莢蒾
『私を無視しないで』
何度目元を拭っても、途切れることなく涙は流れる。
もはや何度目か分からない涙の処理は、開き直って手で無理矢理拭っていた。
――――――目元はヒリヒリと焼け付くように痛くて、そこだけが熱を持っているようにも思える。そうやって感情が高ぶっているにもかかわらず、わたしの胸の奥はポッカリ穴が開いたようで、開いた風穴だけが冷たいものを感じていた。
…どうしてわたしは、こんなにも冷静なのだろう。
心が身体についてこない、とは逆に身体が心についてこないこの状況は、わたしには到底理解知りえないことだった。
「何が…いけなかったんだろう」
そんな、定型句のようなことを呟いたところで、現状は何一つ変わりはしない。
目を閉じて真っ先に浮かぶのは、悔しいけどわたしを裏切ったアイツだった。
―――――近くて遠い、大きな背中。ずっと見てきた、温かい背中。それを、見間違える筈が無い。
どれだけ多くの人がいても、わたしはその背中を探し出せるだろう。でも、貴方はわたしとは違って、私を見てくれていたわけではないんだね。
…知っていたよ。
わたしの告白を受け入れてくれたのは、あの人に近づく為だって。利用するためにわたしと付き合い始めて、すぐ振るつもりなんだって。
でも…嬉しかった。
そして、信じていたかった。
あの時笑ってくれたこと、楽しそうに話してくれたこと、心配そうに見てくれたこと。それは全部嘘じゃないって。薄いものだったとしても、何処か片隅に居れれば良かったの。忘れ去られなければ、それでよかったのに。
―――――見たよ、あの人と貴方が並んで帰るところ。
その日はわたしに何も言わなかったね、何時に終わるかすら聞いてこなかった。
いきなり連絡が途絶えて、それ以来一度も掛かってこない。
…今日で、4日目。よく我慢したよ。
どうしてって、それだけを聞きたくてわたしは貴方の元へ向かった。別れるとしても『別れよう』って貴方の口から聞いて、納得して諦めて、そして友達としてでもいい、遠くから貴方を見守りたかった。
…でも、それすら貴方は叶えてくれないのね。
貴方に会いに行ったわたしは、あの人と楽しそうに話している貴方とすれ違いました。――――貴方は、わたしに気づいてもくれなかった。
――――――貴方の中にはもう、わたしは居ないんですね。
――――――貴方はもう、わたしに気づくことは無いんでしょう。
だからわたしは、今日で貴方とお別れします。漸く覚悟が付いて、貴方と別れる決意をしました。
悲しかった。
苦しかった。
痛かった。
妬ましかった。
…でも、楽しかった。
ありがとう。優しい記憶をもらいました。わたしに向けられたものではなかったけど、最後に貴方の笑顔を見ることが出来ました。
――――――さようなら。貴方のことが、今でも好きでした。
『無視したら私は死にます』