第35話 カンピージョス国際ピアノコンクール①
今、私はスペインに来ている。
そう――今回のコンクールはカンピージョス国際ピアノコンクール。
本番一週間前に現地入りした私は、現在絶賛観光満喫中である。
「わあぁ――……」
目の前にそびえ立つのは、バルセロナの象徴とも言えるサグラダ・ファミリアだ。
「でっかいねぇ……1882年に建設開始されて、いまだ未完成とかロマンの塊じゃん。完成したらまた来たいなぁ」
一眼レフを構え、パシャパシャと連写する。石造りの外壁に刻まれた細密な彫刻、空へと伸びる塔の荘厳さ。光と影のコントラストが芸術そのものだ。
〈完成予定は2030年代と予測されています〉
「お、イリス観光モード?」
〈建築様式はアントニ・ガウディの有機的曲線が特徴です〉
解説まで付くとか最高か。
「燈由ちゃん、練習しなくて本当に大丈夫なの?」
隣で心配そうな表情をしているのは容子さんだ。
「失敗する時は失敗するんだから、記念旅行はしておきたいよね!」
えへ♡と笑えば、盛大な溜息。
「本当ならカンピージョスで最終調整してる予定だったのよ?」
「良いパフォーマンスをするには、その土地の空気を知ることも大事なの。私は楽しく弾きたいの!競争はついで!」
半分は本音、半分は言い訳。
でも私は“勝つため”より“楽しむため”に弾きたい。
〈マスターの精神状態は安定しています。現在観光によるストレス軽減効果を確認〉
イリスは完全に私の味方だ。
その日はグエル公園、サン・パウ病院、グラシア地区と巡り、夕方にはバルでパエリアを堪能した。
スペインの陽気な空気は、どこか音楽的だ。リズムがある。人の声さえ旋律に聞こえる。
「こういう空気、好きだなぁ」
〈感性の刺激は芸術値向上に寄与します〉
「ステータス換算やめて?」
◇◇◇
二日目。
私は着物姿でピカソ美術館へ突撃した。
海外での着物は、想像以上に視線を集める。
「……対応、良くない?」
受付の態度が明らかに丁寧だ。
〈民族衣装は強い文化的印象を与えます〉
万能言語のおかげで会話は問題ない。容子さんは横で「いつの間にスペイン語を…」と小声で驚いているが、そこは笑って誤魔化す。
館内をゆっくり歩く。
正直、ピカソの絵は“理解”が難しい。
「うーん……抽象的すぎる」
「そこが良いのよ!」
容子さんは目を輝かせている。芸術の感じ方は人それぞれだ。
その時、袖をくいっと引かれた。
『おひめちゃま!』
振り向くと、金髪碧眼の美幼女。
『ソフィア!手を離しなさい!』
慌てるパパさん。
私はしゃがみ、目線を合わせる。
『初めまして。私は燈由って言うの』
『はじめまちて、そふぃーよ。おひめちゃまはどこからきたの?』
破壊力が高い。
『日本という国から来たのよ』
コテンと首を傾げる姿に、内心デレデレだ。
着物姿の私は、どうやら“プリンセス”認定されたらしい。
『ソフィーちゃんはお姫様になりたいの?』
『うん!おねーたんみたいなおひめちゃまに!』
可愛いは正義。
私は髪の桜のつまみ細工バレッタを外し、彼女に付けてあげた。
白いワンピースに淡い桜色が映える。
スマホで撮影して見せると、瞳がキラキラと輝いた。
『そふぃー、おねーたんといっしょ?』
『うん、お揃いだよ』
パパ――マティアスさんは恐縮していた。
『高価な物を……』
『手作りなんです。出逢いの記念に』
材料費は大したことない。でも気持ちは本物だ。
最終的に連絡先を交換し、事務所経由で着物一式を送ることに。
〈良好な国際的接点を構築しました〉
「言い方」
◇◇◇
数日後。
ソフィーちゃんが二部式着物姿でインスタに投稿。
“Japanese Princess met in Barcelona”のハッシュタグ付き。
それが、予想以上に拡散した。
〈現在、海外フォロワー数が急増しています〉
「え、マジ?」
スペイン、フランス、イタリアからフォロー通知が止まらない。
コメント欄は“Real princess?”“Who is she?”の嵐。
容子さんは額を押さえた。
「コンクール前に何やってるの……」
でも私は思う。
音楽は国境を越える。
でも、笑顔も同じだ。
ソフィーちゃんとの出会いは、ただの偶然かもしれない。
だけど――
〈賞賛変換スキル、稼働確認。経験値増加中〉
「今それ言う?」
イリスは静かに告げる。
〈マスターの行動は、常に未来へ繋がっています〉
観光も、出会いも、演奏も。
全部が経験値。
全部が物語。
夜、ホテルの部屋でグランドピアノに向かう。
昼間に見たサグラダ・ファミリアの光。
グエル公園の色彩。
ソフィーちゃんの笑顔。
それらが、音に変わる。
私は鍵盤に指を置いた。
「さて、本番も楽しみますか」
〈全力でサポートします、マスター〉
スペインの夜は、静かで温かい。
コンクールは、もうすぐだ。




