魂の番
運が悪かったんだと思う。今にして思えば……。
石切那由多はぼんやりと校庭を眺めていた。視線の先にはお気に入りの青白い顔がある。彼は比留間良介。何でもいろんな血が混ざっているとかで、その容姿は蠱惑的なほど美しかった。ただし、日中の良介は精細をかき、病的に青い顔で縁のゴツイうっすらと色の入ったメガネをかけて、暗い雰囲気を振りまいていた。体育の時間はいつも木陰で見学である。学園内では残念な美形とまで言われている。
常にUVカットのクリームを顔や手に塗りまくり、夏でも冬服。噂だと紫外線アレルギーなのだという。そんな残念な美形を、なぜ那由多がついつい眺めてしまうのには理由があった。
あれは三日前。夜の散歩をしていた時だ。
近所の公園で野良猫たちと遊んでいたとき、不意に視線を感じて振り返るとそっとするほど綺麗な赤い目がこちらを見ていた。
「どうしたの?猫?」
「……なんでもないよ」
薄く笑う形の良い唇。艶やかな肌。まるで月にでも魅入られたような気分が那由多を襲った。
(アレは間違いなく比留間良介だった)
日中の良介とは、まるで別人のようだったけれど、かすかに香る甘い匂いは、彼特有の匂い。
(アレとあれが同一人物……なんか事情がありそうだよなぁ)
そんなことをぼんやりと考えながら、那由多は残念な美形を目で追う癖がついてしまったようだった。
あれは三日前の晩だった。駅の近くの公園で食事をしようと、女をひっかけた後、深い口づけで女からエナジーを少々頂いた後のことだ。草陰に何匹かの猫がいて、戯れていた。その中に一際、綺麗な黒い猫がいて思わず見入ってしまった。
目が合ったとき、すぐにわかった。輝ける金眼は秘密を宿していると。そして、それは的中していた。今まで、たまに感じていた視線が、今は必死でこちらを見ていることを。
(悪くない)
しなやかな肢体と御影石のような黒髪に少し色素の薄い茶色の目。あの日みた金眼。
(いや、悪くないどころじゃないな。むしろ……)
比留間良介は木陰で、降り注ぐ視線に気づかないふりをしながら、かすかな微笑みを浮かべていた。
◆
「那由多、あんまり夜中にであるくんじゃないぞ。変な奴にさらわれたらどうするんだ」
兄の颯志はものすごい心配そうな顔で那由多を見た。その頭を容赦なくぶん殴ったのは颯志の妻・綾奈だった。
「あのね、いい加減、弟離れしてあげなさい。那由多だって、お年頃なんだから【伴侶】探しにでかけるくらいなんのことはないでしょう」
「手加減しろよ。この怪力女」
「ほう、自分の【伴侶】にそんなことをおっしゃるか。当分、【気】の交換はしてあげないから、覚悟しておきなさいよ」
「いいさ、可愛い那由多が変なのにつれていかれるより、飢え死にぐらい覚悟の上だ」
いつもの兄夫婦のじゃれあいに、那由多はため息をついた。
「兄貴も変な意地はるなよ。それから綾奈ちゃんもあんまりいじめないでやって。ね!」
那由多がお願いと顔の前で両手をあわせて、二人を拝むと那由多がいうならとそれ以上は、争うのをやめた。
「じゃ、俺、散歩してくるね」
「あんまり遅くなるなよ」
「そうね。十二時までにはかえってらっしゃい。いいわね」
那由多は、わかったと言って家をでた。
先月の満月以来、なんとなく避けていた近所の公園に、那由多はそっと近づく。猫たちは那由多に気が付くと挨拶のように体を擦り付けてきた。
(どうやら、今夜はいないようだな)
あたりを見回しても人影はないことに、那由多はほっとしたような、残念な気もした。那由多は猫たちと戯れながら【伴侶】のことを考えるが、よくわからない。時期がくれば、わかるようになると颯志は言っていた。颯志が綾奈に出会ったのは二十歳の誕生日を迎える一日前だった。綾奈はすでに二十五歳で【伴侶】をあきらめ、普通にお見合いをして適当なところで結婚するつもりだったという。丁度、そのお見合いの席にバイトの颯志が現れて、一瞬で【伴侶】だと自覚したと言う。
(父さんと母さんもそうだったのかなぁ……)
那由多は月を見上げて物思いにふける。両親は那由多が七つで颯志が十五のときに電車の脱線事故で亡くなったのだ。【伴侶】とは魂の番といわれていて、片方が死ねばもう一方も死ぬのだと言う。それはどの種族であろうと同じらしい。
(俺の【伴侶】って……)
那由多はそう思った瞬間、良介の顔を思い出した。
(待て、俺。あれ、男だ。俺の【伴侶】は胸がちょっと小さめでお尻がぷりっとした可愛い女の子だ!!)
那由多はふるふるっと頭をふった。その瞬間、体がふわりと持ち上がる。そして鼻先をあの匂いがくすぐった。
「やあ、久しぶりだね。石切那由多君」
耳元でささやく声は、間違いなく比留間良介の物だった。
(ちょっと待て。俺、今)
「人間の姿も可愛いけど、獣の姿も美しいね。君は猫じゃなくて黒豹なんだって自覚あるのかな」
(え?なに?どういうこと?)
「よく考えてみてよ。君はどう見ても他の猫たちより大きいよ。そりゃ、メンクーンくらいになれば普通の猫より大きいだろうけど……」
良介はなにやら薀蓄をたれながら、黒猫いや、黒豹の赤ちゃんであるところの那由多を抱きなおす。そしてそのまま、那由多はなぜか抵抗することもできず、良介のマンションへ連れて行かれた。
「で、いつまで、その姿でいるつもり」
良介は自分の部屋のベッドに那由多を下すと、部屋にセットされてあるポットでコーヒーを二人分入れた。そのコーヒーもさめたころ、那由多はようやく覚悟を決めてベッドの中にもぐりこむ。
一瞬にして那由多は、人の姿にもどり、もそもそと掛け布団から顔をだした。
「なんで、ベッドにもぐってんの?それ、誘ってるの」
トップモデルも裸足で逃げ出しそうなほど、綺麗な顔がにこりと笑って布団をはがそうとする。
「ちょ、待て。俺、服着てないんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
良介はにやにやと嬉しそうに笑う。紅い目がきらきらと宝石のように輝く。
「えっと……もしかしなくても、お前もなんか混ざってんの?」
那由多は上手くいえない。一族のことはよく知らない。ただ、人間だけど人間と違う生き物だ。それを【亜種】という。人間は【亜種】の存在を知らない。というより、妖怪だの化け物だのといっては、駆逐しようとしてきたのだ。発生源は同じでも【亜種】を認めることが出来ない。だから、できるかぎり【亜種】が生きのびるには人間に深くかかわらず、はやく【伴侶】を探すことだった。
「君はあまり一族のことを知らないんだね」
「だって……両親は早くに死んだし、兄貴はちゃんと説明してくれないし……」
(顔……近い……胸が苦しい……)
良介はふうんと云いながら、覆いかぶさり顔を近づける。
「さて、じゃあ、君は僕の【伴侶】かどうか、確かめさせてもらうよ」
そういうといきなりキスをした。
(ちょ、ま……)
◆
「どうしたんだい。那由多?不機嫌だな」
一通り引っ越しがすんだ良介の問いに那由多は別にという。
(俺はあの後、気を失って豹の姿になり、その俺をこいつが家まで運んで、【伴侶】宣言したんだよな。おかげで、兄貴は寝込むし……何せ相手は【バンピール】の男だ。【気】を吸うことしかできない存在。これが女の【バンピール】なら、【気】の交換量に多少の差異が生じる程度だ。【バンピール】同士なら等価交換だが、種族違いの【モンスラム】の俺とは交換にならず、俺が一方的に【気】をあたえることになる)
「俺は運が悪いとおもってんの」
「どうしてだ?こんなにいい男はいないだろう?もしかしてカミングアウトが問題だったのか?」
良介は高校時代以上に男前になり、現在は大学に通いながらモデルの仕事をしている。それも堂々と同性愛者であることをオープンにして。
「そうじゃなくて……お前が【バンピール】だってことだよ。俺は【モンスラム】だからって、手加減なしに【気】を吸いまくりやがって……しょっぱなからそうだったよなお前」
「そりゃ、もうお前の【気】以外食えないよ。自分でもそのへんは申し訳ないと思ったこともあったがな。あまりにおいしすぎて、気絶するまでキスしてしまったことは、何度も謝っただろう?それに那由多は次の日も僕のこと覚えてたし、元気だったじゃないか。問題ないだろ。今だって、これからだって」
良介はすねた顔をする那由多をそっと包み込むように抱きしめて言う。
「愛してるんだ。僕は那由多以外いらないよ」
「そういうの独占欲っていうんだよ」
「そうだよ。独占したいよ。まだまだ足りない。心も全部独占したいよ」
「そんなの……」
(もう、あの初めて目があった夜から、もってかれてるっつうの)
那由多はそっと顔をあげて、良介に口づけた。その唇は、すぐに離れたけれど、真っ赤に頬を染めた那由多を逃がさないとばかりに良介がキスをする。深く浅く……愛しさをいっぱいこめて。
こうして良介と那由多の同棲生活はスターとしたのだった。