王位返上は認めません! 王宮一可愛い末っ子の僕が兄上を止めます
うちの国は安泰だー。
僕は朝食の席で、パンをちぎりながらしみじみとそう思った。
長男の兄上は、責任感が強くて政務に励む王太子。
次男の兄上は武力。
三男の兄上は財務。
四男の兄上は外交。
そして僕、五男はとても可愛い。
政略結婚にぴったりの人材だ。
完璧な布陣である。つくづく、うちは安泰だー。
……と、思っていたのに。
「皆に話がある」
長男の兄上が、スプーンを置いた。朝から書類を読みながらスープを飲んでいる兄上が、その書類まで脇に避けている。これは本気の話だ。
「王位を返上しようと思う」
ぽとり、と僕のパンが皿に落ちた。
「ごほっ! ……兄上、今、何と言った!?」
次男の兄上が、肉を喉に詰まらせて胸を叩く。
「聞き間違いではなさそうですね」
三男の兄上が、紅茶のカップを静かに置いた。
「えー、朝から重いなあ」
四男の兄上は、なぜか僕のほうをちらっと見た。なんで僕を見るの。
「理由は、改めて話す。先に執務室へ行っているよ」
兄上は穏やかに微笑んで、書類を抱えて出ていった。
扉が閉まる。
沈黙。
「……肉、冷めるぞ」
次男の兄上が、ぼそっと言った。
「兄上、それは現実逃避です」
「そこじゃないでしょ!」
兄上が乱心した。
思春期だろうか。十八歳でも、遅れて来ることはあるのだろうか。いや、そんなことより。
うちの国の安泰が、朝食の席で崩れかけている。
* * *
「来ると思ってたよ」
四男の兄上は、辞書に埋もれた机から顔を上げて、ひらひらと手を振った。
僕と一番歳が近い、十四歳の兄上だ。困ったときは、だいたいここに来る。
「兄上、知ってるでしょ。長男の兄上、どうしちゃったの」
「ちょっと前に、独り言みたいに言ってるのを聞いちゃったんだ。冗談だと思ってたんだけどさ」
「聞いてたなら止めてよ!」
「止めたよ? そしたら『ありがとう、でも気を遣わなくていい』って返された」
……なにそれ。
「理由は、なんとなく分かるんだけどさ。たぶん、ボクたちのことを気にしてるんだと思う」
「僕たちのこと? いやいや」
僕は思わず身を乗り出した。
「長男の兄上、真面目だし責任感あるし、毎日ちゃんと働いてるじゃないか。王太子に必要なものは全部持ってるよ?」
「ボクもそう思うよ。でも、ボクが決めつけて話すのも違うでしょ。それに、ボクが何を言っても『気を遣わなくていい』で終わっちゃうんだよね」
「じゃあ、どうするの」
「キミなら、兄上もちゃんと聞いてくれるんじゃないかなって。兄上、キミには弱いしさ」
「僕が?」
「うん。キミが」
「よし、決めた」
僕は立ち上がった。
「会議を開く。まず、兄上たちの話を聞かなきゃ。全員集めて」
「全員って?」
「兄上たち全員! 長男の王位返上を、阻止する会議!」
「……そう言うと思った」
四男の兄上は、楽しそうに笑って辞書を閉じた。
* * *
「第一回、長男の兄上に王位返上を思いとどまらせる会議を、始めます!」
談話室の一番いい椅子の上に立って、僕は宣言した。
議長は、一番高いところにいなければいけない。
「第一回ってことは、二回目もあるのか?」
次男の兄上が、僕のお菓子を勝手に食べながら言った。
「あるかもしれないでしょ! まず皆さんの意見を聞きます。次男の兄上から!」
「まぁ、俺は将軍になれればいいからな」
「思考停止、禁止!」
「思考停止じゃない。自分の適性を理解しているだけだ」
「王様だって武力は必要だよ! 将軍と王様は違うんだからね!」
「だから、俺は将軍になりたいんだが?」
「そういう話をしているんじゃない!」
……なんで僕が、兄上たちの進路指導をしているんだろう。
しかも次男の兄上は、言っていることが正しいのが腹立たしい。自分が何に向いているか、ちゃんと分かっているのだ。脳筋に見えて、そこだけはぶれない。
「次、三男の兄上!」
「私は、今の仕事にやりがいを感じています。王位は要りません」
三男の兄上は、帳簿を膝に載せたまま淡々と言った。
「王になれば、見る範囲が国全体に広がります。それはそれで興味深いですが、財務に専念できなくなる。非効率です」
「ひとことで言うと?」
「数字を数えていたい」
「それも自分の希望だけじゃないか!」
「次、ボク?」
四男の兄上が手を挙げた。
「ボクは外交官になりたいんだ。いろんな国を回ってみたいし、語学も好きだしさ」
「自分の希望だけで国の未来を決めないで!」
「お前が言うのか?」
次男の兄上が、お菓子の手を止めずに言う。
「僕はいいの! 可愛いから!」
「その理屈で押し通せると思っているのか?」
「思ってるよ?」
「そうか……」
納得しないでほしい。
いや、なんでちょっと納得しかけてるの?
「でもさ、キミだって王様に向いてるかもよ?」
四男の兄上が、ふと言った。
「えっ、嫌だよ。僕は可愛いから、政略結婚で国の役に立つ予定なんだ」
「その自信はどこから来るんですか……」と三男の兄上。
「鏡?」
「なるほど。顔か!」と次男の兄上。
「納得するんだ……」と四男の兄上。
「納得するところではありません」と三男の兄上。
「みんな、やっと僕の価値を理解してくれたんだね!」
三人が、顔を見合わせた。
「……君が頼むと、財務官は予算の無駄遣いを白状しますね」
「僕が可愛いからだね」
「……そうですね」
「俺の隊は、お前が見学に来た日だけ、訓練の声が三割増しだ」
「僕が可愛いからだね!」
「外国の使節団もさ、毎回キミに会いたがるんだよね」
「僕が可愛いからだね!!」
兄上たちが、なんだか生温かい目で僕を見ている。
きっと、僕の可愛さに改めて気づいたんだろう。そうに違いない。
僕は椅子の上で、腕を組んだ。
次男の兄上は将軍、三男の兄上は数字、四男の兄上は外交官。みんな、やりたいことがあるらしい。
「じゃあ、誰か王様やる?」
「やらない」
「やらない」
「やらない」
「揃うのやめてよ!」
結論、出ず。
……待てよ。
兄上たちは、それぞれやりたいことを分かっていて、誰も王位を欲しがらない。なのに、長男の兄上だけが王位を返上したがっている。
それって、どういうこと?
「長男の兄上が王様をやめる理由、なくない?」
「俺もそう思う。兄上は、俺たちの話を最後まで聞いて、判断して、責任まで持つ。あれは俺には真似できん」
「兄上が適任であることは、全員が思っています」と三男の兄上。
「だから、本人に聞かないと分からないんだよね」と四男の兄上。
「……そっか」
でも、こうなったらやることは一つだ。
「分かった。僕が直接、兄上を説得する」
「それがいいでしょう」
三男の兄上が、帳簿を閉じた。
「兄上は、君の話なら聞くはずです」
「お前には弱いからな!」と次男の兄上。
「当然だよ。僕は、王宮一可愛い王子なんだから」
胸を張る僕の後ろで、四男の兄上が小さく言った。
「……そうだね」
* * *
夜。執務室の灯りは、まだついていた。
ノックして入ると、兄上は机で書類に向かっていた。
「どうした、こんな時間に。もう寝る時間だろう」
顔を上げた兄上の声が、ふわっと柔らかくなる。
出た。僕に甘い兄上だ。
でも今日は、そこで流されちゃいけない。
「兄上」
「ん?」
「変な女の人に、騙されたの?」
兄上が盛大にむせた。
「だ、誰がそんなことを!」
「だって急に王位返上なんて、それくらいしか理由が思いつかなくて」
「婚約者殿とは、仲良くやっている。来週の茶会も楽しみにしているよ」
「えっ。じゃあ違うの?」
「なぜ残念そうなんだ」
「理由が分からないほうが困るんだよ!」
兄上は、ペンを置いた。
しばらく手元を見て、それから、ゆっくりと口を開く。
「……お前たちが、誇らしいんだ」
「うん」
「次男が王なら、武力に強い国になる。三男が王なら、財政に強い国になる。四男が王なら、外交で他国から一目置かれる国になるだろう」
兄上は、指を折りながら言った。
「お前だって、私よりよほど上手く、この国をまとめるかもしれない」
「僕? 僕は可愛いから、政略結婚で国の役に立つ予定なんだけど」
「……お前は、そう言うだろうな」
兄上は、少しだけ笑った。
「それに比べて、私は真面目に努力することしかできない。だから、才能のある者が王になるほうが、国のためだと思ったんだ」
……今、「しか」って言った?
逃げたいわけじゃない。ちゃんと国のことを考えて、考えて、考えた末の答えなのだ。
だから、余計に腹が立つ。
「兄上は」
僕は、息を吸い込んだ。
「真面目に努力できることが、どれだけすごいことか分かってないの!?」
「……え?」
「兄上は毎日政務を頑張ってるじゃないか。僕は知ってるよ。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで仕事してること」
「それは、王太子として当然のことだよ」
「当然じゃないよ!」
「……」
「僕なんか、朝起きるだけで偉いと思ってるのに!」
「……それは、もう少し頑張ろうか」
「今そこはいいでしょ!」
兄上が、ふっと笑った。
よし。ちょっと元気が出たみたいだ。
でも、まだ王位返上は撤回してもらっていない。本番はこれからだ。
「あのね、兄上。僕、王様の仕事はよく分かんないけどさ」
僕は兄上の机に両手をついた。
「ちゃんと最後までやる人が王様のほうが、みんな安心するでしょ? 真面目に頑張れて、責任を持てるのって、王様にとって大事なことだと思うんだ」
「……それが、王に必要なことだと?」
「そうだよ!」
「次男兄上は将軍になりたい。三男兄上は帳簿に夢中。四男兄上は外国に行きたい。みんな、好きなことを好きなだけ言えるでしょ?」
「ああ。それは、あの子たちの才能が……」
「違うよ!」
兄上の言葉を遮った。
「兄上が王になるから、みんな自由に才能が使えてるんだよ」
「……私が、王になるから?」
「そう! 兄上がちゃんと真面目に頑張ってくれてるから、みんな安心して好きなことができるんだ。僕、それが当たり前だと思ってた。当たり前になるまで、兄上が頑張ってたんでしょ」
「それにね、次男兄上も三男兄上も四男兄上も、誰も王様はやりたくないって。兄上が王様なら安心だって思ってるんだよ。会議で聞いたもん」
兄上は、何も言わなかった。
「……私のしてきたことにも、意味はあったのか」
「あるに決まってるでしょ! 僕の可愛さの次くらいにはあるよ!」
「……そこは、比べるのか」
「大事なところだよ!」
僕は、ぐっと身を乗り出した。
「僕はね、兄上が王様の国から、政略結婚に行きたいんだ。どこの国に行っても、胸を張って言いたいんだよ。うちの兄上は、世界一立派な王様なんだって」
「……お前、まだ十二歳だろう」
そう言ったきり、兄上は片手でそっと目元を押さえた。
「兄上? 目にゴミ?」
「……ああ。ゴミが入ったらしい」
「大丈夫? 水、持ってこようか?」
「いや、いい。……すぐ、取れる」
しばらくして、兄上は顔を上げた。目が少し赤い。ゴミって、結構しつこいんだな。
「……分かった。王位返上は、取り下げる」
「ほんと!?」
「ただし、私はまだまだ未熟だ。皆に、助けてもらうことになる」
「大丈夫! 僕も可愛いから手伝うよ!」
「ああ。頼りにしている」
兄上は、僕の頭を大きな手で撫でた。
いつもより少しだけ、あたたかい気がする。
勝った。
やっぱり僕の可愛さは、国の危機をも救うのだ。
* * *
翌朝の食堂には、いつもの五人が揃っていた。
「王位返上は、取り下げた。心配をかけてすまなかった」
長男の兄上が頭を下げる。
「そうか! 肉、食うか!」
次男の兄上が、皿を差し出した。
「……いただこう」
「兄上、食欲が戻られたようで何よりです」
「よかったねえ、兄上」
三男の兄上と四男の兄上が、僕のほうを見て、そっと笑った。
僕はパンをちぎりながら、胸を張る。
うちの国は安泰だー。
長男の兄上は、責任感が強くて政務に励む王太子。
次男の兄上は武力。
三男の兄上は財務。
四男の兄上は外交。
そして僕、五男はとても可愛い。
政略結婚にぴったり。
つくづく、うちは安泰だー。




