第二〇話 悪いスライムじゃないよぉ!
君子が目覚めて二週間が経った。
いつも通りのマグニの生活がようやく戻って来たのだ。
そう、いつも通りギルベルトに抱っこされるだけの日常が戻って来てしまった。
「ギル……こんなに抱っこして飽きないの?」
「あン、飽きる訳ねぇだろう」
そうきっぱりと断言して、君子を腹に乗せたままソファに寝っ転がるギルベルト。
ちょっとくらい飽きても良いのにと、君子は思う。
あの日ギルベルトがドアを蹴破った後、なぜか皆物凄く自分の身を心配してくれた。
なんでも自分はパーティ会場に行く途中で、高熱を出して倒れたらしい。
そのまま一週間意識が戻らず、皆を心配させてしまったそうだ。
人生の中でそんな事無かったので、聞かされた時はとても驚いた。
その後医療系の魔法使いと言う、布を頭から被った人達に何日も診察を受けさせられ、先日ようやく解放されて歩き回れる様になった。
それと、少し怖かったがギルベルトにカルミナの事を聞いた。
すると――。
『帰った』と、一言だけ返してくれた。
なぜ帰ったのか、理由までは教えてくれなかったこれではっきりした。
どうやら何もかも悪い夢だったらしい。
そりゃそうだ、自分の様なモブが、あんな主人公の様な臨死体験をする訳がない。
それに右耳があるのがれっきとした証拠だ、全部悪い夢。
そう納得して、いつも通りの日常を再び過ごし始めたのだった。
「それにしても、もうすっかり秋ですね」
「本当、少し前まで暑かったのに、あっと言う間ね」
「今年は火炎鳥の渡りが速かったので、残暑は短かった様ですね」
アンネが紅茶のお代わりをそそぎながら答え、ヴィルムがそれに付け足しをした。
秋はいい、涼しいし食べ物は美味しいし、しかも異世界にいるので大嫌いな持久走と運動会をやらなくていい。
運動嫌いな君子にとっては、こんな嬉しい秋は無い。
(あ~~、秋と言えば新米の季節なんだよなぁ……食べたいなぁ栗ごはん)
秋はセンチメンタルな気分にさせる、ちょっとだけ日本が懐かしくなった。
もうこっちの世界に来て随分経ったが、元の世界はどうなのだろう。
そもそも時間の流れは一緒なのだろうか、戻ったら三〇〇年後とかいう浦島太郎的なオチはご免こうむる。
君子がネガティブな方向に思考を巡らせた時。
突然強い秋風が吹いて、喚起の為に開けていた窓から肌寒い風が吹き荒れる。
季節の変わり目には強い風が吹くのは当たり前。
しかし――問題はその風が君子のスカートをめくり上げた事。
「ひゃっふっわああああっ!」
急いでスカートを押さえつける君子。
アンネが急いで窓を閉めて、取りえず風は止まったのだが重大な問題がある。
(……オー、モーレツ! じゃなくてぇ、みっ見られた? きょっ今日のパンツはよりによってフリルのピンクの奴だよ!)
人に見られる事のない布だから油断していた。
一先ず目撃者を見極める為に、辺りを見渡す。
(……アンネさんは、まぁ同性だから恥ずかしくないし良いや)
ばっちり眼が合って、アイコンタクトでご愁傷様と言われた、慰めが辛い。
(ヴィルムさんは……うお~いつも通りのすまし顔、どっちだか分からない!)
『凄い風でしたね』と、クールイケメンヴィルムは平然と言っている。
立ち位置的に視界に入っていても不思議ではないのだが、このポーカフェイスでは判断できない。
(そして問題は……)
視線を自分の下で寝っ転がっているギルベルトへと向ける。
どうか違う所を見ていてくれと、君子は願ったのだが――。
「キーコのパンツおもしれぇな!」
ばっちり見られていた。
ギルベルトは更に自分でスカートをめくり上げてガン見する。
「くぁwせdrftgyふじこlp~~~~~!」
声にならない悲鳴を上げる君子。
それもそうだろう、モブ歴一六年と一一ヶ月の彼女にはパンチラというヒロインキャラクターやお色気キャラクター専用のイベントの経験などある訳がない。
というか普通に女子として嫌だ、めくり上げられたスカートを抑える。
「なにすんだよ、別に良いだろうパンツくらい」
「よっ良くない! パンツだから良くないのぉ!」
よりによって一番見られたくない奴に、一番見られたくないパンツを見られた。
恥ずかしさがマックスになって死んでしまいそうなだ、しかしギルベルトはそんな事何一つ分かっていない。
「別に減るもんじゃねぇだろう」
「そう言う問題じゃないのって……スカートをめくるなぁ!」
言ってる傍からスカートをめくり上げる、抵抗するが全く止める気配がない。
君子一人ではどうし様もない、視線でSOSを送る。
「……おっ王子様、キーコも嫌がってますから、ね?」
「ギルベルト様、王族としてはしたないのでお止め下さい」
「でもよぉ、キーコのパンツエロいぞ!」
「エロくないもん、ふつーだもん!」
日本では標準的な形のパンツなのだが、異世界のヴェルハルガルドで一般的なパンツと言うのはドロワーズの様なショートパンツ状の物。
故に普通の下着でも、物珍しく感じてしまうのである。
「でもキーコの下着って確かに変わってるわよね、上下でセットになってるし、色かと模様とか形とか普段着てる服と違って派手よね、毎日違うし」
「だからふつーだって言ってるじゃないですかぁ~~」
ブラジャーとセットで下着を買うのは楽だからで、色や模様や形が派手で豊富なのは、それほど日本の技術力がある訳であって、決して君子の本性がエロい訳ではない。
全力で否定する君子、しかし否定にばかり精神を傾けていたので全く気が付かなかった。
ギルベルトが悪ガキの様な笑みを浮かべている事に――。
翌日。
君子はいつも通り朝食を取る為にギルベルトの部屋へと向かった。
ちょうど彼も起きた所らしく、大欠伸をかいている。
「おはよ~ギル~」
つられて君子も欠伸をする、マナーとして両手で口元を覆う。
ガードが無くなったその隙を、Aランカーが見逃すはずがない。
スカートをめくり上げた。
服としての機能が維持できず、君子の体は大きく露出した。
あまりに唐突だったので脳の理解が追いつかない。
君子がなにもかも理解したのは、ギルベルトが口元に笑みを浮かべながら、しみじみとその言葉を口にした時だった。
「白、か」
「にっにゃうわああああああああああっ!」
顔を真っ赤にしてスカートを押さえる君子。
完全に油断していた、というかまさか二日続けてスカートめくりに執着するなど飽きっぽいギルベルトでは考えられない事だ。
「なっなにするの~~」
ぽこぽことギルベルトへと殴りかかるが、Eランクの凡人の拳などAランクから見ればどうという事もない。
「けけっ、ほんとに毎日ちげぇんだな」
「あっ当たり前でしょう、馬鹿ぁ!」
昨日の事もあったので、色は白にしてワンポイントにちょっと可愛いリボンが付いた控えめなパンツにしたのだが、ギルベルトには物珍しい物に見えた様だ。
「昨日のが派手で良かったけどな!」
「ぎっ、ギルの好みなんて関係ないでしょう!」
けらけらと笑うギルベルトに怒る君子。
しかし、これで終わらない――。
二度ある事は三度ある、俺達の戦いはこれからだと同じ様に、終わりなど無い。
それから毎日ギルベルトは君子のスカートをめくり続けた。
警戒する君子の一瞬の隙を付くその速度は、最早匠レベルまで引き上げられて、眼で追う事も難しい。
突如開戦されたパンチラウォーズに、君子は怒っていた。
「まいっちんぐ~~、じゃなくてぇぇぇ! 誰なら分かるんだよこのネタ!」
自分自身に突っ込みを入れてしまうほど可笑しくなっていた。
スピードとパワーではギルベルトには絶対に勝てない、どう頑張っても防ぎ様がない。
(逃げたくても、ギルからは逃げられないし……)
刻印の範囲をせばめられてしまったらそれまでだし、そもそも彼は鼻が良いどこかに隠れてもきっと見つかってしまうだろう。
防ぐ事も逃げる事も出来ないのでは話にならない、悩んだ末に一つの案が浮かんだ。
「そうだ! そうだよなんて簡単な解決策なんだろう!」
我ながらナイスアイディアと自分自身を褒め称える。
そして、不敵な笑みを浮かべる。
「ふっふっふ~~、もう絶対にスカートはめくらせないんだからな」
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ヴィルムはいつも通りギルベルトを起こしにやって来た。
ここ数日、平穏なもので特に何事もない。
だがそれでもハルドラでの一件で見た、あの光景が頭から離れずにいた。
(キーコから出たあの黒い靄、アレは一体なんなんだ)
アレからこの城にある書物を読み返したが、黒い靄についての記述は一切なく、正直あの正体が分からずにいる。
黒い靄で生まれた人型、そして何より消失していたはずの右耳の再生。
アレには医療集団も驚いて、何日も君子を観察したが結局分からずじまい、終いには君子を研究したいとまで言い出していた。
彼らには口止めをしたが、果たして医術の狂信者達はどこまで信用できるか。
(しかし……何かを造り出すという面に置いては、『複製』に近い……か)
だがアレを造り出すだけの魔力は君子には備わっていない、あの凡人の技量ではどちらも成しえる事など不可能だ。
(今は何を考えても仕方がない……か)
何の情報もないのではヴィルムの特殊技能を持ってしても答えは出ない。
それに君子はあの一件を夢だと思っている、今は波風を立てたるべきではない。
「ギルベルト様、起きて下さい」
「ふっふぁ~~」
大欠伸をしながら起き出す。
「……キーコは?」
「もうすぐこちらに来ると思いますよ」
「けけっ、今日は何色だろうな!」
すっかりスカートめくりが日課になったギルベルト。
しかし今の所同じ柄のパンツに当たった事がない、一体どれくらいの種類があるのか、此処まで来ると全て見ないと気が済まなくない。
君子の隙を突くなどAランクのギルベルトにとっては容易い事、今日はどんな柄か楽しみにしていた。
着替えを済ませると、欠伸をしながら隣の部屋へと移動する。
いつも通り朝食を一緒にとる為に君子がいるはずなのだが――。
「――――なっ」
「……っ!」
ギルベルトもその後ろにいたヴィルムも、驚きのあまり声を失った。
そこにはいたのは、ジャージ姿の君子。
「あっ、お早うギル」
学校指定の紺色のジャージ、日本では次は体育の授業かと想像するのだが、このベルカリュースでは全く違う。
「なんだその服!」
「ジャージだよ」
そんな事を聞いているのではない、この国では女性が男性の衣服であるズボンを穿くなど考えられない事なのだ。
「なっ……なんてはしたない」
「うえっ、なんで! 学校指定のジャージですよ!」
「もっ申し訳ありませ~ん、うっうえっヴィルムさん、私が部屋に行った時には、キーコは既にあっあの服を~~うえ~ん」
アンネは申し訳なさそうに泣いている。
学校指定の長ジャージであろうがズボンはズボン、もちろんその格好は常識的に考えられないのである。
「有り得ない……いつもの服も品に欠けていても、とりあえず容認してきましたが……コレは下品すぎる」
「下品って、なっなんでですかぁ!」
「女性がズボンを穿くなんてはしたない……それに貴方の場合は胸部に特徴がないのですから、余計女に見えなくなる」
「いっ今さり気なく私が貧乳だって言いませんでした!」
君子は咳払いをすると、ない胸を張りながら反論する。
「私の世界では女性もズボンを穿くんです、ズボンは男女共通の衣服なんです!」
君子なんて、私生活では中学校の頃のジャージを愛用しゴロゴロしながら漫画を読んでいた。
耐久性もあり温度調節もしやすく、何より動きやすくダラダラしやすい。
こんな怠惰着他にはないだろう。
「……そうか、異世界ははしたないんですね」
「だからはしたなくないって言ってるじゃないですかぁ!」
強い拒絶を示しているのはアンネとヴィルムだけではない、君子のスカートを一番楽しみにしていたギルベルトだって――。
「んな服認めるかぁぁ、とっとと脱げぇぇぇぇ!」
無理矢理服を脱がせようとするが、学校指定のジャージは前開きのファスナーでベルカリュースには存在しない、全く構造が分からず四苦八苦する。
「脱がないもん! ギルがスカートめくりするから、絶対に着替えないもん!」
そう、コレはスカートをめくり続けるギルベルトに対しての君子の抗議である。
めくられるのが嫌ならそもそもスカートを穿かなければ良い、ジャージがここまで不評なのは予想外だったが、やはりこれならギルベルトは手も足も出ない。
「ふっふざけんな、キーコは俺ンだ、俺の所有物のスカートめくろうが俺の勝手だろう!」
「勝手な訳ないでしょう、なにそのジャイアニズムセクハラ発言!」
君子はギルベルトの手を払いのける。
「とにかく、ギルがスカートめくりを止めない限り、私は絶対にセーラー服に戻さないからね!」
「ふっふっふっ……ふざけんなああああああああああああっ」
ギルベルトの怒号がマグニ城に響き渡った。
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「ふぁ~、アンネさんの紅茶はやっぱり美味しいですね~」
「ぶ~~……」
「今日のパウンドケーキの中に入ってたフルーツ凄く美味しかったです、なんて言うんですか?」
「む~~……」
「…………ぎっギル、いつまで不貞腐れてるの」
ギルベルトは君子を膝の上に乗せながらずっと頬を膨らませていた。
アレからずっとコレだ。
「キーコがそのだっせぇ服脱ぐまで」
「だ、か、ら~、ギルがスカートめくり止めるって言うまでぜっったいに戻さない!」
「う~~うがっ!」
絶対に止めたくないギルベルトは、君子を思い切り抱きしめると、左胸に触れる。
「ぴぃぴゃああああ! やっやだあ離してぇ、もっ揉むなぁ!」
「嫌だ、服戻すまで止めねぇ!」
「ひゃうっ、ひゅんっいっ、やっやあああああっ!」
暴れるがギルベルトの馬鹿力には敵わない。
力で敵わないのなら、口で――。
「止めないと、もう一生口きいてあげないんだからね!」
「いっ――」
ギルベルトは言葉を聞いた瞬間に手を離した、君子は急いで立ち上がると両眼に涙を溜めながら、言い放つ。
「~~っ、嫌い!」
盛大に怒られたギルベルトは、痛くもない君子の平手打ちを食らって、おさわり厳禁を言い渡された。
「もうっ、サイテー」
ぷりぷりと怒りながら廊下を歩く君子、そしてその後ろをしょんぼりしながら歩くギルベルト。
おさわりも抱っこも禁止されて、意気消沈気味の彼は君子を怒らせない程度の距離を間持ちつつ、ずっと付いてくる。
「あれっ、アンネさんどこに行くんですか?」
「キーコ……それに王子……てっ君子まだそれ着てるの」
「もちろん、ギルが悔い改めるまで」
「……ぷいっ」
それは永遠に来ないだろうなと確信したアンネ。
「お天気も良いし、蔵の虫干しをしようかと思って」
「蔵? 蔵なんてあるんですか」
「そっ、滅多に使わない物とかをしまってるんだけどね、こういう時にお掃除しないと、虫に食われちゃうでしょ」
「へぇ~、私も行きたいです」
「えっ……いいわよ、キーコに手伝わせる訳にはいかないんだから」
「違います、異世界の蔵って凄い気になるんです」
アンネは少し悩んだが、まぁ見学だけならと言う事で了承した。
君子が来ると言う事は当然ギルベルトも来る訳で、一緒に付いて来た。
マグニ城の蔵は、広大な庭の中にある。蔵と言っても日本の物とは大きく違い、ちょっとした豪邸の様な建造物だ。
「ふえ~コレが蔵ですか……家みたい」
「うわ~~久しぶり過ぎて扉錆びてるう~」
金属が軋む音を立てながら扉は開かれた。
蔵の中は真っ暗でほこり臭かったが、うっすらと様々な物が置いてあるのは見える。
鎧や剣、大量の木箱に樽、良く解らない物に入った良く解らない物などなど、実に様々な物が置いてあって、その全てが君子には新鮮に映った。
「うわ~凄い……いろんな物がいっぱい……うわ~~コレなんですか!」
「それはユニコーンの角の槍、確かお祭りかなんかに使うけど普通に売ってるわ、それよりもこっちのガラスの大皿の方が珍しいでしょう!」
現代日本から来た君子にはガラスの大皿よりも、ユニコーンの角の槍の方がずっと珍しく、眼を輝かせる。
「ほっ他には何があるんですか!」
「そうねぇ、珍しいのだと……あぁこのガラスの水差しとか?」
「…………それは別に珍しくねぇっす」
もっと異世界的な何かを期待している君子、ガラスでオタク女子は満足出来ない。
どうやらこの世界の人と異邦人では感覚が違うらしい、諦めて自分で探そうとしたその時だった――。
にりゅんと、君子の背中に何かが落下して来た。
それはひやっと冷たくて、水の様なのにぶよぶよしている、その良く解らない物がジャージの中へと侵入する。
「ひゃっひやああああああああっ」
気持ちが悪くて悲鳴を上げる君子。
何とか取り除こうとファスナーを開けるが、得体が知れない物が怖くて手を伸ばせない。
「うっうえっ、ぎっギルとって……」
とりあえず近場の人に助けを試みるのだが、ギルベルトは顔をそむけながら返す。
「触っちゃ駄目、なんだろう?」
明らかに根に持っている、そしてわざと助けてくれないのだ。
なんだか彼の方が一枚上手でむかつくが、このぶよぶよしたひやっと冷たい物が気持ち悪くて嫌だから仕方がない。
「わっ分かった、触っても良いからとってぇ~~」
君子が懇願した瞬間、ギルベルトは彼女のジャージの中に腕を突っ込んでその得体のしれない物を掴み取った。
少し怖いが、落ちて来た物を確認したかったので、視線を向ける。
真っ先に見えたのは薄水色の肌、次に見えたのは丸みを帯びたそのボディ。
そう、ファンタジーの世界において鉄板と言えるそいつは――。
正にスライムであった。
「すっスライム~~っ!」
異世界にやって来て二ヶ月以上経って、ようやく遭遇出来た。
なぜトカゲとか大トカゲとか大蛇とか、そういうものばっかりでこういう初心者に優しくどこか愛くるしいモンスターの登場がこんなにも遅かったのだろうか、しかしこうやって出会えた事を、君子はファンタジーの神に感謝した。
「あンだ、ただの雑魚じゃねぇか」
ベルカリュースでも、スライムは雑魚の妖獣として扱われている。
特に人を襲う訳でもなく、主に死骸などを食べるのだが、旅人の食糧なども食べてしまうので厄介な生物である事に変わりはない。
「潰すか」
だから普通にスライムを握り潰そうとする。
しかしスライムはファンタジーの中では鉄板の一つ、特にドラクエ大好き君子さん的には、最早アイドルである。
今にも握り潰されてしまいそうな、痛ましいスライムの姿など見ていられない。
「ふぁ~~~っふぁっふぁぁっ」
「あン?」
「らっ……らめぇっ、やめれぇ……」
目尻に涙を込めて懇願する君子。
必死にスライムの命乞いをするその姿にギルベルトはなんだかいたたまれなくなって来て、スライムと彼女を交互に見つめると手渡した。
「ふぁっふぁぁぁ」
ぷにぷにのボディ、両手に収まるくらい小さいそれは、正にファンタジー界のアイドルの相貌。
「スっスラり~~ん! うへぇ~~んずっと会いたかったよぉぉぉ」
君子は頬を擦りよせると、嬉しさのあまり泣き出してしまった。
異邦人の君子にとっては感極まる邂逅だが、異世界人にとってこの光景は異様としか言いようがない物だ。
「…………貴方は馬鹿ですか?」
「ぶえっ、開口一番それですかヴィルムさん!」
ヴィルムはスライムを大事そうに持っている君子を見て、そう言い放った。
それもそうだろう、普通妖獣をこんな風に愛でる者はいない。
「あの蔵は随分使っていなかったので虫がいても不思議ではありませんでしたが……まさかスライムが湧いて出るとは……」
「そうですよねぇまさか井戸の中じゃなくて蔵の中にいるなんて、思いもしませんよね~」
そう言って嬉しそうにスライムを撫でる君子、しかしヴィルムはそれをいつもの冷たい視線で見下ろす。
「でっ、貴方はそのスライムをどうするつもりですか? まさか飼うつもりじゃないでしょうね……」
「うっうえっ、すっスラりんはもう私の仲間です! 良く見て下さい仲間に成りたそうにこちらを見ている様な感じの眼をしてますよ!」
「スライムのどこに眼があるんですか」
幾ら雑魚とはいえ妖獣。普通は見つけたら駆除するのが一般的であり、それを愛でましてや飼おうとするなど前代未聞である。
せめて森へ捨てるべきなのだが、君子はスライムをしっかりと抱きしめて離さない。
「妙な名前まで付けて……それが人に害をなす妖獣だと言う事を理解しているのですか?」
「すっスラりんは悪いスライムなんかじゃないです! ほっほらちゃんと見て下さい」
そう言ってヴィルムにスライムを突き出すと、ぷよぷよボディが何かを訴える――。
「『ボッボクは悪いスライムじゃないよぉ!』」
「……なにを馬鹿な事をしているんですか、キーコ」
様に聞こえる気がする様な気もしなくもない。
あっさりアテレコを切り捨てられる、日本に数多存在するドラクエファンだったら、これで絶対に仲間にするのに。
「ヴィルムさんお願いします、私がちゃんと面倒見ます、ご飯だってあげますしトイレのお世話もします、人を襲わせないのでスラりんをここにいさせてくださ~い」
そう言って必死に頼み込む、まるで野良猫でも拾って来た子供の様だ。
ヴィルムはため息をつくと、視線をギルベルトへと向ける。
「……いいんじゃねぇの、んな雑魚ど~でも」
ポテチをつまみながらギルベルトがそう言った。
「ほっほんと、飼ってもいいの!」
「ギルベルト様……仮にも妖獣ですよ」
「んなのすぐに潰せるだろー」
「やったっ! ギルありがと~~」
君子は満面の笑みを浮かべてギルベルトにお礼を言う。
ヴィルムが幾ら反対しても、彼が許可を出してしまったらどうしようもない。
「……きっキーコ、それ本当に飼うの? 妖獣よ妖獣!」
「スラりんは悪いスライムじゃないんです! アンネさん良く見て下さい愛に満ちた優しい眼をしてますよ!」
「どこに眼があるの、どこに眼が!」
君子の膝の上でパンを食すスライムを指差しながら言った。
スライムには歯がない、というか口もない。
全身が口でありそのほとんどが消化器官、眼や耳などの感覚器官はなく、魔力を放出する事によって危険を察知したり食物がどこにあるかを感知したりしている。
自分の大きさとさほど変わらない大きなパンを丸呑みにするスライム。
「ふわぁ~この大きさのパンも食べちゃった……スラりんは食いしん坊さんなんだね!」
「食いしん坊と言うよりも、スライムは食べる事が存在理由と言っても過言ではありません、あればあるだけ食べる、なんだって食べる、それがスライムです」
「へぇ~~好き嫌いないんだ、偉いねスラりん!」
そう言う意味ではないのだが、君子はすっかりスラりんを気に入っていて、先ほどから頬ずりをして愛でている。
「うへへっ、可愛いなぁスラりーん」
「キーコ」
「そうだスラりんのベッドを造ってあげるね~、うへへっどんなデザインにしよっか?」
「……キーコ」
「あっ折角だし、お洋服も造ってあげる! どんなデザインがいいかなぁスラりん!」
「おい、キーコぉ!」
さっきから呼んでいるのに全く気がつかない君子に、ギルベルトは声を張り上げた。
「へっ、なにギル?」
「何じゃねぇーよ、さっきから呼んでるだろう」
「あぁごめん気が付かなかった」
隣に座っているのに気がつかないなど、どれだけスラりんに夢中などだろうか、自分の事などまるで見えていない君子にギルベルトは頬を膨らませる。
そして彼女を抱き寄せるとそのまま抱っこして、しっかりとホールドする。
「ちょっ、はっ離してぇ!」
「うっせぇ! だあってろぉ!」
「うわ~~抱っこしたままポテチ食べないでよ!」
ポテチの食べカスが君子に落っこちて来て嫌なのだが、ギルベルトは絶対に離そうとしない。
君子はどうして彼が離してくれないのか、まるで理解できないのであった――。
「もうギルったら、ポテチのカスが服の中にまではいっちゃったよ~~」
気持ち悪くて仕方がない。
君子はスラりんを椅子の上に置くと、ジャージを脱ぎ始めた。
そしてそのまま部屋に併設されている風呂場へとむかう。
と言ってもシャワーがある訳ではなく、全面タイルと大理石の部屋に沸かしたお湯を運び入れて貰う、入浴というよりは湯浴みが近い。
「はぁ~、お湯につかりたいなぁ~」
生粋の日本人としては浴槽につからなくては疲れが取れない、贅沢なので諦めたといえどもやはり恋しい。
「シャンプーとリンスが使える様になったのは嬉しいけど……」
環境汚染を気にして『複製』でも石鹸の類は造らなかったのだが、どうも浄化魔法という物で汚れた水を綺麗に出来るらしい、だから洗剤を使うのは何の問題もなかったのだ。
「ふぁ~、なんか今日は疲れたなぁ……早く寝よう」
ため息をつく君子、しかし彼女は気が付かなかった。
この浴場に、スライムがゆっくりと侵入しようとしている事に――。
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ヴィルムは寝具の準備をしていた。
「たかがスライムに嫉妬とは、王子として見苦しいですよギルベルト様」
あのような雑魚の妖獣に嫉妬というのは、高貴な地位にいる者として実に品がないのだが、ギルベルトはまだ頬を膨らませてすねている。
「キーコあんなの可愛がってんだぜ、俺には触るなとか言ってるのによぉ!」
「それはギルベルト様がキーコの下着を見るからでしょう……」
「いいだろう、キーコは俺のなんだから!」
ヴィルムとしては、正直君子のパンツの一つや二つどうでもいいのだが、これ以上パンツやらスライムで騒ぎを起こされては、王族としての品にかかわる事だ。
ただでさえギルベルトには良い噂がないのだ、自ら進んで悪い噂を流す必要はない。
「ヴィルムさん、枕カバーの替えを持って来ました」
「アンネ……貴方はキーコの沐浴の手伝いをしていたのではないのですか?」
「あ~~いえ、実はキーコはずっと手伝わせてくれないんです、一人で洗えるって言って聞かなくて……」
「毎日沐浴をするのも珍しいですが、一人で沐浴すると言うのはもっと珍しいですね」
元々君子は手が掛からないと言うか、自分で出来る事は自分でしたがる。
位ある人間なら人を使うのが当然なのだが、君子はそれを良しとしない、変わっているというか変だ。
「ズボンといいスライムといい、異邦人は皆ああなのでしょうか……」
「あははっ……所でヴィルムさん、スライムを飼って本当に大丈夫なんでしょうか?」
「妖獣を飼うなど考えられませんね、品格を疑いますよ」
「あっいやそう言う訳じゃなくて……、私聞いた事あるんです」
ヴィルムが首を傾げると、アンネはどこか不安そうに口を開く。
「昔旅人が森の中で野宿していた時、近くの木のうろにスライムがいて苔を食べていたそうなんです、旅人は弱いスライムだと思って気にせず眠りに付いたんです……」
「……まぁそうでしょうね」
「でも夜半過ぎ……物音に気が付いて目を覚ましたんです、その音はどうも自分の体からしているみたいで旅人は恐る恐る腹を見たんです、そしたら――――」
アンネは声を荒げて言った。
「スライムが腹を食い破って、腸を食べていたんですぅぅ!」
彼女自身も怯えている、夜にそんな話をする物ではない。
「――――っ、キーコ!」
ギルベルトはその話に、ソファから跳び起きる。
そして出せる限りのスピードで、部屋から飛び出した。
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「ふん~ふん~~……てっふぁあっ!」
足にぶにょっとした感触がしたので振り返ると、なんとスラりんがいた。
「どっどうしたのスラりん!」
泡を払ってスラりんを抱き上げる、眼鏡をかけて良く見てみる。
「……ポテチのカス?」
スラりんの体にポテチのカスが付着していた。
どうやら君子の体に付いていたポテチのカスが床に落ちて、それを食べてここまで入って来てしまったらしい。
「スラりん、落ちた物食べるなんてお腹壊しちゃうよ~~食べ足りないなら後で何か持って来てあげるから、外で待っててね」
部屋へ戻そうと立ち上がる。
しかし君子が半開きのドアのノブに手を伸ばす前に――ドアは開かれた。
「大丈夫か、キーコぉ!」
乱雑に開かれたドア、そこから顔を出したのは焦った様子のギルベルト。
普段ならただの日常なのだが――ここが風呂場というのが最大の問題だった。
「……あっ」
何の特徴もない平坦な胸部、そんなに括れていないウエスト――その全てがなににも隠されていない、全てあらわになった状態。
そう、君子は全裸。
お風呂を覗かれると言うイベントはヒロインの物であってモブの物ではない、つまりコレは夢それも悪夢の類、君子は自分自身にそう言い聞かせたのだが――。
「キーコぉ!」
ギルベルトはあろう事か風呂場に侵入して、そのまま両肩を掴んで来た。
両肩を掴まれたこの感覚は夢ではない、つまりこれは今現実で起こっている事。
「なっ……なっ、なぁ」
手に持っていたスラりんが大理石の床に落ちる。
ぺちんと音がしたがそんな事、今はどうでもいい。
今はただ――。
「こっこのぉ……」
君子が両手を合わせると、魔力が放出されて電流が流れる。
「……へっ?」
ギルベルトが状況を理解する前に、魔力は君子のイメージに沿って変換された。
それは一〇〇トンと書かれた大きなハンマー。
宙に浮かぶハンマー、その異質さに普段は鈍感なギルベルトも、危険を察知した。
「きっ……きーこ?」
後退するが、何もかもがもう遅い。
君子はハンマーの柄を握ると、電流が消えて振りかぶる事どころか持つ事もままならない重さが腕に掛かる。
しかし振りかぶる必要など無い、このハンマーの自重だけで十分な威力があるのだから――。
「このぉぉ、馬鹿ああああああああ」
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「基本的に丸のみのスライムが生きた物を、それも自身より大型の動物を食べる訳がないじゃないですか」
ヴィルムは洗面器から濡れタオルを取り出すと、君子にぶん殴られて大きなたんこぶが出来たギルベルトを冷やす。
頑丈な彼もさすがにあの一撃は堪えたのか、目を回している。
「アンネも、あの程度の噂話を信じるんじゃありません」
「ごっごめんなさい王子様、私のせいでお怪我をぉぉ!」
「まぁ、キーコは胸に特徴が無くとも女性、女性の風呂場に勝手に入ると言うのは王族の品格を疑われるので、下着の件といい良い薬になったでしょう」
そしてその後ギルベルトは、本気で怒った君子にパンチラの一件も含めて謝罪するまで口を聞いて貰えなかったというのは、また別の話なのでした。
同じオチが二つ出来たので無理やりつなげました、申し訳ない出来ですまない……。
次回からはちゃんとやります(たぶん)
作中の君子のランクがDになっていました、Eの誤りです。