第6話 子役デビュー
私が演じるのは、天才ピアニストのヒロイン一条水姫の幼少期。
物語の始まりを担う、極めて重要な役どころだ。
母に連れられてやって来たのは、出演者顔合わせ――いわゆる美打ちの会場。
扉を開けた瞬間、空気が違うと分かった。
静かな緊張感。
名だたる俳優陣。
現場慣れしたスタッフ達。
……ど素人の4歳児、場違い感が凄まじい。
気後れしたら呑まれる。
私は小さな胸にぐっと力を込め、背筋を伸ばした。
そして腹から声を出す。
「おはようございます!」
想像以上に通る声が会議室に響いた。
視線が一斉に集まる。
微笑ましく見る人。
露骨に「大丈夫か?」という顔をする人。
完全に無関心な人。
上等だ。
第一印象は自分で作るもの。
母と指定された席に座り、静かに周囲を観察する。
主演女優の北条瑠璃さんはやはり華がある。存在そのものがスクリーン向きだ。ヒーロー役の金沢一弥さんは落ち着き払っていて、周囲への気配りも忘れない。
約30分後、全員が揃い、台本が配られた。
「――ヒロイン一条水姫役、北条瑠璃さん。」
「北条瑠璃です。一生懸命役を熟したいと思います。宜しくお願いします。」
凛とした声。
会議室の空気が引き締まる。
続いてヒーロー役の挨拶があり、脇を固める実力派俳優陣が次々と自己紹介していく。
そして。
「一条水姫役・幼少期、秋月燈由さん。」
私の番。
椅子から立ち、深く一礼。
「秋月燈由です。若輩者ですが、精一杯頑張りますのでご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします。」
――静寂。
明らかに“想定外”の空気が流れた。
「今の……幼稚園児?」
「年齢詐称じゃないのか?」
ひそひそ声が耳に入る。
まあ、分かる。
中身ババアだもの。
だがここで動じないのが大事だ。
私はにこりと微笑み、静かに着席した。
◇◇◇
読み合わせは問題なく進んだ。
台詞は《完全記憶》で完璧。抑揚や間も事前に組み立て済み。
終了後、私は即座に行動に移る。
――営業開始。
4歳児の容姿は最強の武器だ。
全力笑顔、全力礼儀、全力無害アピール。
「北条さん、宜しくお願いします!」
「まあ、可愛いわね。台詞覚えられる?」
「全部覚えてます!」
無邪気な笑顔で即答。
北条瑠璃さんは本当に優しかった。
彼女はしゃがんで目線を合わせてくれる。これが出来る人は信頼できる。
こうして主要キャストやスタッフとも挨拶を済ませ、私の“安全圏”を確保した。
◇◇◇
次はピアノ指導。
劇中で弾くシュタイヤー舞曲を講師が実演する。
私は横で聴き、《模倣》で再現。
「……初見ですよね?」
講師が目を丸くする。
だが私は納得していない。
音はなぞれている。
だが物語としては浅い。
この曲を父と弾いた記憶。
幼い水姫が感じる誇らしさ。
父の温もり。
その情景を自分の中で構築し直す。
《表現》スキルを内側から積み上げる作業。
映画は“上手さ”ではない。
観客に物語を体験させることだ。
◇◇◇
撮影初日。
ロケ地に着いた瞬間、現場の空気が肌に刺さる。
機材。
ケーブル。
照明。
スタッフの怒号。
私は母と共に挨拶回りをする。
「今日は宜しくお願いします!」
監督、助監督、カメラマン、音声、AD――
全員に笑顔。
第一印象は命。
父親役の安住晃一さんが声を掛けてくれた。
「台詞は大丈夫かな?」
「ばっちりです!」
和やかに談笑していると、撮影準備完了。
今日のシーンは――父の死。
重い。
だが重要だ。
ここで観客の心を掴めるかどうかが決まる。
「よーい……」
合図。
私は一条水姫になる。
大好きな父。
世界の中心。
「お父さん、今日は何処に連れて行ってくれるの?」
期待に満ちた瞳。
山下公園の約束。
無邪気な笑い声。
そして――通り魔。
煌めく刃。
「水姫っ!!」
父が庇う。
血飛沫。
時間が止まる。
私は本気で息を止めた。
視界を揺らす。
足を震わせる。
「いやあああああ!」
喉を裂く絶叫。
倒れた父の手を握る。
温もりが消えていく恐怖。
「血がいっぱい……どうしよう……」
半狂乱。
だが父は優しく言う。
「泣かないで……水姫のピアノが聞きたい……」
涙でぐしゃぐしゃの顔。
「いつでも弾くからっ!」
父の最後の願い。
「水姫、の、笑顔が……見たい……」
胸が裂ける。
それでも私は、くしゃくしゃの笑顔を作る。
「……水姫はピアニストになるよ。」
父の瞳が閉じる。
「寝ないでお父さん!」
救急隊に引き離される。
世界が壊れる。
「カット!!」
監督の声。
私はゆっくり呼吸を戻す。
涙は本物だった。
モニターチェック。
新戒悟監督が腕を組み、静かに言った。
「……一発OKだ。」
現場がどよめく。
「天才だな……」
誰かの呟き。
私はすぐに頭を下げる。
「ご指導のお陰です。」
謙虚大事。
その後も数シーンを撮影し、初日は終了。
◇◇◇
数週間後。
完成披露前の試写で、新戒悟監督は語った。
「あの子はカメラが回ると別人になる。恐ろしい才能だ。」
その言葉が記事になり、拡散される。
“天才子役現る”
私の名前が一気に広がった。
――公務員ルート。
また一段、遠のいた気がする。
だが今は。
この役を、最後まで全力で演じ切るだけだ。
未来のことは、その後で考えればいい。




