4.手、繋いどく?
手を繋ぎ合って眠っている二人を見て、数久は口元を緩めた。
近ごろは、前ほどひどくなくなったが、目が合っただけ戦闘開始してしまう二人だ。手を繋いでいるのも珍しければ、一緒に眠っている姿も貴重だった。
莉恵の額に右手を置き、左手は直久の手を取って、うつ伏せに眠るゆずる。そのすぐ脇に、右手は腹の上、左手はゆずるに握らせて、仰向けで眠る直久。
二人とも繋いだ手の方の肘を曲げていたので、二人の距離はごく短い。もう少しで向かい合った額と額がぶつかる距離だ。直久の黒々とした前髪と、それより少し茶色いゆずるの前髪が絡み合うように混じり合っている。
すうすうと、かすかに聞こえる寝息はどちらのものか、分からなかった。
「うわっ」
思わず声を上げてしまった数久は、慌てて己の口を両手で塞いだ。そして、カメラを持ってくるんだった、と激しく後悔する。だが、さすが直久の双子の片割れ。立ち直りが早い。
――しっかりと目に焼き付けといて、後で念写しちゃおう。
そう心の中だけではしゃぐと、一人笑った。
人の気配を感じて振り向くと、障子に映る小さい影を見つけた。数久が、優香のものだと気付いたのとほぼ同時に、静に声が響いた。
「ゆずる兄さま?」
「優香ちゃん、入っておいで」
「……はい」
予想外の相手が答えたことへの動揺を滲ませた返事が聞こえ、ゆっくりと障子が開いた。
廊下にちょこんと正座した優香を見て、数久は微笑む。
手招きをしてやると、すくっと立ち上がり、部屋の中に移動し、再び正座をして障子を閉めた。
「言い付け通り、鈴加姉さまにお願いしてきました」
「ありがとう」
労うようにニコッと笑うと、優香も緊張が解けたようにホッと息を付き、笑顔を見せた。
ゆずるが優香をお使いにやっていたのだ。
大した用ではなかったが、尊敬する兄直々の言い付けだったので、優香は気を張りつめていたらしい。
「鈴加さんは何て言ってた?」
「最初は、絶対無理!って。だけど、貴樹兄さまが自分も一緒にやるからって、説得してくれて」
「さすが、貴樹さん!」
姉の鈴加には、莉恵の家に集まってしまった魔物の駆除をお願いしたのだが、何分あの量である。姉には荷が重すぎると心配していたのだ。
――ただでさえ、あんまり当てにならない人なのに。
力が弱いとか、頼りないとか、そういうことで当てにならないのではなく、力の使い方を大幅に間違っている人なので、当てにならないのである。……と言うより、あまり当てにしたくない人である。
例えるのなら、蟻一匹倒すのにミサイル5、6発投下させるような力の使い方をする。
幼いころ、何度殺されかけたことか……。
真夏の夜、蚊がうるさくて眠れないと言った彼女は、怒りに任せて屋根を数百メートル上空に吹き飛ばしたことがある。彼女が6つの時だ。
当時、2歳だった双子たちは、その爆風により、屋根と共に天高く吹っ飛び、約4時間後、直久は数キロ先の河原で、数久は本家の裏にそびえる山の奥で発見された。
要するに、力の加減ができない人なのである。魔物を祓うついでに、家そのものも払い飛ばしかねない。
数久の胸に不安がよぎる。
――もしくは、最初の一匹にいらぬ全力をつぎ込み、残りの魔物を倒す余力無く、力尽きちゃったりして。
姉を不安がるのは、何も数久だけではなく、両親も祖父母も同じ思いで、そんな姉には幼い頃からお目付役を付けられていた。貴樹がそれだ。
貴樹は、鈴加たちの父親の妹の息子で、鈴加にとって、従兄だ。ちなみに、愛羅の兄でもある。
二人の年が同じだったことから、自然に、鈴加のお守りは貴樹、という風になってしまったと聞く。
今では、貴樹は、鈴加の実の親より、鈴加の扱いがうまいと評判だ。
あまり、と言うより、全くうれしくない、と彼は肩をすくめるが、まんざらでもない様子が見て取れた。
「貴樹さんが一緒なら、きっと大丈夫だね」
優香に微笑みかけながら、自分自身に言い聞かせるように、数久は言った。そんな数久を励ますように優香も頷き、そして、ゆずるの方に目を向ける。
「ゆずる兄さま、どうなされたの?」
「莉恵ちゃんの夢の中にお邪魔させてもらっているんだよ。夢の中の莉恵ちゃんに会って、もう起きなさいって言うんだ」
「そうしたら、りえちゃんは起きてくれるの?」
「そうだよ」
ホッとした息を吐いた優香を、数久は目を細めて見つめる。そうしてから、刻々と眠る二人に目を移動させた。
今、自分が言ったように簡単に事が進むと良いのだけど……。
数久は優香に気付かれないように、そっとため息をついた。
▲▽
キィィィン、と耳鳴りがして、直久は我に返る。薄く目を開けると、驚くほどの至近距離にゆずるの顔があった。
自分とは違い、太陽の下で元気に運動!……なぁんてことをしない肌は白く、黒子一つ見あたらない。
長い睫毛が目の下に影を落としている。
繋がった手に目を移した。それに続く手首が、ゆずると自分のでは、えらく太さが違うのだと気付いた。
一回りほどゆずるの方が細い。力を込めたら、簡単に折れてしまいそうだ。
――こいつ、ちゃんと肉食ってんのかなぁ?
一緒に暮らす相手が70過ぎのじじいとばばあでは、洋食ものは、まずテーブルに出てこないだろう。
ゆずるが、ハンバーガーを食べたことがないと言って直久を驚かせたのは、つい先日のことだ。
よくよく聞けば、ハンバーガーだけじゃなく、ラーメンやパスタ、お好み焼き、たこ焼きなどといったものも、口にしたことがないらしい。
――ある意味、すごい奴だよ。
そう、感心したのを覚えている。ゆずるの瞼がゆっくりと開いた。
何か言いたそうな表情をしたが、開きかけた口を閉じ、しばらくして再び口を開いた。
「何、見てんだよ?」
不機嫌そうな口調は、どうやら照れ隠しらしい。
「うんにゃ、見てたつーか、体が動かないんだけど」
「あ」
そうかと小さく声を上げると、ゆずるは繋いでいた手を離した。とたん、直久の体が自由になる。
直久はむくりと起きあがり、辺りを見回した。そこは、何処かで見覚えのある場所だった。
一面に敷き詰められた緑のタイル。高さは低いが、広い机。その机は6つあって、3つで2列をつくっていた。1つの机ごとに4つの椅子があり、その椅子もまた低く、小さい。
部屋の隅にはオルガンが置いてあり、壁にはとても上手とは言えないような絵が何枚も貼ってあった。
「なんだ、ここ?」
「幼稚園だ」
「幼稚園?」
「優香たちが通っている幼稚園。俺たちも通っただろ?」
「あー、そう言えば……」
8年ほど前の記憶をたぐり寄せて、直久は頷く。立ち上がり、もう一度ゆっくりと教室の中を見回す。
近付いて、手で触れていくと、何だか懐かしさが溢れてきた。
「直久。あんまりフラフラすんな」
「あ?」
「夢の中は、空間がしっかり保たれていない。数十センチの距離が一瞬で数キロの距離になってしまうこともある」
もし、そうなっても自分には夢から現実に戻って来られる自信があるが、直久には無理だろう。
そう、ゆずるは仄めかす。
確かにその通りで、自力で夢から脱出することができない直久は、ゆずるとはぐれてしまったら莉恵の夢の中に閉じ込められてしまうだろう。
急に不安になって、ゆずるを振り返った。
「手、繋いどく?」
「い・や・だ」
「えー。俺、ぜぇったい迷子になっちゃうよ」
直久はゆずるのもとに大股で戻ってきて、まだ床に座り込んでいたゆずるに手を差し出した。
「ほぉら」
「……」
「手、繋ご〜」
自分的に可愛らしく、小首を傾げて言ってみた。すると、大げさなため息が聞こえて、握り返される。
直久はその手を引き上げて、ゆずるを立ち上がらせると、ニッと笑って見せた。
「……気持ち悪い」
「ひっどー。そういうこと言うと、直ちゃん、傷付いちゃうんだからねっ」
「うるさい」
うんざりした顔で短く言い捨てると、直久の手を引いて、ゆずるは歩き出す。
早いとこ莉恵を探し出して、帰りたかった。直久と二人きりという状況はゆずるを疲労させるし、何より、夢魔の存在が危険だ。
ゆずるは教室の扉を開けた。引き戸であるそれを横にスライドさせると、外の景色が二人の前に姿を露わになる。
最初に見えたのはジャングルジム。続いて、ゾウさん型のすべり台。ブランコ、鉄棒、砂場、と、記憶にある幼稚園の運動場が目に映った。
隣でホッと息を付いたゆずるの顔を、直久は不思議そうに見る。その視線に気付いて、ゆずるが振り返った。
「夢の中の空間はおかしいって言ったろ? あるべき所にあるべき物がないっていうのはよくあることだし、こんな場所にこんな物があるはずないのにあるっていうのも、よくあることだ」
「つまり、教室のドアを開けたら、運動場じゃなくて砂漠が広がっていたかもしれなかったわけか?」
「砂漠だか、草原だか、それは何か分からないけどな」
とにかく、現実世界とは、かってが違う。気を引き締めなければと、ゆずるは咽を鳴らした。
「式神を呼ぶ」
「呼ぶ? 式神って呼ぶもん?」
式神を使っている様子を実際目にしたのは、数久が使っている時、一回のみだ。
あの時、数久は印というものを結んで、全身から蒼いオーラのようなものを放出し、それが次第に大蛇の形を取ったのだ。
数久の式神は『雲居』と言って、大蛇の妖怪だ。
人型を取ると、超が百万個付く美女なんだよ……と数久は背景をピンク色に染めて言うが、それはあながち嘘じゃない。
自分の目で真実を確認した直久も、どことなく悔しいものがあるが、頷いてやってもいいと思っている。
それはともかく。数久が雲居をよぶ時、『呼ぶ』と言うより、『喚ぶ』だったのを覚えている。
直久の考えを読んで、ゆずるはなるべく丁寧に説明しようと、眉を寄せる。
以前の直久なら、説明する気にはならなかっただろうが、ここ最近の彼は少しでも九堂家について知ろうと必死になっているのを、ゆずるはちゃんと分かっていたのだ。
「式神の所有仕方は人によって違う。数久の場合、体内に入れておく。体内と言っても、心臓とか、肺とか、胃とか、どことはっきり言える場所じゃなくて、全身を取り巻く『気』みたいなものに混ざり合わせておくんだ」
「気? オーラみたいなもんか?」
「まあ、そんなとこかな」
「じゃあ、体内つーより、体の表面にまとわり付かせているカンジ?」
「……そうだな。この所有の仕方をしている者が式神を喚ぶ時、気を普段の倍以上に体内から放出する。それを餌にして、式神は元々の姿を取り戻し、姿を見せるというわけだ」
――要するに、使わない時はコンパクトサイズで数の回りを取り巻いているものが、使われるって時になると、数の気を食って『ふえるワカメ』みたく体を膨らませ、大蛇の姿になるってわけだな。
「なんか、それって疲れない? 喚ぶ度に気を食われるわけだろ?」
「それだけじゃない。実は数久のやり方は一番力を消耗するやり方なんだ。他にも石とか、物体に式神を封じて所有するやり方もある。これも喚ぶ時には大量の気が必要だが、物体に封じている時の式神は眠っているわけから、本当に喚ぶ時だけ力を消耗する。――対して、体内に式神を入れておくのは、霊に憑かれているのと近い状態にある。式神は主と寝起きを共にする。常に眠った状態にある場合と違って、定期的に食事が必要となる。奴らの食料は人の生気なわけだから、食事の時間の度に、数は式神に気を与えなければならない」
「なんで、数はそんな疲れる方法を取ってるんだ?」
石とかに封じちゃえばいいのに。
そりゃあ、その石を忘れちゃったりしたら大変だけどさ。……俺なんかは忘れちゃいそうだけど、数なら大丈夫だろうし。
首を傾げた直久に、ゆずるは続けて話した。
「それに体内に入れるやり方よりも、物体に封じて持ち歩いた方が複数の式神を所有できる。だから、物体に封じるやり方を取っている者が多い。お前の姉さんもそうだろ?」
「鈴加も?」
そう言えば、怒った鈴加にビー玉を投げつけられたことがある。そのビー玉は直久の頭に当たるや否や、突然、発火したのだ。
近くにいた貴樹が慌ててカードのような物を放ったら、そこから大量の水が出てきて直久は焼け死ぬことを免れたわけだが、みっともなく焦げた髪を母親に剃られて、しばらく屈辱の坊主頭になってしまったのを覚えている。
「つーことは、貴樹もそうなんだ」
カードに封じるなんて、なんかのゲームみたいで格好いいジャン!
「……で、数のことなんだけど」
ゆずるはどう言って良いものかと、目を空に泳がせた。そして、心なしか声を低めて言う。
「数の式神って、大蛇だろ。雌の……。蛇の女って、嫉妬深いんだよ。だから、数は大蛇一匹しか式神に持てないんだ」
「マジでぇ?」
「しかも、その大蛇が、自分を物になんかに封じたら許さない、って言ったらしい」
「怖っ! なんで数はよりによってそんなおっかないのを式神にしてんだ?」
「俺たちは7歳で、初めの式神を持つ。本家の裏に山があるだろう? あの山は九堂家の所有物なんだけど、いっさい人の手を加えず、妖怪の溜まり場にして、放置しているんだ。7歳になると、一人でその山に入らなければならない。そこで最初に出会った妖怪と契約するんだ」
「契約?」
「それと見合うものを与える代わりに、自分の式神になれと」
「つまり、数が最初に出会った妖怪が雲居で、雲居とその契約したんだな?」
「そう。要するに、あいつは運が悪かったんだ」
確かに運が悪かったのかも知れない。だが、数は自分の式神が雲居であることに何の不満もないようだった。
「数のような式神の所有仕方にも利点があって、常に餌を与え続けているわけだから、その分成長するんだ」
「強くなるってことか?」
「そういうこと」
「育成ゲームみたいだな」
それで? と直久はゆずるに振り返った。
「お前は? どういうやり方してんだ?」
「俺の場合は……。俺の式神たちは普段、俺とは全く別の場所にいるんだ。九堂家当主が所有する式神は、その昔、小夜が所有していた式神と同じもので、あいつらは小夜ただ一人に服従している。代々の当主があいつらの主なれるのは、小夜が自分の子孫に使えるようにと命令を下したからにすぎない。だから、あいつらは他の式神のように主に絶対服従しない。あいつらはあいつらのプライドを持って生きているんだ」
「確か妖狼だったっけ?」
「そう、9匹の妖狼。九堂家の当主は8匹の妖狼を式神に持って初めて当主と認められる。次代はその準備期間だ。俺はまだ5匹しか持てていない。あと3匹、自分のものにできれば……」
「ちょっと待て。9匹じゃないのか?」
直久はゆずるの声を遮って、疑問を口にする。ゆずるは眉をひそめた。
「9匹いるうちの8匹でいいんだ。残りの1匹は、例え小夜の命令だとしても小夜以外の主を持つ気がない。式神にはならないから」
「なんだそれ?」
「朝霧っていうんだけど、小夜が死んだとほぼ同時に、誰とも何とも関わりになりたくないと、眠りについてしまったんだ」
「そういうヤツもいるんだなぁ」
妖怪と言えども、人間並みに個性豊からしい。感心している直久は横目にゆずるは続けた。
「俺の式神たちが普段どこにいるかと言うと、大伴家が守っている神社だよ。俺が一番扱い慣れているヤツで、先見っていうのがいる」
「さきみ? 先見って……」
「そう、お前んちの神社にいるんだ。あいつのことだから、俺が呼ばない時間は、社の中で転がっているんじゃないのか? 屋根の上で昼寝しているかもしれないけど。あと、供物の酒を煽っているかも。あいつザルだから」
そう言えば……と、直久は記憶を探る。
屋根の上を走り回る音が聞こえたり、社の中が散乱していたりすることが偶にある。その度に母親が見えない誰かに小言を言っていた。
「俺が式神を呼ぶと言ったのは、まさに呼ぶからだ。俺の声はどんなに離れた場所でもあいつらに届くから、ただ呼ぶだけでいいんだ。そうすれば、あいつらは駆けつけて来てくれる」
けど、と、ゆずるは小さく呟くように続けた。
「俺の式神であるのと同時に現当主であるお祖父様の式神でもある。二人同時に命令を下せば、あいつらはあいつらのやりたい方を実行する。それに、あいつらの一番優先する主は小夜なわけだから、俺の命令に従わないこともあるんだ」
なんだか知んないけど、ゆずるはゆずるで大変らしい。数のように一匹だけど、絶対服従してくれるって方が分かりやすいし、よほど扱い安いんじゃないかと思う。
「次代様っていうのも大変なんだな」
力が無くて嫌な思いを散々してきた直久にとって、次代だと崇められているゆずるは、自分にとって対極に位置する存在だった。
自分が欲しいと思っているものを全て持っていて、同じ年なのに回りの大人たちから対等の大人として扱われて……。
そうか、と直久はゆずるの顔を見つめた。俺ってば、こいつのことが羨ましかったのかも。
こいつの周りばっか光が集まっているように見えて、自分は暗闇にいるように思えた。
両親はもちらん、鈴加もゆずるのことを一目置いていて、数でさえ、ゆずるの言いなりだ。
嫌いだ、嫌いだ、と思い続けていたのは、こいつが羨ましかったから?
今は、前ほど嫌いじゃない。苦手意識もいつ頃からか、消えていた。
怖いもの見たさ。
絶対、見た後で後悔すると分かっていても、車にひかれた猫の死骸を見てしまう。
そんな気持ちと同じ気持ちで、ゆずるのことが知りたいと思った。初めは、たぶん、そうだった。
嫌いだけど、知りたい。もっとよく知っていたい。
満月の夜、震えているあいつを見てしまったから、あの時から、直久の中のゆずるは無視できる存在ではなくなってしまったのだ。
自分とは全く異なる場所で苦悩しているゆずるに直久は柔らかく笑った。すると、ゆずるも肩をすくめて笑い返してきた。そうして、言い放つ。
「あんまり、知ったふうに言うな」
口調は怒っているようなのに、照れているからそんな言い方をするのだと分かってしまえば、どんなひどい言葉でも可愛い。
だんだんこいつのことが分かってきたぞ、と直久は一人ほくそ笑んだ。