第一九話 ごめんな
君子はギルベルトの上で彼が起きるのを待っていた。
人の上に乗っかるなんて、失礼だとは思ったが、彼女は見て欲しくてたまらないのだ。
可愛くなった、この自分の顔を――。
「ギルベルト様」
ヴィルムの声だ、きっとギルベルトを起こしに来たのだろう。
数回ノックをすると部屋に入って来た、しかし彼はこちらを見て酷く驚いている。
どうやら姿形がすっかり変わってしまったので、君子だと認識出来ていないのだ。
少し面白かったのだが、腰に吊っていた剣を引き抜いたので、慌てて説明する。
「わ~ヴィルムさん、私ですよぉ君子です!」
しかし信じて貰えない様で、ヴィルムは物凄く怖い形相で君子を睨む。
どうしたら信じて貰えるのだろうか、戸惑っていると――。
「やめろ」
ギルベルトが起きた、彼なら解ってくれるはずだ。
まだ自分の事を不審者だと思っているヴィルムを説得してくれるはずだ。
「あっあのねギル、私君子だよ! わっ分かんないかもしれないんだけどね……おっ起きたらこの姿になってたんだ」
ギルベルトは黙ってこちらを見ているだけ、やはり戸惑っているのだろうか、解ってくれていないのだろうか。
「本当に君子なんだよ……そばかすもないよ! むっ胸だっておっきくなったんだよ!」
こんなに可愛くなれたんだよ、ギルベルトにふさわしい女の子になれた。
「だから……だから無視しないで、一緒にいさせてよ、ギル」
君子は懇願する。
するとギルベルトは腕を掴んで引き寄せて――。
「戻れ」
そう短く言った。
戻る、どうしてこんなに可愛くなれたのに、こんなにギルにふさわしくなったのに。
「ぎっ……ギル、でっでも私ギルにお似合いの女の子になったんだよ、ギルの隣に居ても誰も文句言わないよ」
「戻れ」
しかしギルベルトは、また短くそう言い放つ。
喜んでくれると思ったのに、褒めてくれると思ったのに、やっぱり凡人で地味でそばかすの不細工の自分じゃ、可愛くなっても駄目なのだろうか――。
「やっやあだぁ! せっかく可愛くなれたんだもん、もう誰も私をいじめないもん! もう仲間外れになんかされないもん!」
イケメンだから解っていないんだ、不細工なモブがどれほど惨めな人生を送っているかなど。
ギルベルトの言葉を拒絶していると、自分の手にヒビが入っている事に気が付いた。
痛くはないのだが、それはどんどん広がってついに剥けてしまった。
しかしその皮膚の下にはまた皮膚があって、そちらは黄色人種特有の色をしている、まるで君子の前までの手の様な色を――。
「あっ……だっだめぇ!」
メッキの様に剥がれてしまったら、また不細工なそばかすに逆戻りしてしまう。
そんなの嫌だ、せっかく可愛くなれたのに、せっかくギルベルトにふさわしい女になれたのだ。
君子はこれ以上剥がれない様に手を押さえるが、ヒビはどんどん広がっていく。
「嫌だ……不細工なんかに戻りたくない、そばかすの顔になんか戻りたくない!」
意識をしっかり保って、これ以上剥がれない様にする。
少しでも気を抜けば、あっと言う間に全部剥がれて元の不細工に戻ってしまう。
精いっぱい気を張って、可愛い女の子の姿を保とうとするのだが――。
「戻れ!」
覇気に押されて、メッキはどんどん剥がれ落ちた。
君子には解る、もし気を失いでもすれば元に戻る。
「何がダメなの……、やっぱり私みたいな凡人で役立たずでモブの脇役は嫌なの?」
ギルベルトは王子、自分はモブ。
掃いて捨てる様なそんなちっぽけで、どうでもいい存在。
それでも、無視されるのは嫌だ、一緒にいたい。
「ギルも……私の事嫌いなの、私なんかがいくら可愛くなっても顔も見たくないの……」
望むならどんな姿になってもいい。
でもどんなに可愛くなったとしても、こんな自分ではふさわしくないのだろう。
こんな、こんな凡人の脇役なんて――。
「違う!」
ギルベルトは真っ直ぐ見つめながら、大きな声を出す。
そしてありったけの思いが込められた言葉が、君子へと突きつけられた。
「俺は、元のままがいいんだ!」
そばかすで貧乳で不細工な君子でいいと言う事。
それは、君子自身が一番嫌いな君子だ。
しかしそれがギルベルトの望み、可愛くない自分を彼は望んでいる。
言葉を突きつけられた瞬間、どうにか保っていた気が緩み、全身に入ったヒビが割れ、可愛い女の子のメッキは剥がれ落ちた。
(あっ――)
殴られた様な衝撃が頭を駆け抜けて、君子の意識は薄れて行く。
自分で自分の体を支える事が出来ず、前へと倒れた。
ギルベルトの腕に受け止められた所で、意識は完全に途切れ深い闇の中へと落ちて行く。
その眠りは醒めない眠りなどではない。
明日起きる為の、安らぎを与えてくれる眠りだった。
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君子が戻って来てから四日目の朝。
その日の始まりは、小鳥のさえずりからだった。
「ん……ふぁ~あ」
ふかふかのベッドの中で、君子は起床する。
暖かなお布団が、気持ち良くて意識の起床が遅い。
彼女の意識が完全な状態になったのは、それから数分後の事だった。
「……朝?」
窓から柔らかな陽光が差し込んでいるので、そのようだ。
背伸びをして上半身を起こすと、そこはマグニ城の君子の部屋だった。
「アレ……私いつ寝たのかな」
記憶が曖昧で眠った時の記憶がない、記憶を掘り起こしていくとある光景が浮かぶ。
(はっ、なっなんか物凄く可愛い美少女になった様な気が……)
そんなの夢に決まっているのだが、なんだか無性に確認したくて仕方がない。
君子は恐る恐るベッドから降りると、姿見へと向かう。
「…………デスヨネー、分かってた、分かってたんですよぉ」
鏡に映るのはそばかすの貧乳で、モブで脇役のいつもどーりの君子さん。
過度の期待が裏切られるのは分かっていた事なのに、どういう訳かもしかしたらと思ってしまった。
「はぁ……馬鹿な事気にしてないで、顔でも洗おう」
いつもならアンネが水差しと洗面器とタオルを持って来てくれるのだが、どういう訳か今日はその様子がない。
もしかしたらいつもより早い時間に目覚めてしまったのか、なら自分で取りに行こう。
君子は私服になりつつある制服を探すのだが、見当たらない。
「可笑しいなぁ……アンネさんが洗濯してるのかな?」
それに今着ているのもパジャマじゃなくてネグリジェである、自分でこんな物着る訳がないし、本当に何が何だか訳が分からない。
「仕方ないこのまま下に行こう」
台所に行けば誰かいるはず、君子は諦めてドアノブに手を伸ばした。
(――あなた、ちょっと調子に乗りすぎですわよ)
頭を駆け巡ったのは、カルミナの声。
それと同時に、鮮明な映像で右耳を千切られて犬をけしかけられた出来事が蘇る。
「ひっ……ひぃっ!」
右耳に触れる、間違えなく耳は頭にくっついているしギルベルトのピアスもあった。
ならば、アレは夢なのだろうか。
(……ゆっ、夢にしては随分リアル……でも耳はあるし)
耳が生えてくるなんてありえない、アレは悪い夢だったのだとそう思うのだが、やはり怖い。
(でも、私あの日ギルとパーディに出る予定で……その後どうやって部屋に戻って来たの? アンネさんと別れてそれでどうしたの? どこからが夢、どこまでが現実?)
頭を駆け巡る映像はどれも曖昧で、夢と現実の堺がない。
不安でたまらない、もしアレが全部現実だったら――。
「あっああ……そっそんな事、かっカルミナさんが、そんな事……」
する訳ない、そう思いたいのだがやっぱり怖い。
だからこのドアを開ける事が出来ない、このドアの外がどうなっているのか考える事さえも怖い。
「……あっ、ああ」
もうドア自体が恐怖の対象でしかない。
施錠すると、ベッドに戻り毛布を頭から被って蹲る。
「もっもう一回、もう一回寝れば……」
次眼を覚ました時が本当の眼ざめでこれは夢。
君子は震えながら、眠りに落ちるのを待った。
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ハルドラ国・王都ハルデ。
チリシェン村の一件から四日、王都ハルデにある四人が帰って来た。
「……ここに、魔法使いクロノがいるんだな」
そう険しい顔で言ったのは勇者海人で、その隣には同じく勇者凛華、そして戦士シャーグと魔法使いラナイがいる。
四人は今、ハルデの街外れの廃墟――もとい、魔法使いクロノの自宅の前にやって来た。
わざわざ敵国ヴェルハルガルドの近くまで行ったにもかかわらず、ここに戻って来た理由はただ一つ、クロノに文句を言う為だ。
「君子ちゃんを売り渡すなんて、絶対に許せないわ」
先の紅の魔人ことギルベルトとの戦いで、クラスメイトである君子を取引の材料にした事に腹を立てての行動である。
二ヶ月かけてわざわざ国境まで行ったと言うのに戻って来た。
それほど海人と凛華は起こっているのだ。
「にしても話には聞いていたが、こんな所に住んでるのか? ラナイの師匠は」
「え~え~、ワタクシが何度引っ越すべきだと言っても、聞きやしないのです、あの変人魔法使いはっ!」
嫌悪感をあらわにするラナイ、確かにこんな所に住む人間の気は知れない。
だが今はそんな事どうでもいい、言いたい事を言ってやる。
海人は木製のドア(なんかキノコ生えてる)をノックした。
『入れ』
どこからか声が聞こえて、少々乱暴にドアを開け放った。
すると眼に飛び込んできたのは、キッチン兼リビングで優雅に茶を嗜むクロノ。
四人を一瞥すると、どこか嘲笑うかの様に小さい笑みを浮かべる。
「本当に来たのだなぁ、海人、そして凛華」
「なっあんたが来いって言ったんだろう!」
自分から言っておいて、来たら来たでその言い草とは、賢人と言うのが聞いて呆れる。
「随分速かったな、怪我はいいのか?」
「国王様がわざわざ馬車を用意してくれたんだ、あんな怪我一日あれば十分だ!」
海人の言葉のトゲなど無視して、クロノはポンテ茶を飲む。
この余裕が、友達を売られた二人には酷く腹立たしい。
「私達、貴方に文句を言いに来たんです!」
「さて、礼を言われる筋合いはあっても、文句を言われる事はないのだが――」
「いい加減にしろ!」
どこか人をけなす様な態度のクロノに向かって海人はぶち切れた。
机を思い切り叩いて、抗議を始める。
「あんたが、山田を魔人に売り渡した件だ! なんであんな事をしたんだ!」
「私達はあんな事頼んでない! 君子ちゃんの命と引き換えなんて、死んだ方がマシよ!」
怒り心頭の二人、しかしクロノは彼らではなく後ろのラナイとシャーグへと視線をやる。
「だが、お前達はこの結果に安堵しているのではないか? それに国王も……」
押し黙る二人、反論する言葉がない。
実際君子と海人と凛華の命を秤に乗せるとしたら、断然二人の命の方が重く大切だ。
彼らにはハルドラの未来がかかっている、だからあの取引へと持ち込み、見事二人の勇者の命を最小限の犠牲で取り戻したクロノの功績は大きい。
「そっそんな事無いですよね、ラナイさん……シャーグさん……」
「…………」
「…………」
言葉を返さない大人達に、子供は更に怒りを募らせる。
命に優劣なんか有りはしない、本来なら君子はこちらに巻き込まれた言わば被害者の立ち位置なのだ、彼女こそ守られる存在でなければならないのだ。
「それでも、俺はあんたを許せない!」
「許せないならどうする、ワシに剣を向けるか?」
安い挑発だった、到底優秀な魔法使いが言う台詞ではない。
しかし今の海人は、そんなクロノの悪ふざけも分からないほど怒っていた。
だから言われた通り剣を引き抜くと、彼の首筋へとその刃を向ける。
「カイト!」
戸惑う外野とはうって変わり、クロノはいたって冷静だった。
顔色一つ変えずに剣を見る。
「……刃こぼれしているな」
「それがなんだ、あんたを斬るくらいなら出来るぞ」
「……この剣、ハルドラの技術の粋を持って造られた剣で、希少金属の白輝鉱を使ったこの国で最も堅牢で鋭い剣だ」
勇者の為にあつらえられたこの剣は、本来なら王族が持つ一品。
はるか昔より、ハルドラに伝わる名剣である。
「それが刃こぼれしている、この意味が解るか?」
「そんな事今は関係ないだろう! 俺は山田の話をして――」
叫ぶ海人の前にクロノは杖を向ける、ギリギリの所で止まっているが、下手をすれば当たっていたかもしれない。
「まぁ半分はお前の技量が足りぬと言う事もあるが――そもそもこの国の鍛造レベルがその程度と言う事だ」
「なっ!」
戦士にとって武器は最も大切な物、武器の良し悪しで勝敗が分かれる事だってある。
クロノはそれに文句を言って居るのだ。
「それだけではない、Bランク程度で強いと言っているがそれはハルドラの話、ヴェルハルガルドではそんなもの当たり前の話、兵士に毛が生えた程度の力量だ……この国で如何に強いと呼ばれていようと、あの国ではお前達は大した事ない力量なのだ」
クロノは首筋に向けられていた剣を杖で払いのけ、再びポンテ茶で喉を潤す。
その彼の行動に皆文句が言えなかった、それほど彼の言って居る事は正しいのだ。
しばらく間を空けてから、海人が口を開く。
「それでも……俺はやる、魔王を倒してハルドラを平和にしたいし、ギルベルトを倒して山田を助けたいんだ」
彼の眼を真っ直ぐに見つめると、クロノは杖で床を突く。
すると食器棚から大小様々な九のティーカップが、ぷかぷかと宙を浮いて出て来た。
海人達の前に六つのカップが並べられ、更に三つのカップ、そしてポンテ茶が入った自らのカップを並べる。
一体カップをこんなに並べてどうするのか、その意図が分からない。
「……お前達は魔王がどういう物か分かっているのか?」
「そんなのヴェルハルガルドを治める王に決まっているでしょう、魔人の王なんですから」
「大昔はヴェルハルガルドでもそう言う意味でつかわれていたが今は違う、あの国には六人の魔王が居る」
「魔王が、六人だって!」
王と言うからには、国を治める存在で魔の象徴だと思って居たのだが、それが六人も存在するなど、有り得てはいけない事だ。
「その上には六人の魔王を束ねる三人の魔王将、そしてその上に国を治める魔王帝がいる」
「ま……魔王帝?」
魔王の上の存在、しかもそれが四人も居るなんて、この事実に海人と凛華だけではなく、シャーグとラナイも驚いている。
クロノからもたらされる言葉は、どれも受け入れがたい言葉だ。
「ハルドラを本当に救いたいのならば、魔王一人倒した所で意味なんてない、あの国には魔王の座に座ろうとする野心家はごまんといる、倒しても別の者がその席に座るだけの事……お前達が負けたあの王子もまた、その一席を狙う者だ」
「あいつが……魔王に」
物凄く強い魔人だった。
しかし、その男さえも魔王でないと言う。
あんなに強いと言うのに、魔王の席に座れないのならば、一体その席に座っている奴らはどれほど強いと言うのだろうか――。
「…………あいつよりも、強い敵」
四人は、目の前に並べられたカップを見る。
手前にある六つのカップ、奥にある三つのカップ、そして更に奥にある一つのカップ。
ハルドラを救うにはこれら全てを倒さなければいけない。
そしてこの全てが、ギルベルト以上の強さを持っている。
あまりにも遠い存在。
自分達の考えが如何に浅はかだったかを、突きつけられた。
「……己の無力さを思い知ったか」
クロノは返す言葉もない四人を横目で見ると、更に口を開く。
「お前達に残された選択肢は、一つ己の力量を考えずもう一度魔王を倒しに向かい殺される、二つ己の力量を思い知りこの国の事も君子の事も諦めて、この平和なハルデで、元の世界に帰る為の方法を探すか」
「ハルドラを放っておけって言うのか!」
「……お前達はほんの二ヶ月前まで普通の高校生だったのだろう、なぜ何の関わりもないこの国の為に闘う? お前達は無知で無垢な子供だ、それに国と言う大きな物の背負わせる大人共の方が本来責任を取るべきもの、嫌なら嫌とはっきり断れ、今回はたまたま敵が交渉に応じたから良かったものの、次は本当に殺されるかもしれない、お前達は本来守られるべき子供なのだ、そんな事する必要はない」
二ヶ月前、何の因果か異世界に召喚された二人。
右も左も分からないまま勇者と祭り上げられ、国王の願いを聞き入れるまま魔王を倒す旅に出た。
思えば、これは普通じゃないのかも知れない。
二人は子供、本来大きな責任を負う必要なんてないはずだ。
嫌なら嫌と、はっきり言う権利が二人にある。
シャーグとラナイが戸惑いながら彼等を見る、怖くなって二人が諦めてしまっては、ハルドラは滅びの運命をたどるしかない。
そんな事あってはならない事なのだが、あの戦いの後では、二人を引きとめるだけの言葉が見つからなかった。
海人と凛華は、しばらく下を向いて考えた。
その時間は、ほんの少しのはずなのに、酷く長く感じられた。
二人は殆ど同時に前を向くと、目の前の魔法使いへと口を開く。
「「この国を見捨てるなんて、絶対に嫌だ!」」
それは強い意志を持って出された言葉。
一切の迷いもためらいもない、真っ直ぐ力強かった。
「子供だからとか関係ない、困ってる人がいて助けて欲しいって言うなら助ける!」
「怖くない訳じゃない、でも私に出来る事ならなんだってやるわ!」
嘘偽りのない、心からの言葉。
国と言う大きな物を背負うと言うのに、二人の高校生の眼は輝きを放っていた。
「カイト、リンカ……、ハルドラをそこまで思ってくれるなんて」
「有難う、この国の全ての民に代わって礼を言う」
シャーグとラナイは眼に熱い物を浮かばせていた。
巻き込んだのはこちらの方なのに、二人は決して諦めてなどいない。
「…………ふっ、どうやら生半可な覚悟ではない様だな」
挫ける事のないその意志を、しっかりと見届けたクロノ。
まっすぐな眼で見つめる二人を、真剣な面持ちで見る。
「お前達の力強き意思はしかと見届けた、お前達に三つ目の選択を示そう」
「三つ目の……」
「……選択?」
まだ何があるというのか、他にどんな方法があると言うのだ。
賢人は迷える勇者へと、最後の選択を示す。
「ワシの元で修業し、ハルドラを救う力を手に入れるのだ」
それはつまり弟子になると言う事。
魔法使いクロノがどれほど強いのか、その力量は二人には分からない。
だが今の力量のまま、無鉄砲にヴェルハルガルドへ向かえば、敗北し死ぬ事は眼に見えているし、ハルデで大人しく待っているなんて絶対に嫌だ。
二人は三つの選択肢で迷う事など無かった、迷うはずもなかった。
しかし賢人は、どれを選ぶのか解りきっていると言うのに敢えて尋ねる、その顔に憎たらしい笑みを貼り付けて――。
「さあ、どうする? 勇者達よ」
二人は一度互いの顔を見ると、迷いのない凛とした表情でクロノへと向きあう。
そしてふたり一緒に頭を下げた。
「お願いします、俺達を弟子にして下さい!」
「お願いします、私達を弟子にして下さい!」
もっと力が欲しい、守る為の力が必要だ。
もう二度と負けない為に――。
「ハルドラを守る力を!」
「友達を助ける力を!」
こうしてこれ以上何も失わない為の、修行が始まるのだった。
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マグニ城。
「み~ずさし~、みっず~さし」
「せ~んめんき、せんめんき~」
ユウとランは、水差しと洗面器を手に持ちながら駆けていた。
君子の体を拭く為のもので、どうしてもと言うから二人に持たせたのだが、完全に遊び道具にしている、失敗したとアンネは素直に思う。
彼女は替えのネグリジェを持って、四階へと向かっていた。
「キ~コ、あ~さだよぉ~」
「あ~さだ~よぉ、キ~コ」
子供の容赦ない大声で、君子の部屋のドアへと叫ぶ。
そもそもここはギルベルトの部屋がある四階、主の部屋の近くでこんな金切り声を出すなど、使用人として失格だ。
「しー、王子様が起きちゃうでしょ!」
「おーじさまおきちゃう?」
「おきちゃうおーじさま!」
口を縫いつけてやりたいが、この二人の口はそのくらいでは静かにならないだろう。
アンネは呆れながら君子の部屋のドアを開けるのだが――。
「あれ?」
ドアノブが回らない、内側から施錠されている。
つまりそれは――。
「キーコ、起きてる……」
部屋にいるのは君子しかいない、つまり彼女は目を覚ましていて鍵をかけられるくらい動きまわれるのだ。
「キーコ開けて、ユウとランと一緒に来たのよ」
「あけてあけて~」
「キーコあけて~」
楽しそうに声をかけるユウとラン、しかし鍵が解錠されない。
どうして鍵を開けてくれないのだろう。
「ねぇキーコ……キーコ!」
何度もノックするが、やはり解錠どころか返事さえもない、一体どうしてしまったのだろう。
ユウとランも大声で呼びかけているから、眠っていると言うのは考えられない。
君子はあえて呼びかけに答えないのである。
「キーコ、ねぇ開けて!」
ちゃんと顔が見たい、元気な所を確認したい。
しかし何度呼びかけても、何度ノックをしてもドアを開けては貰えなかった。
そこにちょうどモーニングコールをしにヴィルムがやって来た。
アンネ達の様子を見て、異常を察知した様だ。
「一体どうしたのですか」
「キーコが、部屋に鍵をかけて籠もってるんです」
それを聞いたヴィルムもドアノブを回して、ノックを繰り返す。
やはり解錠どころか返事もない。
「……目覚めたら今度は籠城ですか、一体何を考えているのか」
「どうしましょう……ヴィルムさん」
不安そうなアンネが尋ねると、ヴィルムはため息をついた。
「仕方が有りません、鍵を持って来ましょう」
マグニ城の鍵は、全てヴィルムが保管しているので、此処を開けるのは造作ない事だ。
早速部屋へ取りに行こうとしたのだが。
「どけ」
起こしていないのに、ギルベルトがやって来た。
一人では絶対に起きられない彼が、一体なぜ。
ドアの前で君子を心配する四人に構わず、ドアの前に立つ。
そして――。
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君子は毛布に包まりながら、ただ震えていた。
外で呼んでいるのはアンネとユウとランだと言う事は分かっている、彼女達が自分に無害だと言う事も理解しているし、心配させている事も自覚している。
しかしどうしても外に出る事が出来なかった。
(……怖い)
体の震えが止まらず、心臓をきりきりと締めつけられている様に苦しい。
君子の体を支配しているのは恐怖しかない。
外に出るのが怖い、人に会うのが怖い、ドアの向こうにいるのがアンネ達だと分かっていても、脳裏にカルミナと大きな黒い犬が浮かんで、それが回っている。
(……もう、だれも構わないで)
怖いのは嫌だ、一人なら誰も君子に酷い事をする人なんていない。
あれほどしていたノックが止んだ、きっともう諦めたのだろう。
瞼を閉じると真っ暗な闇の世界が広がっている、このままここで溶けてしまいたい。
この暗闇の中に溶けてなくなって、何も感じなくなってしまいたい。
君子がそう願った――。
その時、ドアがぶっ飛んで来た。
ベッドすれすれを滑空して、反対側の壁に激突して止まったドア。
大きな音に驚いて、君子は毛布から顔を出した。
「……えっ」
なぜドアが鍵だってちゃんと掛けたのに――君子が振り返ると、そこにはドアを蹴っ飛ばしたギルベルトが怖い顔で立っていた。
「―――ひっ」
怒られる、そう頭が理解して再び毛布を被って、薄っぺらい防御を試みる。
「…………」
「わっやっ、やだぁ!」
ギルベルトは毛布を掴んでそれを引っ張る、君子は毛布をしっかりと押さえようとするのだが、力では圧倒的に彼の方が上、案の定もぎ取られてしまった。
もう君子の防御は何一つ残されていない、そんな中取れる手段はただ一つ――。
「ごっ、ごめんなさぁぁい!」
とにかく謝る、日本人の最大にして最強の防御策、先制謝罪発動。
謝っている人を叱る人、なんだか悪い人みたいに見える理論を使って、怒っている人から身を守る、君子最強の防御なのである。
しかし、ギルベルトはそんな事お構いなしで、手を伸ばす。
(ぶっ、ぶたれる!)
空気が読めない人にはこの防御は効かない、最強の防御が聞かなかった今、最早身を守る術はない。
生物としての反射で、君子はとっさに眼を瞑り頭と右耳を両手で覆う。
歯を食いしばって、いずれやってくる痛みを堪える。
しかし、その痛みはいつまでたってもやって来ない。
代わりに来たのは暖かくて優しい物。
ギルベルトが君子を抱きしめた。
(えっ――)
てっきり怒られると思ったのに、ぶたれると思ったのに、全然違う。
痛くなんてない、力強いけれど優しくギルベルトは抱きしめていた。
「……ごめんな、キーコ」
そしてそう謝って来た。
その口調はきつい物ではなく、むしろ謝罪の気持ちが強く出ている。
(…………どうして、謝るの?)
ギルベルトは何も悪い事なんてしていない、それは自分が一番良く解っている。
どうしてか自分でも分からないが、なぜか涙がこぼれて来た。
「うえ~~ん」
怖いからではなく、ギルベルトに抱きしめられて安心したからだ。
ほっとしたせいで、涙腺まで気を緩めてしまったらしい。
涙があふれて止まらない。
「…………キーコ」
ギルベルトは泣く彼女を二度と離さない様に、しっかりと抱きしめた。
第一章(?)的なものはここで終わりです。
一部想定していた設定と変わったものもありましたが、大幅予定通りでした。
第二章(?)は勇者の修行の方も書きつつ、我らが主人公君子とギルベルトのその後も書いて行こうと思っております。
しかしプロットを一部見直すのでしばらく間が空くと思いますが、気長にお待ちいただけると幸いです。