第29話 収録
今日は、マリウス氏が手掛けている歌手——メアリー・スーの音源収録日だ。
本来ならアメリカで録ればいいはずだ。
だがマリウス氏が「どうしても日本で」と譲らず、容子さんが各方面を根回しして、今日の収録が実現した。
スタジオに入った瞬間、空気が少し重い。
『初めまして、メアリー・スーです。』
差し出された手。
形だけの笑顔。
だが目は笑っていない。
“私は不機嫌です”という自己紹介を、オーラでしている。
……ああ、面倒くさいタイプだ。
『こらメアリー! ちゃんと挨拶しなさい!!』
マリウス氏が叱るが、彼女はどこ吹く風。
その様子に、私の隣にいる容子さんの米神がピクピクと痙攣している。
「時間も押してますし、早速収録しましょう。」
場の空気を切り替えるために、私は淡々と告げた。
『そうだね。』
マリウス氏も頷き、レコーディングが始まる。
——そして。
一通り聴き終えた私は、静かにヘッドフォンを外した。
違う。
技術は高い。
音程も安定している。
声は確かに“天使”。
だが——
魂が、ない。
歌詞は鎮魂歌。
愛する人を喪った者の、祈りの歌。
なのに、彼女の歌はまるで勝利宣言のように明るい。
光の色が、真逆だ。
ちらりとマリウス氏を見ると、苦い顔をしている。
彼も理解しているのだろう。
「ねぇ燈由ちゃん、あの子に楽曲提供するの止めたら?」
小声で容子さん。
正直、同意だ。
『ミス,ヒヨリ……』
縋るような目で見るマリウス氏。
『解釈違いですねぇ。』
淡々と告げる。
このまま世に出れば、爆死しても私は責任を持たない。
その意味を理解したのだろう。彼の顔色が青くなる。
『その……メアリーにアドバイスをしてくれないか?』
私は小さく息を吐いた。
『彼女、私の話を聞く気が無いでしょう? 私を舐めてますし。楽曲提供取り止めでも構いませんよ?』
仕事は誠意の交換だ。
尊重なき場所に、虹は架からない。
だが——
あの声は惜しい。
本当に惜しい。
『……そこは私がキツく言い聞かせるから!!』
必死だ。
私は少しだけ考え、頷く。
『分かりました。時間を取ります。ですが私の指導は厳しいですよ? ついて来られないと判断したら、この曲は他の方に回します。』
太い釘を打つ。
『分かった。』
——言質、確保。
◇
防音室。
私は譜面を手に、メアリーの前に立つ。
『ミス,メアリー。この曲は鎮魂歌です。』
彼女は露骨に眉をひそめる。
『故人を偲ぶ曲を明るく歌ってどうするの? これは葬送。けれど絶望ではない。月光のような、静かな光。』
私のスキル——《イリス》。
音を“色”で捉える力。
今、彼女の声は金色に輝いている。
だがこの曲に必要なのは、銀。
月光の銀。
『最初のAメロは息を混ぜて。母音を柔らかく。子音を立てすぎないで。』
彼女は露骨に不満そうだ。
『やる気あるのか、メアリー?』
マリウス氏の低い声。
『分かってるわよ。良い曲にしたいと思ってるの。』
嘘だ。
でも構わない。
私はピアノを弾く。
音を鳴らすと、空間に銀の光が広がる。
——見える。
彼女の声の軌道。
感情の揺れ。
私はそれを微調整する。
『“さよなら”は強く出さないで。呑み込むの。』
テイク2。
まだ違う。
『過去を抱きしめるように。怒りじゃない。祈り。』
テイク3。
ほんの少し、銀が混ざる。
私は畳みかける。
『サビ前、ブレスを半拍遅らせて。』
『は?』
『月が雲から出る一瞬を作るの。』
テイク4。
——来た。
サビで、彼女の声が初めて震えた。
それは怒りではない。
プライドの崩れでもない。
理解の欠片。
私は静かに頷く。
『今の。そこ。もう一度。』
数時間後。
ようやく“月虹”が、スタジオに現れた。
月の銀と、彼女の金が重なり、淡い虹を描く。
曲名——【月虹】。
太陽ではなく、月が生む虹。
儚く、だが確かに存在する光。
◇
——メアリー視点。
あの小娘。
最初は屈辱だった。
子供に指図されるなんて。
でも。
何度も歌わされるうちに、気付いた。
私は“勝ちたい”と思って歌っていた。
でもこの曲は違う。
誰かのために、祈る歌。
それを理解した瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
テイク4のサビ。
なぜか涙が滲んだ。
あの子は、それを見逃さなかった。
悔しい。
でも——
歌い終えた時、スタジオが静まり返った。
マリウスが震えていた。
◇
だが。
彼女は最後まで、私を軽んじる態度を崩さなかった。
帰国後。
マリウス氏はスポンサーを降りた。
そして【月虹】は、別の歌手へと渡る。
2週間後。
【月虹】はアメリカのチャート1位を獲得。
3ヶ月間首位独占。
新記録。
私はニュースを見て、血の気が引いた。
あの時、素直に学んでいれば——。
逃した魚は、あまりにも大きかった。
◇
私は結果を聞き、静かに息を吐く。
後悔はしていない。
虹は、受け取る者を選ぶ。
《イリス》は、誠実な心にだけ色を与える。
月の光は、傲慢を照らさない。
それだけの話だ。
次の虹を架けるため、私は譜面を閉じた。




