が付かなかったが、奥に子供部屋があった。
ギルベルトの為にあつらえたベッドもあったし、子供のおもちゃも多くは無いけどあった、何より――壁に背を測った跡があった。
小さい頃、たぶんようやく立てるようになった頃から測っているのだろう。
(……ラーシャさんのギル君への愛情を感じる)
親子で背を測っている所など、想像しただけで微笑ましい。
なぜだかこの親子の愛を、ちゃんと守ってあげたかった。
(私にこんな正義感があるなんて……びっくりだなぁ)
客観的に見て、自分はお人好しだと思う。
でも、こんな正義感があるという事を初めて知った。
今はこの気持ちに従いたい、ギルベルトは母親に会わせてあげたい。
「……よしっ、明日はもっとたくさんの人に聞き込みをしよう!」
君子は張り切ると、残りのお皿も洗うのだった。
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夜中。
どれくらい経ったのか分からないが、君子は眼を覚ました。
何かの音が彼女の眠りを、邪魔したのだ。
(……んっ、なんの音?)
まだ意識が眠っているせいか、状況がよく分からない。
ただ何か音がするのは解る、だから君子はまだぼんやりした意識のまま音源へと向かう。
「こんな時間になんですの?」
君子自作の妖精サイズのベッドで眠るララァも、目が覚めてしまったようだ。
泥棒だったら困るし、やはり確かめなければならない。
どうやら音は、家の奥の方から聞こえてくる。
「(……ギル君の部屋?)」
耳を澄ませると――どうやらそれは泣き声の様だ。
君子はドアを開けると、特殊技能でつくった懐中電灯の明かりを向ける。
「――――ひっ」
見るとベッドの隣でギルベルトが座り込んで泣いている。
君子の懐中電灯の明かりに驚いて、怯えた表情を浮かべていた。
「どうしたのギル君、怖い夢でも見たの?」
「うっあっ……あぁぁっ」
何をそんなに怖がっているのか、心配して君子が部屋に入ると、ギルベルトは体を丸めて手で頭を守る。
「ごっごめんなさいっ!」
「ふぇ……っ?」
なぜ謝るのか、驚き戸惑う君子の眼にベッドのシミが飛び込んできた。
「あっ……」
位置的によだれではない、おそらく――お漏らしだ。
見るとギルベルトのズボンも濡れているし、やってしまったのだろう。
「……トイレ行かなかったの?」
「うっ……うう」
君子はポロポロと涙をこぼすギルベルトに近づく。
彼女が一歩ごと足を動かす度に、ギルベルトは怯え震えている。
とっさに、放たれるであろう怒号と暴力から身を護る為に、目を瞑り頭を守った。
しかし――ギルベルトが思っていた様なものはなにも来ない。
代わりに君子は、ギルベルトの涙を拭う。
「お着替えしよっか、ギル君」
薄暗いランプの明かりの中、君子はタライで洗濯をする。
とりあえず軽く水洗いをして、大桶にパジャマとシーツとマットをつけておく。
「よしっ、洗剤を入れとけばシミにはならないでしょうっ!」
特殊技能で作った洗剤を少し入れた。
本当に、この特殊技能は便利だ。
「…………」
「あっギル君、お着替え終わったんだね」
新しいパジャマに着替えたギルベルトに、君子は微笑む。
そんな彼女を見て、ギルベルトはちょっとびっくりした様子だ。
「…………ンで」
「へぇ? 何か言ったギル君」
「……なンで、怒ンねぇンだ、俺悪い事したのに」
どうやらおねしょをした事を気にしているらしい。
君子の言った通りトイレに行って眠れば、おねしょなんかしなかっただろう。
言いつけを守らなかったから、ギルベルトは怒られると思ったのだ。
「ギル君は悪い事だって分かってるんでしょ? だったらそれでいいよ」
「でも……母ちゃんは悪い子だって怒るンだぞ」
「しょうがないよ、ギル君はまだ小さいんだもん、それに私の知り合いの男の子は、ギル君よりも大きくなってもおねしょしてたんだよ」
海人には申し訳ないが、ここはギルベルトを励ます為に使わせてもらう。
それにこれくらいの歳ならば、おねしょをしたって何の不思議もない。
「じゃあもう眠ろう……あっ、でもギル君のベッドは使えないか」
マットレスを外してしまったので、眠れない。
仕方がない、母親のベッドをギルベルトに使って貰って自分はソファで寝よう。
君子はギルベルトを寝かせると、ソファへと向かったのだが――ギルベルトがシャツを掴んでいて離さない。
「ぎっギル君、なあに?」
まだ何か用があるかと思って顔を覗くと、ギルベルトは起き上がって君子にしっかりと抱き着いて来た。
「……へっ?」
「ギル君、狭くない?」
結局ギルベルトが離さなかったので、二人は一緒に寝る事になってしまった。
そもそも子供とはいえ、こんな事をしていいのだろうかと思ったのだが――。
「うン……」
はにかむギルベルトが可愛らしすぎて、罪悪感とかどうでもよくなった。
ギルベルトは君子へとすり寄って来て、もう本当に天使だ。
愛おしすぎて貧相な胸に顔を埋められている事にも気が付かない程だ。
「……ギル、ベルト?」
「へっ?」
「ここ、俺の名前書いてある」
それはギルベルトの刻印。
シャツの合間から見て、自身の名前が書いてある事を不思議に思ったようだ。
これは一〇〇年後ギルベルトが書いたのだ、この幼いギルベルトが知っているわけがない。
どう説明すればいいのだろうか、ない頭を捻るが何も良いアイディアが思いつかない。
「……じゃあ、俺のもの?」
「へっ」
「だって、自分のモノには名前をかくんだろぉ?」
それはそうなのだが、なんだか結果的に自分の首を自分で絞めるような感じになってしまった。
だが、こんな愛らしい顔で言われたら、違うなどといえないし、どのみちどう説明すればいいのかなんて何も思いつかないのだ、君子は深く考えずに流してしまう。
「……そう、なっちゃうね」
「…………けけっ、キーコ」
「あっ……私の名前」
ギルベルトはずっと警戒しているせいか、君子の名前を呼んでくれなかった。
やっと心を許してくれたのだろうか、それが嬉しすぎて他の事はどうでもいい。
今はただ、この幼くて愛くるしいギルベルトと過ごせる幸せに、身を任せたかった。




