5.ちょっと待て、余計わかんねー
ゆずるは、くいっと顎を上げて瞳に空を映すと、己の式神を呼んだ。
「先見、風通い、来い!」
そんなんでやって来るわけだから、簡単なものである。
グラリと空間が歪んだ。ふわりと風が吹く。と、同時に酒の臭いが辺りに漂う。
直久には見えない相手に、ゆずるは眉をひそめた。
「先見。お前、また飲んでいたな」
先見と呼ばれる式神と会話をしているらしく、ゆずるは間をあけて言葉を発した。
「うるさい」
直久は一人のけ者にされた気分で、面白くなかった。
「何話てんだ?」
「お前には関係ない!」
ちょっと聞いただけなのに、ゆずるは顔を赤くして怒鳴った。
――なんだよ、すっげぇー気になるじゃんか。
ぶすっとした顔をすると、思い直したのか、ゆずるは何もない空間を指差して、この辺りに先見が、その辺に風通いがいると説明してくれた。が、全く見えない。
どんな奴らなんだろう? やっぱり人型をしているのかな?
「俺が最初に式神にしたのは刀守りなんだけど、先見が一番扱い安いんだ。先見は少しだけ未来を知ることができる。8匹の式神の間でも相性ってものがあって、先見と相性がいいのは風通いだ。風通いは風を操る。先見と二人揃えば、敵に対する先制攻撃が取れる」
「なんつーか、むちゃくちゃRPGみたいだよな」
「RPG?」
「ゲーム」
妖怪、魔物といった類に弱い直久に対して、ゆずるは俗物弱かった。
それを俗物と言って良いのか分からないが、世間のお子さまたちが普通に知っているようなことを知らないゆずるなのだ。
「で、何て話してたんだ?」
「迷い土はお祖父様の命令で動いているから、こちらには来られないって」
迷い土っていうのもゆずるの式神の一人なんだろうけど、さっき話していた内容はそれと違うだろう。直久は直感する。
そんぐらいの内容で顔が赤くなるわけがない!
だが、それ以上詮索するようなことはしなかった。ここでゆずるを怒らせても仕方がない。
直久はゆずるが式神に命令を下す様子を見守った。
「6歳の子どもがいるはずなんだ。探して欲しい。見つけしだい俺のとこに戻ってこい。いいな」
再び風が吹いて、酒の臭いが遠ざかっていく。去っていく彼らを見送るように、遠くを見つめていたゆずるが、不意に振りかえった。
「俺たちも探そう」
そう言って、直久の手を引き、ゆずるは歩き出した。直久は低く答えてそれに従う。
どこからだろうか?
桜の花びらが直久の目の前までやって来て、ひらりと舞った。数歩先を歩くゆずると直久の間をひらりひらり舞う。それにゆずるは全く気が付いていないようだ。
だが、直久には、まるで、その花びらが二人を引き裂こうとして、直久を惑わしているかのように見えた。
直久はゆずるの手を握る力を強めた。驚いて、ゆずるが振りかえる。
「何だよ?」
「え? ……あ、いや」
何だよ、と聞かれて答える言葉が無く、直久は狼狽える。 急に繋がった手が恥ずかしくなった。
妙に熱い。怪訝そうな顔をするゆずるに何か言わなくてはと焦って、直久は口を開いた。
「お前、他にどんな式神を持っているんだ?」
「他?」
ゆずるの眉がひそめられる。だが、すぐに答えをくれた。
「俺の式神は、刀守り、先見、風通い、迷い土、火刈り。刀守りと迷い土は雌狼で、刀守りの方が気性は穏やかだな。幼い次代を守る役目にあるんだ。だけど、彼女の一番重要な役目は、神剣を保管することだ」
「神剣?」
会話が始まったことにホッとして、直久は聞き返した。
「儀式の時に当主が使う刀。見た事……ないか。お前、ほとんど行事に参加しないもんな」
「悪かったな」
ふて腐れた顔をした直久に少し笑い、ゆずるは直久の手を引いて再び歩き出した。
廊下はやたら長かった。とても幼稚園の廊下とは思えない。 静まりかえった辺りにゆずるの声が響いた。
「迷い土は、数の雲居と張るくらい美人な奴だ。けど、何を考えているのか、未だに、俺には分からない。
式神は主を主だと認めて式神になってくれるものだけど、俺は迷い土に俺のどこら辺を主だと認めて貰ったのか、分からない」
「何だ、そりゃぁ?」
「さあ」
ゆずるの肩がわずかに上がった。ため息が漏れ聞こえた。
「迷い土は、地の力を使ったり、敵からの攻撃から守ってくれたりしてくれる。他にも、敵を惑わしたり、傷を治してくれたり……。先見のことはいいだろ? さっき言ったから。風通いは風を操る。先見とも相性が良いけど、火刈りとも良くって、3人そろえば、どうしようも手に負えない漫才トリオだ。ただ、二人は先見ほど気安くなくて、特に火刈りはプライド高く、扱い難い」
ようやく次の教室の前に着いて、ゆずるはドアを開ける。
薄暗い、誰もいない教室。そう簡単に見つかるわけがないと、ゆずるはドアを閉めて、足を先に進めた。
「だから、火刈りは、月齢26から6の間しか使うことができないんだ」
「月齢?」
「新月を0と数えた日数のことだ。満月はだいたい15で、29まで数えると、0に戻る」
「いまいち分かんねぇーんだけど?」
「新月というのは、太陽と地球の間に月が入った状態で、その3つが直線上にあり、地球から月がまったく見えない時のこと。この時の月齢は0。それから約一週間で、上弦の月になる。上弦の月っていうのは、太陽から90度東に月が移動し、地球から半分だけ見える月のこと。この時の月齢は7.4前後。それで……」
「ちょっと待て、余計わかんねー」
突然始まった天体授業に直久は両手を上げた。途中で言葉を遮られて、ゆずるは不快そうに顔をしかめた。
「聞いたのはお前だ。最後まで聞けよ」
「つーか、その月齢とお前が式神を呼ぶのが、どう関係あんの?」
「それは」
直久の問いにゆずるは言葉を詰まらせた。気のせいか、ゆずるの顔がほんのりと赤い。
「それは、ほら、俺って、月に一度力を失うだろ?」
「ああ」
そうなのだ。ゆずるは九堂家の御曹司にふさわしい強大な力を持っているが、それは不安定なもので、
月に一度、まったく失ってしまう時があるのだ。
力を失ったゆずるが必死になって直久にしがみついてきた時があった。その時を思い出して、直久は頷いた。
「あれって、月の満ち欠けに関係しているんだ。満月に完全に力を失って、逆に新月の時は絶好調みたいに。満月に近付けばそれだけ弱まり、新月に近付けば強まる」
「で、今日はどのくらいなんだ?」
「5.6くらいかな」
「ぎりぎりってとこか?」
さっき火刈りを使えると言っていた月齢を思い出して言うと、ゆずるも頷く。
「ああ、そうだな。俺が好調だと感じる期間は、月齢26から6だから」
「なあ、ところで、なんで29で、0に戻るんだ?」
「それは、月が地球の回りを一周するのにほぼ一ヶ月、正確に言えば29.5日かかるからだ。ほら、旧暦は29日か30日までしかないだろ?」
「そうなのか?」
即、聞き返した直久にゆずるは目眩を感じて額を抑えた。
「そうなんだよっ。ちなみにお前のおつむが良くなるように言えば、月齢にプラス1をした整数部分が旧暦の日付とほぼ一致するんだ」
「へー」
そんなことを聞いたくらいで直久の頭が良くなったとは、とても思えない。軽い返事すると、ゆずるはおおげさにため息をついた。
「要するに、カレンダーの日付が30日から1日にもどるように、月齢も29で0に戻るんだ。もっとも正確に言えば、29じゃなくて、29.いくつ……なんだけどな」
そう言って、ゆずるは足を止めた。次の教室の前まで来たのだ。
ゆずるはドアに伸ばした手を、その途中でピタリと止めた。
「ん? どうした?」
「何かいる」
「何かって?」
ゆずるの顔から、莉恵じゃないことは伺えた。すると、夢魔なのだろうか。
「逃げよう。やばいって」
だが、直久の制止も聞かず、ゆずるはドアをスライドさせた。
ガラリ。軽い音が辺りに響いた。
二人の目に薄暗い教室が映る。先程同様の薄暗い教室。だが、今回の教室には誰かがいる。
いや、誰かがではない。 教室の椅子、一つ一つに何かが座っていたのだ。
子どものようなソレは、きちんと椅子に座って、皆同一方向を見つめていた。
ソレは、優香や莉恵が、8年ほど以前はゆずるも直久も着ていた浅黄色の制服を着、黄色い帽子を被っている。
「な、なんだ?」
「人形……」
その一体に近寄って見てみると、縫い合わせた布に綿を詰めた簡単な作りの人形であることが分かった。
帽子からはみ出した髪の毛は毛糸で、目玉は大きな黒いボタン。鼻は無く、口は逆三角形の赤いフェルトだ。制服はまるで、てるてる坊主みたいに顎の下から縫いつけられていた。首がないのだ。
ズボンやスカートも履いていないようだ。浅黄色の生地から、白く、丸みのある足が覗いていた。腕も棒のようで、制服に縫いつけてある。指は無かった。
「なんだ、これ?」
直久に、さあ、と肩をすくめてゆずるは教室から出た。引きずられるようにして直久も外に出ると、ゆずるはドアを閉めた。
「一つの場所に長居は無用だ。次に行くぞ」
そう言って、ゆずるは歩き出す。
しばらくして、次の教室にたどり着いた。そこでもゆずるはドアを開けることに一瞬躊躇する。
また何かいるらしいと、直久も気を引き締めて目を見張った。ドアを開けると、やはり中は薄暗く、ぼんやりと子どもの影が見えた。
すぐにそれが人形であることに気付くと、直久はそのうちの一体を覗き込んだ。
人形は人形だが、先程の人形よりも人間らしく作られている。フランス人形のように、肌はゴムで、髪の毛も一本一本が糸のようなものでできていた。
目も傾けると瞼が閉じるようになっていて、鼻もあるし、薄く開いた口もそれらしく作られていた。
やはり制服を着ているのだが、
今度は、男の子はズボンを、女の子はスカートを履いていて、表情もそれぞれ異なっている。
人形は皆同一方向を向いており、その目線を追いかけるようにそちらを振り向くと、オルガンが置いてあった。
オルガンの前に何かが座っていて、それも人形だとすぐに気付く。大人の人形で、女性だった。
クリーム色の洋服に桃色のエプロンをしている。その人形に近付こうとすると、それを止めるようにゆずるが手を引いた。
「行こう」
「……ああ」
どうやらゆずるは異常なしと判断したらしい。直久の手を引いて教室から出ると、静にドアを閉めた。
再び長い廊下を歩き出す。
しばらく歩いて、次の教室にたどり着いた。やはりそこでもゆずるはドアを開ける前に息を呑んだ。
その様子に一瞬緊張を走らせた直久だったが、どうせまた人形だろうと、すぐに肩の力を抜いて、ゆずるがドアを開けるのを見守った。
薄暗い教室。ぼんやりと浮かぶ子どもたちの姿。
さっきの教室の人形よりもまた造りが精巧になっていた。
頬を指で押せば柔らかくへこみ、ぷよんと揺れて元の形に戻る。髪もミシン糸よりも細いものでできていた。目はガラス玉などではなく、潤みを持ったもっと別の何かで、鼻も奥まで穴があいていた。
歌うように開かれた口の中には歯や舌があり、今にも動き出し、そこから声が聞こえてきそうだ。
「気味が悪い」
ポツンと呟いたゆずるに直久も頷きながら、人形たちが見つめる先を目で追った。
そこにはオルガンが置いてあった。オルガンの前には、やはり何かが座っていて、それもすぐに人形だと分かる。またかと思いながらも目をこらえると、その人形はさっきの教室の人形とは異なり、奇妙な格好をしているのに気付いた。
先が二股になったとんがり帽子。赤や青、黄色など様々な色の布地を継ぎ合わせたダボダボの洋服。
もう少しよく見てやろうと、直久はそれに歩み寄った。
異様に白い顔。赤く丸い鼻。唇は青く、目の回りは黒く十字に塗られていた。
「ピエロ?」
「……みたいだな」
次の教室に行こうと、ゆずるが手を引いたので、直久はピエロの人形から目を逸らした。その時。
ポーン。
オルガンの音が聞こえて二人は同時に振り返った。ピエロの両手がオルガンの鍵盤の上に置かれている。
――う、動いた? 人形が?!
そんな疑問を感じている暇なく、二人の目の前で白い両手が動き出した。滑らかに鍵盤の上を滑っていく。
聞こえてきた曲は、ピアノなど習ったことのない直久でも弾ける『ねこふんじゃった』だった。
それは、始めはゆっくり、しだいに聞き取れないほど早くなっていく。
ゆずるは直久の手を引き、ピエロから目を逸らさないようにして徐々に出口の方に足を運んだ。
つうーっと、頬を汗が伝う。
「なんだ? いったい」
「しっ、口を開くな」
ゆずるの様子から危険を感じ取って、直久は大人しくゆずるに従った。一度早くなった曲がまたゆっくりとなっていく。
歌えるほどゆっくりになったところで、子どもの人形が一斉に歌い出した。
『ねこふんじゃった ねこふんじゃった
ねこふんづけちゃったら ひっかいた
ねこひっかいた ねこひっかいた
ねこびっくりして ひっかいた
わるいねこめ つめをきれ
やねからおりて ひげをそれ
ねこ ニャーゴ ニャーゴ ねこかぶり
ねこなでごえ あまえてる
ねこごめんなさい ねこごめんなさい
ねこおどかしちゃって ごめんなさい
ねこよっといで ねこよっといで
ねこかつぶしやるから よっといで』
――これって、こんな歌だっけ?
そういえば、弾いたことはあるけど、歌ったことはないなぁ。
直久が首を傾げると、ゆずるは強く手を引いた。振りかえると、あれを見ろと目で人形たちを指す。
そちらを振り向いた直久は、思わず息を呑んだ。子どもの人形が歌いながら、二人の方にゆっくりと歩み寄ってきているではないか。
動きが鈍いから余計に、両手を伸ばして近寄ってくる様子は、いつかやったゲームのゾンビみたいだ。
『ねこふんじゃった ねこふんじゃった
ねこふんづけちゃったら とんでった
ねことんじゃった ねことんじゃった
ねこおそらへとんじゃった
あおいそらに かささして ふわり ふわり くものうえ
ゴロニャーゴ ニャーゴ ないている
ゴロニャーゴ みんな とおめがね
ねことんじゃった ねことんじゃった
ねこすっとんじゃって もうみえない
ねこグッバイバイ ねこグッバイバイ
ねこあしたのあさ おりといで』
歌が終わった時には手が届く距離で、二人の服を掴もうとする。
一人の手を振り払う間に、3人の手を伸び、それに気を取られている間に背後の人形にベッタリと抱き付かれた。
一人にそれを許せば、あとは団子のように、後から後からくっついてきて、直久もゆずるも身動きが取れなくなった。
膝の裏を蹴られて、ガクリと床に倒れれば、背中に乗り上げられ、頭を押さえつけられる。
両腕それぞれに二体の人形がぶら下がり、首からぶら下がるもの、腰の辺りに腕を回してくるもの……と、苦しいほどに引っ付いてくる。
咽元に手がかかった時、我慢の限界を感じて、直久は腕を力一杯に振り上げた。
人形とはいえ、子どもの姿をしているせいで、どこか抑えていたところがあったのだ。これ以上の我慢はできなかった。
腕にぶら下がっていた人形が手を離し、尻餅を着いた隙に直久の首を絞めようとしていた人形を掴み、直久はそれを片手で遠くに投げ飛ばした。続いて、背中にへばり付いている人形に手を伸ばす。
それも投げ飛ばすと、直久は立ち上がった。
その間、ずっと手を繋いだままにしていたゆずるの救助に向う。
同じように人形に押し倒され、もみくちゃになっているゆずるを、手を引いて立ち上がらせながら、それを邪魔しようとする人形を蹴り飛ばしていく。
人形はコンマ数秒間空を舞い、近くの壁に叩き付けられて床に転がった。
腕や足が折れたり、頭が割れ、中からどす黒い液を垂れ流すものもいたが、痛みを感じない体は何度でも起きあがり、二人の方に手を伸ばしてくる。
「くそっ」
きりがない。
オルガンを弾き続けるピエロに目を向ける。人形を操っているのは、あのピエロに違いなかった。
そう思った時、不意にピエロが直久の方に振り向いた。にやりと、青く塗られた唇が横に引かれた。
直久はその笑みに、自分の考えの正しさを知った。
あの、あのピエロを何とかすれば……。
「直久、だめだ」
ピエロに飛びかかろうとしていた直久をゆずるが止める。
「なんで?」
「お前には無理だ。勝てない」
ゆずるは直久を見ずに、静かに、静かに、言葉を一つずつ噛み締めるように言い放った。
「あいつが、夢魔だ」