第六五話 本当……なの?
ヴェルハルガルド 首都・ガルヴェス
要塞都市であるこの都市の一角には、緑豊かな土地がある。
街の喧騒とは打って変わり、まるで時間が止まったかのように静かだ。
ここは墓所である、それも普通の物ではなく、殉職した英雄達を弔う場所。
いくつも墓石が並んでいる中、ひときわ大きなものの前に一人の男がいた。
魔王フォルドである。
彼は手酌で麦酒みながら、墓石に静かに語りかけた。
「……ご無沙汰して申し訳ございませんでした、何分儂も歳ですからなぁ、ここまで来るのは少々骨身に染みるのでございます」
いつもの大笑いはなく、まるで別人のように静かな口調で敬いながら話していた。
彼にとって、この墓に眠る人物は最も大切な人なのだ。
「……ロザベール様、もう千年もたってしまいました」
ヴェルハルガルドとシェヘラザーンの戦争から、長い年月が経った。
フォルドはロザベールと同じ魔王の地位につき、今は彼よりも年上になってしまった。
「儂も老いました、貴方とシュカリバーン様の事を知る者も少なくなり、あの黄金の時代を知らぬ者ばかり、今の魔王達などあの時代に比べれば……ただの御遊びでございます」
魔王会議の時の彼とは違い、その眼はどこか悲しみに満ちている。
目を閉じればあの黄金の時代が鮮明に思い出せるというのに、ソレはもう遥か彼方の話。
フォルドはコップの麦酒を一気に飲むと、十分すぎる間を開けてから静かに口を開く。
「……勇者が現れたそうです、ハルドラに」
千年前ロザベールを倒した、勇者と呼ばれている異世界の少年の姿が脳裏を過ぎる。
「今度は二人も来たらしく、あの時の者とは違うやもしれません」
ソレはロザベールに報告しているというよりも、自分自身に言い聞かせている感じだ。
「…………儂は、もう一度あの勇者に会わねばならぬのです」
かつての主を殺した仇である少年。
それにもう一度相まみえるまで、フォルドは魔王の職を離れる訳にはいかない。
フォルドが、空になったコップに麦酒を注いでいると――。
「……やっぱりここにいたのねぇ」
ベルフォートがやって来た。
日傘を差して夏の日差しを浴びない様に細心の注意を払っているあたり、オネエとして抜け目がない。
「なんじゃベルフォート様、儂は今取り込んでおる所じゃ、一緒に酒を酌み交わす気があるのなら歓迎するがのぉ」
「ごめんなさいねぇ昼間からお酒は飲まないのよぉ……」
「なら後にしてもらえぬかのぉ、儂は今ロザベール様と話をしておるのじゃ」
フォルドは王族であるベルフォートにそう言うと、麦酒を再び一気飲みする。
本来ならこれは不敬罪にも値するのだが、ベルフォートはそんな事では文句は言わない。
むしろ彼が麦酒を飲み切るのを待ってから、話の本題に入る。
「実はね、フォルドおじ様に頼みがあって来たの」
「頼みごとぉ~、そういうのは儂よりもジャロードの犬っころの方が向いておるのではないか~」
「も~そんないじけないでよおじ様」
ベルフォートは笑みを浮かべてそう言うが、すぐに真顔へと戻す。
ソレを見て、フォルドもその話が本当に大切な要件などのだと悟った。
「実はね……」
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聖都近海。
海賊を撃退したギルベルト達は、ようやく一息つくことが出来た。
悔しい事だが、あの海賊のハリー船長の特殊技能のおかげで近海の海魔がいなくなったことにより、連戦続きだったがどうにか消耗した魔力や体力を回復できた。
「はぁ……まだ体がだるいし、気持ち悪いですぅ」
君子は大きなソファに寄り掛かってダラけている。
無理もない彼女は体内の魔力のほとんどを消費していて、更に船酔いの状態なのだから。
さっきまでは大変で船酔いする暇もなかったが、安全になった途端に思い出したように気持ち悪くなった。
「いくら前よりも魔力が増えたとはいえ、貴方は最低ランクのEだという事を忘れてはいけませんよ」
「そうよキーコ、魔力が切れたら死んじゃうことだってあるし……本当に危なかったんだから」
魔力というのは生命維持にかかわる力でもある。
もし枯渇すれば、四肢を失ったり重度の障害を負ったり、最悪死に至る場合もあるのだ。
「ごっ……ごめんなさい、でっでも私、皆の役に立ちたくて」
「安心しなさいよキーコ、アンタのおかげであたし達助かったんだから、よくやったわよ本当に、アルバート様もそう思っていらっしゃるわ」
ルールアの言う通り、アルバートは君子の隣に座りながら、彼女が作った雷切をずっと見つめている。
日本刀というベルカリュースには存在しない刀は、独特の美しさを持っていて、アルバートだけではなく作った本人である君子も息をのむほどの美しさだ。
「雷切、本当に綺麗に出来ました……ふつくしい」
本物は見た事がないので君子が設計したものだが、それでも本当に綺麗で刃文なんて吸い込まれそうだ。
「……このライキリ、私が持ってもいいのだろう?」
「もちろんです、私じゃ使えませんしマグニのお城に床の間はありません、それにこの刀はアルバートさんに使って貰う為に造ったんですから」
それに銀髪のロン毛の半吸血鬼のアルバートが、日本刀を使って戦うのは、中二心をくすぐる。
そんなオタク女子君子の心中などアルバートが知る由もなく、ただこれほど素晴らしい武器を自分の為に作ってくれた事が嬉しくてたまらない。
「あ~、くそぉ体が痺れるぅ!」
ギルベルトが部屋に入って来た。
そして当然のようにソファに座るのだが、既に君子とアルバートが座っているので三人目が座るスペースはなかった、しかしそこに強引にギルベルトが入り込み、反対の端に座っているアルバートがかなりきつい。
「……おいバカベルト、このソファは二人掛けだ、退け」
「あン? これは俺のソファだ、てめぇが退けよクソバート」
「……貴様はその辺で寝ていただけだろう、私は無能な貴様に代わって下世話な賊共の相手をして疲れているのだ」
「ンだとぉ、てめぇは勝手に聖都に来たンだろうが、嫌なら降りろせめぇンだよぉ!」
相変わらず仲が悪い二人、海魔に襲われるという緊急事態が起こっているにも関わらず、協力する気は皆無の様だ。
「じゃあ、私が退きます」
そんな二人のイライラを感じ取って君子がソファから降りるのだが――。
「キーコが抜けたら意味ねーだろう!」
「キーコが抜けたら意味ないだろう!」
息ぴったりで、二人そろってそれぞれ君子の右手と左手を掴んでソファに戻す。
二人とも君子の隣に座りたいのだ、その光景はさながらコントのようである。
しかしそんな事をしている暇はない、ここは危険地帯である、完全な安息などなく常に警戒しなければならないのだ。
現にこの船には、油断ならない敵が乗っているのだから――。
「君子ちゃん、大丈夫?」
ノックもそこそこに海人達がやって来た。
部屋の空気が一気にピリピリしたものになる。
「もう大丈夫です……、お二人も怪我がなくて良かったです」
「ああ……山田のおかげだよ、ありがとう」
皆の無事を見て君子はほっとする。
しかしなぜか功労者であり一番疲れているはずの君子が、ギルベルトとアルバートの間という、とても狭い場所に押し込められている。
もっと楽が出来る所に座らせるべきだと、海人と凜華は怒る。
「とりあえず、皆そろいましたので……」
「夕飯ですか?」
「…………キーコ、今のを本気で言っているのならぶちのめしますよ」
「ご…………ごめんなしゃい……」
ヴィルムがいつも以上に怖い顔をして睨んできた。
君子は猛省して、お口にチャックをする。
場のピリピリとした空気が戻って来てから、ヴィルムが口を開く。
「では、海魔がいない今の内に、今後の事を考えると致しましょう」
海魔と海賊に邪魔をされて、すっかり後回しになってしまったが、まだハルドラ側をこの船に乗せるべきかどうかという話に、決着はついていない。
聖章はないが、船はあるヴェルハルガルド。
船はないが、聖章はあるハルドラ。
確かに互いに組むメリットはあるが、今の両国は侵略する側とされる側。
到底笑顔で手を組める状況ではない。
「私は反対だ、今すぐにでも海に叩き落すべきだ」
「でっでも、聖章は……」
「聖章はあくまでも信仰心によるものだ、神を敬う気持ちのない海魔や賊には効かん、これでは意味がない」
現に今襲って来ているのは、全てそう言った信仰心を持たない者達。
聖章で守られている巡礼者だが、信仰心がなければ何の意味もない。
「それにハルドラなどという低俗な輩を船に乗せるのは、ヴェルハルガルドの名を汚すことだ」
「なんだとぉ、てめぇ!」
アルバートの挑発的な態度に海人は声を荒げるが、そんな彼をロータスが抑える。
「(駄目ですよカイトさん、ここは海の上なんですよ! 船から降ろされたら僕達は死にますよ!)」
ロータスの言う通りだ、船という移動手段はヴェルハルガルドが所有しているのだ。
相手の挑発に乗ってしまったら、この広い海原に捨てられてしまう。
海の上では彼らの方が上の地位なのだ、そこは認めなければならない。
「…………ヴィルム、そういうお前はどうなのだ」
「……私は、正直陸に上がってからの方が心配です」
陸というのは、獣人国家ドレファスの事だ。
ヴェルハルガルドとハルドラ、双方ともにこのドレファスを抜けなければならない。
「同盟国とはいえ二〇〇年前までは我々の敵であったわけですし、聖章がない手ぶらの状態で向かうのは少々……」
ヴィルムの言う通り、ドレファスとヴェルハルガルドとの根は深い。
思えばギルベルトの婚約者だったカルミナの家、フォルガンデス家はドレファスと内通しており、裏からヴェルハルガルドの中枢を支配しようとしていた。
決して油断できない国だと、魔王帝自身が言っていたほどだ。
同じように隣国であるハルドラも、ドレファスとは色々ある。
「もう九〇〇年以上も昔の事になりますが、ドレファスは一度ハルデに侵攻して来た事があります、その時は大いなる守りによって守られましたが……、彼らは今でもハルドラを狙っていると思った方がいいでしょう」
まだ初代王の時代の話だが、彼らは牙と爪を磨きながら虎視眈々と他国の侵略を狙っているのだろう。
ハルドラ側としても、ドレファスを通過するのはかなり危険な事である。
正直言うと、君子の言う通り互いの利害は一致しているのだ。
「ここは非常に癪ですが、協力した方が良いと思います」
「……ちっ、まぁヴィルムの方が、こういう判断能力は長けているからな……お前がそう言うなら従おう」
ヴィルムの特殊技能は考える事に向いているし、王族のプライドがあるアルバートよりもより効率が良い解を導き出す事が出来る。
もともとこういう所を一目置いていたので、彼がそう言うならばそれがどんなものでも受け入れるのだろう。
「それで、そちらはどうするのですか? こちらはあなた方を乗せてやってもいいですが、嫌ならここで船を降りて頂くことになります」
陸につくまでは何もできないのだ、選択肢などないも同然である。
ハルドラの五人は了承するしかない。
「仕方がない、海魔が聖都を襲うなんて緊急事態だ今は協力する……、だがコレは今だけだ、国に帰ったら再び敵同士だ」
「当然だ、ハルドラとなれ合う気はない」
とりあえず、一時的な協力体制を組むことになった。
内容は以下の通り。
一、両国間での同盟は、ヴェルハルガルドとハルドラの国境までとする。
二、互いに船、聖章の略奪を禁じる。
三、海魔あるいは海賊などが出た場合は、共にコレを迎撃する。
四、同盟関係中の殺人を禁じる。
以上四つ。
正直かなり普通の事だが、普通の事だからこそこのように取り決めをしておかないと、何が起きるかわ かったものではない。
そしてこれ以外に問題がある。
「問題は、食料と部屋ですか」
「日持ちする食材は『浪』に積んでもらってたから、余裕はないが陸までは持つ……ただ問題は水だな」
ベアッグの言う通り辺り水はあまり積んでいなかった。
どこかで真水を補給したいぐらいだが、この辺りには島が存在しないので、ここは節水するしかない。
「雨が降れば水を溜められない事もないが……コレばっかりは運任せだな」
「そうですか……後で航海の日数と人数で水を割って、一日当たり一人の分配を決めましょう……」
食べ物よりも水の方が重要だ、どうにか途中で補給できる事を願うしかない。
「……それで部屋の問題ですが」
来るときは余裕があった船室だが、どういう訳か倍以上の人数になってしまったので、流石に足りなくなった。
「ふん、ならそこの下品な客共を甲板で寝かせれば済むだけの話だろう」
「なっ、誰が下品ですか! そもそも女性を外で寝かせる奴がありますか!」
甲板で寝られる訳がない、ただでさえ部屋にうるさいラナイは断固抗議する。
「あっ……じゃっじゃあ、私の部屋を使って下さい」
君子が小さく手を上げながらそう言った。
もともと自分には立派すぎる部屋だったし、海人達を乗せたのは自分なのだからか、その責任を負うべきだ。
「だめぇ、キーコの為の部屋なんだから、ハルドラの奴らに使わせるなんて絶対反対! 第一そんな事したらキーコはどこで寝るのよぉ!」
「そうですね……じゃあ、アンネさんのベッドで一緒に寝かせて下さい、私一回お友達とおんなじベッドで寝るのやってみたかったんです!」
友達と聞いてアンネは恥ずかしそうにもじもじとする。
正直はすごく楽しそうでやってみたい。
だがアンネ以上に彼女と寝たいのが――。
「キーコ、同じベッドで寝たいなら早くそう言えば良いのだ」
「えっ……ちょっとアルバートさん?」
「なに、船のベッドは狭いだろうが、互いに肌を寄せ合って密着すれば眠れるだろう……まぁ朝まで寝かせんがな」
「俺の前でイチャイチャすンな、このクソバートぉ!」
怒れるギルベルトは、アルバートを殴るのだがその程度の攻撃は彼の特殊技能で避けられてしまう。
そしてアルバートが応戦のパンチを放ったことによって、緊急事態にも関わらず二人の兄弟喧嘩が始まってしまったのだった。
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「ここが、皆さんのお部屋ですよ」
君子とヴィルムに案内されるがままにやって来たハルドラの面々は、その豪華さに驚く。
絨毯はフカフカだし、ベッドは天蓋付き、ソファとテーブルもある。
船の中とは思えない、まるで高級スイートルームの様な豪華絢爛な部屋だった。
「……こっここが、君子ちゃんの部屋? すごい豪華ね」
「いつも住んでるマグニのお城はコレよりも広くてもっと豪華で、正直ランクを落として欲しいくらいなんですよ」
君子としては身の丈に合った部屋に住みたいといったつもりなのだが、はっきり言ってコレはただの自慢にしか聞こえない。
「こっこのぉ……、ワタクシが師匠の狭い部屋に押し込まれている間に、貴方という凡人が豪華な部屋で悠々自適に暮らしているなんてぇ~~」
「はっはうううっ、ごっごめんなしゃぁぁぁい」
部屋にうるさいラナイの怒りが爆発するが、君子に怒りをぶつけるのは八つ当たり以外の何物でもないだろう。
「くぅぅぅぅぅ、凡人の癖にぃこんないい部屋にぃぃぃ」
「ふぁうぅ、ごっごめぇんなしゃぁい……しゅ、しゅいまふぇぇん」
「…………」
ラナイは君子のそばかすまみれの両頬を引っ張って、怒りを発散する。
ハルドラの面々は止めると余計に面倒なことになると知っているので、傍観する。
しかし彼らとは違い、ヴィルムは君子の肩を掴むと、ラナイの魔の手から彼女を引き寄せた。
「……ふぁぅ、いだかっだぁ」
「キーコあなたも船酔いで辛いでしょう、それにそろそろギルベルト様の限界です、早く行って差し上げなさい」
「ふぁっ、ふぁいわはりはしたぁ」
君子は両頬をおさえると、ギルベルトの部屋に向かって行った。
まだ話したい凜華と海人は、彼女を呼び止めようとしたのだが、その前をヴィルムが塞ぐ。
「…………なっなんですの、いつまでワタクシ達の部屋にいるおつもりで?」
敵国の人間がいつまでもいるのは決して心地いいものではない。
早く出ていけという意味で言ったのだが――ヴィルムは詳しい表情で答える。
「随分図々しいですね、ご自分の立場をもう少し理解した方がよろしいですよ」
「なっなんですって!」
「言っておきますが、この部屋のランクは彼女に見合ったものですし、本来ならハルドラの人間風情に貸し与えるものではありません」
ギルベルトは王子である、初めから生活水準が高いのは事実だが、君子はその中でもかなり優遇されている。
君子本人が制服を好んで着なければ、絹のドレスだって着せるし宝石のついた装飾品も着けさせている。
君子はそういう扱いを受けるべき人、そんな彼女の部屋を譲渡という形とは言え占領するのは本来ありえてはならない。
「……どういう事よ」
「…………分からないならはっきりといいましょう」
ヴィルムは五人を見下しながら、単刀直入に言う。
「これ以上、彼女と関わらないでいただきたい」
「なっ――」
それは海人と凜華のクラスメイトである海人と凜華にとって、許せない一言である。
「ふざけるな、山田は俺達の仲間だ!」
「そうよ、君子ちゃんを攫って酷い事をしてる癖に!」
「酷い事? このような部屋をあつらえ食事も十分に与えているこの現状を?」
「そっ……それは」
確かに、海人や凜華が思っていたものとは違う。
君子は健康的だ、更には無くなっていた耳まで元通り。
暴力を受けている様子もなく、むしろ美味しいご飯を食べて、豪華な部屋を用意されて、非常に待遇が良い。
これは、下手をするとハルドラで暮らしている五人よりも、よい生活をおくれていると言えるだろう。
「むしろ、酷い事をしているのはそちらに見えますが?」
「なっ、私達が君子ちゃんにいつ酷い事をしたっていうのよ!」
「勝手な事言うなてめぇ!」
ヴィルムが鋭い視線でラナイを睨みつける。
聖都で会った時から思っていたのだが、ハルドラ側は君子を明らかに下に見ている。
この既に一年近く一緒にいるヴィルムは、彼女が決して下に見られるような存在でないことは分かっているし、大切な仲間だと思っている。
先ほどから君子の事を悪く言うラナイに、実はヴィルムは非常にイラついていたのだ。
「魔人は言いがかりまでつけるのね!」
「あぁ、とんだ野郎共だ」
「…………どうやら異邦人という者は、必ずしもキーコの様な人間という訳ではないようですね」
君子は異種族に対して決して差別をしない、それどころか敬意を払っている。
半魔人であるアンネを親友と呼び、氷の魔人であるヴィルムの冷たい手を握った。
異邦人の故郷には、人間しかいないと言っていた。
そんな状況だから、異邦人は皆異種族に対して優和的だと思ったがそうではないようだ。
彼女と彼らに明確な違いがあるとすれば、おそらく国の問題だろう。
「そちらがキーコとどのような関係か知る由もありませんが、彼女はギルベルト様のお気に入りなのですから」
「お気に入り、だとぉ……」
「えぇ、彼女は王子にとって非常に良い働きをしてくれていますから」
ヴィルムが言った『良い働き』というのは、君子が来てからギルベルトがむやみやたらに城を壊したりイライラしたりしなくなったこと。
この精神面での成長を促したことこそ、君子の一番の功績。
しかし言い方が悪かった、魔人を『悪』と思い込んでいる者達には――それは全く別の意味に聞こえる。
『(まさか、『いい働き』というのは特殊技能の事?)』
ヴィルムに聞こえない様にラナイは念話を展開する。
ずっと、なぜ君子が攫われたのか理由が分からなかった。
別に可愛いわけでもない彼女を甚振るつもりだったのかと思ったが、彼女の扱いは客人を持て成す時の物。
つまり危害を加えるつもりで攫った訳ではない、何かを利用する為だ。
君子の利用できるものと言えば――特殊技能。
彼等は見せつけられたばかりだ、使い勝手の悪い『複製』の特殊技能を進化させ、あまつさえ工夫を凝らし、少ない魔力量でも伝承級の武具を造り出した。
雷を斬る事によって強い力を発揮する雷切、思いの強さによって絶対の守りとなるハルドラの盾、どちらもすさまじい武具。
ギルベルトが君子を攫った理由は、この特殊技能に目を付けたから。
ラナイは深く後悔した、使えない凡人と言って切り捨てた君子が、これほどまでの脅威になると思わなかったからだ。
『(じゃあ、こいつらは山田に強い武器を造らせる為に連れ去ったっていうのか!)』
『(なんてことだ……、それでは彼女がいる限り奴らは強くなる一方だ!)』
魔人は『悪』、そんな彼らを受け入れている君子は洗脳されていると、勝手に思い込んでいる彼らは勘違いに勘違いを重ねていく。
ただ一人の男が、女性を深く愛おしく思っているだけだというのに――。
「同盟関係は守るつもりですが、そちらが王子殿下達やキーコに手出しをするようならば……約定の反故も考えられるので悪しからず」
ヴィルムは最大の警告をすると部屋を後にする。
海人や凜華達に大きな勘違いと、無駄な怒りを植え付けてしまった事に気が付かず、彼は自らの主の下へと去って行った。
「……くそぉ、あの魔人めぇ」
海人は壁に向かって拳を振るうと、歯ぎしりをした。
「絶対に……許さない!」
彼らはその怒りが全く間違ったものだと知る由もなく、ただ募らせる。
自らの行為が、クラスメイトにとって最良の処置だと信じて――。
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ヴェルハルガルドとハルドラの合同巡礼船が聖都を経って、二日の時が流れた。
海魔も海賊も現れる事無く、実に平和で穏やかな時間だ。
しかし敵である両者の溝が埋まる訳もなく、船はピリピリとした空気が流れている。
これといった接触や事件はなかったのだが、消し忘れた焚火の様に、人知れず火種は大火になろうと燻っていた。
太陽が西の地平線に消えようとしていた頃、海人と凜華はハルドラの分の水と食料を貰いに貯蔵庫へと向かっていた。
「……あと五日もかかるんだよな」
「そうね……、正直水が足りなくなって来たわよね」
ここは南の海、太陽が無慈悲に照り付けるせいで常に汗をかき、喉の渇きに襲われている。
「雨は全然降らねぇし……このまま日干しになる方が先かもな」
「はぁ……もう唾も出なくなって来た」
二人が渇きと戦いながら、目的の貯蔵庫へとやって来ると――先客がいた。
君子がベアッグと話をしていた、声をかけようと思ったのだが何やら真剣な話の様だったので外で待つ。
「でも……それ以上減らすとキーコが危なくなるぞ」
「ギル達に比べれば特に動いてませんし、私は大丈夫ですよ」
「でもなぁ……」
「大丈夫です、私の水はギル達にあげて下さい」
ベアッグは渋っているのだが、君子はギルベルトの水筒に自分の水を注いでしまう。
「はいっささっ、早く皆に持っていってくださ~い」
「うっうーん……、倒れそうになったら言うんだぞ、絶対だからな!」
ベアッグは渋々王子達に水を持っていく。
彼が出て行ってから、海人と凜華は君子へと駆け寄った。
「君子ちゃん!」
「あっ榊原君に凜華ちゃん、二人ともお水を取りに来たんですね、今用意しますから」
君子はそう言って樽から水を汲もうとする。
だが、二人はその手を止めた。
「君子ちゃん駄目じゃない、なんで自分の水を自分で飲まないの!」
「そうだぞ! このままじゃ山田が脱水起こしちまうぞ」
「そっそれは……そうですけど、でも私は船酔いで気持ち悪くてあんまり動いてないし」
「そういう問題じゃないわ! これは君子ちゃんの命にかかわるのよ!」
食料よりも水の方が人間にとっては大切な物。
他に分け与える余裕なんてないはずなのに、なぜこんな危険な事をしているのだ。
「でも……ギルがすごく喉が渇いてるから」
水が足りずギルベルトが渇きで辛そうなのを、君子は見ていたのだ。
自分の水を分けてあげようとしても、ギルベルトはいいと言って聞かない。
だからこうやって、ベアッグに頼んでこっそりギルベルトの水筒に入れていた。
「……あいつは君子ちゃんの事を攫った悪い奴なんだよ、そんな奴に……そんな奴になんでそんな風に尽くすの!」
「あいつ等は魔人なんだ、悪くて酷い奴なんだぞ! 目を覚ませ山田!」
海人と凜華は、洗脳されていると思い込んでいる君子に、必死に呼びかける。
何とか彼女に目を覚まして欲しくて、訴えた。
しかし君子は――。
「……酷い人じゃないよ、魔人だからって皆悪いわけじゃないよ」
君子は、元々オタクだったという事もあるが、人間至上主義であるハルドラの思想に染まる前に、様々な種族が暮らしているヴェルハルガルドへやって来た。
異種族を差別するという思考が、まず存在しない。
だから、二人がどうしてそこまでギルベルトを毛嫌いするのかが理解できない。
だってギルベルトは――。
「それにギルはね、口が悪くてちょっとワガママな所があるけど……、すっごく優しいんだよ」
君子の『生』を肯定してくれた、特別な人。
頬をうっすらと赤く染めながら、どこか恥ずかしそうに言う。
ソレはまごう事なき乙女の顔だというのに――――彼らは気が付かない。
魔人が『悪』であり、そんなものに心を許し友人になり、ましてや愛おしいと思う訳がないと思い込んでいるのだ。
だから、彼女の気持ちに気が付かない。
ただ正気に戻って欲しくて、ただ自分達と同じように思って欲しくて、言葉を吐く。
「違う! 山田は騙されてるんだ!」
「えっうぇっ!」
海人は君子の両肩を掴むと、彼女の眼をまっすぐ見る。
突然の事で君子は戸惑うが、それでも海人は止めなかった。
――――秘密は乱暴に明かされる。
「アイツは、戦争で人を殺してるんだよ!」
「なっ、なに言っているの……さ、榊原……くん」
君子はそう返した。
聞こえなかった訳ではない、ちゃんと聞こえていたが理解が出来なかったのだ。
「アイツはハルドラの隣の国、エルゴンに兵を率いて進軍してるんだ」
「へっ……兵を? えっ……うっ嘘だよ、わっ私ずっとギルと一緒に……」
「嘘じゃないわ、あいつは一年前にハルドラのゴンゾナっていう砦で五〇〇人も兵士を殺した、人殺しなのよ!」
「もうずっと戦争していて、エルゴンの砦はいくつも落とされ、そこでもたくさん人を殺してるんだ!」
クラスメイトの口から発せられる言葉は、皆君子の知らない事。
君子の知らないギルベルトの事、知りたくなかったギルベルトの事。
「アイツは山田の特殊技能で造った武器が目的なんだよ! だから優しくしてるフリをしてるんだ、本当は冷酷で残忍な人殺しの魔人なんだ!」
「――――やめてよぉ!」
興奮する海人と凜華に向かって、君子はまるで悲鳴の様な声で叫んだ。
とても怯えている彼女は、後ずさりする。
「ギルが……戦争で、人殺し……? そんな、そんな訳ないよ」
「本当だ、それがアイツの本性――」
「やめてよぉ! ギルの事全然知らないのに、そんな風に言わないでよぉ!」
君子は声を張り上げると、海人と凜華に背を向けて走り出す。
「山田!」
「君子ちゃん!」
酷いクラスメイト達の声などもう彼女には聞こえない。
君子はただ、彼の下へと走る。
「……あっおい、キーコ?」
途中水を届けた帰りのベアッグとすれ違ったが君子は無視した。
君子の頭にも心にも、そんな余裕がなかったのだ。
(胸が苦しい、痛くて苦しくて――)
砂浜でギルベルトに気持ちを聞いた時とは全然違う苦しさが、君子を襲う。
あの時のどこかドキドキして苦しいのに、嬉しい気持ではない。
これはもっと――重くて、心臓をたくさんの針で貫かれているように、痛い。
この気持ちを払って欲しい、こんな気持ちを忘れさせて欲しくて――君子は向かう。
聞きたくなかった真実を否定して欲しくて。
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「ぷはっ……あ~、生き返った」
ギルベルトはベアッグに渡されたばかりの水を飲んで、喉の渇きを潤した。
「がばがばと飲むな馬鹿者、水には限りがあるのだ、もっと節約して飲めぬか」
「うっせぇ、喉乾いたンだからしょうがねぇだろう!」
アルバートに叱責されるが、ギルベルトは全く聞き入れようとしない。
ヴィルムはそんな様子を見て、一刻も早く飲み水の確保を急がなければと思う。
三人しかいない部屋のドアは――突然大きな音を立てて乱暴に開け放たれた。
「……キーコ?」
いつもはちゃんとノックをする君子の無作法に、アルバートもヴィルムも驚いた。
「ここは王子の部屋、ノックくらい……キーコ?」
ヴィルムが注意を止めるくらい、君子の様子は可笑しかった。
まるで人の言葉を聞いておらず、どこか焦っているようだ。
そのあまりの異常さにギルベルトはソファから立ち上がって、息が上がっている彼女に近づく。
「キーコ……どうし――」
ギルベルトが全て言い終える前に、君子は彼の服を両手で掴んだ。
そして――。
「ギル、戦争してるって嘘だよね……?」
彼女が知るはずもない事を言った。
予想しなかった言葉に驚いたのはギルベルトだけではない、アルバートもヴィルムも目を見開いて驚きをあらわにする。
ギルベルトが戦争をしている事は、ずっと君子に知られない様に注意を払って来た。
アンネにも口止めをして口裏を合わせて、いつも通りの日常を送れるようにした。
アルバートもヴィルムも、誰が彼女にコレを話したかはすぐに分かった。
「キーコ……ハルドラの連中に何を言われたか知りませんが……少し落ち着きなさい」
「そうだぞキーコ、船酔いでイラついているんじゃないのか?」
そう何とか話をはぐらかそうとするが、今の君子の耳には二人の言葉は聞こえない。
彼女が求めているのは、ギルベルトの言葉なのだ。
「ぎっギル……人殺しなんてしてないよね、私といつも一緒にいたんだもん……そんな、そんな暇なんかないよねぇ?」
君子はずっとマグニの城でギルベルトと一緒にいたのだ。
いつも他愛ない話で笑って、美味しいご飯を食べて、そんな何気ない日常を過ごしていたのだから、隣の国で戦争をする暇なんてない。
あるはずがない、全部海人と凜華の勘違いなのだろう。
そうに決まっているのだから、あとはギルベルトが否定してくれればいい。
いつも通り『ンな訳ねーだろぉ』と言ってくれればいい、証拠も何もいらない、それだけで信じていられる。
たった一言の否定を、ただそれだけを彼女は求めていた。
「…………」
だが――、否定はいつまでたってもやってこない。
どれだけ待っても、ギルベルトは言ってくれない。
いつもすぐに返事を返してくれるのに、答えないなんて事はない。
何も言わない、それはつまり――。
「本当……なの?」
海人と凜華の言っていた事は、嘘じゃない。
ギルベルトは本当に――、人を殺している。
「な……、なんで……」
戦争が当たり前でない日本で生活していた君子には、戦争をする理由が分からない。
どうして人を殺すのか、なぜそんな事をするのか、理解できないのだ。
「な、なんで、どうして……なんでそんな事してるの?」
君子はギルベルトをもっと強く掴む。
日頃戦っている相手に比べれば、その力はとても弱く全く痛みなど無い。
でも彼女の表情が、怯える声が、ひどく胸に突き刺さる。
「なんで人を殺してるの……なんでぇ、なんでそんな事してるのぉ!」
「き、キーコ落ち着きなさい」
ヴィルムが取り乱している君子をどうにか引き離そうとするが、彼女はギルベルトの服をしっかりと掴んで離さない。
「ぎっ……ギルぅ止めてよぉ、戦争なんて……人殺しなんてしないでよ!」
君子は必死に訴える。
ただそんな酷い事をして欲しくなくて、怖い事をして欲しくなくて、ただ自分の思いを叫んだ。
「人を殺さなくたっていいでしょう、戦争なんてしなくたってギルには何の問題もないでしょ――」
「黙れ!」
叫ぶ君子に、ギルベルトがようやく口を開いた。
しかしそれは聞いたことがない恐ろしい声で、見た事がないくらい怖い顔をしていた。
君子が知っているギルベルトとは全く違う。
それが――――怖い。
「かはっ」
とてもかすれた声、それがあまりにも君子とはかけ離れていたものだから、アルバートもヴィルムも、気が付くのが遅れた。
彼女が――息が出来なくなっている事に。
「あっ……がはぁ――」
呼吸が出来ず君子が喉を抑えて苦しんだのを見てから、皆何が起こったか理解した。
「まっまずい、『覇気』に当てられた!」
ギルベルトの特殊技能『覇者気質』は、目に見えない『覇気』という力を操る物。
それは、自身に『畏れ』を抱いている者の意識や呼吸を奪い――最悪心臓を止める。
君子が呼吸困難に陥ったのは、その『覇気』に当てられたのだ。
「あっあぁ……きっ、キーコぉ……」
ギルベルトはすぐに君子を抱きしめる。
何とかしなければ、そう思うのだが――症状はどんどん悪くなり、自分で立つこともできなくなった。
涙を流して苦しむ君子に、ギルベルトは何もできない。
「ギルベルト、早くキーコから離れろ!」
「ギルベルト様いけません! キーコは貴方の『覇気』に当てられているんです!」
彼から発せられている『覇気』のせいで君子は呼吸ができない。
それなのに君子を抱きしめていたら、彼女の症状はより悪くなるばかり。
一刻も早く二人を離さなければならない。
「でっでも……キーコが、キーコがぁ!」
「お前のせいでそうなっているんだ! このまま『覇気』に当てられ続けたら、キーコは死ぬぞ!」
「アンネ、ルールア! 早く来て下さい!」
アルバートとヴィルムの二人でどうにかギルベルトを引き離した。
支えを失った君子は床に膝をついて苦しんでいる。
「ちっ違う……、違うんだぁ、おっ俺はこンな事がしたかったンじゃない!」
ただ少し力んでしまっただけで、君子を苦しめようとしたわけではない。
ギルベルトはアルバートとヴィルムに部屋から連れ出され、出来るだけ君子から遠くへと追いやられる。
「……キーコが、キーコが俺を『畏れ』てた」
『覇気』は自分に『畏れて』を抱いている者に効く。
今まで『覇気』に君子が当てられなかったのは、ギルベルトが意識的に使わなかったという事もあるが、そもそも彼女がギルベルトを怖がっていなかったからだ。
しかし今、君子はギルベルトをとても『畏れ』ている。
それが何よりも――ギルベルトの心をえぐる。
アルバートとヴィルムに引きずられるように引き離されながら、ギルベルトはただ『畏れ』る。
「いやだぁ、嫌いにならないでくれ……、俺を……俺を捨てないでキーコぉ」
しかし、彼の言葉は彼女には届かなかった。
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部屋に残された君子は、ギルベルトが離れていくにつれて呼吸が楽になった。
それでも窒息しかけた彼女の体は、床に倒れたまま動かせない。
(…………あんなに怖いギル、初めてだった)
嬉しそうに笑いかけてくれたのは嘘だったのだろうか。
優しく抱きしめてくれたのは嘘だったのだろうか。
自分の『生』を肯定してくれたのは嘘だったのだろうか。
(怖い、ギルが……怖い)
声も目も、何もかも怖かった。
君子の胸は、ギルベルトに対する恐怖でいっぱいだった。
(……ギルが、私をだましてた)
明るくて優しいギルベルトは虚像。
本当の彼は、あの怖いギルベルト。
異世界に来て一年、君子はずっとギルベルトのおかげで楽しかった。
でも、その全てが嘘だと知った時、ただ涙が出て来た。
悲しくて、怖くて――君子はただ肩を震わせて泣く。
アンネとルールアがやって来て、どれだけ励ましても彼女は泣き止まなかった。
君子とギルベルトの仲は、壊されてしまった。
もう直せないくらい、粉々に――砕かれてしまった。




