第7話 CM
撮影前、私は控室の隅でシュタイヤー舞曲を反復していた。
音は正確、テンポも安定。けれど――正直、飽きた。
だって同じフレーズの繰り返しなんだもの。
指は勝手に動く。頭は暇を持て余す。
気付けば私は、こっそり別の旋律を奏でていた。
軽やかなイントロ。
胸の奥をくすぐるようなメロディ。
前世で何度も聴いた、大好きなボカロ曲。
この時代に存在しないはずの音楽。
ピアノに合わせ、私は小さく歌い出す。
誰もいないと思っていたから、完全に油断していた。
♪――♪―――♪♪―♪
伸びやかな旋律がスタジオの空気を変える。
冬の乾いた空気が、まるで夏の夜の匂いを帯びたようだった。
「燈由ちゃん、さっき歌ってた曲はどこの曲かな?」
――ぎくり。
振り返ると、知らないおっさんと新戒悟監督が立っていた。
しまった。
この時代、ボカロはまだ存在していない。
つまり、あの曲も存在しない。
「えっと……私が作りました。」
咄嗟の嘘。
本当にごめんなさい、作P様。
でも調べても出てこないからね!?
「誰かの曲じゃなくて、燈由ちゃんが作ったのかい?」
おっさんが目を輝かせる。
私はこくりと頷いた。
「遊んでごめんなさい。ちゃんと今からシュタイヤー舞曲の練習します!!」
そう、これは遊び。
本業はクラシック。
怒られる前に謝罪だ。
だが二人は怒るどころか、ひそひそと何やら話し込んでいる。
嫌な予感しかしない。
「燈由ちゃん、この曲を売って貰うことは出来るかな?」
……はい?
「え?あの曲ですか?売り物にならないと思うんですけど……」
本音だ。
だって私の曲じゃないし。
「そんな事はない!この『満月の珊瑚』の主題歌にぴったりなんだ!」
そう言われて、頭の中で映像と重ねてしまう。
確かに、夜の海と月光の情景には合う。
悔しいけど合う。
「……でも、子供が作ったものだし……それに主題歌って決まってたんじゃ?」
抵抗を試みる。
「候補はあるが本決まりではない!あれだけの完成度だ、是非とも起用したい!」
おっさん――後にスポンサーと知る男が、拝む勢いで頭を下げる。
4歳児に。
たじろぐしかない。
……仕方ない、交渉だ。
「ん……ん~ん、じゃあ、売り上げの10%くれるなら良いですよ!」
CD印税は通常6%前後。
倍近い数字を提示すれば引くだろう。
「分かった!それで良いよ。その代わりCMで弾き語りをして欲しいな。」
即答。
嘘だろう!!?
私の計算が甘かったらしい。
「………はい。」
飲まれた以上、逃げられない。
「楽譜は書けるかな?」
「愛華先生に習ったので大丈夫です。五線譜ノートに今から書いた方が良いですか?」
私は普段から旋律を書き留めている。
前世の記憶チート、こういう時に便利。
「ノートはいつも持ち歩いているのかい?」
「たまに弾きたいと思ったメロディが沸いてくるので書き留めるのに使ってます。」
監督がじっと私を見る。
何かを測るような目。
「じゃあ、撮影後に書いてくれるかな?」
「分かりました。次の撮影が最後なので、その後に書いて渡しますね。」
こうして私は、半ば流される形で主題歌提供者になってしまった。
◇◇◇
楽譜を渡して一週間。
本日はCM撮影。
依頼主はスポンサーの樋口慧。
例のおっさんである。
「燈由ちゃんは一条水姫として、あの曲を弾き語りしてくれるかな。」
CMディレクターの言葉に、
「分かりました。」
内心は大緊張だが、表情は役としての水姫。
「そんなに緊張しなくて大丈夫。楽しそうにね。」
楽しそうに。
冬のスタジオで夏演出。難易度高い。
着替えに連れて行かれ、サックス色のフレンチスリーブロングワンピースを着せられる。
薄化粧、麦藁帽子。
今は真冬だ。
寒いんだよ!!
おでこ靴を履き、ピアノ椅子へ。
ペダルを調整。
指慣らし。
インナーに貼ったホッカイロが命綱。
ブルブル震えながらスタートを待つ。
カチン――合図。
私は弾き始めた。
♪――♪―――♪♪―♪
一条水姫が、夏の海辺で歌っている。
月夜に照らされながら、未来へと伸びる声。
寒さなど存在しない世界。
2番に入った瞬間。
「カット!」
演奏を止める。
「上手だったよ、燈由ちゃん。」
OKの声と同時に――鼻水。
寒さ限界。
スタイリストさんがティッシュを差し出してくれた。女神。
「さっきの歌詞、2番もあるよね?」
「歌詞は2番目までありますけど……」
正直に答える。
実は樋口さんに渡した譜面には1番しか書いていない。
「え?1番しかなかったよ?」
「2番目がいるとは思わなかったので……」
4歳児、痛恨の詰めの甘さ。
「2番も教えてね。」
笑顔で圧。
「はい……」
そして結局、通しでフル歌唱。
こうして『月夜』――樋口さん命名――は完成した。
◇◇◇
1番のみの音源は予告編に使用。
私は一条水姫として映像にも出演。
そしてフルバージョンのCMが全国へ流れた。
結果――オリコンランキング1位。
スタジオは歓喜。
私はと言えば。
……やってしまった感が凄い。
前世の名曲を借りただけなのに。
けれどもう後戻りは出来ない。
天才子役に加え、天才作曲少女の肩書きまで追加。
公務員ルート、完全消滅のお知らせである。
私は遠い目で空を見上げた。
――まあ、いっか。
人生、面白い方が勝ちだ。




