第一話 ファンタジーしちゃってるのぉ!
土の匂いがした。
木々や草の植物の青臭い匂いが、土の匂いと一緒に鼻孔へと入る。
「ん……ほえ」
山田君子が眼を覚ましたのは森の中だった。
常緑広葉樹が生い茂る深い森、枝の隙間からこぼれる陽の光が眼に突き刺さる。
(あれ……なんで廊下に森があるんだろう)
君子は曖昧な意識の中、瞳を動かして当たりを見渡す。
廊下ではない、むしろ学校でさえない。
(……思い出せ、一体何があったんだっけ? 確か朝ご飯は塩じゃけを食べて……いや、そこまで思い出さなくていいんだ)
確か先生にプリントを持っていく途中ですっころんで、東堂寺と榊原に助けてもらったら、足元に魔法陣が浮かんで来て――。
「そうだ、東堂寺さんと榊原君は!」
がばっと身を起こすと、辺りを見渡す。誰もいない、ただ森が広がっているだけだ。
(えっ……私一人なの?)
こんな森の中で独りぼっち。こんな鬱蒼とした森の中で独りぼっち。
君子の脳は直ぐに判断を下した。
(あっ……死んだわこれ)
インドアの自分がこんな所で一人生きていけるわけがない、此処でのたれ死ぬイメージしか脳内には存在しない。
このまま此処で死を待つしかないのだ、君子は諦めてその場に腰を落とした。
(どうせならやりかけのドラクエをクリアしとくんだったなぁ……もう少しで結婚出来たのになぁ……あ~それにこち亀の最終回見るまで死にたくなかったなぁ)
君子が何もかもを諦めていると――。
ガサッガサガサッ。
茂みの中から音がする。
それも結構大きくて、人間が発する音の様だ。
もしかして、誰かが助けにきてくれたのだろうか、消防隊とか警察とか自衛隊とか。
君子が音のした方に視線を向けると、紅い光が二つ見える。
懐中電灯にしては光が少なく、そもそも紅い色なんて使うのだろうか。
「あ、れ?」
視界に入ったのは濃い緑色の鱗、四本の足、そして鋭い爪に長い尻尾。
おまけに紅く光るハ虫類特有の眼と、先が割れた舌がチロチロとお口から顔を出しているのが見える――。
目の前に、人間大のトカゲが居た。
(あれあんなに大きいトカゲって日本に居るの? コモドドラゴンって奴かな?)
頭をフルに回転させて、このトカゲが何なのかを分析しようとするが、答えが出ない。
なにをするべきなのか全く分からない。
君子が茫然と座り込んでいると、トカゲはシャーっと空気がすれる様な音を出して口を大きく開ける。
(あっ、これまずいんじゃ……)
思った通り、トカゲとは思えない速さでこちらに向かって来た。
こういう時は一体どうすればいいのだろう、頭の中にゲームのコマンドの様な物が浮かぶ。
戦う/逃げる。
(逃げる、逃げます、逃げさせていただきますぅ!)
自分には戦う力なんてない、剣もなければ盾もないのだから。
しかし逃げられない。
(クソゲ~~、逃げるのコマンド選択させてよぉ!)
自らの運動神経のなさをこれほどまでに呪ったのは初めてだった。
そして君子がどうする事も出来ないでいると、トカゲはその眼前へと大きな口を広げている。
(あっ――死ぬ)
君子は人生の終了を悟った。
さようなら、そんなに悪くなかった脇役人生――。
「伏せろ、山田ぁ!」
突然の命令に、君子の頭は反応できなかった。
だが、彼女の真横を何かが通り過ぎて、目の前に立ちふさがる。
「でいやああああっ!」
怒号を上げながら木の棒を振ったのは、榊原海人だった。
突然いろいろな事が起こって、脳の処理が追いついて行かない。
君子の思考など無視して、榊原はトカゲを木の棒で殴り飛ばした。
子供位の身丈のトカゲを、軽々と吹っ飛ばして既に人間の腕力の域を逸脱している。
「大丈夫、山田さん!」
そう言って、東堂寺がこちらに走って来た。
座っている君子の体を見て、安心した様に息を吐く。
「良かった、怪我はないんだね……」
「あっ……うっうん」
この状況で、他人の心配をするなど、なんというヒロインなのだろうか。
感激していると、左右の茂みから同じトカゲがやって来て、威嚇をしてきた。
「凛華右をやれ! 俺が左をやるから!」
「分かったわ!」
やれ、この状況でなにをしようと言うのか――。
君子が驚いていると、東堂寺が立ち上がってトカゲに向かって右手をのばす。
「吹っ飛びなさい!」
なにを物騒な事を言うのかと思ったら、右手に白い光の球体が発生した。
何一つ理解できない君子の前で、東堂寺はその球体を放つ。
光の球は、トカゲに向かって炸裂した。
まるで爆弾でも爆発した様な音と衝撃。
「えっ――」
今のは何だ。
東堂寺の手から光の球が出て来て(この時点で普通ではない)、それがトカゲに向かって飛んで行って、爆発した。
君子の一六年の人生の辞書において、人間が手から光を放つなんて現象について記されてはいない。
それにこれはまるで、これはまるで――。
「魔法?」
そう、まさに漫画や小説などの二次元とかに存在する魔法その物ではないか。
しかもそれを、同じクラスの東堂寺凛華が使っている。
(えっ、イオ? イオなの!)
魔法を実際に見れた喜びと、それを東堂寺が扱う事に対する驚きで、頭がショートしそうだった。
だが魔法を使った当人は至って冷静だった。
「逃げるぞ凛華!」
「行くよ山田さん!」
トカゲを殴り飛ばした榊原と共に、東堂寺は君子の手を掴んで走る。
速度が速くて君子にはとても付いていけないのだが、東堂寺がしっかりと掴んでいるので走らない訳にはいかない。
「とっ東堂寺さん、あっあの、いっいまの――」
「あっよく分からないんだけど、眼が覚めたら使える様になってたの!」
「今はそれよりも走れ、あいつらまだまだ湧いて出てくるぞ!」
榊原の言う通り、トカゲはどんどん集まって群れを成しながら追いかけてくる。
足はトカゲの方が早い。
このままでは追いつかれる――君子がそう思った時だ。
右足が左足に引っ掛かって盛大にひっくり返った。
「うぎょふっ」
堅い地面に思い切り腹を打ちつけた。物凄く痛い。
「山田さん!」
「山田!」
榊原は木の棒を構えると、君子を庇う様にトカゲ達に向かい合う。
持っているのは木の棒なのに、どうしてか彼はまるで漫画や小説の勇者の様だった。
「凛華、山田を連れて逃げろ!」
「でも、海人が!」
「ここは俺が何とかするから、早く逃げろ!」
何とか出来る数ではない、トカゲは二〇匹くらいの群れになって押し寄せている。榊原に勝機など無い。
「来いトカゲ共、凛華と山田に手だしはさせねぇぞ!」
そう叫んだ榊原に向かってトカゲ達が一斉に襲いかかる。
勝てる訳ない、君子の脳裏に最悪の光景が浮かび、現実を直視したくなくて眼を閉じた時だった。
「全く、威勢がいいな」
頭の上で、知らない声がした。
なんで頭の上、と思った時には、それは上から降り立った。
「良い眼だぞ、少年!」
現れたのは身長が一九〇はあろうかと言う男。深紅の髪を短く切りそろえている。
鉄の鎧を身につけ、手には赤い柄の両手剣。
炎の様な色の双眼で、男はトカゲ達を睨みつけた。
「特殊技能『剛力』」
両手でしっかりと剣を握ると、襲い来るトカゲ達に向かって剣を振った。
「はああああああっ」
その斬撃は一〇匹のトカゲ達を一度に斬り裂いた。
斬る、と言うよりもそれは打撃へとなり果てている。
力技で無理矢理断ち切り、吹っ飛ばしたのだ。
「あっ……ああ」
「凄い……」
東堂寺と榊原は、その様に驚いていた。
自分達が一匹ずつ相手にしていたトカゲを、たった一人で一〇匹も倒してしまったのだ。
この男、強いと理解するのに時間はかからなかった。
「両生類どもぉ! ハルドラ国最強の戦士、シャーグが相手だ、臆さぬならば掛かって来い!」
男はトカゲの威嚇に負けずとも劣らぬ気迫と大声を出す。
むしろこの男の方が化物の様だ。
「トカゲはハ虫類ですよ」
そう訂正したのは綺麗な女の声。
振り返ると、二〇代後半ほどの女性が立っていた。
真っ白なローブで身を包み、青い布をフードの様にかぶっている。
手には身の丈ほどの杖を持っていて、先端には拳大のサファイアの様な青い宝石がついて居る。
女はどこか億劫そうな表情でトカゲを見た。
「不浄な妖獣め、滅せよ!」
杖の先端をトカゲに向けると、トカゲ達の頭上に白く輝く魔法陣が出現した。
輝きは徐々に増し、一段と光った時、女は杖を振り降ろす。
「白魔法『聖なる雨』」
魔法陣からいくつもの光がトカゲへと降り注いだ。
刹那、トカゲが蒸発した。
本当に一瞬、体が崩れたかと思うと、すぐに消える。
光は残りの一〇匹のトカゲ達を跡形もなく消し去り、あれほどの群れの跡は何一つとして残ってはいなかった。
「きっ……消えちゃった」
「ウソだろう……あんなに居たのに」
東堂寺と榊原は、その一瞬の出来事についていけていない様子だった。
(いっいま、白魔法って、魔法って言ったよね! じゃああの人魔法使いなの、えっでも魔法って実在しないんだよね、それじゃああの男の人は剣士? いやさっき戦士って言ってたよね、あれこれって銃刀法違反じゃない? そもそもあのトカゲは、あんなトカゲは地球に生息してるの? ハルドラって何? それに榊原君は木の棒でトカゲぶったおしてるし、東堂寺さんは手から光の球を放ってる……)
君子は唐突に加速した思考能力を駆使して、ありったけの情報を収集しようとする。
そんな三人の元に戦士らしき人と魔法使いらしき人がやって来た。
榊原は警戒して木の棒を構えるが、相手はあのトカゲを一瞬で葬った奴、こんな棒切れでは何も出来ない。
「アンタ達……一体何なんだ」
警戒しながらそう尋ねる、彼等に敵意があるのならすぐに対応できる様に決して気を抜かず。
「どうだラナイ、間違いないのか」
「……ええ、日時、場所、全てワタクシが予言したとおりです」
何か二人で話してこちらの話はまるで聞いていない。
榊原は先ほどよりも強く尋ねた。
「こっちの質問に答えてくれ、アンタ達は一体何者なんだ」
何かを感じたのか、戦士と魔法使いはその場に腰を下ろし片膝をついて深く頭を下げる。
自分よりもずっと歳下の子供に対して、それはあまりにも不自然だった。
「よくぞ、お出で下さいました……長き不浄の時は御身の手によって、終わりを告げる事でしょう」
不浄、終わり、戦士は一体何を言っているのだろうか。
こちらが尋ねる前に、魔法使いがその言葉を言った。
何度も漫画や小説で読んだ言葉、その言葉を――。
「伝説の光の勇者様、どうかこの国を魔王からお救い下さい」
現実だったらあり得ない、だって君子の様な人間の誰もが憧れ、そして誰もが出来る訳ないと諦めている物――。
(私、今ファンタジーしちゃってるのぉ!)
地味に更新予定です! 地味にお付き合いいただけたら幸いです!