第一一話 モブで、脇役なんだ!
ヴィルムはカルミナを連れて、ギルベルトを探していた。
まさか三階から飛び降り、君子を抱き上げてどこかへ行くなど思ってもみなかったので困惑している。
ただ一番の厄介は――。
(カルミナ様の相手をしなければならない私の身にもなって欲しい……)
戸惑い落ち込んでいるカルミナの相手はとても面倒で、そもそもこういう貴族の女性の扱いと言うのは、仕事だからやるだけで好きではない、むしろ苦手な方だ。
(本当に、ギルベルト様の気まぐれには困った物です)
とりあえず四階の彼の自室に向かって居る。
(キーコもキーコです、あれほど邪魔をするなと釘を刺したにも関わらず……)
そんな理不尽な事を考えながら歩いて居ると、ギルベルトの部屋から君子が走って出て来た。
「キーコ」
呼び止めているにもかかわらず、何を急いでいるのか通り過ぎ様とする君子。
無視された事より彼女の耳元で一瞬光った何かに驚いた。
光を確認した瞬間、殆ど反射的に君子の腕を掴んだ。
「待ちなさいキーコ!」
なぜか顔が赤い君子は、手を振りほどいて逃げようとする。
だがクールイケメンヴィルムはそれを許さない、手袋をはずすと君子の首筋へと触れる。
「ひょぎゅわあああっ!」
氷の魔人であるヴィルムは体温が低い、あまりの冷たさに腰を抜かしてしまった君子。
ようやく大人しくなり、耳元で光った物の正体が解った。
「これは、ギルベルト様の……ピアス」
金色のピアスは間違えなくギルベルトの物。
なぜこれを君子がしているのか、理由が全く理解できない。
「キーコ……これは一体どういう事なのですか、説明をしなさい」
「あっいやこれは私にも全然わっわからねぇ事でしてぇ……突然上からギルが降って来て」
「そんな事を聞いて居るんじゃありません、その耳のピアス、それはギルベルト様の物でしょう……なぜ、貴方が付けているのですか」
ヴィルムの言葉に含まれている威圧感に押されながらも、君子は少し戸惑った様子で答えた。
「えっ……ギルが付けろっていうから……」
嘘ではない様だ。
そもそも彼女がピアスを奪い取れる様な度胸を持っているとは思えない。
ならばこれはギルベルトの意思で彼女に付けさせていると言う事だ。
ヴィルムはその答えに酷く驚いて、一旦思考が止まった。
だから自分以上に驚いて居るであろうカルミナへのフォローを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「……うそっ、そんな……」
眼を丸くし驚愕しているカルミナ。
君子と視線が合うと、宝石の様な青紫色の眼から涙を滲ませてそのままどこかへと走り出してしまった。
「えっ、かっカルミナさん!」
呼び止めなど無視して行ってしまったカルミナ。
だがヴィルムには、彼女よりも君子の方が優先されるので、追わない。
「やっやっぱりピアスなんて柄じゃないんだぁ……うう、モブで脇役の私がおしゃれアイテムであるピアスを付けてごめんなさぁい」
なぜか泣き出した君子、理由は全く解らないが聞かねばならない事があるので、止まってしまった思考を再開させる。
「キーコ……そのピアスは、ギルベルト様が付けたのですね」
「はっはいそうですけどぉ……、はっやっやっぱり私みたいな不細工がピアスって変ですよね! 全然似合わないですよねぇ!」
そう泣きながら尋ねてくる君子。
だがヴィルムは慰めたりけなしたりもせず、君子の腕を離す。
「……キーコ貴方は部屋に戻って、大人しくしていなさい」
「えっ……はい」
君子は大人しく言う事を聞くと、自室に向かってとぼとぼ歩いて行った。
今、自分をこれほど動揺させている主、ギルベルトの元へ――。
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ノックをすると、いつもより激しくドアを開けて部屋へと入る。
いつも通りソファでくつろいでいるギルベルト、しかしその右耳にはあったはずの二つ目のピアスが無く、黄金に輝くピアスが一つあるだけだった。
「…………ギルベルト様、おふざげが過ぎるのではありませんか」
そして口を開いてそうそう、実に強い口調で言う。
正直ヴィルムは驚愕と戸惑い、そして怒りが絡みあった、複雑な精神状態だった。
今まで主が何をしようと、何も言わずに従って来たが今回は言わない訳にはいかない。
「なぜキーコにピアスを付けたのですか」
「……俺の勝手だろう」
素っ気なく答えるギルベルト。
だが事は軽くはない、これは非常事態なのだ。
「いいえ勝手ではありません、キーコは異邦人でただの小娘なのですよ、貴女にはカルミナ様という婚約者が居るのです、あのピアスの意味をまるで解っておられないではありませんか」
「……解ってる」
そんな事はない、彼は事の重要性をコレっぽっちも理解していない。
だから、いつになくヴィルムは声を荒げた。
「あのピアスは、妻となる方に渡す物です」
ヴェルハルガルドの男性王族のしきたり。
ある一定の歳になると、二対のピアスを与えられ、愛する人に渡す。
一つ目は思いを伝える時、そして二つ目は結婚する時。
カルミナと言う婚約者がいるにも関わらず、君子にそれを付けるのは彼女への裏切り行為だけではなく、婚約を取り決めた父魔王帝への反抗とも捉えられる。
「気まぐれで済まされる様な事ではありません、貴方は一国の王子なのですよ、それをあのような異邦人の小娘に――」
「気まぐれなんかじゃねぇ!」
いつもの倍の大声を出しているヴィルムの言葉を、より大きな声で遮ったギルベルト。
その表情は真剣そのもので、おふざけなど何一つ無い。
ギルベルトは真っ直ぐにこちらを見る、ヴィルムは戸惑いながら尋ねる。
「…………本気、なのですか?」
可愛くもなく綺麗でもなければ、魅力のある胸や尻がある訳でもない、本当に普通で凡人の異邦人の女――――それを、本気で妻にしたいと思って居るのか。
「…………キーコは俺の所有物だ」
そう言って視線をそらした、その頬がほんのり赤くなっているのをヴィルムは見逃さなかった。
ギルベルトは本当に君子が好きなのだ。
「…………はぁ、キーコの何が良いのか、正直解りかねますよ」
ここ数日の疲れがどっと出て、立ちくらみがした。
なんだかここしばらくの厄介事に対する疲れが、全て出た感じだ。
「……あいつ、初めて会った時俺といて楽しいって……俺にそんな事言った奴今までいなかった…………キーコといると、イライラしねぇんだ」
ヴィルムは知っている。
彼が王子としてどんな位置に立っているかも、その人生でどんな人に会いどんな事をされて来たのかも――それを考えれば君子の様な人間は珍しい。
だがカルミナを妻にすれば、今まで陰口を叩いた連中を黙らせる事が出来るし、王子としての地位を確固たる物に出来る。
そのメリットを捨ててでも、彼は君子の事を想って居るのだ。
「何もカルミナ様が居る今、キーコにピアスを付けなくとも良かったのでは?」
事がややこしくなってしまう、カルミナとの婚約を解消してからならば状況は変わっていただろう。
「……だって、誰かが見つけちまうかもしれねぇだろう……キーコは俺が最初に見つけたんだ……俺のなんだ、他の誰にもやらねぇ」
そう言ってソファのクッションを抱きしめるギルベルトは、彼の凶暴さとは打って変わり、随分大人しい物だった。
一国の王子をこれほど骨抜きにするとは、君子も罪な物だ。
(まぁ面倒なのはこれからでしょうが……)
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君子は部屋で鏡を眺めていた。
右耳に輝く金色のピアスを見ながら――。
「はぁ……やっぱり似合ってない……」
深い深いため息をついた。
「コレ……メッキじゃない、本物の金だよね」
もし純金だったら本当に高価な物なのではないだろうか、自分の様な凡人の耳にそんな物が付けられているのはまずい。
「うう、付けてる人間と付いてる物がつりあってないよぉ……」
ベッドに横になる君子、目を閉じて枕に顔をうずめる。
(――俺の事どう思う――)
あの時のギルベルトの真剣な顔がまぶたの裏に張り付いて居て、思い出したくなくても見えてしまう。
せっかく下がった熱が再び上がりだして、たちまち耳まで真っ赤になる。
「ギル……すっごくカッコ良かったなぁ」
王子なのだからカッコ良くて当たり前なのだろうが、それにしてもイケメンだった。
初めて逢った時もカッコ良かったが、ここ最近ずっと一緒に居て、彼の横暴な所や子供の様な所ばかり際立って、すっかり忘れていた。
(……てっ、何惚気てるの君子! お前はモブで、ギルは主人公なんだよぉぉ、ほっぺた赤くするなんておこがましいにもほどがあるよ!)
主人公はカッコ良くて当たり前なのだ、君子は頭を壁に打ち付けて煩悩を打ち払う。
(大体……ギルにはカルミナさんっていう、超美麗な婚約者が居るんだから……私がカッコ良いと思う事自体が駄目だよぉ……)
そう自分に言い聞かせる。
しかし頬の熱はちっとも下がってくれない、一体どうしてしまったのだろう。
「キーコ、大丈夫だった?」
アンネがノックをして部屋へと入って来た。
ギルベルトに連れ去られたのを心配したのかアンネが来てくれた、しかし彼女は君子の顔を見るなり目を丸くして驚いている。
「えっ……キーコ、そのピアス……」
「あっいやこれは……」
似合って居ないのに付けている言い訳をしようとしたら、アンネが駆け寄って来て君子の手を握りしめた。
「キーコ! やっぱりそうだったのね、私は初めからそうだと思ってたのよぉ!」
「あっアンネさん?」
アンネはそう言うととても嬉しそうに笑う。
一体何がそんなに面白いのか全く分からない君子。
「良かったぁ、本当に良かった……これで王子も身を固められるでしょうねぇ」
「……はぁ」
「キーコ、これからもずーっとよろしくね!」
はち切れんばかりの笑顔でそう言う物だから、とても理由など聞けない。
だから一人、この疑問に首を傾げる事しか出来なかった。
(ギルのピアスするのが、そんなに喜ぶ事なのかなぁ……)
「へっ、パーティですか?」
翌日、ヴィルムに開口一番に言われたのは、このマグニの城でパーティをするという事だった。
「ええ、今夜行います」
「随分急なんですね」
「まぁ……あらかじめ根回しした人が居る者で」
「へっ?」
「いえ、こちらの話です……、それで貴方にも参加していただく事になりました」
「えっ……私が?」
なぜ自分が参加するのか解らない君子。
あまり詰まっていないオツムでその理由を考える。
「……ああ給仕係ですね、任せて下さい、配膳は得意ですよ!」
「………その答えに行きつく貴方が、私は不思議で仕方がありませんよ」
給食当番の時上手だねと栄養士の先生に褒められたのだが、どうやら違うらしい。
結構自信があったのだが、他にパーティと言えば――。
「じゃあ皿洗いですか? 私洗い物も得意ですよ!」
「違います、貴方はギルベルト様と一緒にパーティに出て頂きます」
「…………えっえええええええっ! いっやいやいや、パーティに出るってそんな、無理ですよぉ!」
パーティと言うのは、もっと可愛くて綺麗でスタイルのいい貴族様がやる物だ。
こんなモブで脇役の凡人が出ていいはずが無い。
「規模としては小さいので、問題ないでしょう」
「問題ありますよぉ、私パーティなんて出た事無いし、そもそもドレスだって着た事無いし所作だって知らないんですよぉ!」
パーティなんてお誕生日会くらいしか行った事が無い。
おそらくごちそうを食べて、皆でプレゼント交換をするパーティとは全く内容が違うだろう。
きっとくるくると踊っちゃうに違いない、そんな事君子が出来る訳が無い。
「そう言うと思っていたので、今からワンツーマンで、パーティの所作についての指導をいたします……一度しか言わないので一度で覚えなさい」
「むっ無理無理無理むうりぃぃぃぃぃ……ていうかなんで私がギルと一緒にパーティに出なきゃいけないんですかぁ、カルミナさんはどうしたんですか」
こんな自分が出るよりも婚約者が出る方が良い、むしろそれが必然だ。
しかしヴィルムは君子の言葉に眉をひそめる。
「……彼女は出席いたしません」
「えっ! なんでですか……病気か何かですか?」
「まぁ……そんな所です」
それならパーティを止めれば良いのではと口にしようと思っていたら、ヴィルム先生のスパルタパーティ講座が始まってしまったので、何も言えなかった。
「以上がパーティの所作でございます……理解できましたか?」
「……あっ頭が破裂します……」
難しい事だらけで、君子の脳はショート寸前だった。
貴族の人達は、こんな面倒な事をやっているのだろうか。
「ではとっとと沐浴してドレスに着替えて下さい」
「えっどっドレスぅ! むっ無理です、贅肉タルタルの私がどっドレスなんてぇ、ドレスを着るくらいなら、今ここで自害します!」
「はいはい、パーティが終わった後で幾らでも死なせてやりますから、とっとと体を洗いなさい、アンネあとはお願いします」
「それ意味ないよぉぉぉぉ、嫌だぁよぉ、ドレスなんてぇ、私みたいな生ごみがドレスなんてもの着ちゃいけねぇんですよぉ!」
「はいはいキーコぉ、綺麗にしましょうねぇ~」
アンネに腕を掴まれて、強制的にお風呂場へと連れて行かれる君子。
色々と泣き叫ぶ彼女を見送るヴィルム。
「さて……次は」
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「めんどくせぇ」
いつもの服から、パーティ用のタキシードに着替えるギルベルト。
元々こういう催しが好きでない事は、ヴィルムは十二分に解っているが、しっかりしてもらわないと困る。
「良いですかギルベルト様、貴方はただじっとしてれば良いです、話しかけてくる連中の話を適当に聞き流せばよろしいのです、このパーティの目的は、貴方と貴方のピアスをしているキーコを見せ付ける事なんですから」
本来このパーティではカルミナがあらかじめ話を通し、企画していた物だ。
この場にはカルミナの近しい人が来る、そこにこんな思い切った事をする理由は、ただ一つ――。
(もういっその事ぶっちゃけてしまおうという腹な訳です)
ギルベルトが我がままで自己中心的で凶暴で乱暴だと言うのは周知の事実、だからもう『カルミナは嫌! 俺の女はこいつだ!』と宣言してしまう事によって、相手をけん制してしまおうと言う算段だ。
もちろん向こうも怒って色々言ってくるかもしれないが、王族であるこちらの方が幾分か立場は上、その時は権力を思い切り振りかざしてやればいい。
(まぁ、あれっきりカルミナ様は部屋から出てこないので……おそらくパーティにも出られないだろう……)
凡人の君子がギルベルトのお眼鏡にかなったのだから、ショックは計り知れないだろう。
(後で、お詫びの言葉くらいは言っておく必要があるかも知れないな……)
とっ言ってもかのフォルガンデス家、嫁の貰い手は引く手あまただろう。
「もう、めんどくせぇ、これで良いだろうヴィルム!」
まだ髪がぼさぼさでみっともない、平時なら大目に見ているがパーティでは駄目だ。
櫛を持ちセットしようとするが、ギルベルトは頭を触られる事を嫌って居るので、大人しくしない。
角がある魔人種に多い事なのだが、今は非常に困る。
「ヴィルムさん、失礼します!」
やけに嬉しそうなアンネがやって来た。
こちらは忙しいのだが、一体何の用だろうか。
「キーコの準備ができたので、確認をして欲しくって……ねっキーコ」
「ひっ」
どうやら君子が見えない位置に居るらしく、声だけが聞こえる。
嫌がる彼女の手をアンネが無理やり引っ張って、部屋へと入れた。
「じゃ~~ん、メイクアップキーコですよぉ!」
紺色のドレス、フリルは少なめできわどい露出もない。
まるでワンピースの様な本当に質素なドレスなのだが、生地は最高のシルクで所々に見事な刺繍が施されていて、デザインは質素でも十分な華やかさがある。
髪型も普段のダサイおさげをほどいて居て、アンネが丁寧にブラシングしたのか、ふんわりとしていた。
きつくならない程度の化粧も、ドレスに良く合って居て、派手ではないが十分上品で華やかだった。
「女は化けると言う意味が今解りましたよ」
「そっ……それは私が化け物の様に醜いと言う事ですかぁぁ」
素直に褒めたつもりだったのだが、君子はなぜか変な方向に捉えている。
どうして彼女はこうもネガティブな方に考えが向くのだろう。
「うっうえっ……私はどうせそばかすの不細工なんですぅ……」
「何言ってんの、キーコは十分可愛いわよ」
「そんなわけねぇですぅ! こんなそばかすだらけで贅肉タルタルで、要らない所に脂肪がついてる、貧乳の君子さんが可愛い訳ねぇじゃねぇですかぁ! 生きてる事さえ罪なんですよぉぉ」
「ちょっと……卑屈すぎるわよ、キーコ」
負の思考が止まらない君子に手を焼いて居ると、ギルベルトが口を開く。
「…………キーコはこのままでいいんだ」
「うえっ、でもっでも、そばかすで貧乳なんだよぉ……」
「だから、いいんだよ」
「でっ、でもぉ」
容姿に自信が無い君子は、素直に人の褒め言葉を受け入れようとしない。
だから彼女に伝わる様に、ギルベルトはもっと強く大きな声で言う。
「俺はこのままのキーコがいいんだ!」
「ふぁっ」
そんな風に言われたのは一六年の人生で初めての事で、君子の頬を染めるのに十分な威力だった。
耳まで赤くなるのに一秒も掛からなかった。
「……ふぁっ、ふぁっ、ふぁああああああああああああっ!」
恋愛経験ゼロの君子さんのキャパは一瞬で埋まり、溢れかえってしまった。
回線がショートを起こしてどうしていいのか解らなくなり、結果奇声を上げながら部屋から逃亡すると言う行動を選択してしまった。
「あっちょっとキーコ……すいません失礼します!」
アンネが急いで追いかけて行った。
つくづく君子は何をしでかすか予測できない、異邦人と言うのは皆ああなのだろうか。
「全く、騒がしいですね……」
ギルベルトは黙ってソファに腰を落とす。
先ほどまで髪をいじられるのが嫌で逃げていたにも関わらず、今は大人しく座っている。
「……ギルベルト様?」
見ると耳まで真っ赤になっていて、今まで見た事にくらい恥ずかしそうな顔をしている。
本当に、こんな顔をされてしまうと、あの我がままで凶暴な王子とは到底思えない。
(まぁ、ちょうどいいか……)
ヴィルムは大人しくなったギルベルトの髪を整え始めた。
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パーティの会場は一階の大広間で、こんな事が無ければまず滅多に使わないほどの広さの場所だ。
アンネはまだ顔が赤い君子の手を引きながら、そこへ向かっていた。
「良かったわね、王子にあんな風に言われて」
「ふぁっ……ふぁぁ……」
まだ回線がショートしている君子は、歩くのがやっとの状態だった。
このままパーティ会場に行くのは色々とまずい。
「キーコ、早く惚気から戻ってよぉ……このまま大広間に行くのはまずいわよ……」
「ううううっ、顔が熱くてぇ……何も考えられないんですぅ」
良く見ると顔から湯気が出ている、このままでは会場に着く前に倒れてしまうだろう。
「じゃあお水持って来てあげるわ、だからキーコはここで待ってて」
「はっはい……」
大広間とギルベルトや君子の部屋は別棟にある為、一階と三階の回廊を通らなければならない。
回廊は天井と左右がガラス張りで、光を取りこむ様になっている。
今は夕方なので真っ赤だった。
わざわざ水を取りに言ってくれたアンネを見送ると、君子は寛ぎながら外を眺める為に設置されたベンチに座る。
(……頬っぺた、すごく熱いよ)
心臓の鼓動も、破裂してしまいそうなくらい早くて、少し苦しい。
自分はどうしてしまったのだろう、今までこんな風に顔が赤くなった事も、鼓動が速くなった事も無かったのに。
(ギルが……凄くカッコいいからだよ)
いつもの恰好ではなくて、あんなカッコ良いタキシードを着ているのだから、イケメンに磨きが掛かっていた。
パーティの間あんなカッコ良いギルの隣にいなければならないと思うと、物凄く恥ずかしい。
「……ううやっぱり無理」
明らかに自分の方が見劣りしてしまうだろう、そう思うと自然と弱音が出て来た。
「何が無理なんです?」
まるで小鳥のさえずりの様な綺麗な声が聞こえたかと思ったら、回廊にカルミナが立っていた。
相変わらずゴージャスなドレスを着ていて、本当にお姫様の様だ。
「カルミナさん……ぐっ具合大丈夫なんですか?」
「…………えぇ、すっかり」
良かった、ならパーティにだって出られるはずだ。
彼女が出るなら、君子が出る必要はないから、見劣りする事も無くなる。
「あなた、今日は随分楽しい恰好をなさっているのね」
「えっ、あっ……はぁ、何と言いますか……成り行きで……」
可笑しい、カルミナはいつも通りの笑顔なのになぜか今日はどこか変だ。
なんだか言い表せない違和感がある。
「ふふっ、そう……」
そう言ってカルミナは、君子の髪に触れる。
細くて綺麗な指に触られると、余計に動悸が激しくなって来た。
(いっ……いい匂い、香水かなぁ)
香水など無縁な地味女子君子は、その良い香りにすっかり魅了されて居て、カルミナが髪から右耳に触れている事に全く気がつかなかった。
「本当に、可笑しくて可笑しくて、楽しいわ」
「……へっ?」
一体何を言っているのか解らなくて、どういう意味なのか聞き返そうとした時――。
カルミナに耳を引っ張られた。
突然だったので、踏ん張る事が出来ずそのまま真横にすっ転んだ。
「ひゃうっ!」
悲鳴を上げる君子、何が何だか分からないが耳を引っ張っれたらしい。
眼鏡がどこかへと飛んで、耳が痛い、こんな風に引き倒された事なんて初めてだから、こんなに痛いなんて思わなかった。
(いっ……痛い、なっなんでこんな事を……)
どうしてこんな事をするのだろう、君子は戸惑いながら大理石の床からカルミナへと視線を移す。
「あなた、ちょっと調子に乗りすぎですわよ」
先ほどの笑顔とはうって代わり、声が怒っている。
こんなに怖い彼女は初めて見た。
「平民の人間でましてやこの世界の存在でもないあなたが、なにをいきがっていらっしゃるの?」
「あっああっああ……」
怖い、どうしてそんなに怒っているのだろう、解らなくて怖い。
なにも見えなくて状況が理解できない、眼鏡を拾わなくては、そう思って手が届く範囲を探すと、眼鏡をツルが手に当たった。
急いで眼鏡をかけるのだが、右のツルがなぜか引っ掛からない。
「あっアレ……」
なんで眼鏡がかけられないのだろう、右のツルを手で持って何とか抑えると、カルミナが何かを見せて来た。
「お捜しなのはコレかしら?」
それは人の耳――それも金色のピアスが付いた右耳。
「あっ――」
恐る恐る、君子は自分の右耳に触れるが、触れない。
右耳があったはずの場所には、何も無くて、ただ物凄く痛む。
こんなに痛む訳が今、やっと解った――。
カルミナが、君子の耳を引きちぎったのだ。
「あなたがいけないのですよ、身の程をわきまえず、そばかすだらけの醜いブスの癖に、一国の王子のご寵愛を受け様なんて…………ホント、目障りなのよ」
カルミナは細身から到底想像つかない力で、君子の耳からピアスをちぎり取ると、ボロボロになった右耳を放り投げた。
「はっ……あっあぁ」
痛みと恐怖から何も出来ず、ただ震える事しか出来ない。
すると、カルミナの影が揺らめいて、なにかが唸り声を上げながら出て来た。
ピンと立った耳に鋭い犬牙、太い四本の足に長い尻尾を持つ、一匹の犬。
体躯は立ち上がれば一七〇近くある巨体。
君子よりも大きな犬は、カルミナが投げ捨てた耳の匂いを嗅ぐと、そのまま一飲みで食べてしまった。
自分の耳が喰われる様を、君子は震えながら見ている事しか出来ない。
「あっあああっ、みっ、みみ」
怖くて呂律が回らず、涙が出て来た。
怖い、恐い、コワイ。
「ごめんさい、あなたの耳だったわねぇ……あら泣いちゃった? もしかして犬はお嫌いだったかしら……残念ねぇ私もこの子達も、お友達になれそうに無いわ」
今さら気がついた、カルミナの耳は犬の物――彼女は犬の半獣人なのだ。
痛みと恐怖が混ざり、悲鳴を上げる事も出来ない君子へと近づくと、カルミナは狂気に満ちた笑顔を浮かべる。
「じゃあ、これはお詫びのしるしよ」
そう言ってカルミナは君子の胸を刺した。
素手で左胸を指している。
良く見ると、禍々しい紫色の炎の様な物を纏っていた。
「かはっ――」
手が引き抜かれると同時に、息を吸うのもやっとの苦しみに襲われる。
しかし刺されたはずの胸からは血が出ておらず、紺色のドレスにも傷がついて居ない。
ただ酷い痛みと苦しみ、そして恐怖が、無限に溢れだして君子を押しつぶしていく。
「醜いブスはとっとと失せなさい、此処は下賤なゴミが居ていい所ではなくってよ」
炎の様に燃え上がった怒りに冷たい氷の様な視線が、君子の恐怖をかきたてる。
ここに居たら死ぬ、殺されてしまう。
震える足でどうにか立ち上がると、カルミナの横に居る犬が大きな声で吠える。
鋭い牙が口から見えて、今にも襲いかかってきそうだった。
「ひっ――――」
足に力を込めて、どうにか走り出す。
ドレスが捲りあがるのも気にせず、ただ逃げ出した。
「ふふっ、うふふふふふふっ」
高らかに笑うカルミナの声が、回廊にこだまする。
夕焼けで真っ赤に染まる回廊に残されたのは、それよりも赤い君子の血だけだった。
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大広間には沢山の客が居た。
魔人や獣人、半獣人など実に色々な人種が入り乱れる中、ギルベルトはきょろきょろとあたりを見渡す。
「…………キーコ」
先に大広間に向かったはずなのに、どうしていないのだろう。
アンネだっているのだから迷子になる事など無いはずなのに、一体どうしたと言うのだ。
「……ギルベルト様落ち着いて下さい、王子の威厳がありませんよ」
ヴィルムに釘を刺されてもやっぱり気になる物は気になる、やはり無意識の内に君子を探してしまっていた。
コレはもういっそ自分で探しに行こうかと持ったら、客人達が話しかける。
「これはこれはギルベルト王子」
「凛々しいお姿ですわ」
「本日はお招きいただき、誠に有難うございます」
次から次へとあいさつに来る貴族達、正直そんな物どうでもいい。
こいつらを蹴散らして、君子を探しに行きたかったのだが、ヴィルムが視線で止めろと訴えて来たので、大人しく奴らの話を聞き流す。
「そう言えば、ギルベルト様はお一人なのですか?」
「こんなにカッコ良いのに勿体ないですわ~」
良く言う、皆カルミナが招待したのだから、彼女との仲は周知の事実。
だからこそそんな彼等に向かって、君子を見せ付けてやろうと思って居るのだが、肝心の彼女が来ないのでは話にならない。
流石にヴィルムも探しに行こうとした時。
辺りが騒がしくなって、誰かがやって来た。
やっと来たかと思ったのだが――人込みを蹴散らしてやって来たのは、胸元が丸見えでやけに露出の多いドレスを着たカルミナだった。
「遅れて申し訳ございません、ギルベルト王子」
当たり前の様にギルベルトの隣にやって来て、腕を組む。
あれきり部屋から出て来なかった彼女が、まさか来るとは思って居なかったのでヴィルムは戸惑っていた。
しかしそれはギルベルトも同じ様子で、振り払う事もせず、当然のごとく腕を組むカルミナの事を、目を丸くして驚きながら見ている。
「かっカルミナ様……なぜこちらに?」
ヴィルムがそう尋ねると、カルミナはくすりと上品に笑うと、楽しそうに笑顔で答えた。
「私は、王子の婚約者なのですから、当然ではありませんか」
そしてギルベルトの腕に自分の胸を押しつける様に当てながら、あからさまな上目遣いで彼を見る。
「ねぇっ、ギルベルト王子」
華やかで色っぽいドレスを身にまとったカルミナと、正装のギルベルトはとても良く似合っていて、これでは二人が親しい間柄だと言って居る様な物。
今から君子が来ても、こちらが本命だとはだれも思わない――。
してやられた、何とかこの展開を変えなくてはと思うヴィルム。
しかしギルベルトは、カルミナの腕を振り払うと血相を変えてそのまま客人達を蹴散らして、どこかへと走り出してしまった。
「ぎっ、ギルベルト様!」
後ろから、ヴィルムの呼び止める声が聞こえたがそんな物、ギルベルトには届かない。
大広間から出ると、廊下を走り抜けて回廊へとやってくる。
辺りを見渡すが、誰もいない、何もない。
「はっ……はぁ……くっ」
更に進んで行くと、正面の玄関へとたどり着いてしまった。
半開きの大きな扉を乱雑に開けると、ギルベルトは外へと出る。
すっかり日が沈み、夜の闇の中不気味な雲が空にいくつも浮かんでいて、季節に似合わない冷たい風が吹く。
「……キーコ」
折角整えた髪が風でぼさぼさになっていくが、そんな事どうでもいい。
関係ない、ただ君子が居ない。どこにも、いないのだ――。
「キィィィィィィィィィィコォォォォォォォォォォォォ」
心からの叫び声は、吹き荒れる風と遠くでなっている雷の音でかき消されて、どこにも、誰にも聞こえなかった。
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「はっはあっ、はあっ……」
君子は走っていた、マグニの城から出て森の中を、ただ必死に走っていた。
舗装された道など無い、原生林の様な森は走りにくく、足を取られ何度も転んだが、走らずにはいられない。
(……怖い、怖い!)
君子は逃げているのだ。
カルミナから、マグニの城から、この世界から、この恐怖から――。
冷たい風が雨雲を運んで来たのか、大粒の雫が降り注いで肌へと叩きつける。
折角のシルクのドレスは汚れ、折角してもらった化粧も落ちてしまうが、それでも君子は止まらない。
(私、可笑しくなってたんだ……この世界に来て、ギルに逢って!)
地味でそばかすで不細工な凡人が、こんなファンタジーの世界に来て、魔法が使える様になって、カッコ良い王子に逢って、すっかり舞い上がっていたんだ。
綺麗なドレスを着てパーティに出ていいのは、美人で可愛くて貴族のお嬢様のヒロインだけ。
招待状を持っていない自分が出てはいけない場所。
華やかな舞台に立っていいのは、主人公だけ。
脇役がその舞台に上がるなんて、決して許されない。
(私は、主人公じゃない――モブで、脇役なんだ!)
激しく振る雨は、君子の足跡を消して何も解らなくしてしまう。
それはまるで、モブで脇役の存在を消してしまっている様だった。