7.南十星
あれは、僕が10歳の頃の話らしい。
らしい、というのは僕にはその頃の記憶がないからだ。厳密に言えば、10歳以前の記憶がない。僕の記憶は10歳以降のものしかないのだ。
だから、今から話すのは僕が見聞きした話のまとめで、後にこうであっただろうという推測も混じっている。はじめに話した「夜桜月冴を殺した話」というのは、僕が至った結論に過ぎない。かなり気味の悪い話だと思うが、僕は夜桜月冴を殺したのだ。
これは、その[事件]の話でもある。
******
僕には、双子の弟がいた。
彼の名前は、夜桜 南十星。あれは、夜桜家が避暑に使っていたある別荘で起きたようだった。今はその別荘は取り壊して見る影もない。
夏休みを利用して、僕らは家族でその別荘にいた。別荘は結構な大きさらしく、親戚や知り合いなども呼んでいたらしい。あの日は僕らの親戚関係が集まり、大人同士の話をしていたようだった。暇をもてあました僕と南十星は、二人で近くの河原へ出かけたようだ。
川と言ってもそれほど大きくもなく、流れも緩やかで僕らはその河原で長いこと遊んでいたらしい。もちろん、子供だけで遊ぶのは禁じられていたが、話が長引いていて子供には構ってくれなかったのでこっそり遊びに行ったようだった。
夜になっても僕らは帰ってこなかった。
その頃になって、やっと僕らが居ないことに気付き、結構な騒ぎになったという。
無理もない、その日は満月だったからだ。
子供とは言え、満月になると今ほどではないものの凶暴化の危険があった。
普段から、満月の日は出歩いてはいけないと固く言われていたので、まさか出歩くなんて誰も思わなかった。もちろん、今の今までその約束を破ったことがなかったのもある。
なぜ、その日に限って二人は出かけたのか、未だ持ってそれは謎のままだったが、僕が思うに、唆したのは南十星だと思っている。
南十星は、月冴のことをとても執着していた。特に、そのセルリアンブルーの瞳を。それが、呪われたものの証だとしても、その瞳を持つ月冴に憧れ、同時に羨ましくも感じていた。
月冴が居なければ、自分がその瞳の色を宿すことが出来るのではないか。
いつしか、南十星はそう思うようになっていた。だからこそ、あえてあの日に連れだしたのだ。大人の目が行き届かないあの日に。
その夜、二人は見つからなかった。
翌日になって、血まみれになった僕が見つかった。
月冴を殺し、その呪いを発症させた―――南十星が。
******
「・・・先生。まさか、先生は・・・夜桜月冴じゃないのですか?」
左坤は驚きをあらわにした。覚悟はしていたが、双子だったことや、弟が兄を殺したことなど予想すら付かなかったからだ。
もし、夜桜が語ることが事実だとしたら、今目の前に居るのは月冴でなく南十星ということになる。そんなことがあるのだろうか?
「僕は月冴です。見つかってしばらくの間自分が南十星だと思い込んでいたようですが」
薄く微笑むと、夜桜は席を立った。
「――そうやって、現実逃避していたんですよ。呆れるくらい弱い人間です」
「先生・・・そんな事言わないで下さい。じゃあ、一体なにがあったんですか?先生が月冴さん本人だとしたら南十星さんは?彼が殺されたんですか?」
記憶を無くした夜桜が、一時期自分を南十星と思い込んだというのなら、先ほど語った話の憶測はその時に考えた話と言うことだろう。
そんな思い込みを排除すれば、実際に起こったのは二人が満月の日に失踪し、翌日血まみれの月冴が見つかったと言うことだ。見つかった本人が記憶を無くしているため、何が起こったのか誰も知らないだろう。
誰かが二人を連れ出した可能性もある。その何者かが南十星を攫い命を奪ったのかも知れない。それが何者なのかは判らないし、そんな人は居なかったのかも知れない。
つまり、真相は何も判らないのだ。
血まみれの月冴が見つかった。今の話ではそれしか判らない。
「そもそも、南十星さんは殺されたんですか?」
左坤の問いに、夜桜は目を細めた。
「事故と言うことになってます。それも、野生動物に襲われたとか。生憎詳しいことは判りません。僕もあんな状況だったし、いち早く夜桜家の方で終わらせたようですから」
「真相を碌に調べもせず捜査を打ち切らせたんですか?」
「そのようですね。なんせ側に居たのがこの僕ですから。あの日は満月ですし、家の者は僕が凶暴化して弟を殺したと思ったのでしょう。遺体は惨たらしい状態だったみたいです。一見、南十星かどうかも判断つかないほどだったようですよ」
凄惨な遺体。側には記憶を無くした夜桜。満月の夜が明け、そんな状態で見つかれば、夜桜家としては事故で済ませたいのも判るが。呪いの所為でそこまでの惨事が起こったのかも判らないし、かといって調べさせるわけにも行かない。苦渋の決断だったのだろう。
だとしても。
何が起きたのか、呪いが発症した上での事件なのか、はたまた別の要因で起こった事なのか。今では調べようもないだろう。
そんな憶測の中で夜桜は、自分が弟を殺したのだという結論に達したのだろう。
だがなぜ夜桜は自分を南十星だと思い込んでいたのだろう?そう思う何かがあったのだろうか。そう思い、左坤はその疑問を問う。
「先生はなぜ南十星さんだと思い込んでいたのですか?」
誤解はすぐに解消される。DNAを調べれば済むことだからだ。だから今でこそそんな誤解はしていないのは判るが、なぜ見つかった当初はそう思い込んだのか知りたかった。 ――夜桜の言う、現実逃避の意味が判らなかった。
「単純な話ですよ。僕は記憶を無くしていたのもあって、あの呪いの恐ろしさがいまいち判っていなかったんです。呪いで凶暴化し、慕っていたという弟を殺したなんて信じられなかったのと、呪いがそこまで酷いものだと信じたくなかったのです」
窓にもたれ、夜桜は言葉を続けた。
「弟が常日頃この瞳に執着していたのを他の人は知っていましたし、そんな話を聞いて弟を殺したのは自分ではなく、弟が自分を殺したのだと思うことで現実逃避をしたんです」
自分が殺したわけではない。呪いは人を殺すほど酷いものであって欲しくない。そういう逃げの気持ちが、自分=南十星という思い込みの真相だったというのか。
何があったか判らずとも、無惨な死体の側に自分が居たという事実に、当時10歳だった夜桜がそう逃避したとしても無理はないだろう。
「でも、真相は分からないんですよね。先生が殺したという証拠はなかったんですよね?そんな凄惨な死体の側に居たら誰だって冷静では居られませんよ。ましては10歳の子供であればなおのことです」
「真相は、確かに判りません。でも、僕の記憶が無いというのが殺したという証拠になりませんか?それに僕は弟の血で濡れていたんですよ」
「それは・・・」
「あの場所には人を襲うような野生動物などまず居ません。まったく居ないわけではないですが、居たとしてももっと山の奥です。もし野生動物に襲われたとしたら、なぜ僕だけ無傷なのでしょうか。僕は怪我などしてませんでした。それに、血まみれと言いましたが、僕の口の中まで血まみれだったのはどう説明できますか?」
「え?」
その言葉に、左坤は言葉を失った。血で濡れていただけでなく、口の中まで?
それってつまり・・・。
「僕の胃の内容物まで調べたらもっとよく判るはずでしたが。そうしなかったようです」
「た・・・食べ・・・?」
食い殺したのか?それが、呪い故の行動なのか?
「さあ?食べたのかどうかは知りません。ただ口の中の血は僕のではなかったようです。見つけた当初、口から血を流している僕を見て怪我をしたのかと思い調べたそうですから間違いありません」
左坤はしばらく言葉が出なかった。立て続けに知った想像を超えた内容もさることながら、今の話は夜桜が南十星の死に関与していることが濃厚になったからだ。
なんらかの弾みや偶然で口の中まで血まみれになるのは考えにくい。
逆に、自ら血を接種したとすれば想像に難くない。呪いの発症、凄惨な死体。この2つが自主的な行動を示唆するのに充分な証拠とも言える。
満月によって呪いが発症し、側に居た南十星が食い殺された。
冷静に分析する自分の思考を振り払い、左坤は夜桜を見つめた。
「だから、先生は罰を受けるというんですか」
「なんの証拠もありませんが、もみ消されたのを考えるに僕が加害者でしょう。現に呪いは記憶だけでなく人格崩壊を招きます。今の僕なら間違いなく人を殺すでしょう。そんな僕が犯した罪を罰として受けるのは当然では?」
「だからって!」
「それに、どちらにせよ今の僕は非常に危険です。呪いの力はどんどん強くなってるんです。まだ10年くらい前は、その事件を除くとここまで酷くはなかったんです。今は拘束し地下室に閉じこもらないといけませんが」
―――呪いが強くなっている。
その言葉に左坤は戦慄した。出会った時にはすでに今のような方法で切り抜けていたのだが、以前はここまで酷くなかったという。それは、これ以上酷くなる可能性があるという事だ。
なぜ夜桜が、ここまで苦しまなくてはならないのかという理不尽さで胸がいっぱいになった。
「先生・・・どうして、こんな呪いなんて・・・」
夜桜が、やっと見つけた呪いを治める方法が酷な行為であっても、嫌がるそぶりを見せなかった理由がやっと分かった。人を殺めてしまう恐怖に比べたら、どうということではないのだろう。それに、もしかすると実の弟を殺してしまっている。そんな疑いのある自分には拒否権などない。だからあんなにも冷静でいられたのだ。
だが、納得は出来ない。紆余曲折があり、罰を受けるという心境に至ったとしても、そもそものきっかけである呪いは夜桜の所為ではない。夜桜は言わば被害者なのだ。
そんな彼が、今もなお苦しめられ、更に酷な状況へ追いやられているのは理不尽すぎやしないだろうか。
夜桜家に代々伝わる呪いは相当な穢れを持つもので、簡単には祓うことすら出来ないようだ。
一体何があってそこまで呪われているのだろう。
その家に生まれただけで呪われるというのは、何なのだろう。
ただ、今自分が出来るのは夜桜の呪いを少しの間治めることだ。例え少しだとしても、今まで苦しんでいた夜桜にとっては朗報だったのだろう。だからこそ、戸惑う左坤に協力を求めたのだ。
だがそれも甘えだと気づき、夜桜は自分の力で呪いと対峙しようと考え直した。自分の罰を受け入れ、周りを巻きこまずたった一人だけで。
「僕の話はこれで終わりです。伊織くん、早い内に祓いに行きましょう」
いつもの冷静な表情の夜桜に、左坤は改めて気付いた。
こうやって感情を押し殺して生きてきたのだと。それは自分の心を殺しているのと同じだというのに。
「いいえ。結構です。俺は先生さえよければその呪いを治める力になりたいです」
今はこれしか方法がないが、きっと呪いそのものを解く方法があるはず。呪う方法があるのなら解く方法だってあるはずだからだ。一刻も早くこんな不幸の連鎖は断ち切りたい。左坤は強くそう考えていた。
だが、夜桜は左坤の言葉に答えず、ただじっと見つめているだけだった。
そんな夜桜の様子に左坤は言いようのない不安を感じていた。