第5話 子役デビューの話が来た
三村健午は、旧知の仲である卯月愛華に半ば強引に誘われ、子供のピアノ発表会へと足を運んでいた。
本音を言えば、子供の発表会など興味はない。
だが、彼は今、一本の映画制作に追われている最中だった。
原作は話題沸騰中の小説『満月の珊瑚』。
主人公は孤高の天才ピアニスト。物語は彼の幼少期から始まる。
原作では――幼稚園児。
だが現実は甘くない。
「そんな年齢で、まともにショパンが弾ける子供がいるわけがない」
制作会議では何度もそう言われ、設定を小学生に引き上げる案まで出ていた。三村も全国を方々駆け回った。コンクール優勝者、音大附属の英才教育児、子役事務所所属の器用な子供――。
だが、違う。
ピアノは上手い。だが、目が違う。
イメージに近い子はいる。だが、鍵盤の上で嘘をつく。
そんな時、卯月が酒の席で言ったのだ。
「うちの生徒に、とんでもない子がいるのよ」
最初は聞き流した。
だが他に候補がいない今、藁にもすがる思いで発表会に来たのだった。
◇◇◇
最年少、4歳。
パンフレットを見た時、三村は内心で苦笑した。
どうせ「きらきら星」だろう、と。
だが――。
少女は舞台に立ち、静かに一礼し、椅子に座った。
そして流れ出したのは、ショパンのノクターン。
「……は?」
息を呑む。
音が違う。
技術ではない。
感情でもない。
――情景だ。
夜の帳が下りる。
月明かりが滲む。
孤独と、切望と、儚さ。
4歳児の身体から紡がれるとは思えない、深い夜想曲。
子供にありがちな「上手く弾こう」という気負いがない。
ただ、音で景色を描いている。
気付けば三村の頬を涙が伝っていた。
音楽で泣いたのは、いつ以来だろう。
「素晴らしい……」
心が震えた。
――見つけた。
幼少期の主人公、そのものだった。
「是非とも映画に出て貰いたいな。卯月さんに繋ぎを取って貰わないと……」
三村の胸は高鳴っていた。
◇◇◇
発表会が終わり、日常が戻る。
そして数日後。
私はいつものように愛華先生の教室を訪れた。
扉を開けると、知らないおっさんがいる。
……不審者?
「愛華先生、こんにちは!」
私は全力で無視を決め込み、先生にだけ笑顔を向ける。
「燈由ちゃん、こんにちは。あのね、紹介したい人がいるの。」
「紹介したい人?」
分からない振りをしてみる。
「三村健午さん。テレビのお仕事をしている人だよ。」
おっさん、紹介された。
「三村さん、初めまして!秋月燈由です。宜しくお願いします。」
ぺこり。
「俺は三村健午だよ、燈由ちゃん。宜しくな。」
差し出された手を握る。
ふむ、普通の手だ。悪人オーラは今のところ無し。
そこへ母登場。
「燈由の母の秋月涼子です。ご用件は?」
母の警戒レベルが一瞬で最大になる。
三村は姿勢を正した。
「私は芸能プロデューサーをしています。今、映画を制作していまして――主人公の幼少期役を探しているんです。燈由ちゃんが役にぴったりなんです。」
来た。
映画出演のお誘い。
芸能界かぁ……。
正直、興味は薄い。
だが、子役で荒稼ぎして将来ニート生活という選択肢もある。
悪くない。
「燈由はまだ4歳ですよ?」
母は慎重だ。
三村は続ける。
「『満月の珊瑚』はご存じでしょうか?」
「あの話題の小説ですよね?」
「ええ。実写化が決まりました。主演陣は揃いましたが、幼少期だけが決まらない。あの発表会を見て、確信しました。」
必死だ。
その横で私は愛華先生と雑談。
「次はJ-POPの星の砂を弾きたいなぁ。」
「いいわよ。楽譜用意するわね。」
平和。
だが三村が割り込む。
「燈由ちゃんは芸能界に興味あるのかい?」
「ちょっとだけだよー。」
本音:子役マネーは魅力的。
母が目を輝かせた。
「映画に出ちゃう?」
「演技なんて出来ないよ?」
私はスンとした表情で言う。
すると三村。
「演技が出来なくても大丈夫だよ。」
え、何それ。
「それなりのお給料が出るなら良いよー。」
ニコ。
空気が一瞬凍る。
三村の表情が引きつる。
「その辺はお母さんと相談するね。出演してくれるんだね?」
念押し。
「お金次第だよ?安くこき使われるなら出ないからね!売れっ子子役の相場でお願いね!」
母にもしっかり釘を刺す。
「……燈由ちゃんはしっかり者ね。」
なぜか感心された。
◇◇◇
その日の夜。
ステータスを確認。
【称号:映画出演予定】がうっすら表示されている。
……フラグ立った?
私はまだ知らない。
この映画が社会現象になることも。
私の名前が一夜にして広まることも。
そして――
公務員ルートが、静かに遠ざかり始めていることも。
こうして私は映画『満月の珊瑚』への出演を決めたのだった。




