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春綱

 大学生活も飽きてきていた。新歓コンパで先輩が言った。

「男は一才でも若い子が好いのよね。」

 ピンクのカーテンを引いて窓を隠す。

 眉子はもうコンパには行かないと決めた。それよりも、地味で良いから真面目な同好会に所属してきちんと勉強したいとしみじみ思った。時間がもったいない。

 わたしは一流の人間になりたいのだ。

 楽しく遊ぶことも必要だけれど、夢中になれる何かが見つかったのなら遊ばなくても良い。そのほうが特別だし眉子の好みだ。

「若い女が好いとか、なんとか、下らないのよね。」

 洋服を脱ぎ捨てる。これからアルバイトだった。薄い生地の花車なトップス。ひらめく膝丈のスカート、靴下、嘘のような実の無いわたしの抜け殻。

 デニムをはいて、トレーナーを着るとほっとした。着慣れないけれど、いつもと違う自分に嬉しくなった。アルバイトのために買ったスニーカーを履いてトートバッグを手に出かける。

 学費は親に出してもらっている。生活費やアパート代は自分で稼いでいたが、優しいのか眉子の親はお小遣いとして十万円を毎月眉子の口座に振り込んでくれている。

 わたしって、恵まれてる。

 だからこそ、一流になるのは困難だわ。

 甘やかされていると、自分で思ってしまう。お嬢様とまでは言わない眉子だが。でも、両親に愛され穏やかに生きてきた眉子は、心に傷らしい傷も一つもない、と言える。

 一流の人は、心に傷があってそれが世間へ訴える「何か」を作っているんだ。訴えかける力はそこにあるの。わたしは、世間に言いたいことなんてあるのかしら。

 アルバイトは毎日でなくても暮らせるだけのお金があるのだけれど、なんだか甘えているみたいで眉子は嫌なので日曜以外は働いている。ガムシャラに体を動かすことは眉子の心を救う。

 特別になりたい。

 甘くなんて無い自分になりたい。

 作業着で商品を店内に運ぶ眉子をじっと見ている人がいた。

「眉子ちゃんち。貧しいのかな。こんなに必死で働いて。」

 免許を取ったときに親が買ってくれた車を毎朝磨き上げることが、彼の親への感謝の気持ちだった。

 眉子ちゃんは品もあっておっとりしていて、恵まれた環境で育った感じで好みだと思ったのだけれど。コンビニエンスストアを車の運転席から見ている彼。

 もう一人、眉子を見ている不審な人物がいた。

 誰だ。車中の彼は眉子が心配で車から出た。怪しい人物はコンビニの窓に貼り付いている。

 浴衣のような素材の荒い着物姿で、長い髪をハーフアップにしている。ブリーチでもしたのか艶のない髪はぱさぱさしている。

「ちょっといいですか。何してるんですか。」

「あ、君は、眉子の大学の先輩で眉子に気があるそこそこ坊ちゃんのイケメン。」

 この人は怪しすぎる、と車の彼は眉をひそめた。

「そこそこ坊ちゃんとそこそこお嬢様の眉子、は、合うよねえ。相性ぴったりだよね。」

「あなた怪しいですよ。眉子さんに被害が出るといけないので警察行きましょう。」

 怪しい人物は立ち去った。

 車中の彼は眉子の大学の先輩である。眉子が参加した幾つかのコンパに一緒にいたのだが、眉子は彼を覚えていない。

 先輩は車に戻り、眉子を見守り続けた。彼が眉子のアルバイト姿を見つけたのは偶然である。その時も眉子は彼に気が付かなかった。

 脈がないのは先輩も分かっていたが、なぜか眉子のことが気にかかった。アルバイトをしている眉子を見るとワクワクするような気持ちになったり、逆に苦しい気持ちになったりする。はっきりさせたくて彼はアルバイトをする眉子を見守るのだった。この、恋する気持ちとは違うはずの何かの正体を知りたくて。

 深夜、眉子はアルバイトを終えて公園にいた。ブランコに座ってゼリー飲料を吸っている。ちょっとした楽しみだった。また考え込む眉子は隣に人が来たことにも気が付かなかった。

 なんだろう。

 長い髪が下を向いた顔を隠し、ずるずると引きずるような着物姿で、わらじ。ずるずるっずるずるっとわらじを擦ってブランコを揺らしている。腕をぶらぶらさせてくくっと笑い出す。

 眉子は青ざめた。

 幽霊だ。

怖い。

 トートバッグに手を入れて母が持たせてくれた御守りを捜すが、無い。

「無い。」

「ねえ。」

 びっくりして眉子はブランコから落ちる。座面より後ろに落ちてしまった。

「痛い。」

 幽霊は立った。コンビニの窓に貼り付いていた人物なのだが、眉子は分からない。仕事に集中していたのだ。

「これ落としてたよ。」

 本当は、眉子は職場で意地悪をされて御守りを椅子の下に隠されていたのだが、何日も気付いていなかったのだ。この怪しい人物はコンビニのスタッフルームにも出入りできるらしい。

「あ、ありがとうございます。幽霊さんなのに。」

「人間だよ。」

 ざっざっと、わらじで歩き去る。

 眉子、自分以外の人間が見えていないなあ。昔から変わらないんだなあ。

 眉子はアパートに帰ると母に着信を入れた。

「こんばんはお母さん。いまバイトから帰ったところ。」

「はい。ご苦労様。眉ちゃん、覚えていないかも知れないから言うの迷ったんだけどね。」

 小さな頃に遊んでくれた男の子のお母さんが亡くなったのだそうだ。

「覚えてるよ。優しかったよ、あのおばさん。」

「眉ちゃん。一応伝えたからね。春綱はるつな君、本当に良くお母様の面倒を見たのよ。うちのおばあちゃんとお母様が仲が良いからって、いったりきたりもあってね。若いのに、春綱君。」

 はるつな、と口の中で眉子は呟く。

 眉毛、と呼ばれた記憶が蘇ってきた。あの、はる、か。はるのお母さんはうちのお母さんよりもおばあちゃんとの方が年が近い。はるのうちに父親はなかった。

 近所の子たちのペースに付いていけずに一人で遊んでいた眉子に春綱は声をかけた。春綱はそんなに歳は変わらないと思ったが、ずいぶん大人びて眉子には感じられた。丈の短いズボンを履いていなかったためかも知れない。変な理由だが。

「うちのお母さんと仲良くできるなら嫁にしてやるよ。」

「うん。うちとも仲良くするならね。」

 なぜか春綱が相手だと普通に話せた。隠したり飾ったりしないで眉子でいられた。

 母との通話を終えてから眉子は風呂で湯船にゆったり浸かってから、夕飯にする。朝炊いたご飯の残りを鍋に入れ、野菜や挽き肉をちょっぴり足して出汁で煮た雑炊にする。

 ベッドに入ってスタンドの明かりで本を読むうちに眠った。


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