第66話 八百万たまきと私のクラシック大暴走コンサート
初夏の東京。
夜の風が都会の熱をやわらかく撫でていくころ、東京湾岸にそびえる一流コンサートホールには、静かな熱気が満ちていた。
本日の主役。
世界を股に掛けるピアニスト。
五十代。
ダンディー。
色気がある。
低音ボイスが渋い。
そして無駄に立ち姿が絵になる男。
その名は――八百万たまき。
名前だけ聞くと可愛いが、実物はスーツが似合う大人の紳士。
黒の三つ揃え、ポケットチーフは深紅。
銀糸のような白髪交じりの髪を後ろに流し、丸縁眼鏡の奥で瞳が静かに笑う。
……どう見ても少女アイドルではない。
そしてその隣に立つのが、星城学園二年生のわたし。
芸能界で活動するマルチタレント。
ドラマ、モデル、バラエティ、声優。
さらに最近では“ホールを発光させる女”というありがたくない異名までついている。
原因はもちろん、わたしの魔力と感情が共鳴して照明がチカチカする件だ。
今日はクラシックホール。
ディスコ厳禁。
絶対。
◇
楽屋。
たまきさんは鏡の前でネクタイを整えている。
仕草がいちいち映画のワンシーン。
「緊張しているかい?」
低く柔らかな声。
耳が溶ける。
「少しだけ。」
「大丈夫だ。音楽は裏切らない。」
かっこいい。
くやしい。
この人、自然体で名言を量産する。
「それより君、今日は光らないでくれよ?」
「それを一番祈ってます。」
たまきさんはふっと笑う。
「もし光っても構わない。私が受け止める。」
何その包容力。
世界を股に掛けるダンディーはスケールが違う。
◇
リハーサル。
ステージ中央に鎮座する漆黒のグランドピアノ。
たまきさんが静かに腰を下ろす。
背筋が伸びる。
指が鍵盤に触れた瞬間。
ポロン。
音が空気を震わせる。
深い。
温かい。
色気すらある音。
「どうだい。」
「音がタキシード着てます。」
「ほう?」
「渋いです。」
たまきさんは満足げに微笑む。
◇
本番。
満席。
ドレスとスーツの海。
咳払いすら控えめ。
たまきさんがゆっくりと一礼する。
拍手。
第一曲。
ショパン。
静かな序章から、情熱的な展開へ。
指が舞う。
表情は穏やか。
なのに音は激しい。
そのギャップ。
ダンディーの暴力。
そして――
シャンデリアがほんのり明るさを増す。
あ。
やばい。
〈感情共鳴検知〉
頭の中でイリスが告げる。
違う。
わたし何もしてない。
でも心が震えている。
その震えが光に伝わる。
「ほう……。」
演奏しながら、たまきさんが小さく笑う。
気づいてる。
◇
第二部。
わたしの歌と語り。
たまきさんの伴奏。
「こんばんは。」
静かに言葉を紡ぐ。
ホールが呼吸を止める。
歌い出す。
ピアノが優しく包む。
音と声が重なる。
心が動く。
その瞬間。
ふわり。
ホール全体が金色に染まる。
明滅ではない。
柔らかな光。
観客がざわめく。
でも誰も怖がらない。
むしろ息をのむ。
たまきさんの目が一瞬だけ細まる。
演奏は止まらない。
むしろ深まる。
音が光を導くように流れる。
ダンディー、強い。
◇
クライマックス。
たまきさんの超絶技巧。
フォルティッシモ。
ドン!!
和音が炸裂。
同時に、ホールがぱあっと輝く。
今回はチカチカしない。
安定。
完璧。
〈制御成功〉
よし。
最後の音が消える。
静寂。
そして爆発的な拍手。
スタンディングオベーション。
ダンディーおじさま、軽く会釈。
余裕。
◇
アンコール。
たまきさんがマイクを取る。
「今宵の光は特別だ。」
やめて。
触れないで。
「若い才能と共に奏でることができ、光栄だ。」
観客うっとり。
わたし内心パニック。
そのままジャズアレンジへ。
即興。
渋い。
かっこいい。
スーツの色気が音になってる。
わたしも全力で応える。
ホールはまたやわらかく輝く。
でも今度は制御完璧。
ディスコゼロ。
勝利。
◇
終演後。
楽屋。
「見事だった。」
たまきさんが静かに言う。
「光、出ちゃいました。」
「構わない。あれは演出以上だ。」
「怒られません?」
「もし問題があれば、私が前に出よう。」
包容力が国家規模。
◇
夜の東京。
ネオンが静かに揺れる。
今日は穏やかだ。
たまきさんが車に乗り込む前に振り返る。
「次はウィーンだ。世界に光を見せよう。」
「国際問題になりません?」
「ならん。音楽は国境を越える。」
名言再び。
ずるい。
わたしは中学二年生。
マルチタレント。
そして、五十代ダンディーおじさまと共演する光る少女。
今日もホールは無事。
ピアノも無事。
ディスコ未遂なし。
百点満点。
でも次は海外。
どうか世界遺産を光らせませんように。
ダンディーおじさまがいれば大丈夫……たぶん。




