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食器

 都市伝説にベッドの下の斧男と言うのがあって、一人暮らしの女性宅に不法侵入しベッドの下で斧を抱えて潜り込んでいると言う内容だ。

 眉子に幽霊と言われた着物姿のわらじ男は、眉子のベッドの下に潜り込んでいた。出て行くタイミングをつかめないまま朝を迎え、トイレに行きたくなりベッドの下から出た。眉子はまだ寝ている。

 洋式の便座に腰掛ける。便座カバーや敷物、ドアノブカバーやタオルまでみんなピンク色だ。眉子の母の趣味である。娘の一人暮らしに際し一式揃えて持たせたのだろう。眉子はなんのてらいもなく使っている。

 大まで済ませて消臭スプレーを多めに吹いてトイレから出た。入れ替わりに眉子がトイレに入っていった。

 一瞬心臓が止まるかと思った幽霊だが、黙ってコップに水を汲んで飲んだ。米を研いで炊飯器にセットし、味噌汁を作る。顆粒の出汁があったのでそれを使う。味噌となめこを同時に水に入れる。卵を焼き、大根おろしを作る。大葉を添える。ほうれん草のお浸しを作りパック入りの鰹節をかける。豆腐のあんかけを作った。

 眉子は淡々と身仕舞いを整える。

 ご飯が炊けたので茶碗によそう。幽霊は自分の茶碗と碗、皿を二枚持っていたのでそれを使う。

 眉子は着席する。一人暮らしには少し大きめのテーブルを持ってきたが、これが意外と便利であった。見知らぬ男と食卓を囲むことになるとは思いもよらなかったが。

「いつからいたんですか。」

「食べます。腹減ってるんで。」

 諦めて眉子も食べた。

 食事を作り慣れている人の料理だなと眉子は感じた。眉子も料理はなれているので分かる。

「昨晩から、ベッドの下にいました。」

 眉子は血の気が下がるのを実感した。恐ろしすぎる。この男は、何をする気だったのか。いや、したのかも知れない。

 食べ終わると眉子は風呂場に行ってシャワーを浴びた。怖くて泣いたが、泣き声が漏れないようにした。身体はなんとも無いようだった。

 服を着けて出てくると、幽霊男は食器を片付けていた。

「あなたの食器をそこに仕舞わないでっ」

 強い声が出た。後悔など無いが嫌な気分になって男から目を反らした。

 男。幽霊だとはじめは思っていたが、男なんである。だから怖かったのだし。

 眉子は盆を取り出して男の食器を盆に入れさせた。上から布巾を掛ける。

「ここにいていいのか?」

 男は下を向いていた。長い髪の毛に隠れて顔が見えない。うろたえていると男が上を向いて眉子の顔を見た。

 やってやったという満足げな表情。どや顔とは違って可愛い感じがした。

 男が前に座るように言うので眉子も膝を着いて座った。

「では、ふつつかものですが、これからどうぞよろしくお願いします。」

 手を着いて、男は頭を下げた。

「どういうことでしょう。」

 後ずさる眉子に男は言った。

「鈴木春綱です。おムコになりにきました。」

 はるつな。はる。眉子はがっくりと首を垂れた。無茶苦茶である。

「父親が江戸時代の絵師鈴木春信の絵が好きで、それで俺の名前にも春の字をつけました。」

「そういうことじゃなくて。どうして忍び込んだりしたの。というか、おばさんのこと、ご愁傷様です。」

 眉子は冷静さを保とうとしてそう言った。春綱は黙って手を着いて頭を下げた。

「おムコになりに来たんだよ。」

「婿なんていりません。出て行って。」

「あなたがアルバイト中に、ずっと見守っている人がいる。大学の先輩で、幾つかのコンパで一緒だった人。青木友一。あなたとは育った環境や経済状況が似ていて、相性は良いだろうって存在。イケメンと言えるし。」

 そう言われてやっと、眉子には誰だか見当がついた。育ちの良さそうな男性。青木先輩。

「そう言う人がわたしにいるって分かっていて、どうして乗り込んできたの。」

 春綱はじっと眉子を見る。眉子はひるまない。ほんやりと受け止める。めげそうになる春綱だがふんばった。

「眉子さんはどうして、がむしゃらになってアルバイトを頑張るのですか。日曜を除いた週六日も、働く必要は無いのでしょう。火曜日は大学での講義が午後まであって、働くのは夜から深夜。せめて火曜日はシフトを除いても良いのだと思いますが。何か理由があってのことかと思いますが。」

「個人的な、心理的なことです。」

 話す必要は無いと眉子は思った。

「それこそ、俺が付け入っていい隙だと思えた。」

 眉子は時計を見た。学校に着くより前に一限目が始まってしまうだろう。

 眉子は立つと靴を履いた。春綱は座ったまま床を見ている。

「行こ。一緒に。今日は大学は休むから。昼からのバイトまで、外で話そう。」

「ああ。」

 春綱はわらじを履いた。

「それ。」

 眉子は言いかけてやめた。布草履だ。古着を再利用して作る。春綱の母親が作ったのかも知れない。


 あまり話すことはなかった。

 眉子は春綱に心を許していないので、内面のことを話すつもりも無い。春綱も、心に積もっているだろう今までのことを、話しはしなかった。

 駅前のカラオケに入り、二人で知っている曲をダブらないように十曲ほど予約した。気が向いたときは片方が歌う。

「どうしてわたしだったの。おムコになるだなんて。わたしたちは幼なじみってだけで、小学校に入ってからはそれほど会ってもいないし。」

「だからかな。」

 頼んだオムライスを食べる眉子。

「間がないから、ジャンプした感じ。良く二人で言い合ったし。お嫁にしてあげるとか、家同士仲良くしようとか。母さん死んだときに俺一人になって、それ思い出して、染みちゃったんだよな。」

 眉子はマイクを持った。

「落ち着いたらさ、家に帰りなよ。」

 眉子が歌うのを聞きながら、春綱はごめんよと謝った。


 何かを見つけられないまま、眉子は大学生活を終えた。なかば呆然としていて、就活もしていない。大学院に残らないかと話かけられもしたが断った。アパートを引き払い実家に帰る。

 青木先輩が車に乗せて家まで送ってくれる。

 青木先輩とは恋人同士ではない。眉子の方が、そう言う気にはなれなかった。

 眉子の中の、わたしはこんなものではないんだという、根拠のない燃える心が、青木では癒されないのだった。眉子は自分を探し続けるだろう。

 家具は古道具屋に任せてきた。衣類や食器は宅配便で実家に送り、手荷物だけをもって青木の車に乗っている。それと、春綱の置いていった茶碗なども手荷物の中である。

 宅の前で眉子は車から降りた。

「ありがとうございました。青木先輩。中でお茶でも。」

「いやいいよ。」

 青木は淋しそうに笑った。

「またね。」

 青木は祈るように言った。

「さようなら。」

 眉子は、別れの意味で言った。


 実家に帰ってから、眉子は母と祖母を手伝いながら暮らした。ほとんど、母の仕事を奪うようにしてエネルギーを発散させたのだ。

「見合いでもさせましょうか。」

 楽しそうに母親は言うが、祖母は思うところがありげな笑みを浮かべていた。ようかんを切りお薄を点てて、娘と孫をもてなした。

 眉子は鈴木春綱の家の前に立つ。

 中に入る気になれない。

 玄関から春綱が出てきた。スエットの上下で、長かった髪は切られていたが、前髪が結われている。

 台所に六畳が二間という平屋で、春綱は一人アルバイトをしながら暮らしていた。

「嫁になるけど、あなたは婿入りするのよ。」

「気が早いよ。」

「何言っているのよ。」

 夢は夢のままで終わったんだと春綱は割り切っていた。

「いま何してんの。眉子さんは。」

「何も。」

「じゃあただのお嬢様なんだ。結局は。」

 春綱は玄関に入った。

「わたしは初めからただのお嬢様だよ。自分には何かあるってどこかで思っていたけど、思いたかったけど、でも何にもない。大学生活で一番の事件があなただよ。でもそれじゃだめなの? 普通に幸せになろうとしちゃいけないの?」

 春綱は迷っていた。

「いや、ちょっとまって。迷う。でもさ、眉子さん、俺のこと何にも知らんでしょ。それでムコとか結婚とか、ちょっと待ってよー。」

「おムコになりに来たって言ったじゃない。はるのばかっ」

 はるのばか。

 小さい頃は眉子に良く言われたなあと春綱は思いはするが、走り去って行く眉子を追いかける気にはなれなかった。

 家に帰って泣いている眉子を祖母は扉の陰から見守って、ひとりうなずいていた。

 春綱の元には、眉子のところに置いていった茶碗に碗に、皿が二枚、眉子から送られてきた。それを見て感慨深い春綱。あの頃は、ずっと介護していた母が亡くなってしまって、どこかキレておかしくなってしまっていた。髪を切ることすら余裕が無くて、そんな生活から急にやることが無くなって。なぜか眉子のことを思い出し、眉子の周辺を探ったり、眉子のアルバイト先でアルバイトをしたりして、着物姿で眉子の前にあらわれて。

 手足のリハビリで母が編んでいた布ぞうり。足の指に布を裂いて作った紐をくるりとひっかけて縦糸にして、機を織るように横糸を通していく。

 あのときは本当に眉子で良かった。迷惑をかけてしまったな。だけどこれ以上、心が動かなかった。



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